ベエルシェバ
ベエルシェバ בְּאֵר שֶׁבַע بئر السبع | |
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![]() ベエルシェバ市街 | |
位置 | |
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ベエルシェバの位置(イスラエル南部) | |
歴史 | |
定住開始 | 1900年 |
行政 | |
国 |
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地区 | 南部地区 |
郡 | ベエルシェバ郡 |
市 | ベエルシェバ |
市長 | ルヴィク・ダニロヴィチ |
地理 | |
面積 | |
総面積 | 117.5 km2 (45.4 mi2) |
人口動態 (2018年現在) | |
人口 | 209,002[1] 人 |
都市圏人口 | 531,000 人 |
その他 | |
等時帯 | 世界標準時 (UTC+2) |
夏時間 | 夏時間 (UTC+3) |
ベエルシェバ(ヘブライ語: בְּאֵר שֶׁבַע, ラテン文字転写: Bəʾēr Ševaʿ、アラビア語: بئر السبع, ラテン文字転写: Biʾr as-Sabʿ、公式ラテン字表記: Be'er Sheva[2])は、イスラエル南部地区の都市。
聖書にしばしば登場する地名であり、創世記ではアブラハムやイサクがアビメレクと誓いをかわした場所として登場する。またイスラエルの12氏族の住む土地の南端であったため、北端のダンとともに「ダンからベエルシェバまで」という言葉がイスラエルの民の住む土地の意味で使われている。
第一次世界大戦においては1917年のベエルシェバの戦いの舞台となった。
概要[編集]
ネゲヴ沙漠最大の都市で、「ネゲヴの首都」と呼ばれることもある。2005年の人口は185,000人である。
ベエルシェバはイスラエル南部地域の行政中心地で、ベン=グリオン大学、ソロカ・メディカルセンター、 イスラエル・シンフォニエッタ・ベエルシェバの本拠地である。
ベエルシェバは1948年のイスラエル建国以来大きく成長してきた。住民の多くは1948年以後アラブ諸国、エチオピア、旧ソビエト連邦からイスラエルに移住したユダヤ人である。ベエルシェバの周囲には町が点在するが、オメル、レハヴィム、メタルはユダヤ人住民が多く、ラハト、テル・シェバ、ラキヤなどはベドウィンの町である。
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中央駅
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中央バスターミナル
観光[編集]
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第一次世界大戦中にこの地で戦死したオスマン帝国軍兵士の慰霊碑
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オスマン帝国時代(1915年)に建てられた駅舎
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ネゲヴ・モール・タワー
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ソロカ大学医療センター: イスラエルで2番目の規模を有する医療機関。
スポーツ[編集]
- ハポエル・ベエルシェバFC - ベエルシェバを本拠地とするサッカークラブチーム。
友好都市[編集]
アディスアベバ (エチオピア)
アダナ (トルコ)
ウィニペグ (カナダ)
ヴッパータール (ドイツ)
オニ (グルジア)
クルジュ=ナポカ (ルーマニア)
シアトル (アメリカ)
セブ (フィリピン)
ニシュ (セルビア)
パラマタ (オーストラリア)
モントリオール (カナダ)
ラプラタ (アルゼンチン)
リヨン (フランス)
ローゼンハイム (ドイツ)
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ [1]
- ^ “Be'er Sheva Municipality”. 2021年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。