西澤亮一

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にしざわ りょういち

西澤 亮一
生誕 (1978-02-13) 1978年2月13日(46歳)
日本の旗 日本北海道中標津町
出身校 日本大学商学部 商業学科卒業
職業 実業家
活動期間 2000年 - 現在
団体 株式会社ネオキャリア 代表取締役
著名な実績 【著書】『10年後に後悔しない働き方』
【著書】『海外で働こう 世界へ飛び出した日本のビジネスパーソン』
【著書】『世界を動かすアブローダーズ』
肩書き 一般社団法人『外国人雇用協議会』理事
一般社団法人『WAOJE Tokyo』理事
一般社団法人『日本サブスクリプションビジネス振興会』理事
西澤雄一(父/元中標津町長)
公式サイト 西澤亮一 (@NC_nishizawa) - X(旧Twitter)
西澤亮一 (ryoichi.nishizawa) - Facebook
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西澤 亮一
YouTube
チャンネル
活動期間 2021年3月21日 -
登録者数 1,430人
総再生回数 122,342 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年3月3日時点。
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映像外部リンク
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西澤 亮一(にしざわ りょういち、1978年2月13日 - )は、日本実業家。 『株式会社ネオキャリア』代表取締役、一般社団法人『外国人雇用協議会』理事、一般社団法人『WAOJE Tokyo』理事、一般社団法人『日本サブスクリプションビジネス振興会』理事。北海道中標津町出身。日本大学商学部 商業学科卒業。

経歴[編集]

北海道標津郡に生まれる。札幌日本大学高等学校日本大学商学部 商業学科を卒業[1]

祖父の代から喫茶店や仕出し弁当屋、食堂、飲食店などを一族で経営する。父・雄一は祖父が飲食店を営んで作った借金を返済するために中標津町に戻り、必死に働きながら完済、周囲の人々に推されて中標津町の町長を数年に渡って務めた[2]。幼少期は次男なのに「亮一」と名付けられ、父親からは「一番にこだわれ」と言われて育った。小学生時代は、かけっこでも空手でも一番。中学ではサッカー部のキャプテンを務めた。中学では勉強を怠り、高校に入って最初のテストの成績が360人中、下から5番目という挫折を味わう。しかし気を取り直して勉強に励み、2年・3年次にはトップになった。「やればできる」という自信が、意識の根底にある[1][3]。高校入学と同時に家を出てからは、生活費に関しては自活させる教育方針だったので、中学までやっていた空手やサッカーを諦め、バイトに明け暮れた。そんな生活を続けるうち、次第にお金を稼ぐことに興味を持ち始め、「同世代のビジネスパーソンの中でトップになる」という目標を持つようになる。そのためには自分の力を最大限に発揮できる環境にいなければならないことを学んだ[4]

大学を卒業する頃は就職氷河期で、山一證券の廃業が記憶に新しい時期であり、「どんな会社に入っても潰れることはある」と冷静に世間を見ていた。20代で『ビジネス筋肉』をとことん付けられる環境で働きたいと考え、20代でより大きな仕事、責任ある仕事を経験したかった。金融機関を中心に就職活動した結果、選んだのはベンチャーキャピタル。若い人にも起業を促す会社だったので、『同世代ビジネスパーソンの中で一番になる』という目標に早く近づけると考えた[1]

2000年平成12年)4月新卒で投資会社へ入社。入社1年目にして、早くも起業のチャンスをつかんだ。人材サービス会社から出資を受けた縁で、人材紹介と採用コンサルティングを行う会社を同期9名のメンバーで、同年11月『株式会社ネオキャリア』を設立。取締役に就任、中途求人広告事業、中途人材紹介事業立上げる。「とりあえず会社をやろう」というノリでスタート、最初は、おままごと集団だった。理念も目的もない若い組織は、たちまちピンチに陥った。創業から1年数カ月の間に損失が膨らみ、4000万円の赤字で倒産寸前に陥る。代表が退職し、売上の半分以上を稼ぎ出していた西澤に白羽の矢が立った。社長に就任した西澤は、創業メンバー全員の給与支払いを凍結し、出資者や取引先に頭を下げて回ると同時に、営業活動に奔走。1年半後、すべての返済を完了させた。当時は自分のためでなく、組織のために頑張った。株主に迷惑をかけてはいけない。仲間を路頭に迷わせてはいけない。その一心で本気になれた。その後の業績は順調に推移。お客さまに認められること、仲間が増えていくことが、『単純に楽しい』という時期だった[1]

その間に西澤が徹底してこだわったことは「お客様の要望に耳を傾け、いかに付加価値をつけるか」だった。これまで4,000を超える会社を営業で訪問した経験を持ち、そのなかで人を採用したくてもなかなか難しいベンチャー企業の存在という〝金鉱脈〟にぶち当たる。当時、他の人材紹介会社の目は大企業や中堅企業に向いており、ニッチの分野として残っていた。その金鉱脈を掘り起こしながら、採用コンサルティング、新卒学生人材紹介など現在のビジネスモデルを次々と確立していく。そして、求人広告にはじまり、説明会や選考会の企画、面接官のトレーニング、入社前研修や入社式の企画まで、採用に関する入口から出口までのワンストップサービスを提供可能な唯一の人材サービス会社としての地盤を固めてきた[3]。また目標を明確にし、その目標のために何をどうすべきかを議論しました。「できる・できない」ではなく、「どうするか」という部分に注目した[4]

2002年(平成14年)代表取締役就任。中途求人広告及び中途人材紹介事業責任者を兼務。会社を建て直し、黒字化へと導く。人材紹介、求人広告、コンサルティングなど企業のニーズに合わせてトータルで採用支援を行う。その数年後「リーマンショック」という転機が訪れる。人材マーケットが一気に冷え込む中、これから会社をどう運営していくべきかを模索。半年をかけて、自分の考え、この会社が目指すべきものを書き出した。それを全社員に伝えたことで、組織の土台がより固まった。市況の分析も行った結果、人材派遣のニーズは健在で、地方経済は首都圏より下げ幅が小さいことに目を留める。派遣ビジネスに参入し、地方拠点の展開にも乗り出すと、その戦略は的中し、業績は急速に伸びていった[3]

2005年(平成17年)新卒採用支援事業を立上げ。2008年(平成20年)就職エージェントの買収により新卒紹介事業の事業再生を実行する[5]

2009年(平成21年)4月、労働者派遣法の見直しの動きが強まっている最中に派遣事業をスタート。翌5月、景気がさらに後退すると指摘されていた時流を鑑みて、大阪、名古屋、福岡で同時オープン。地方拠点を整備する。2011年(平成23年)シンガポール法人設立を皮切りに海外進出を開始[1]

社内限の書籍を発行し意識の浸透を図った。実は西澤はその途中で、自分の人生を決する大きな決断を下している。2006年から2008年にかけて3回に分けてネオキャリアの過半数以上の株式を買い取った。そうするためには億円単位の資金が必要だったが、西澤はすべて個人による銀行借り入れで賄った。それまで雇われ社長でしかなかった。会社のことを本当に自分で決めるためには、オーナー社長になる必要がある。そしてオーナー社長になって気がついたのは、会社を『伸ばすか』『潰すか』『売るか』の3つの選択肢しかないということ。後の2つはいずれも地獄への道。それなら会社を伸ばすことが自分の人生であると心が定まった[3]

2010年(平成22年)4月、自らの考えを著した社内限の書籍『ネオキャリア・フィロソフィー』を全社員に配布。2~3年のブレを猛省し、社内の意思統一のために西澤の考えをまとめた本を400ページほどにまとめた。そこにはネオキャリアのステートメント(声明)として「フィロソフィー」「ミッション」「コミットメント」「ビジョン」「ポリシー」「バリュー」という項目を掲げ、それぞれの言葉に対する定義、つまり会社の方針を記載[4]。いつでも、どこでもコミットメントやクレドに込められた意味を確認できるようにした。全社員が一体感を高められる仕掛けとして、コミットメントやクレド文章の一部を抜いて、穴埋めするような抜き打ちテストを全社で行なう[3]

2012年(平成24年)10月、会社の方向性を大きく転換する。どちらかというと西澤はリアリスト(現実主義者)で、壮大な夢を語るようなタイプではない。以前は業界をこうしたい、社会をこう変えたいなんてことは考えていなかった。しかし、売上百億円を超えたあたりから、業界の課題、社会の問題が自然に見えてくるようになり、人材業界でこれまでと同じ戦い方ではトップはとれないと判断し、成長マーケットを見定めて、そこを掘りに行くことを決意する。ネオキャリアは、もともと主軸であった人材事業のほか、ヘルスケア、海外、WEB(HR Tech)領域へと事業を展開している。ヘルスケア事業領域では、保育と介護に関連する施設や人材を支援、海外事業領域ではアジアへの展開を図る企業やアジアで働きたい人を支援する。WEB(HR Tech)事業領域ではテクノロジーを活用し、企業の経営や事業戦略に対し、ビッグデータなどの分析にもとづいた支援や提案を行う。これらの領域は、一見するとバラバラに見えるが、ただやみくもに伸びそうなマーケットに手を出しているわけではなく、実はすべて1つの「軸」にもとづく。それは「日本を元気にする」という使命感。同年7月より世界最大級の起業家組織「Entrepreneurs Organization(起業家機構)」に加盟するEO Japanで、第17期会長を務めあげた[1]

2018年(平成30年)IT領域、ヘルスケア領域でも複数事業を展開した結果、売上500億円を実現する[1]

2020年令和2年)執行を外れ、経営に集中。役割としては経営全般及び内部統制、広報全社ブランディング、新卒採用、総合営業等[5]

2021年(令和3年)YouTubeチャンネル『りょういっちゃんねる』を開設。

現在は国内28拠点、海外8ヵ国11拠点へ展開し、従業員数1300名を超えるグループ企業として成長をし続けている[1]。一般社団法人『外国人雇用協議会』理事、一般社団法人『WAOJE Tokyo』理事、一般社団法人『日本サブスクリプションビジネス振興会』理事を務める。社内限の書籍『ネオキャリア・フィロソフィー』は改訂版を繰り返し、第4版まで出ている[4]

人物[編集]

  • 三人の子供を持つ父親[5]
  • 好きなことは、仕事、子育て(三児の父)、サッカー空手読書旅行ランニングトレーニングサウナ内省[5]
  • 好きな言葉は「究極のチームを作り出せるのは、究極の山だけである」「人生最大の疾患は傲慢である」[1]
  • 座右の銘「理想は高く、現実は泥臭く。明元素感(めいげんそかん)。明るく、元気に、素直に、感謝」[1]
  • 血液型O型星座水瓶座[1]
  • 家族構成は妻・長男・次男・長女[1]
  • 人間形成に大きな影響を与えた人物が父親。いまでも尊敬している。北海道中標津(なかしべつ)町の町長を務めたこともある父親は、若いときに自分でしたいことがあった。しかし、飲食店を営んでいた祖父がつくった借金を返済するために地元に戻り、懸命に働きながら完済。そして周囲の人々に推されて町長になったのだが、西澤が現職に就いてネオキャリアの再建を果たした足跡とどこか似ている。社長を引き受けたのは、父の姿を見て育ったからという面がある。その父から一番教わったことは、『謙虚な人になれ』『自分のふるまいで回りの人の人生が変わってしまうことを上に立つ人間は理解しろ』ということだった。 何か調子がいいときには窓の外の世の中の人々に感謝をし、逆に悪いときには鏡に映った自分の姿を見て反省しようという意味で、『窓と鏡』という言葉をよく使っているが、これも父の教えが土台になっている[3]

賞歴[編集]

※企業としての受賞を含む。

  • ダイヤモンド社のダイヤモンド経営者倶楽部主催「2014年 年間優秀企業」受賞。
  • AERA「アジアで勝つ日本人100人」に選出。
  • 日経ビジネス「若手経営者が選ぶベスト社長」に選出。
  • 新日本有限責任監査法人主催「Job Creation 2015」にて第1位を受賞。
  • 新日本有限責任監査法人主催「EY Entrepreneur Of The Year 2015 Japan」受賞。
  • 「働きがいのある会社」2016年版、従業員1,000名以上部門にてベストカンパニーを受賞。

雑誌[編集]

  • 『産業新潮』(産業新聞社) - 株式会社ネオキャリア 代表取締役 西澤亮一 "成長し続ける"アジアNo.1サービスカンパニーへ
  • 『衆知』(PHP研究所) - 1兆円企業への挑戦!「トップクラス」から「トップ」へ、ユニコーン企業を目指す
  • 『月刊 人事マネジメント』(ビジネスパブリッシング) - 成長性のある会社で世の中に通用するビジネスパーソンになる

著書[編集]

  • 『デキル就活〈08年度版〉アナタの就活を成功へ導く224ページ』(しののめ出版、2006年8月1日) ISBN 978-4434079429
  • 『デキル就活〈09年度版〉』(しののめ出版、2007年10月1日) ISBN 978-4434111785
  • 『社長よりも偉いもの 新卒に見捨てられた会社の復活物語』(武田ランダムハウスジャパン、2008年2月14日) ISBN 978-4270003046
  • 『10年後に後悔しない働き方 : ベンチャー企業という選択』(幻冬舎、2014年1月23日) ISBN 9784344025240
  • 『海外で働こう 世界へ飛び出した日本のビジネスパーソン』(幻冬舎、2014年3月20日) ISBN 978-4344025561
  • 『世界を動かすアブローダーズーーー日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち』(ダイヤモンド社、2015年5月15日) ISBN 978-4478065921

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]