高谷朝子

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高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26日 - )は、宮内庁内掌典

滋賀県大津市生まれ[1]1942年(昭和17年)3月に滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学校)を卒業[1]。翌1943年(昭和18年)6月1日宮内省内掌典を拝命。以後約57年間に亘り、皇室の神事、賢所や候所の伝統を護る。終戦から昭和天皇崩御までを皇居内で過ごした。この間、1985年(昭和60年)4月におかしら(内掌典の長)に就任[1]。昭和天皇大喪の礼今上天皇即位の礼皇太子徳仁親王成婚にかかわった。2000年(平成12年)11月、勲四等瑞宝章受章[1]2001年(平成13年)3月31日に退職。

日本教育再生機構」の賛同者。評論家高谷覚蔵は叔父にあたる。

著書[編集]

  • 「宮中賢所物語 ~五十七年間皇居に暮らして~」(ビジネス社2006年河出文庫、2017年3月
  • 「永遠の皇室を仰いで 宮中祭祀、御製、行幸-今上天皇のご公務と大御心」(明成社2008年

論文[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 綾瀬稲荷神社ホームページ(三遊亭円丈編集) 「~元内掌典~ 髙谷朝子のことば」より。