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鬼丸神社

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鬼丸神社
(市指定史跡)
所在地 鹿児島県日置市日吉町吉利
位置 北緯31度35分22秒 東経130度20分29.7秒 / 北緯31.58944度 東経130.341583度 / 31.58944; 130.341583 (鬼丸神社)座標: 北緯31度35分22秒 東経130度20分29.7秒 / 北緯31.58944度 東経130.341583度 / 31.58944; 130.341583 (鬼丸神社)
主祭神 禰寝重長武将
例祭 せっぺとべ
地図
鬼丸神社 (市指定史跡)の位置(鹿児島県内)
鬼丸神社 (市指定史跡)
鬼丸神社
(市指定史跡)
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鬼丸神社(おにまるじんじゃ)は、鹿児島県日置市日吉町吉利にある神社

概要

大隅国武将の一人であった禰寝重長右近大夫)は火縄銃が伝来した後の戦国時代島津氏肝付氏に加勢しながら大隅地方で勢力を拡大し、日明貿易を推進したと言われている。鬼丸神社は、重長が1580年(天正8年)に没したのち、その霊を祀るために、息子の重張が建立したものである[1]

なお、肝属郡南大隅町にある同名の鬼丸神社も、祭神が禰寝右近大輔重長である[2]慶長年間に制作されたとされる玉眼の重長のカヤの座像が置かれている[3]

例祭日

毎年6月初旬に、日置八幡神社(市指定史跡[4])と鬼丸神社(市指定史跡[5])が主体となり、御田植祭の一種である例祭のせっぺとべ(「精一杯跳べ」の意味)が開催される[6]

日置島津家の第3代島津常久が1595年(文禄4年)に、日置八幡神社を日置の総鎮守と定め9畝の新田を寄附した頃に始まったとされている[注釈 1]

脚注

注釈
  1. ^ 元根占院領主禰寝重張豊臣秀吉の命により伊集院忠棟の私領であった吉利に移封されたが、のちの1627年(寛永4年)には薩摩藩主島津忠恒の九男で養子の島津久雄(福寿丸)、次いで同じく八男の禰寝重永がその私領や財産を相続した[7]
出典
  1. ^ 日置市日吉地域の文化財・伝統芸能」。2022年4月1日閲覧。
  2. ^ 鹿児島県神社庁、"鬼丸神社"。2022年4月1日閲覧。
  3. ^ 神社縁起説明板(写真)- グーグルマップ
  4. ^ 日置市. “八幡神社”. 日置市. 2019年9月17日閲覧。
  5. ^ 日置市. “鬼丸神社”. 日置市. 2019年9月17日閲覧。
  6. ^ マイナビ鹿児島県で、泥にまみれて豊作を願う祭り「せっぺとべ」開催」。2022年4月1日閲覧。
  7. ^ 鹿児島県. “お田植え祭「せっぺとべ」”. 鹿児島県. 2019年9月17日閲覧。

関連項目