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上脇町

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日本 > 愛知県 > 豊田市 > 旧足助町地区 > 上脇町
上脇町
上脇町の風景
上脇町の風景
上脇町の位置
上脇町の位置
上脇町の位置(愛知県内)
上脇町
上脇町
上脇町の位置
北緯35度4分58.0秒 東経137度16分8.5秒 / 北緯35.082778度 東経137.269028度 / 35.082778; 137.269028
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 豊田市
地区 足助地区
町名制定 2005年平成17年)4月1日
面積
 • 合計 1.21 km2
人口
2019年(令和元年)7月1日現在)[1]
 • 合計 88人
 • 密度 73人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-2335[2]
市外局番 0565(豊田MA[3]
ナンバープレート 豊田

上脇町(かみわきちょう)は、愛知県豊田市町名

地理

豊田市の中央部やや南よりに位置し、足助地区(旧東加茂郡足助町の町域にほぼ相当する)に属する。北東で上佐切町、東で国閑町、南で坂上町、西で石楠町、北西で下佐切町と隣接する。 町域の中央部やや南東よりには東西より山に挟まれた谷地があり、その急斜面上に人家が点在している。町域の北部では巴川の支流である佐切川が西進し、河岸には豊田市立佐切小学校が立地する。 産業は農林業が中心である[4]。また、兼業農家が多数を占める[5]

歴史

沿革

  • 戦国期- 天正期の『松平乗承家蔵古文書』の中で「かミわき之郷」「上わき」という郷名が出現する。当時この付近は大給松平氏領であったとされる[4]
  • 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡上脇村」、天保期の郷帳においても「加茂郡上脇村」という表記が見受けられる[6]
  • 1635年(寛永12年)当時- 刈谷藩領であった[7]
  • 1651年慶安4年)- 旗本石川貞当(大島陣屋)の知行地となる[7]
  • 1871年明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第6小区に所属する[6]
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が東加茂郡と西加茂郡に分割される。これに伴い、上脇村の所属が加茂郡から東加茂郡に変更される[4]
  • 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、上脇村、国閑村、上国谷村、上小田村、上佐切村、桑原田村、沢ノ堂村、下国谷村、下佐切村、栃本村、中国谷村、野林村、冷田村、平折村、四ツ松村の15村が同組に組み込まれる[8]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、上脇村、追分村、国閑村、上国谷村、上小田村、上佐切村、桑原田村、沢ノ堂村、下国谷村、下佐切村、栃本村、中国谷村、野林村、冷田村、平折村、岩神村、四ツ松村の17村が合併して東加茂郡盛岡村が誕生し[9]、上脇村は盛岡村大字上脇に継承される[4]
  • 1955年昭和30年)4月1日- 盛岡村が足助町に編入される[10]。これに伴い、盛岡村大字上脇は足助町大字上脇に継承される[4]
  • 2005年平成17年)4月1日- 足助町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市上脇町に変更される。

世帯数と人口

2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
上脇町 29世帯 88人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 61人 [11]
2010年(平成22年) 109人 [12]
2015年(平成27年) 103人 [13]

その他

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]

番・番地等 小学校 中学校
全域 豊田市立佐切小学校 豊田市立足助中学校

学校

小学校

寺社

  • 神明神社
旧上脇村村社。

文化財

城館跡

日陰城、砦ヶ峰城などとも呼ばれる。中世のものだが、詳細ははっきりしていない[7]

墓所

中世のものだが、詳細ははっきりしていない[4]

その他

日本郵便

脚注

出典
  1. ^ a b c 豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 上脇町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 429.
  5. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 2004.
  6. ^ a b 「有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 1173.
  7. ^ a b c d 「有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 915.
  8. ^ 『豊田加茂の地名』:18ページ
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1176.
  10. ^ 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:21ページ
  11. ^ 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
  13. ^ 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
  14. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
  15. ^ a b 埋蔵文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月15日閲覧)
  16. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。

外部リンク