石巻市立門脇小学校
石巻市立門脇小学校 | |
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![]() 校舎(2012年) | |
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過去の名称 |
門脇尋常小学校 門脇国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石巻市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2015年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒986-0834 |
宮城県石巻市門脇町4丁目2-11 仮校舎:石巻市立門脇中学校 (宮城県石巻市泉町四丁目7-12) | |
外部リンク | 公式サイト |
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石巻市立門脇小学校(いしのまきしりつ かどのわきしょうがっこう)は、宮城県石巻市門脇町にあった公立小学校である[1]。東日本大震災における適切な避難が評価された[2]。
沿革[編集]
- 1873年(明治6年) - 創立。
- 1887年(明治20年) - 石巻小学校の分校となる。
- 1896年(明治29年) - 釜分教場創立。
- 1902年(明治35年) - 現在の場所に新築移転。
- 1929年(昭和4年) - 門脇尋常小学校に改称。
- 1941年(昭和16年) - 門脇国民学校に改称。
- 1946年(昭和21年) - 釜分校から独立し、釜小学校が開校。
- 1947年(昭和22年) - 門脇小学校に改称。
- 1979年(昭和54年) - 大街道小学校が独立開校。
- 1982年(昭和57年) - 新校舎完成
- 2011年(平成23年) - 東日本大震災による津波と、それに伴う火災で校舎が被災し、使用できなくなる。以後門脇中学校(北緯38度25分41秒 東経141度17分47.2秒 / 北緯38.42806度 東経141.296444度)を間借りして授業を再開。
- 2012年(平成24年) - 門脇中学校内に仮校舎完成。
- 2015年(平成27年)3月22日 - 最後の卒業式を行い、石巻小学校と統合し閉校[1][3]。
東日本大震災[編集]
2011年3月11日に発生した東日本大震災によって被災した。発災当時、全校児童300人のうち240人が校内に残っていたが、地震直後より教師の誘導のもと裏山の日和山に避難を開始した。下校したあとで戻ってきた人数を含めて275名の児童が避難した。
児童の保護者らも迎えに学校に来ていたが、安全が確認できないとして保護者も山に登らせた。校舎には新たに避難してくる人を誘導するために4人の職員が残っていた。やがて住宅や電柱をなぎ倒して津波が押し寄せてきたため、校舎に残っていた40人の住民と職員も急いで山に避難した。
門脇小学校では、かねてより裏山への避難訓練が実施されていた。そのため、未曾有の大地震があった際の意思決定でも揉めることなく、教師・児童・保護者に至るまでスムーズに避難が行われた。震災により、すでに下校していた児童のうち7名が死亡したが、在校していた児童は全員無事であった。適切な避難ができずに過半数の児童が死亡した石巻市立大川小学校とは対照的な結果となった[2]。
学校のある地区での津波の高さは6メートルを超えた。校庭に停めてあった保護者の車を含め、多数の自動車が流された。やがて漏れ出したガソリンが引火して校舎は炎に包まれた。消防庁によると門脇小学校の付近では56,100 m2もの土地が延焼した[4]。また、津波と余震のために消火活動ができず、火災は3日間継続した。児童たちは4か所の避難所に分かれて生活した。
震災により学区内の児童が減少し、今後も増加が見込めないため2015年をもって石巻市立石巻小学校と統合し、閉校した[5]。
震災遺構[編集]
被災した校舎は損傷がひどく、再使用は断念された。門脇町の住民には早期の解体撤去を望む声がある一方、震災遺構として保存し教訓を後世に伝えるべきという声もあった。また、保存を求める声の中には全部保存を求める意見もあったが、市は維持管理費の抑制などのため中央部の約67メートルを保存することとした[6]。2013年時点で、すでに多くの被災建築物が解体されていたものの、校舎については震災遺構として部分的な保存が図られることとなった。保存場所は同校跡地または南浜地区に整備予定の復興祈念公園となる計画となった[7][8]。
石巻市は2019年度より8億5000万円をかけて整備を実施し、校舎は中央部の6教室分のみを残して解体の上、残部の補強を実施した。整備後も内部は非公開とし、代わりに観察棟を設けるものとした[9]。また特別教室棟と体育館は展示スペースとなった[9]。中央部を除く解体は2019年12月に着手され、2020年2月までにほぼ完了した[10]。それに先立つ2019年10月9日には報道関係者に対する「最後の内部公開」が実施された[11]。
震災遺構となる「旧門脇小学校」は2022年3月30日に開館式が行われ、2022年4月3日から一般公開が開始された[6][12]。津波と火災の痕跡を外側から見るため鉄筋3階の施設が併設された[6]。仮設住宅2棟や被災した消防団の車両など2台も展示される[6]。開館は午前9時から午後5時で休館は月曜である[12]。ただし、毎月11日は開館する[12]。
閉校時の学区[編集]
学区は以下の通りである[13]。
なお、閉校後は統合先である石巻小学校がこれらの学区を担当している。
卒業後は、公立中学校であれば石巻市立門脇中学校へ進学[14]。
著名な卒業生[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “母校の思い出忘れない 石巻・門脇小閉校式”. 河北新報(河北新報社). (2015年3月23日)
- ^ a b 『証言3・11:東日本大震災 石巻・門脇小、校内の児童無事 「裏山へ」訓練生きた』毎日新聞 2012年02月24日
- ^ H26 gakkou enkaku.pdf - ウェイバックマシン(2016年3月9日アーカイブ分)
- ^ “3.3 物的被害の状況 3.3.1 建物被害 - 総務省消防庁” (PDF). 総務省消防庁. 2021年6月17日閲覧。
- ^ 門脇小、石巻小に15年度統合 児童数増加見込めず 宮城 - 2014年3月6日 河北新報(2015年3月8日閲覧)
- ^ a b c d “震災遺構の旧門脇小、4月3日から公開 石巻市”. 河北新報 2022年2月26日閲覧。
- ^ 「門脇小、震災遺構に」検討委が提言へ - 2014年11月21日河北新報(2015年3月8日閲覧)
- ^ <震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部 - 2016年3月26日河北新報
- ^ a b “来年度から遺構整備 門脇と大川の旧学校施設(石巻市)”. 日刊建設新聞. (2018年12月28日) 2019年7月14日閲覧。
- ^ “石巻・門脇小の両端解体ほぼ終了 校舎中央部は震災遺構に”. 共同通信(Yahoo!ニュース). (2020年2月1日) 2020年7月18日閲覧。
- ^ “震災遺構の旧門脇小、最後の内部公開=11月から一部解体-宮城県石巻市”. 時事通信. (2019年10月9日) 2020年7月18日閲覧。
- ^ a b c “震災遺構・門脇小の一般公開始まる 津波火災の猛威伝える”. 河北新報 (河北新報社). (2022年4月4日) 2022年4月4日閲覧。
- ^ 小学校学区一覧 - 石巻市公式ウェブサイト(2014年5月2日現在、2015年3月8日閲覧)
- ^ 中学校学区一覧 - 石巻市公式ウェブサイト(2014年5月2日現在、2015年3月8日閲覧)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 石巻市立門脇小学校 - ウェイバックマシン(2016年10月21日アーカイブ分)
- 2011年3月11日、学期最後の朝会で校長が子どもたちに贈った言葉は現実になった - 加藤順子