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ヴッパータール

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紋章 地図
Stadtwappen der kreisfreien Stadt Wuppertal Lage der kreisfreien Stadt Wuppertal in Deutschland
基本情報
連邦州: ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区: デュッセルドルフ行政管区
地域連合: ラインラント地域連合
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯 51度16分
東経 7度11分
標高: 海抜 100-350 m
面積: 168.39 km²
人口:

358,938人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 2,132 人/km²
郵便番号: 42001-42399
(旧: 5600)
市外局番: 0202 (一部 02058, 02053)
ナンバープレート: W
自治体コード: 05 1 24 000
UN/LOコード: DE WUP
市の構成: 10 市区
市庁舎の住所: Johannes-Rau-Platz 1
42275 Wuppertal
ウェブサイト: www.wuppertal.de
E-Mail: infozentrum@stadt.wuppertal.de
行政
上級市長: Uwe Schneidewind (Grüne)

ヴッパータール (Wuppertal ドイツ語発音: [ˈvʊpɐtaːl] ( 音声ファイル)) はドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。ルール地方の工業都市。人口は約36万人。ブッパータール[2]ウッパータール[3]とも表記する。

地勢・産業

ヴッパータール市街の風景

ライン川の支流、ヴッパー川沿いに位置する工業都市。約20キロ北にボーフム、30キロ西にデュッセルドルフ、30キロ北東にドルトムントが位置している。

1863年、ヴッパータールに化学・製薬会社のバイエルが創設された。20世紀に入り、いくつかの会社と合併してIG・ファルベンとなり、戦後に解体されてバイエルに戻った。現在の本社はレーヴァークーゼンに置かれている。

歴史

ドイツ産業革命の中心地であり、紡績産業などが発展した。1929年、バルメン(Barmen)、エルバーフェルト(Elberfeld)、ロンスドルフ(Ronsdorf)、フォーヴィンケル(Vohwinkel)、クローネンベルク(Cronenberg)の各都市が合併してバルメン=エルバーフェルトとなり、翌年よりヴッパータールと称した。エルバーフェルトは10世紀エルヴァーフェルデ家(Herren von Elverfelde)の水城(Wasserburg)のもとに生まれ、1610年に都市となった。バルメンは1070年にはすでにヴェールデン修道院(Kloster Werden)の所領と記されているが、都市になったのは1808年である。両地域の繊維産業は1806年ナポレオンによる大陸封鎖のために危機に陥り、危機を脱したのはようやく19世紀半ばである[4]。日本の、方面委員をへて民生委員につながる社会福祉事業のモデルとなったエルバーフェルト制度は、1852年当時のエルバーフェルト市において実施された[5]

ヴッパーはこの都市を流れる川、タールは谷を意味する。第二次世界大戦では激しい打撃を受けたが、戦後に復興を果たした。

マックス・ヴェーバーは、資本主義精神の発達を促したカルヴィニズムについて、ドイツではヴッパータールの状況を例として挙げている[6]

交通

ヴッパータール中央駅より、ケルン中央駅REで約35分。ベルリン中央駅ICEで約4時間20分で運行されている。

ヴッパータール空中鉄道

ヴッパータールには、現存する世界最古のモノレールであるヴッパータール空中鉄道が運行されている。1901年にバルメン - エルバーフェルト間に開通したもので、区間距離は約14キロ、ヴッパー川上空を走っている。

スポーツ

ヴッパーターラーSVボルシアが、ヴッパータールを本拠地とするサッカークラブである。

ゆかりの人物

姉妹都市

脚注

  1. ^ Bevölkerung der Gemeinden Nordrhein-Westfalens am 31. Dezember 2023 – Fortschreibung des Bevölkerungsstandes auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011
  2. ^ ブッパータール - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
  3. ^ ウッパータール - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
  4. ^ de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 1145-1146.
  5. ^ https://sw.self-sufficiency.jp/germany-welfare 2022年7月22日閲覧
  6. ^ マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳)岩波文庫 2010年 31-32頁から引用すると、「カルヴィニズムは、ドイツにおいても、同じようにそうした影響を及ぼしたらしい。すなわち、ヴッパータールやその他の地方でも「改革派」の信仰は、他派に比較すれば、資本主義精神の発達を促進することが大きかったようだ。たとえばルッター派に比してそれがいちじるしかったことは、大づかみにも、また個々の地方、とくにヴッパータールについても、比較してみれば分かることだろう」。

関連項目

外部リンク