天野有
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天野 有(あまの ゆう、1955年12月11日[1] - 2018年10月17日)は、日本の神学者。西南学院大学神学部教授[1]。
経歴
静岡県出身[1]。早稲田大学教育学部を卒業後、西南学院大学神学部神学科を修了、九州大学大学院、西南学院大学神学部専任講師を経て、西南学院大学教授となった。西南学院大学を卒業後、父の志をついで牧師の道を進んだが、説教の能力の限界を感じ、カール・バルトの神学の研究者として活路を見いだした。北九州市の高須バプテスト教会の協力牧師も務めていた。
2018年10月17日、食道がんのため死去、62歳[2]。
年譜
- 1979年、早稲田大学教育学部教育学科を、卒業する(教育学士)。
- 1982年、西南学院大学神学部神学科を修了(神学士)、奈良キリスト教会(日本バプテスト連盟)牧師。
- 1988年、ドイツ・ヴッパータール神学大学に留学。
- 1991年、九州大学大学院文学研究科博士課程を、中退(文学修士)。
- 1993年、ヴッパータール神学大学博士課程を修了して、Dr.theol.を取得する(神学博士)。
西南学院大学神学部講師を経て、教授。
論文
- 「カール・バルトにおける創造論のキリスト論的基礎づけ」『哲学論文集』、九州大学哲学会、1988年。
- Karl Barths Ethik der Vers oehnungslehre. Ihre theologische Rezeption in Japan und ihre Bedeutung fuer die kirchlichgesellschaftliche Situation in Japan, Peter Lang Verlag 1994、博士論文、199?年。
- 「カール・バルトの『和解論』の倫理学 ―キリスト論的・終末論的倫理学―」(Ⅰ)〜(Ⅲ)、西南学院大学神学論集、1994年〜1996年。
- 「バルト神学における『イエス論』の地平」(Ⅰ)〜(Ⅱ)『福音と世界』1994年10月号〜11月号(新教出版社)、1994年。
- 「バルトは聖書をどのように状況的に読んだか。一つのモデル ―《アモスの審判予言解釈》(1955年)」、『福音と世界』1995年7月号(新教出版社)、1995年。
- 「バルトの《国家》論のための序論的考察」、『思想のひろば』第8号(特集「国家」への新しい視点)、(滝沢克己協会編、創元社)、1997年。
- 解放をもたらす言葉(Ⅰコリント7,20)―ルター的理解への問いとしてのバルトの『召し/召命(klesis)理解―』、西南学院大学神学論集、2002年。
- 「生命倫理の方向性を求めて―神学的倫理学からの予備的考察―」、『生命の倫理―その規範を動かすもの』(山崎喜代子編)、九州大学出版会、2004年所収。
執筆
- 『岩波 キリスト教辞典』(大貫隆ほか編)、岩波書店、2002年。(以下の13項目を、担当している。 「神の義」・「神の言」・「希望の神学」・「『教会教義学』」・「キリスト論(近現代)」・「ドイツ教会闘争」・「パネンベルク」・「バルト」・「バルメン宣言」・「モルトマン」・「ユンゲル」・「『ロマ書』〔バルトの〕」・「和解」)
訳書
- カール バルト『キリスト教的生Ⅰ』、新教出版社、1998年。
- カール バルト『キリスト教的生Ⅱ』、新教出版社、1998年。
- カール バルト『国家の暴力について―死刑と戦争をめぐる創造論の倫理―』、新教出版社、2003年。
- カール バルト『国家の暴力』、新教出版社、2003年。
共訳
- ルドルフ ブルトマン『ブルトマン著作集9』、新教出版社、1994年。
- ルドルフ ブルトマン『聖書学論文集3』、新教出版社、1994年。(青野太潮との、共訳。)
- 『バルト=ボンヘッファーの線で。クラッパート教授来日特集』、新教出版社、1996年。
- 『現代の終末論とフェミニズム。ユルゲン・モルトマン、エリーザベト・モルトマン=ヴェンデル日本講演集 1996』、新教出版社、1997年。
脚注
- ^ a b c 『キリスト教年鑑2015年版』731頁。
- ^ “【おくやみ】天野有さん 西南学院大教授、組織神学”. 東京新聞. (2018年10月18日) 2018年10月20日閲覧。
参考文献
- 『キリスト教年鑑2015年版』キリスト新聞社、2015年。