T-2 (航空機・アメリカ)

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T-2 バックアイ

T-2B

T-2B

ノースアメリカン T-2アメリカ合衆国で開発された中間練習機/高等練習機(飛行機)である。愛称はバックアイ(buckeye[1])。ジェット機の操縦訓練、特に航空母艦の離着艦訓練に使われる艦上練習機で、製造国のアメリカで使用された他、少数機が輸出されている。

概要[編集]

T-2は縦列複座の座席配置を持つ直線翼、中翼配置の単発(B型以降は双発)ターボジェット艦上練習機である。アメリカ海軍において、艦上中間練習機としてT2Vの後継機として開発され、1960年代初頭より半世紀に渡って使用された。

開発[編集]

最初のモデルであるT2Jはノースアメリカン社において1950年代に設計が開始され、同社のFJ-1フュリーの主翼を流用した単発の機体であった。この設計案・NA-249は1956年にアメリカ海軍に採用され、評価試験機であるYT2J-11958年1月31日に初飛行している。1959年7月より部隊配備が開始された。

T2J-1は艦上練習機としては標準的な性能を示し、運用実績も良好であったが、アメリカ海軍部は単発機ゆえのエンジントラブルに対する安全性[2]について疑問を呈し、またエンジンも旧式化してきたため、エンジンを換装し双発型が開発されることになった。

これを受けて双発機として改設計されたものがT2J-2であり、エンジンをWE J34 ターボジェットエンジン 1基から P&W J60 ターボジェットエンジン 2基に変更している。T2J-1を改装したYT2J-2試作機は2機生産され、1962年8月に初飛行した。量産型T-2B(旧称T2J-2)は1965年に生産開始し、5月に初飛行した。1965年12月より部隊配備が開始され、T2J-1を更新していった。1960年代後半にはエンジンをGE J-85 ターボジェットエンジン に換装したT-2Cが開発され、試作機YT-2Cは1968年4月17日に初飛行している。

1962年9月アメリカ三軍軍用機命名規則統一により、「T2J-1」はT-2Aに、「T2J-2」はT-2Bに改称された。尚、ノースアメリカン社は後にロックウェル社と合併したため、T-2の最終ロットの機体はロックウェル社(ノースアメリカン・ロックウェル社)で生産されており、「ロックウェル T-2 バックアイ(Rockwell T-2 Buckeye)」の名称で記載されている資料もある。

運用[編集]

航空母艦に着艦するT-2B

T-2はアメリカ海軍の主力艦上練習機として長く使用され、T-2Cは陸上運用の高等練習機としてベネズエラギリシャ向けにそれぞれT-2D/T-2Eの名称でも生産された。

T-2は固定武装は備えていないが、T-2C以降の型は主翼下4箇所のパイロンにガンポッド爆弾等の兵装を装備することが可能で、軽攻撃機(COIN機)としての運用も可能である。

アメリカ海軍では1990年代後半より後継のT-45 ゴスホークに交代し、2008年には全機が退役したが、ギリシャでは引き続き運用中である。

諸元[編集]

※数値はT-2Cのもの

派生型[編集]

YT2J-1
評価試験用に生産された原型機。後にYT-2Aと改称。6機生産。
T-2A
初期生産型。単発エンジンを持つ最初の量産型。旧称T2J-1。217機生産。
T-2B
双発エンジンに改良した改設計型。旧称T2J-2。97機生産。
T-2C
B型のエンジンを換装し外部兵装搭載能力を付与した改良型。231機生産。
T-2D
T-2Cのベネズエラ空軍向け生産型。12機生産。
T-2E
T-2Cのギリシャ空軍向け生産型。30機生産。

脚注[編集]

  1. ^ セイヨウトチノキの実」の意味。メーカーの工場があるオハイオ州を代表する樹木でありオハイオ人の通称でもある。加えて「大きな目」を意味するスラングでもあり、そこから「後方視界(BackEye)」に掛けて「後ろを取らせない優秀なパイロット」の意味を持つ
  2. ^ エンジンが一つしかない機体は飛行中にエンジンが停止してしまった場合再始動に成功しなければ致命的な事態を招くため、長時間海上を飛行するためにトラブルが生じても緊急着陸のできない海軍機は冗長性の点から双発であることが好まれる

参考文献[編集]

  • 航空ファン別冊 No.35 アメリカ軍用機1945~1987 海軍/陸軍編 文林堂 雑誌コード03744-2
  • アメリカ海軍機 1946-2000 増補改訂版 ミリタリーエアクラフト’01年2月号別冊 デルタ出版

関連項目[編集]

外部リンク[編集]