鶴澤浅造
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鶴澤 浅造(つるざわ あさぞう)は、文楽義太夫節三味線方の名跡。
4代目
→「鶴澤重造 (4代目)」も参照
四代目 鶴澤 浅造(よだいめ つるざわ あさぞう)は、日本の三味線奏者、スタッフ。1911年4月に四代目鶴澤浅造を襲名し、1930年4月まで名乗った。1930年5月、四代目鶴澤重造を襲名し、1980年5月まで名乗った。
5代目
五代目 鶴澤 浅造 | |
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出生名 | 上原 誠己(うえはら せいき) |
別名 | キーン誠己(現戸籍名) |
出身地 | 新潟県西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区) |
学歴 | 東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業 |
ジャンル | 伝統音楽 |
職業 | 三味線奏者 |
担当楽器 | 三味線 |
活動期間 | 1970年代 - |
公式サイト | 日々、ドナルド・キーンとともに:So-netブログ |
五代目 鶴澤 浅造(ごだいめ つるざわ あさぞう 1950年-)は、日本の三味線奏者、実業家、秘書。のちに越後 角太夫(えちご かくたゆう)を名乗った。本名はキーン 誠己(きーん せいき)。旧姓は上原(うえはら)。
来歴
新潟県西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区)出身[1]。実家は『越後鶴亀』などで知られる蔵元の上原酒造である[2][3]。東京外国語大学の外国語学部フランス語学科を卒業し、文楽義太夫節三味線方の世界に入った[4]。のちに家業を継ぐため、新潟県に帰郷した[3]。なお、日本文学者であるドナルド・キーンから、浄瑠璃など古典について指導を受けていた[1][5]。これをきっかけにドナルドとの交友が深まり、ドナルドから養子になるよう申し出があった[1]。ドナルドは日本国籍を取得し、戸籍上の本名を「キーン ドナルド」としていたため、養子縁組に伴い誠己は「上原」から「キーン」に改姓した[1]。その後、2019年2月までドナルドの私設秘書を務めていた[1]。
人物
- 弘知法印御伝記
- 人形遣いの西橋健とともに『弘知法印御伝記』の復活上演に取り組んでいた。『弘知法印御伝記』は江戸時代初期に演じられていた古浄瑠璃であるが、日本では忘れ去られており上演されることもなくなっていた。しかし、国文学者の鳥越文蔵が、大英博物館に死蔵されていた絵入り本を1963年に発見し、再び知られるようになった。のちに養父となるドナルド・キーンの発案により、300年ぶりに上演されることになった。誠己は、西橋らと協力して復活上演を成功させ、大英博物館などでも公演を行っている。なお、この復活上演に際して、新潟大学などでフランス語教師を務めたクロエ・ヴィアートに対し、浄瑠璃の指導をしていた。
- 語学
- 東京外国語大学の外国語学部ではフランス語学科に在籍しており、フランス語など語学に堪能である。
出演
- 第30回文楽公演(1974年)
- 朝日座文楽公演(1974年)
- 艶容女舞衣 道行霜夜の千日 - 三味線(交替出演)
- 朝日座文楽公演(1974年)
- 釣女 - 三味線(交替出演)
- 第32回文楽公演(1974年)
- 音冴春臼月 団子売 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1975年)
- 龍虎 - 三味線(交替出演)
- 第33回文楽公演(1975年)
- 一谷嫩軍記 堀川御所の段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1975年)
- 久米仙人吉野桜 吉野山の段 - 三味線(交替出演)
- 第34回文楽公演(1975年)
- 神霊矢口渡 道行比翼の袖 - 三味線(交替出演)
- 朝日座文楽公演(1975年)
- 音冴春臼月 団子売 - 三味線
- 第35回文楽公演(1975年)
- 彦山権現誓助剣 彦山権現社前の段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1975年)
- 第36回文楽公演(1975年)
- 本朝廿四孝 道行似合の女夫丸 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1976年)
- 寿式三番叟 - 三味線(交替出演)
- 第37回文楽公演(1976年)
- 桂川連理柵 道行朧の桂川 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1976年)
- 良弁杉由来 桜の宮物狂ひの段 - 三味線
- 第38回文楽公演(1976年)
- 夏祭浪花鑑 住吉鳥居前の段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1976年)
- 朝日座文楽公演(1976年)
- 第39回文楽公演(1976年)
- 仮名手本忠臣蔵 鶴ヶ岡兜改めの段 - 三味線
- 仮名手本忠臣蔵 塩谷館明渡しの段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1977年)
- 面売り - 三味線
- 第40回文楽公演(1977年)
- 小鍛冶 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1977年)
- 妹背山婦女庭訓 山の段 - 妹山琴(交替出演)
- 妹背山婦女庭訓 鱶七上使の段 - 三味線(交替出演)
- 第41回文楽公演(1977年)
- 妹背山婦女庭訓 道行恋苧環 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1977年)
- 東海道中膝栗毛 赤坂並木より古寺まで - 三味線
- 第42回文楽公演(1977年)
- 増補忠臣蔵 本蔵下屋敷の段 - 琴
- 朝日座文楽公演(1977年)
- 冥途の飛脚 道行相合かご - 三味線
- 第43回文楽公演(1977年)
- 伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段 - 三味線
- 第9回文楽鑑賞教室(1977年)
- 伊賀越道中双六 沼津の段 - 三味線(Bプロ)
- 朝日座文楽公演(1978年)
- 寿柱立万歳引抜き団子売 - 三味線
- 近頃河原の達引 堀川猿廻しの段 - 三味線
- 第44回文楽公演(1978年)
- 鑓の権三重帷子 伏見京橋女敵討の段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1978年)
- 義経千本桜 仙洞御所評議の段 - 三味線
- 義経千本桜 道行初音の旅 - 三味線
- 第45回文楽公演(1978年)
- 生写朝顔話 大内館の段・多々羅浜の段 - 三味線
- 生写朝顔話 明石浦船別れの段 - 琴
- 朝日座文楽公演(1978年)
- 第46回文楽公演(1978年)
- 鬼一法眼三略巻 五条橋の段 - 三味線
- 朝日座文楽公演(1978年)
- 假名手本忠臣蔵 鶴ヶ岡兜改めの段 - 三味線
- 假名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入 - 三味線
- 第47回文楽公演(1978年)
脚注
- ^ a b c d e 「キーンさん、養子縁組を公表――新潟市出身の浄瑠璃三味線奏者と」『キーンさん、養子縁組を公表|社会|新潟県内のニュース|新潟日報netpark』新潟日報社、2013年4月30日。
- ^ ドナルド・キーン「新潟との深い縁」『東京新聞:新潟との深い縁:ドナルド・キーンの東京下町日記:特集・連載(TOKYO Web)』中日新聞社、2014年4月6日。
- ^ a b 嶋田和子「古浄瑠璃が結ぶ縁――ドナルド・キーンと三味線奏者・上原誠己」『古浄瑠璃が結ぶ縁ードナルド・キーンと三味線奏者・上原誠己 | 日本語教育みんなの広場』日本語教育みんなの広場、2011年9月8日。
- ^ 坂本鉄男「イタリア便り――キーン先生の健康法」『【外信コラム】イタリア便り キーン先生の健康法 - 産経ニュース』産経デジタル、2015年5月3日。
- ^ 「文化・芸術を愛する父子の日常――キーン誠己(せいき)さん 」『今週の本棚・本と人:『黄犬ダイアリー』 著者・キーン誠己さん - 毎日新聞』毎日新聞社、2016年10月23日。
外部リンク
- 日々、ドナルド・キーンとともに:So-netブログ - 五代目鶴澤浅造の公式ブログ
- 「弘知法印御伝記」を上演した越後猿八座の記録:So-netブログ - 五代目鶴澤浅造の旧公式ブログ