魚津神社
| 魚津神社 | |
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| 所在地 | 富山県魚津市中央通り1丁目3番28号[1] |
| 位置 | 北緯36度49分05.6秒 東経137度23分51.5秒 / 北緯36.818222度 東経137.397639度座標: 北緯36度49分05.6秒 東経137度23分51.5秒 / 北緯36.818222度 東経137.397639度 |
| 主祭神 | 祭神一覧を参照。 |
| 社格等 | 郷社(旧社格)[1] |
| 創建 | 702年3月17日[1] |
| 例祭 | 6月4日 |
| 主な神事 |
魚津神社祭礼(6月4日 - 6月6日) 愛宕社の火祭り(1月26日) |

祭神
[編集]由緒
[編集]元々は魚津町発祥とほぼ同時期にあたる702年3月17日創建の神明社という名前の神社だったが[2][1]、1956年(昭和31年)に魚津大火が発生し、その復興事業として火災地域にあった5つの神社を統合し、魚津神社となった。1965年(昭和40年)6月1日に新社殿を再建し[3][1]、1965年(昭和40年)9月25日に魚津市立大町小学校敷地内にあった愛宕神社(昔は魚津城の守護神として有名だった)の御神体を遷座し、1967年(昭和42年)に神社を本殿の北隣に移した[4]。
その後、1968年(昭和43年)9月17日に富山縣護國神社に次ぐ県内2番目の規模(当時)の大鳥居(高さ8.5m、幅11m、柱の下の直径60cm)が富山県米穀株式会社社長からの寄付により竣工した[5]。さらに1970年(昭和45年)7月30日には境内に相撲場(檜柱の神明造の屋根(茶褐色のトタン葺)を備えた、柱と柱の間5.5m、天井まで4.5m)が竣工している[6]。
2024年1月1日に発生した能登半島地震では、当時境内に大勢の参拝客がいた。怪我人はいなかったものの、正面参道入口の[2]伊勢神宮から拝受した[7]『桧の鳥居』は傾き、西参道にある石の鳥居の柱には亀裂が入った。倒壊の危険があったことなどからいずれも撤去された。もう1基ある鳥居については被害は無かった。鳥居の再建計画では、損傷した部分にそれぞれヒノキ材や石材を継ぎ足して建て直す。石の鳥居は柱の中に鉄柱を通して耐震化も図る。狛犬の修復なども予定しており、費用は総額2千万円余りで[2]、2026年6月に着工し、同年10月の完成を目指すとしている。財源の一つである募金は2,200万円を目標に集める[7]。
社殿・境内
[編集]統合した神社
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年中行事
[編集]- 1月26日 - 愛宕社の火祭り
- 6月4 - 6日 - 魚津神社(神明社)祭礼
しかし大正時代に入ると、道路に電線が引かれるようになったこと、曳山保存に手間とお金が掛かることなどにより徐々に曳かれなくなっていった。曳山は、屋台造りで前部に舞台があり、浄瑠璃に合わせて子供たちが歌舞伎を演じる子供歌舞伎曳山で、魚津の伝統工芸である魚津漆器の塗りを用いるなど、技術の粋を集めたものである。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 『富山県神社誌』(1983年(昭和58年)11月10日、富山県神社庁発行)346ページ。
- 1 2 3 『北日本新聞』2025年12月29日付19面『被災鳥居2基 再建必ず 魚津神社総代ら お守り頒布 支援募る』より。
- ↑ 『北日本新聞』 - 1965年(昭和40年)5月21日付 朝刊12面(富山新川版)『来月1日から遷座祭 魚津神社が完成』より。
- ↑ 『明理 120周年を迎えて』(1993年(平成5年)11月13日、魚津市立大町小学校編集・発行)47頁。
- ↑ 『富山新聞』 - 1968年(昭和43年)9月18日付 朝刊10面『魚津神社に大鳥居』より。
- ↑ 『北日本新聞』 - 1970年(昭和45年)8月1日付 朝刊(富山新川版)12面『魚津相撲場が完成』より。
- 1 2 『富山新聞』 - 2026年1月4日付12面『被災の鳥居 再建へ 魚津神社 募金開始、お守り頒布』より。
- ↑ 『北日本新聞』 - 1963年(昭和38年)9月20日付 朝刊7面『二千三百万円で新築 7年ぶりに解決の魚津神社』より。