綿貫観音山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
綿貫観音山古墳
Watanuki-kannonnyama-kofun-2.JPG
墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部)
所在地 群馬県高崎市綿貫町
位置 北緯36度18分26秒
東経139度4分38秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長97m
高さ9.6m
出土品 銅製水瓶・獣帯鏡・歩揺飾付雲珠など
築造時期 6世紀後半
史跡 国の史跡「観音山古墳」
有形文化財 出土品(国宝
地図
綿貫観音山 古墳の位置(群馬県内)
綿貫観音山 古墳
綿貫観音山
古墳
テンプレートを表示

綿貫観音山古墳(わたぬきかんのんやまこふん)は、群馬県高崎市綿貫町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され(指定名称は「観音山古墳」)、出土品は国宝に指定されている。6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定され、数多くの副葬品が出土したことで知られる。

概要[編集]

綿貫観音山古墳のステレオ空中写真(1980年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

綿貫観音山古墳は、高崎市の市街地の東方6キロメートル井野川西岸の平野に立地し、北面して築造されている。規模は、

  • 墳丘長97メートル
  • 後円部径61メートル・高さ9.6メートル
  • 前方部幅64メートル・高さ9.4メートル

を有し、二段築成で、二重の馬蹄形の周堀を持ち、また、上記のとおり、前方部の幅と後円部の径、前方部の高さと後円部の高さはほぼ等しい数値を示しており、きわめて整然とした形態を有している。

出土した副葬品や須恵器の特徴から6世紀後半以降の造営と見られている[1]。墳丘上の各所には埴輪を配置しているが、葺石は全く認められない。

埴輪[編集]

横穴式石室の開口部から前方部にかけて中段テラスに配列された形象埴輪は、新首長の首長権継承儀礼ではないかと考えられている。あぐらをかいて座している男子に容器を差し出す女子、そのそばに三人の女子、(ゆぎ)を背負う男子三体の集団が中核集団になっている。さらに、付き従う皮袋をもつ女子、威儀を正した女子、盛装男子、甲冑武人、農夫、を持つ人などが続いている。 この中核場面と離れた前方部に飾り馬が並べられ、後円部頂には複数の家形埴輪やの動物埴輪、器財埴輪が立てられている[2]

埋葬施設[編集]

石室入口
石室内部

埋葬施設としては、後円部中段に両袖型横穴式石室がある。西南に向かって開口するように設けられており、石室内はほぼ埋葬当時の状態を保っている。石室の規模は群馬県最大で、全長12.65メートル、玄室の長さ8.12メートル、幅(奥)3.95メートル、(前)3.16メートル、羨道の長さ4.53メートル、幅(奥)2.40メートル、(前)1.34メートルである[3]。壁石はブロック状に加工された角閃安山岩が使用され、天井石には牛伏砂岩と呼ばれる石が使われている。重さは最大で22トンあるが、古墳の周りに巨石はない[4]鏑川流域の産地から運ばれたと思われる。発掘当時、奥から2つ目の天井石と壁石が崩落しており、調査は難航したが、結果盗掘を免れる要因となった。

副葬品[編集]

玄室からは2枚の銅鏡製・製・ガラス製の装身具大刀、小刀、刀子鉄鏃挂甲などの武具、金銅製雲珠などの馬具、須恵器の大甕土師器の壺、高坏、銅製の水瓶などの容器類が見つかっており、副葬品の総数は500点を越える[5]。中でも銅製水瓶と、韓国公州で発見された百済武寧王陵の石室内から出土した獣帯鏡と同笵鏡(同じ鋳型から製作された鏡)である獣帯鏡は東アジアとの交流を示すものとされている。

文化財[編集]

国宝[編集]

  • 群馬県綿貫観音山古墳出土品(考古資料
    明細は以下。日本国文化庁)所有、群馬県立歴史博物館保管。
    1982年(昭和57年)6月5日に「上野綿貫観音山古墳出土品」の名称で重要文化財に指定[6][7]。2003年(平成15年)5月29日に埴輪18点、須恵器2点、附の埴輪残欠一括、須恵器・土師器一括の追加指定と、「群馬県綿貫観音山古墳出土品」への名称変更[8]。2020年(令和2年)9月30日、国宝に指定された[9]
    • 銅水瓶 1合
    • 銅鏡 2面
    • 金属製品 一括
    • ガラス玉 53点
    • 須恵器・土師器 21点
    • 附金属・有機質製品残欠 一括
    • (以上石室出土)
    • 埴輪 22点
    • 須恵器横瓶 2点
    • 附 埴輪残欠 一括
    • 附 須恵器・土師器残欠 一括
    • (以上墳丘出土)

※ 上記明細は2020年の国宝指定時のもの[注 1]

国の史跡[編集]

  • 観音山古墳 - 1973年(昭和48年)4月14日指定[10]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 国宝指定以前(重要文化財として指定されていたとき)の明細は次のとおりであった(平成15年5月29日文部科学省告示第105号)。
    銅鏡 2面、金製品 9点、銀製品 7点、金銅製品 232点、青銅製品 6点、刀剣類 38点、玉類 84点、鉄製品 一括、須恵器・土師器 一括(以上石室出土)
    埴輪 18点、須恵器・土師器 23点(以上墳丘出土)
    附 埴輪残欠 一括、須恵器・土師器 一括

出典[編集]

  1. ^ 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2004, p. 77.
  2. ^ 高橋克壽「綿貫観音山古墳」/独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所監修『日本の考古学 : ドイツで開催された「曙光の時代」展』小学館 2005年 191頁 ISBN 4-09-681821-6
  3. ^ 田島桂男 1984, p. 170.
  4. ^ 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2004, p. 69.
  5. ^ 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2004, p. 66.
  6. ^ 昭和57年6月5日文部省告示第98号。
  7. ^ 群馬県綿貫観音山古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  8. ^ 平成15年(2003年)5月29日文部科学省告示第105号。
  9. ^ 「重要文化財を国宝に指定する件(文部科学大臣告示116号)」『令和2年(2020年)9月30日官報(号外第203号)』日本政府、2020年9月30日。2020年9月30日閲覧。
  10. ^ 観音山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献[編集]

  • 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団編 『群馬の遺跡4 古墳時代Ⅰ【古墳】』 上毛新聞社、2004年。ISBN 4-88058-907-1 
  • 田島桂男 『日本の古代遺跡17 群馬西部』 保育社、1984年。ISBN 4-586-80017-8 

外部リンク[編集]