日吉町吉利

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日吉町吉利
—  大字  —
吉利付近の航空写真(1974年撮影)[1]
日吉町吉利の位置(鹿児島県内)
日吉町吉利
日吉町吉利
座標: 北緯31度34分20.7秒 東経130度20分30.9秒 / 北緯31.572417度 東経130.341917度 / 31.572417; 130.341917
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 日置市
地域 日吉地域
人口 (2010年10月1日現在)
 - 計 1,361人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 899-3203

日吉町吉利(ひよしちょうよしとし Hiyoshi-Chō Yoshitoshi)は、鹿児島県日置市大字[2]。旧日置郡吉利郷吉利村、日置郡吉利村(大字なし)、日置郡日吉町大字吉利。人口は1,361人、世帯数は585世帯(2010年10月1日現在)[3]郵便番号は899-3203。

現在の日吉町吉利は、1889年の町村制施行から1955年まで存在した吉利村の区域である。吉利村には大字が存在せず、1955年に吉利村が日置村と合併し日吉町となったのに伴い吉利村の全域を以て日吉町の大字「吉利」として新設され、2005年の市町村合併に伴い名称を変更したものである。

本項では本大字の前身となる1955年まで地方自治体であった日置郡吉利村(よしとしむら)についても便宜上、含有して記述する。

文禄年間から江戸時代末期まで現在の字域にあたる吉利郷吉利村は文禄期に禰寝(根占)郷(現在の錦江町大根占地域及び南大隅町小根占地域)から、一族・家臣ともども移封された禰寝氏(根占とも。後の小松氏)の領地であった。禰寝(根占)・小松氏の当主のなかには維新の十傑の一人小松清廉(帯刀)がいる。禰寝と根占の字は清廉の日記でも併用されている。

地理[編集]

日置市の西部、大川の下流域に位置している。字域の北方には日置市日吉町日置、南方には日置市吹上町永吉、東方には日置市伊集院町古城、日置市伊集院町飯牟礼鹿児島市入佐町がそれぞれ隣接しており、西方には東シナ海に面している。

西部には吹上浜の砂丘が南北に広がっており、周辺には防砂林が多く所在している。付近には国道270号が南北に通っている。

以前は鹿児島交通枕崎線が南北に通っており、中央部には吉利駅が所在していたが、1984年(昭和59年)に廃止された。線路跡は廃止後に自転車道となり、鹿児島県道加世田日吉自転車道線となった。

東方には鹿児島県道35号永吉入佐鹿児島線が通っている。

また、字域の北部にある園林寺跡には小松重春までの歴代の禰寝氏(根占・小松氏)の歴代領主の墓があり、その中には経済に辣腕をふるった禰寝清雄、小松氏に名字を改めた最初の人物小松清香、最も著名な小松清廉(小松帯刀)の墓が立つ[4]。彼らはすべて薩摩藩家老職を務めている。また園林寺跡は日置市の指定文化財に指定されている[5]

河川[編集]

  • 大川

歴史[編集]

薩摩国日置北郷下地中分絵図
縦に赤い中分線が引かれ、左の「領家方」と右の「地頭方」に分けられている。

吉利の成立と中世[編集]

吉利という地名は鎌倉期より見え、薩摩国日置北郷のうちであり、名田名であった。元享4年に日置北郷は伊作荘(現在の日置市吹上地域)とともに下地中分が行われ、南は地頭分、北は領家分とされた。嘉暦2年の島津道恵譲状により一部が島津久氏に与えられた[2]

文禄4年に島津義久豊臣秀吉の命により根占七郎(根占重虎[重張]とも史料に出ず)を旧領である根占院(現在の肝属郡錦江町大根占地域及び肝属郡南大隅町小根占地域)から吉利村へ移封した。根占七郎は根占氏直系の最後の殿様であった。あとは島津一族がこの本家を引き継いだ。そしてさらに根占氏(禰寝氏)直系は名字を小松氏と改め、小松氏は江戸期、私領として当地を治めることとなる[2]

近世の吉利[編集]

江戸期には薩摩国日置郡吉利郷(外城)のうちであり、吉利郷は吉利村のみの1村で構成されていた。村高は「天保郷帳」では3,137石余、「旧高旧領」では2,123石余であった。

元禄頃に吉利の領主であった禰寝清雄が広島よりを移植し、吉利では麻糸生産や製網などが行われ薩南方面では村の面積の小ささに比べて人口が多かったとされる[2]

町村制施行以降[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、吉利郷の区域より吉利村が成立し、1郷1村であったことから大字は設置されなかった。1955年(昭和30年)には吉利村が日置村と合併したことにより日吉町となり、旧吉利村の全域を以て日吉町の大字「吉利」が新たに設置された[6][2]

2000年平成12年)に日置字六枝及び井神の各一部を吉利字石町に編入し、吉利字六枝、春日、瀬戸口及び井神の各一部を吉利字南天牟田に編入した[7]2001年平成13年)に吉利字春ヶ迫の一部が松元町大字入佐字平木場の一部となり、松元町大字入佐字平木場の一部を吉利字春ヶ迫の一部に編入した[8]

2005年(平成17年)に日吉町伊集院町吹上町東市来町と合併し日置市の大字「日吉町吉利」に改称した[9]

字域の変遷[編集]

実施後 実施年 実施前
日吉町大字吉利(新設) 1955年(昭和30年) 日置郡吉利村(全域)
吉利字石町の一部 2000年平成12年) 日置字六枝、井神の各一部
吉利字南天牟田の一部 日置字六枝、春日、瀬戸口、井神の各一部
松元町大字入佐字平木場の一部 2001年平成13年) 吉利字春ヶ迫の一部
吉利字春ヶ迫の一部 松元町大字入佐字平木場の一部

祭事[編集]

  • せっぺとべ
地内の吉利鬼丸神社及び日置の八幡神社にて毎年6月第1日曜日に行われている文禄4年より続く御田植祭。祭りの詳細については「日吉町日置#祭事」の項を参照。

施設[編集]

教育
  • 吉利保育園
  • 扇尾保育園
郵便局
  • 吉利郵便局
史跡

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる

大字 番地 小学校 中学校
日吉町吉利 全域 日置市立日吉小学校 日置市立日吉中学校

交通[編集]

吉利駅跡に設置された自転車道の休憩施設

道路[編集]

国道
県道
自転車道

鉄道(廃止路線)[編集]

鹿児島交通枕崎線

脚注[編集]

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  1. ^ 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  2. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.654-655
  3. ^ 2.男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等(CSVファイル)( 平成22年国勢調査 小地域集計 46鹿児島県) - 総務省統計局 2012年2月7日閲覧。
  4. ^ 小松帯刀が眠る園林寺跡 - 鹿児島県公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。
  5. ^ 文化財・伝統芸能 - 日置市公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。
  6. ^ 字の新設(昭和30年鹿児島県告示第404号、Wikisource-logo.svg 原文
  7. ^ 平成12年鹿児島県告示第676号(字の区域の変更、平成12年5月19日付鹿児島県公報第1576号所収)
  8. ^ 平成13年鹿児島県告示第913号(字の区域の変更、平成13年6月8日付鹿児島県公報第1684号の2所収)
  9. ^ 日置市の住所表示 - 日置市 2012年4月9日閲覧。
  10. ^ 平成19年鹿児島県告示第603号(県道の路線の廃止)

関連項目[編集]

座標: 北緯31度34分20.7秒 東経130度20分30.9秒