石龕寺

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石龕寺
Sekiganji 石龕寺仁王門 DSCF9557.JPG
石龕寺仁王門
所在地 兵庫県丹波市山南町岩屋2番地
位置 北緯35度6分2.7秒
東経135度1分34.2秒
座標: 北緯35度6分2.7秒 東経135度1分34.2秒
山号 岩屋山
宗派 高野山真言宗
本尊 聖観音菩薩
創建年 (伝)587年
開基 (伝)聖徳太子
正式名 岩屋山石龕寺
別称 岩屋寺
札所等 氷上郡西国霊場13番、丹波古刹15ヶ寺霊場5番
文化財 木造金剛力士立像(国の重要文化財
法人番号 2140005008155
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石龕寺(せきがんじ)は、兵庫県丹波市にある高野山真言宗の寺院。山号は岩屋山。本尊は聖観音菩薩。岩屋寺(いわやでら)とも称される。もみじの寺、足利氏の寺、仁王像の寺として知られる。竹林山常勝寺天台宗)、萬松山慧日寺臨済宗)とともに山南三山の一つ。

歴史[編集]

用明天皇の丁未の年である587年聖徳太子574年 - 622年)による創建と伝えられる。聖徳太子が深く帰依した毘沙門天本尊とする。鎌倉時代から室町時代に隆盛を極める。寺号の「龕」とは、仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。山門金剛力士像(仁王像)は、慶派の「肥後法橋定慶」によって1242年仁治3年)に制作された仏像で国の重要文化財に指定されている[1]

石龕寺仁王門

南北朝時代足利尊氏とその弟直義の争いである観応の擾乱にて尊氏が敗れ一時、京都から播磨に逃れる際、嫡子義詮仁木頼章、義長兄弟を添え、2000騎を当地に留めた。このとき、石龕寺の僧が足利氏に丹波栗を献上すると義詮はその一つに爪痕を付け、

「都をば出て落ち栗の芽もあらば世に勝ち栗とならぬものかは」(もしこの栗が芽を出せば、都に出て天下を取ったものと思ってくれ)

という歌を添え、栗を植え立ち去った。その後、首尾よくそのとおりとなったため「爪あと栗」または「ててうち栗」として伝えられる。

南北朝・室町時代に入ると、丹波国井原庄の石龕寺(岩屋寺)の修験者達の活動が知られるようになる[2]。彼等は熊野先達として近隣の村々から旦那を引き連れて熊野本宮に向かったようで、「熊野本宮大社文書」の中に残された、南北朝・室町時代から戦国時代にかけての御師文書の中に、石龕寺先達として法忍坊(応安2年〈1369年〉)、実行坊(応安7年〈1374年〉)、宝泉坊(応安7年〈1374年〉)、教善坊(嘉慶2年〈1388年〉)、乗泉坊(明徳4年〈1393年〉)、実行坊(同年)、尾崎坊(応永22年〈1415年〉)、福聚院(応永25年〈1418年〉)、西芳院(永享10年〈1438年〉)、井坊(康正3年〈1457年〉前後か)などの坊名・院名が散見される[3]

中世末期の戦国時代には織田信長明智光秀)の丹波攻略を受け、1579年天正7年)には兵火により全山ことごとく焼失、仁王門を残すのみとなる。江戸時代以降に徐々に復興。奥の院1994年)、毘沙門堂本堂)、鐘楼堂持仏堂庫裏客殿などが再建された。

境内には1241年(仁治2年)創建の焼尾神社があり石龕寺の鎮守として弁才天が祀られていたが、明治神仏分離により市杵島比売命を祀ることとなり、弁才天は石龕寺に保管されているが、未だに弁才天のが立てられ、幸運財宝、福徳の神として作家音楽家歌手俳優に人気がある。本堂前の石段左手の中国原産スギ科「コウヨウザン」は高さ37mで県下最大。客殿前の谷の「大槽(おおぶね)谷の水」は、聖徳太子が毘沙門天像を洗い、水面が常に黄金に輝いていたとの伝説があり古来名水、霊水として知られる。

境内にはもみじが多く、毎年11月第3日曜日には「もみじ祭り」が催され護摩供養、武者行列などの行事が催され多くの参拝客で賑わいを見せる。

文化財[編集]

石龕寺 毘沙門堂(本堂)
  • 重要文化財(国指定)
    • 木造金剛力士立像(2躯)
  • 兵庫県指定文化財
    • 鰐口
    • 石龕寺扁額(仁王門)
    • 金剛鈴
    • 両界曼荼羅版木
    • 石龕寺町石群
  • 丹波市指定文化財
    • 足利尊氏御教書

郷土記念物[編集]

境内にあるコウヨウザン

奥の院[編集]

石龕寺の発祥とされる奥の院は、石龕寺から徒歩約20分の岩屋山中腹の高台にあり、石窟仏像が祀られる。見晴らしのよい高台に鐘楼が建ち、自動鐘つき装置が設置されている。鐘楼から奥の院へは参道の両側に石灯籠が立ち並び、奥之院拝殿まで続く。近くには足利義詮の将軍屋敷などもある。奥の院から頭光嶽(439m)を経て金屋鉱山跡から鉄平石の採取できる石戸山(548.8m)に至る[4]

所在地[編集]

  • 兵庫県丹波市山南町岩屋2番地

脚注[編集]

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  1. ^ 神戸[1991: 49-50]
  2. ^ 久下[1994]
  3. ^ 「熊野本宮大社文書」pp964-987(『和歌山県史 中世史料二』)
  4. ^ 神戸観光壁紙写真集- 兵庫県丹波市山南町岩屋 -

参考文献[編集]

  • 『太平記』29巻
  • 神戸佳文「兵庫県南部の仏像―子午線をめぐる仏たち―」(斎藤孝編『仏像を旅する 山陽線』,至文堂,1991年) pp27-59
  • 久下隆史「中世後期の丹波の熊野修験について」(『御影史学研究会創立二五周年記念論集 民俗の歴史的世界』,岩田書院,1994年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]