荒潮 (駆逐艦)

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艦歴
計画 マル2計画
起工 1935年10月1日
進水 1937年5月26日
就役 1937年12月20日
その後 1943年3月3日戦没
除籍 1943年4月1日
性能諸元
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m
全幅 10.386m
吃水 3.71m(平均)
機関 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
53,225hp(公試)
最大速力 35.17kt(公試)
航続距離 18ktで5,190浬
燃料 重油580t
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 II×2
(または13mm機銃 II×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

荒潮(あらしお / あらしほ)は、大日本帝国海軍駆逐艦朝潮型の4番艦である。

艦歴

神戸川崎造船所1935年(昭和10年)10月に起工され、1937年(昭和12年)12月に竣工した。

竣工直後の12月29日、同型艦「朝潮」の機関に異常が発見され、翌年3月末に予備艦となり佐世保工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。1939年(昭和14年)11月1日、第8駆逐隊に編入、15日に第2艦隊第2水雷戦隊に編入され、以後中国方面で活動した。

太平洋戦争開戦時には、同型艦「大潮」「満潮」「荒潮」と第8駆逐隊に属し、マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援。1942年(昭和17年)1月よりアンボンマカッサル攻略作戦、バリ島沖海戦ジャワ島攻略作戦に参加した。4月10日、第2艦隊第4水雷戦隊に編入、コレヒドール攻略作戦を支援した。6月のミッドウェー海戦では、攻略部隊支援隊となり第7戦隊の護衛に従事、米軍機の攻撃を受け中破したが帰投し、11月12日まで佐世保で修理を実施した。10月20日、第8駆逐隊に復帰し、11月21日からソロモン海域に進出しブナ輸送作戦に従事、12月にマダン攻略作戦に加わりウイックハム輸送に当たった。

1943年(昭和18年)1月、ガダルカナル島輸送に2回従事。2月にはガダルカナル島撤収作戦に3回従事し、2月17日、イサベル島沖海戦に参加した。3月3日、ラエ輸送中にビスマルク海海戦が起こり、クレチン岬南東沖でアメリカオーストラリア軍機の空襲を受けた。8時10分ころ艦橋と2番砲に被弾し舵故障、「野島」と衝突し艦首を大破する。多くの乗員を「朝潮」に移乗したのち、微速で漂流していたが第2次攻撃を受けて傾斜30度となった。また「朝潮」はこの時撃沈された。その夜に「雪風」が残留員など170名の乗員を救助し船体は放棄された。米側資料によると船体はその後も漂流を続け、翌日B-17の爆撃によって500ポンド爆弾が第一煙突に命中し沈没した。久保木艦長以下72名が戦死し、4月1日に除籍された。

歴代艦長

艤装員長

  1. 山隈和喜人 少佐:1937年7月15日 -

艦長

  1. 山隈和喜人 少佐:1937年12月20日 -
  2. (兼)脇田喜一郎 少佐:1938年1月13日 - 3月30日
  3. 吉田正義 少佐:1939年9月25日 -
  4. 久保木英雄 少佐:1941年9月20日 - 1943年3月3日戦死

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』(朝雲新聞社、1976年)