群集事故
群集事故(ぐんしゅうじこ)とは無秩序な集団(人の集まり)によって発生する事故の形態である。災害によって誘発されたパニックの際に発生しやすいことはよく知られるが、パニック状態ではないときに発生することもある。
概要
群集事故は、特に統制ないし誘導されていない人の群れの流れが、様々な要因で事故に発展した状態である。例えば、通行の邪魔になる物品が通路上にあって流れが滞留(流れがさえぎられ、そこの人的な密度が高まり、さらにその塊が周囲の交通を妨害すること)したり、またはボトルネックが存在して滞留し易い場所が存在し、これが災害など他の要因で人の流れが加速した際に、許容量を超えて滞留場所に人が殺到、その場にいた人に甚大な被害を与える事故などが典型的なケースである。
ただ、災害など強い突発的なストレス要因などが発生し事態が急変した場合以外でも、明石花火大会歩道橋事故のように、継続的なストレス(ないしフラストレーション)を受け、些細なきっかけから均衡状態が崩れ事故に至ったケースが知られている。同事故では、行楽客らが進むことも戻ることもできないことから「イライラしている状態」にあったところに、予定されていたイベントの終了に伴ってさらに人が流入、飽和状態から身動きが取れなくなり体調を崩す者も出たほか、喧嘩などの混乱も加わって将棋倒し状態となって多数の死傷者を出した。
対策
こういった混乱は都市部などでは深刻な事態を引き起こす傾向もあるため、都市計画や建築物の設計段階でも回避策が検討される。例えば公共施設などでは、その出入り口に設けられた扉に普段は開け閉めできるが、非常時には全面開放できボトルネック化しないよう設計されたもの(→パニックオープンドアなど)が見られる。
また、イベント等で一時的に群集が発生することが予想される場合は、あらかじめ雑踏警備に係る警備計画を策定することが重要である。警備員を配置し、ロードコーン等の保安器具により立ち入り規制を行う等により、特定の場所に人が集まりすぎないように人の流れをコントロールする。
学問・技術
こういった事故の予防のために、コンピュータを使ったシミュレーションも盛んである。流体力学的な側面もある同分野だが、この中では意図的に人の流れを阻害するボトルネックを設置したり、あるいは「一人が転倒する」や「些細な行き違いから喧嘩が発生する」などの偶発的な要素で発生しうる滞留の状況を数理的に再現、これが全体の流れにどのように影響するかをシミュレーションするのであり、近年では駅や商業施設の動線配置の設計などで利用されている。
社会学の立場で警備業研究を展開している田中智仁は、群集事故の変遷と警備体制の強化を考察した論文を発表している(ただし、同論文では「雑踏事故」と表記されている)[1]。
主な群集事故
- 1934年1月8日 - 京都駅跨線橋転倒事故
- 京都駅構内で海軍に入団する新兵を見送るために集まった人垣で将棋倒しが発生。死者77名、重軽傷者74名。
- 1954年1月2日 - 二重橋事件
- 皇居の一般参賀に訪れた人達の将棋倒しが発生。死者16名、重軽傷者65名。
- 1956年1月1日 - 彌彦神社事件
- 1960年1月26日 - ソウル駅圧死事故
- 1960年3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故
- 1964年5月24日 - エスタディオ・ナシオナルの悲劇
- 1989年4月15日 - ヒルズボロの悲劇
- イングランド・シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで行われた、リヴァプール対ノッティンガム・フォレストFC戦で、ゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せたことにより死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となった。イギリスのスポーツ史上最悪の事故と評される。
- 1990年7月2日 - 1990年メッカ巡礼事故
- 1993年1月1日:蘭桂坊将棋倒し事故
- 2001年7月21日 - 明石花火大会歩道橋事故
- 2010年7月24日 - ラブパレード死傷事故
- 2014年12月31日 - 2014年上海外灘雑踏事故
- 2015年9月24日 - 2015年メナー群衆事故
- ハッジに訪れていた多数の巡礼者が将棋倒しとなり2,181人以上が圧死。ハッジでの群集事故としては史上最悪となった。
脚注
- ^ 田中智仁「雑踏事故およびその対策の専門化をめぐる問題-雑踏警備業務の社会学」『現代の社会病理』 (24), 99-116, 2009年、日本社会病理学会
- ^ 上海将棋倒し “金券”は関連性なし、警察「事故後ばらまき」 死者は若者大半