秋月種備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

秋月 種備(あきづき たねとも、明和3年(1766年[1]- 寛政5年7月11日1793年8月17日))は江戸時代後期の旗本寄合席高鍋藩秋月家分家の旗本寄合席木脇領主秋月家第7代目当主。は種備。幼名は和三郎。通称は式部。実父は本宗家の高鍋藩主秋月種茂。母は松平明矩の娘。養父は秋月種穀。正室は堀親長の娘。実子は娘(秋月種賀の正室)。養子は秋月種賀(高鍋藩連枝・新小路秋月家の秋月種懐の子)。石高日向国諸県郡宮崎郡内3,000石。

生涯[編集]

種茂の5男として出生。兄に高鍋藩主となる秋月種徳秋月藩黒田長舒がいた。

安永5年(1776年)に種穀の死を受けて、11歳で高鍋藩分家の旗本寄合席秋月家を相続し、天明8年4月1788年)に徳川家斉に初めて御目見えを済ます。

寛政3年(1791年)刊行の須原屋茂兵衛蔵版の武鑑において御寄合衆に「秋月式部」とある。また、同年7月17日(1791年8月16日)より本所深川火事場見廻役に就任する。

寛政5年(1793年)に死去。享年28。法名は紹観。墓所は下谷広徳寺の梅雲院。

男子がいなかったために、高鍋藩連枝の新小路秋月家当主である秋月種懐(此面)の子で従弟にあたる種賀を婿養子に迎えて跡を継がせる。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 寛政重修諸家譜に記載される享年からの逆算

参考文献[編集]

  • 『新訂寛政重修諸家譜 第18』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、昭和40年(1965年))
    • 寛政重修諸家譜 巻第千百八十八
  • 『改定増補 大武鑑 中巻』(橋本博、昭和40年(1965年)、名著刊行会)
  • 「高鍋町史」(高鍋町史編纂委員会、高鍋市、昭和62年)