金載圭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
金 載圭
生誕 (1926-03-06) 1926年3月6日
日本の旗 朝鮮 慶尚北道 亀尾市
死没 (1980-05-24) 1980年5月24日(54歳没)
大韓民国の旗 韓国 ソウル
別名 号:徳山
職業 中央情報部長・陸軍予備役中将
罪名 内乱罪(内乱目的殺人)
刑罰 死刑(絞首刑)
配偶者 金寧姫
動機 諸説あり
有罪判決 有罪
金載圭
各種表記
ハングル 김재규
漢字 金載圭
発音: キム・ジェギュ
ローマ字 Kim Jaegyu
テンプレートを表示

金載圭日本語読み:きん さいけい、朝鮮語読み:キム ジェギュ、1926年3月6日 - 1980年5月24日)は、韓国軍人政治家。最終階級は陸軍中将大韓民国中央情報部(KCIA)第7代部長。朴正煕暗殺事件大統領ら2名を射殺して、内乱罪で有罪判決を受け、絞首刑にされた。

略歴[編集]

慶尚北道亀尾市出身。第二次世界大戦中は日本名:金本元一を名乗り、特別幹部候補生第1期(航空整備)出身の整備兵として日本陸軍に従軍。陸軍航空部隊の第1錬成飛行隊にて四式戦闘機「疾風」ハ45の教育を受けていた。

朴正煕大統領とは同郷で、国防警備隊士官学校では同期生であるが、9歳年下。1950年3月、少領(少佐)に昇進して第3師団第22連隊第2大隊長[1]朝鮮戦争では浦項の戦いなどに将校として参加している。第5師団参謀長、第36連隊長を経て、第3師団副師団長となる[1]。ここで師団長に憤慨して退役しようとするが、この報を聞いた李鍾賛に引き留められ陸軍大学学生監督官となる[1]。後に准将昇進と同時に陸軍大学副総長。

1961年に5・16軍事クーデターが起きた時には国防部総務課長だったが、クーデターに加担しなかったために革命軍に連行され調査を受けた[1]。否定事実が無かったため釈放され、湖南肥料社長に任命される[1]。1963年9月、原隊復帰して第6師団長に任命[1]。1929年6月、少将に進級、第6管区司令官を経て、1968年に保安司令官に任命される[1]。1971年9月、第3軍団長。1973年、予備役編入。

朴正煕に縁故人事で引き立てられて立身出世し、1973年に中央情報部次長、1974年9月18日に建設部長官、1976年12月4日には中央情報部長となって大統領の腹心の一人となった。

1979年10月26日(奇しくも70年前に安重根伊藤博文を暗殺した日と同じ)に、酒席の場で朴と車智澈警護室長を射殺した。殺害の動機は詳しくは明らかになっていないが、当時釜山馬山で起こっていた釜馬民主抗争への対応において、朴のもう一人の腹心であった車の強硬策が採用され、金の立場が脅威に晒されていたためとされる。2016年になって朴槿恵大統領と崔順実の関係露呈(俗に言う崔順実ゲート事件)によって、金載圭の弁護人が控訴審で動機の1つとして「崔太敏(崔順実の父親で新興宗教総裁)への疑惑について朴正熙大統領に進言したが、聞き入れなかった」 と述べていたことが発覚した[2]。実際に、崔太敏と朴槿恵が部屋に入れば、一日中出てこないという噂があり、中央情報部長だった金が情報報告を朴正煕大統領にしたため朴大統領が二人を呼んで直接訊いた。朴槿恵は崔を積極的に擁護し、崔は『私たちは霊的な家族や夫婦のようなものであって、肉体に関する浅ましい話はしてくれるな』と言った。この話を朴正煕大統領が聞いて納得し、金に対してには『情報を上げるならしっかりしろ』と言っていた[3]

1980年に死刑判決を受け、同年5月24日絞首刑に処された。

2004年民主化補償審議委員会によって金による朴暗殺が民主化に寄与したか否かが議題として上ったが、全斗煥によるクーデター、並びに後の独裁を招いたとの指摘もあり、最終的な結論に至っていない。

評価[編集]

10.26クーデター(朴正煕暗殺事件)の真相や動機については謎が残るが、韓国では、朴支持者による一時的な精神錯乱の暗殺者という評価と、18年の長きにわたった軍事独裁政権に終止符を打った民主化運動の愛国者という全く正反対の評価がある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g “유신의 심장 쏘았던 '김재규'를 평가한다”. 서울의 소리. (2011年5月14日). http://www.amn.kr/sub_read.html?uid=3298 2017年9月11日閲覧。 
  2. ^ http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/25/who-is-choi-sun-shil_n_12644096.html
  3. ^ [1]「[インタビュー]「崔太敏が朴正煕の死を予告して以来、朴槿恵が一層信じるようになった」」,ハンギョレニュース

外部リンク[編集]

大韓民国の旗 大韓民国
先代:
李洛善
建設部長官
1974年 - 1976年
次代:
申泂植
先代:
申稙秀
中央情報部部長
1976年 - 1979年
次代:
尹鎰均
(職務代行)