響灘

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響灘
Hibiki Sea from Hibikibashi Bridge.jpg
響灘、下関市豊浦町小串
響灘の位置(日本内)
響灘
響灘
響灘(およその位置)
座標 北緯34度10分 東経130度45分 / 北緯34.167度 東経130.750度 / 34.167; 130.750座標: 北緯34度10分 東経130度45分 / 北緯34.167度 東経130.750度 / 34.167; 130.750
親水域 日本海
海洋 太平洋
日本の旗 日本
自治体 北九州下関長門など

響灘 (ひびきなだ)は、関門海峡の北西に広がる海域であり、北東側は日本海に続き、西側には玄界灘が隣接する。

定義[編集]

現代の日本における一般的な定義では山口県長門市川尻岬から関門海峡西口を経て福岡県宗像市鐘ノ岬地島大島に至る海域を指すとされている[1]。ほか、海上保安庁が発行する日本の水路図誌海図)では角島を東端とする範囲で掲載されている[2]

なお、島根県江津市の鳥屋鼻 - 山口県沖日本海の見島 - 沖ノ島の間に基線が設定されており[3]、これより南東側は海洋法上日本の内水内海)とみなされ、響灘の広い範囲が日本の内水または領海となっている。

響灘と玄界灘[編集]

「響灘」は" ひぢきの灘 " が長い年月を経て〝 ひびき(響)灘〝 にかわったものであるという説がある。「昨日こそ 船出はせしか 鯨魚(いさな)取り 比治奇(ひぢき)の灘を 今日見つるかも」(3893 万葉集 巻第十七 読人知らず) 古代ではこのあたりはひじき (海藻の一、食用)、わかめなどの海産物が多く採れることで知られ、これらの海産物が平城京(奈良の都)へ献上された記録が残っている。(奈良文化財研究所 木簡データベース参照)

「玄界灘」の初出は江戸時代の辞書『書言字考節用集』(槇島昭武1717年(享保2年)以前初版)。九州の北限の海を漠然と指す。日本海の一部で、大韓民国や日本の島根県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県に面しており、広さは不確かだが約13,000平方キロメートルである。韓国では「玄海灘」(ヒョンヘタン)と呼ぶ。何となく九州側から見た海を玄海灘という言葉を当て、中国地方毛利藩側から見た海を響灘と言う。後に、行政区分上名称に区切りをつけたため混同されるが、重なる領域があるのはこの理由からである。

沿岸部[編集]

下関市の西部の北浦海岸が響灘に面し、国道191号沿線に安岡、吉見、室津など良好な漁港が点在している。北九州市の沿岸部は、大規模工場が集積する北九州工業地帯を形成しており、北九州学術研究都市北九州港の一郭を成している。また、漁業も盛んであり、玄界灘と同じく日本有数の漁場である。響灘ではイワシフグウニなどの魚が水揚げされる。その他に浜田仙崎・豊北・若松・芦屋波津鐘崎などの沿岸部には釣りの名所と知られる場所も数多く存在する。海水浴場も所々に点在し、夏季の海水浴シーズンには周辺から海水浴客が訪れる。

沿岸部の気候は温暖であり、冬は対馬海流の影響で霜柱が立つことは無いが雲が発生しやすいため、曇天の日が多く、雨や雪を降らせることもある。日照時間も非常に短く、北西の季節風の影響で肌寒く、波は穏やかで荒れることは少ない瀬戸内海側とは違い、季節風の影響を強く受けるため、海が荒れることも少なくない。

隆起により出現し浸食を受けた海蝕崖や奇岩が各所に見られるほか、阿武火山群の火山地形、須佐湾ホルンフェルスなど地質景観がみられ、山口県北部の沿岸は北長門海岸国定公園に指定されている。

主な島[編集]

主な沿岸都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 35 山口県』 角川書店、1988年、ISBN 4-04-001350-6
  2. ^ 海の相談室 FAQ 灘ってなに?」、海上保安庁 海洋情報部、2017年9月10日閲覧
  3. ^ 「管轄海域情報~日本の領海~ 直線基線 九区域 九州:都井岬~鳥屋鼻」、海上保安庁 海洋情報部、2017年9月10日閲覧

関連項目[編集]