AT-9 (航空機)

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カーチス AT-9 ジープ

Curtiss AT-9 Jeep USAF.jpg

カーチス AT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)は第二次世界大戦中のアメリカ陸軍航空隊で使用された双発の高等練習機である。双発軍用機のパイロットの育成のために、単発の初等練習機での訓練を終えた訓練生のための練習機として開発された。社内名は「フレジリング」(Fledgling、ヒナの意味)と命名されたが、陸軍では「ジープ」(Jeep)と呼ばれた。

開発[編集]

それまで双発高等練習機として使用されていたAT-17 ボブキャット(セスナ T-50)は安定性が良好すぎたため、より高性能のB-26P-38のような新型実用爆撃機に近い離着陸特性をもつ練習機が求められていた。折りしも、カーチス・ライト社では、社内記号CW-25という多発機転換訓練機を開発しており、これが陸軍航空隊の目に留まり、1941年に初飛行し、AT-9として1942年から生産が開始された。

設計[編集]

機体は、AT-17より小型な機体として設計された。操縦席は並列複座。試作機では鋼管フレームに羽布張りの機体であったが、量産機は全金属応力外皮構造となった。エンジンは、300馬力のライカミングR-680-9 空冷エンジンの2基搭載した。

運用[編集]

AT-9は1941年予算で491機が発注され、1942年予算ではエンジンを強化し、油圧系統を改善したAT-9Aが300機発注された。AT-9は高性能機のパイロットの育成するために、意図的に安定性を減らし、操縦を難しくしていたが、かえってP-38よりも操縦が難しいというパイロットも多かった。さらに、操縦士のみならず、航法士や無線士といった職種を同時に訓練することができなかった上に、アメリカの航空機産業の生産能力が高いため、実用訓練機としてB-25やB-26といった爆撃機を転用する余裕もできた。こうしたことから、AT-9は訓練飛行隊から引揚げられてしまった。

戦後になっても操縦の難しさから民間に払い下げられて飛行することはなく、地上での整備訓練のために使われた。

現存機[編集]

2機のAT-9が保存されているほか、オハイオ州国立アメリカ空軍博物館にAT-9Aが1機が展示されている。

モデル[編集]

  • CW-25 - 原型機、胴体と尾翼は羽布張りである。
  • AT-9 - ライカミングR-680-9エンジンを装備し、全金属応力外皮構造に変更。生産数 491。
  • AT-9A - ライカミングR-680-11エンジンに換装し、油圧系統を改善。生産数 300。

要目[編集]

  • 乗員: 2名
  • 全長:9.65 m
  • 全巾;12.29 m
  • 全高: 2.29 m
  • 空虚重量:2,011 kg
  • 最大離陸重量: 2,749 kg
  • エンジン: 2xライカミングR-680-9
  • 出力 2x 295 hp (220 kW)
  • 最大速度: 317 km/h
  • 巡航速度:282 km/h
  • 巡航高度:5,791 m
  • 航続距離:1,207 km
  • 上昇率:10,000ft(3,050m)まで8.6分

参考文献[編集]