墨俣町
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すのまたちょう 墨俣町 | |
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廃止日 | 2006年3月27日 |
廃止理由 |
編入合併 上石津町、墨俣町 → 大垣市 |
現在の自治体 | 大垣市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 安八郡 |
市町村コード | 21384-5 |
面積 | 3.39 km2 |
総人口 |
4,617人 (国勢調査、2005年) |
隣接自治体 | 岐阜市、羽島市、瑞穂市、安八町 |
町の木 | サツキ |
墨俣町役場 | |
所在地 |
〒503-0192 岐阜県安八郡墨俣町大字上宿473番地の1 墨俣町役場(2005年3月撮影) |
外部リンク | 墨俣町 |
座標 | 北緯35度21分35秒 東経136度40分54秒 / 北緯35.35975度 東経136.68178度座標: 北緯35度21分35秒 東経136度40分54秒 / 北緯35.35975度 東経136.68178度 |
ウィキプロジェクト |
墨俣町(すのまたちょう)は、かつて岐阜県安八郡にあった町である。
永禄10年(1567年)の織田信長による美濃攻めの際、家臣であった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして城を築いたという故事「墨俣一夜城」で知られる。2006年(平成18年)3月27日に養老郡上石津町とともに大垣市に編入された。編入後は大垣市の地域自治区「墨俣町地域自治区」となっている。
地理
編入先の大垣市とは隣接していないため、同市の飛び地となった。なお、同時に編入された上石津町も飛び地となった。
隣接していた自治体
歴史
年表
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行により墨俣村が成立。
- 1894年(明治27年)9月24日 - 町制施行により墨俣町となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 墨俣町・西橋村・下宿村・二ツ木村が合併して墨俣町となる。
- 1929年(昭和4年)1月 - 犀川事件が勃発する。これに先立ち同月7日に町長が辞職[1]。
- 1957年(昭和32年) - 昭和の大合併として大垣市への編入合併を議決して岐阜県に申請したが、飛び地であることを理由に認められなかった。
- 1974年(昭和49年)1月1日 - 本巣郡穂積町と境界変更[2]。
- 1979年(昭和54年)12月1日 - 安八郡安八町と境界変更[2]。
- 2006年(平成18年)3月27日 - 上石津町とともに大垣市に編入された[2]。
日本一面積の小さい市町村
2006年(平成18年)3月1日にこれまで日本一面積の小さい市町村であった高知県赤岡町(現:香南市)が合併で廃止したため、墨俣町が日本一面積の小さい市町村となった。なお、墨俣町は同月27日に大垣市に編入したため一番だった期間は26日間である。かわって富山県舟橋村が日本一面積の小さい市町村となった。地方自治体に関する日本一の一覧#面積も参照。
行政
- 町長:栗田金一(1996年6月30日 - 2006年3月27日)
- 2000年(平成12年)1月には九州への視察旅行の際にストリップ劇場に入店したことが問題となったが、同年の町長選挙では無投票で再選されている。
教育
小学校
- 墨俣町立墨俣小学校(現・大垣市立墨俣小学校)
中学校
- 安八郡墨俣町安八町学校組合立東安中学校(現・大垣市安八郡安八町組合立東安中学校)
- 墨俣町ではなく安八町にある。
高校
2006年以前に廃校となった学校
- 組合立岐阜県大垣東高等学校(1963年廃校)
交通
鉄道
町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅は、JR東海東海道線穂積駅などだが、大垣駅も近い。
計画路線
昭和初期から1960年代まで、町内の国道21号(岐垣国道、現・岐阜県道31号岐阜垂井線)を経由して大垣と岐阜や羽島とを結ぶ鉄道計画が存在していた。養老鉄道養老線#岐阜延伸計画を参照。
路線バス
道路
町内に高速道路や一般国道はなかった。
主要地方道
一般県道
娯楽
- 盛栄座 - 映画館
名所・旧跡・観光スポット
脚注
- ^ 切り落とし工事に反対、七町村長ら辞職『東京日日新聞』昭和4年1月8日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c “令和元年岐阜県統計書” (pdf). 岐阜県. pp. 3-6 (2019年7月). 2020年9月30日閲覧。