青い目の人形

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青い目の人形(あおいめのにんぎょう、: American Blue-eyed Dolls)は、1927年に、アメリカ合衆国から日本に両国間の親善を目的として贈られた人形(Friendship Dolls:友情人形またはAmbassador Dolls:人形使節)の日本における通称。本記事では日本より返礼のために贈られた人形(Japanese Friendship Dolls:答礼人形)についても解説する。

目次

概要[編集]

日米の人形交換を進めた渋沢栄一と「青い目の人形」写真は渋沢史料館所蔵

日露戦争後に日本満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていた。また、アメリカ本国においても、日系移民がアメリカへ大量に移住することにより、1日1ドルの低賃金でも真摯に働く日本人によって、アメリカ人の労働力を損ねる恐れがあったためや、予てから根付いていた人種的偏見等も相俟って、1924年にジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)が成立した事もまた、両国民の対立を深めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師シドニー・ギューリック博士(1860年1945年)が子供の世代からの国際交流を重視すべく「世界の平和は子供から」をスローガンとして掲げ[1]、親善活動がおこなわれた。近代の日本財界の重鎮である渋沢栄一1840年1931年)も日米関係の悪化を憂慮しながら、ギューリックの提唱に共感し、この事業の仲介を担った。やがてアメリカから日本との親善活動の一環として、1927年3月3日に間に合う様に日本郵船等5社(他に大阪商船(現・商船三井)、Dollar Steamship Company(現・アメリカンプレジデントラインズ)、Kawasaki Roosevelt Line(現・川崎汽船)、China Mutual Steam Navigation Company(現・ブルー・ファンネル・ライン[2] )の前橋丸、アングル丸など12隻[3]に分乗し日本の子供に12,739体[4]の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体[5]とミス・アメリカ及びワシントンDCが数日後に贈られた[6]

12,739体の「青い目の人形」はニューヨークサンフランシスコを出港し、横浜神戸に到着した後、1927年3月3日に東京の日本青年館や大阪の大阪市中央公会堂で歓迎式典が行われ[7][8]、全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された(但し、数が限られていたこともあり、全ての小学校・幼稚園(大正15年当時:小学校25,490、幼稚園1,066、合計26,556[9])に配布されたわけではなく、抽選で決められた所もある[10])。道府県ごとの人形の分配については均等とは限らず、文部省の基準により、師範学校の附属校や道府県庁所在地及び主要都市ならびに外国人の多く滞在する地区の幼稚園・学校等から優先されているが、あくまでも目安であり、あとは自治体の判断に委ねられることになった[11][12]。 1000体程の余った人形も一部の家庭に配布された[13]。ミス・アメリカ及びワシントンDCと48体の各州代表人形は天候不良による遅延のため、1927年3月14日に到着し、3月18日に天洋丸の船室で児童の出迎えを受け、横浜の本牧小学校で歓迎式典を開かれた後、皇室に献上される為同月26日に東宮御所に運ばれた(48体の各州代表人形は後に香淳皇后より、内帑金(ないどきん)が下賜され、子供たちの利用が多い東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館に建てられた人形の家材の5分の1の模型で1階は和室、2階が洋間のしつらえになっていて、庭には遊具が備えられていた[14])にて、同数の日本人形と共に展示されていたが、戦火の混乱でその殆どが行方不明となった。)。

返礼として、渋沢栄一を中心とした日本国際児童親善会による呼びかけで、人形が贈られた幼稚園・小学校の児童から集められた募金を元に製作された「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体(ミス大日本及び1道3府43県や主要6都市・統治していた外地4箇所の名を冠した人形)が同年11月に天洋丸で日本からアメリカ合衆国に贈られた。

日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争第二次世界大戦)中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を奉安殿備え付けの棚や天井裏、床下、物置、石炭小屋、教員の自宅などに隠し、戦後に発見された。現存する人形は2016年3月現在、332体[15]にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。

人形について[編集]

青い目の人形[編集]

寄贈の経緯[編集]

青い目の人形「エレナ」(横浜人形の家

青い目の人形は、シドニー・ギューリックが1888年に日本を訪れて以来、布教や教育活動を行う一方で日本の人形に関する古くからの文化を知ってきた経験から[6]、日本との親善を目的として「日本の雛祭りに人形を送ろう」と呼びかけたことによって全米から集められたものである[16][17]。この友情人形は前述の日米間の友好の他にも、先年の関東大震災で人形を失った少女たちを慰める意味を持っている[18]

ギューリックらによって結成された世界児童親善会は、人形を日本に贈るプロジェクトに先んじて、まず友情人形を募るポスターや手引きの冊子"DOLL MESSENGERS OF FRIENDSHIP(邦題:可愛いお人形が親善のお使)"を配布し、この内容に沿って人形を集めて贈るための指南を行った(これは後に日本語に翻訳され、日本の小学校や幼稚園に配布された)。世界児童親善会は人形旅行局を特設し、地方委員会を設け、友情人形を日本に贈るための手続きの代行を行った。このプロジェクトに携わったアメリカの児童ならびに保護者、教師、関連団体等は凡そ260万人と言われている[19]。人形を贈った州はオハイオ州の2,283体が最多(次いでペンシルベニア州の1,935体、ニューヨーク州の1,436体、マサチューセッツ州の966体と続く。人形の凡そ8割が東部の州から贈られたという[12]。)[20]。州ごとに集められた人形は、新聞社等によって構成された委員会による選考により、代表人形として各1体が選抜され、さらにそれらの中から「ミス・アメリカ」が選ばれることになった。

人形の特徴[編集]

当時のアメリカでは人形の量産体制が築かれており、アメリカの世界児童親善会がジェニウィン社エファンビー社ホースマン社に発注し、衣装を着ていない状態の裸人形を「友情表示人形」として1体3ドル(地方委員会を通じて購入すると送料無料、3体のロットで1体あたり2ドル90セント、1ダース以上では1体当り2ドル75セント。着衣の人形になるとさらに各1ドルかかる)で斡旋した。頭から肩までひとつづきのショルダーヘッドタイプのボディに、胴体は綿を詰めて布でくるんだ構造になっており、背中にはメーカーの刻印が押されている[21]。人形の中には瞼を開閉したり(スリーピング・アイ)、体を起こしたり腹を押すと鳴いたりするカラクリ仕掛けとなっているものもあった(「ママー」と泣くものが証言に多く見られる)。 これを男の子達が持ち寄ったお金(バザーや野外劇などを開いて資金を集めたケースもあった[21])で購入し、女の子達や母親が衣装や付属品を手作りしたものが送られた。人形には各々名前が付けられ、友情の手紙が添えられた。

ちなみに、青い目の人形は一体ごとに衣装や体形などデザインが異なっていた(大半は人形旅行局で用意した前述の3社の人形を元に児童たちがカスタマイズしたものである一方、一部手持ちの人形を差し出した例もあった。そのため、メーカーの規格(1フィート5インチ:40cm前後[21])に当てはまらない人形も散見する(現存の人形でも30~60cm、後述の満州に送られたメリー・マーガレットの90cmの例もある))。

なお、人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[16]、贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではない。野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)のことで(『金の舟』1921年12月号)、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが童謡「青い眼の人形」で、1923年にはアメリカでも演奏され、好評を博していた。「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられたと思われる。贈られた人形はメーカー製から個人寄贈まで様々で、必ずしも青い目をしているものではない。

またアメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くがコンポジション・ドール(パルプやおが屑・土を練り混ぜた上で精製し、乾燥させて糊やグリセリンなどを混ぜたものを仕上げ塗りし、顔を描き入れた人形)[22]であり、ドイツ製などのビスクドール素焼きの人形)もわずかに含まれている[23]

青い目の人形は、前述の冊子に記されたように雛祭りに合わせて女児に贈られることを前提としたため、大半は女の子の人形としての顔立ちや着飾りであったが、愛知県新城市立東陽小学校に贈られた「ノルマン」のような男の子の人形も少ないながら見受けられる[24]

日本への寄贈とその後[編集]

当時の日本ではアメリカ人形が珍しかったこともあって、寄贈先の小学校や幼稚園などでは日本人形に囲まれての盛大な歓迎式が行われた[25]。また、青い目の人形の人気にあやかって、元の人形をコピーしたもの等も販売されていた[26][27]

人形には本体に付随してパスポートや旅券・切符(99セントが人形の贈り元から日本の各地方の児童たちへ渡されるまでの旅費一括を特例として充てられた。なお、友情人形に対しての関税は免除されている[28])が用意され、パスポートには名前や発行番号、出身地などが記載されている(例:千葉県・成東小学校のアリス・プレーブル - Alice Preble、No.860、Portland,Maine[29])。日本には前述の通り1万2千体以上の人形が贈られているが、中には発行番号が左記の数字よりはるかに大きいもの(例:島根県・今福小学校のキャサリンのNo.48129や茨城県・嶐郷小学校のクリッシーのNo.45857[30]、広島県・鞆幼稚園のドロシー・フィリップスのNo.45645)もある[31]。現存している青い目の人形の中にはパスポートが失われ、本名・番号・出身地が不明のものも多く、戦後にギューリック3世に再発行してもらったケースもある。

送られた人形達には生徒らによって名前(パスポート記載の名前または愛称)がつけられ、ガラスケースなどに入れられて学校の昇降口や校長室の前に飾られていたという。アメリカ人形だけでは淋しいと日本人形と一緒に飾られた事例もある[32]。雛祭りでは雛人形と共に飾られたこともあり(前述の冊子には雛祭りについて紹介し、人形が贈られる3月3日に青い目の人形が飾られることを念頭に置かれた記述がある)、戦後も一部の小学校や幼稚園でこの形式の雛祭りが催されている。

第二次世界大戦に入り、日本の青い目の人形の大半は竹槍訓練の標的にされたり、焼却されたりなどして滅失し(現在残っている青い目の人形の中には当時暴行を受けた痕跡が見られるものもある)、あるいは空襲や災害で失われたり、戦後、校舎改築等の際に見つかっても、寄贈された経緯を知らずに古い人形として廃棄されたと思われるものも少なくない[28]。やがて、残っていた人形がテレビ等で紹介された事と共に、地方に残る青い目の人形の再発見や、人形親善の継続としてアメリカから(ギューリック3世らから)の学校等への新しい人形の寄贈(新・青い目の人形)が行われるようになった。戦時中に処分された人形や、アメリカへの里帰り(平成元年(1989年)10~12月にかけてワシントンボストンロサンゼルスサンフランシスコを廻り日本国内の青い目の人形92体を展示[33])の最中に盗難に遭った人形(後述)に対しても、代替の人形が贈られている。

答礼人形[編集]

贈呈の経緯・人形の特徴[編集]

インディアナポリスに贈られた答礼人形(ミス島根。台座に「島根縣(県)、MISS SHIMANE」と記されている。)

渋沢栄一が日米関係委員会委員として外務省から依頼され、全国の役場や学校を通して集められた募金を元に製作された市松人形がアメリカに送られた。この際は、雛祭りに送られた人形への答礼として「日本からもクリスマスに人形を送ろう」というコンセプトのもとに送られている[16][17]。日本側から送られた人形は皇室下賜人形1体を含めて全58体となっている。

当初はギューリックは青い目の人形の贈答に対し、日本国内の経済事情[34]を鑑み返礼は無用と断っているため、代案として贈られた人形の相当数のプレゼントではなく、少数の精巧に作られた人形を以って返礼を行うこととした[35]

答礼人形に関しても冊子『答礼の使者として米国へ人形を送りませう』が各小学校・幼稚園へ配布され、これに基づいて人形作りのための寄付や、答礼人形の送別式が実施された[35]

青い目の人形が送られた各学校の生徒から1人1銭(例外として、答礼人形への寄付の他に、日米親善の意味で日本人形を青い目の人形と並べて飾る目的で購入するために各1銭ずつの2銭募金を行ったケースもある[36]。)の募金を行い、そのお金(29,000円程[37]。ミス大日本には皇后より千円が下賜された[38])で東京の職人たち(平田郷陽、滝沢光龍齊ら十数名)によって製作された100体以上の人形の中からコンテストで51体を選出、ミス大日本(又は「ミス・ジャパン」。別称の「倭日出子」は渋沢栄一が自ら名づけた)ならびに主要都市(東京市、横浜、名古屋、京都市、大阪市、神戸)の計7体は京都の大木平蔵商店(現・丸平大木人形店)に依頼して創られた[39][40]

青い目の人形がメーカーの指定した人形の他に個別に持ち込んだものも含まれ、身長や身なりが不揃いであったこととは対照的に、答礼人形の背丈は概ね二尺七寸(約81cm(ミス大日本は90cm程[41]))、桐塑製(桐のおが屑と正麩のりを混ぜ込んだものを乾燥させたもの。但し、ミス大日本他6体は桐素材の丸彫り)の生地に胡粉を塗り上げた本体に、有名デパート(三越白木屋高島屋松屋松坂屋[42]特製の友禅縮緬と本金の帯、コンビネーションの洋風肌着を着せられた[43]

アメリカへの寄贈と経過等[編集]

地域の名を冠した人形は各道府県に送られ、それぞれの道府県の学校で(但し植民地へは地理的な関係上、答礼人形は送られなかった[44]。)送別式を開いた後、再び集められた上、昭和2年11月4日に日本青年館で壮行会が開かれて[45][40]、アメリカに渡ることとなった。それぞれの人形は、地域名を冠した名前が呼びづらいことに配慮して、台座に記された名前の地域名を取ってミス○○と呼ばれた。

人形本体とは別に、アメリカに渡る際は人間と同様に、パスポート、客船の一等切符なども用意され、草履、駒下駄、傘、鏡台や箪笥などといったお道具も含めたものとして作られている。製作費用は、人形本体約150円、衣装約150円、お道具約50円、計1体あたり約350円(アメリカからの友情人形が一体3ドルだったのに対し、一式で当時のレートでは150ドルと50倍の費用がかかった[38]。2010年現在の貨幣価値で約260万円 - 280万円程度。当時小学校の教員の月給の平均は56円で墨田区の一戸建て(12坪=39.67㎡)が600円で購入できた)であったという[16][17][46][42]

人形たちは昭和2年11月10日に横浜を出港し、アメリカに送られた後はすぐに各州に届けられるのではなく、昭和2年11月19日ハワイホノルルに到着し、同11月25日にサンフランシスコを振り出しに[47]長期にわたりアメリカ各地をまわって紹介(まずは2グループに分かれ、ミス大日本ら17体はロサンゼルスなどの陸路を経て12月15日シカゴ、12月20日ワシントン、12月28日にニューヨークに到着[48]。残りの41体はパナマ運河を経由し、昭和3年1月4日にニューヨークで合流。1月6日にボストンで歓迎会が行われた[49])、人形は世界児童親善会に託され、後に10体ずつのグループに分散し、1月~7月[49]にかけてアメリカの479の都市(青い目の人形を寄贈した都市数とほぼ同じ。ちなみにニューメキシコ州は青い目の人形の贈り元のリストに入っていない[20])にて千回以上の歓迎会が行われ、展示された後に再びニューヨークで合流して[50]、各州に渡された。移動展示のため、その都度人形と台座を取り外す必要があった経緯もあり[42](人形自体は地域名の旨は書かれていない)、各地をまわる間に人形本体と台座が入れ違いになっているものもある。行方不明になったものもあるが、日本と比べると戦時中も比較的大切にされていたものが多く(来場者に見られないように隠蔽されたり売却されたりして存在が忘れられたケースもある[51])、47体(平田郷陽作の関係地不明の1体を含む)が現存している。

答礼人形本体も長年収蔵された結果、各部に劣化が見られたこともあり、多くの人形が日本へ送られ、職人たちにより修復されていった。この外、人形交流の一環として日本に里帰りした人形が送別会が行われた故郷の博物館やデパートなどで展示され、青い目の人形と同様、新たに日本人形がアメリカへ贈られている(後述)。

これらの人形とは別に、自治体独自で「ミス岡崎」(1928年。現在はニュージャージー州ニューアーク市の個人所有[52])、「ミス福江渥美」(1927年。現在はロサンゼルス郊外のフラートン市のメイン図書館所蔵[53])等も寄贈されている[54]

青い目の人形が送られた学校・幼稚園など[編集]

太字は人形が現存する学校・幼稚園など・()カッコ内は人形の名前、カッコがないものは未詳または不明。
P:パスポートが現存する(贈られた当時のもので再発行を除く)[42]
☆:ビスクドールであることを示す
戦後に贈られた、いわゆる「新・青い目の人形」は特記を除き割愛。
出典は外部リンクを参照

北海道地方[編集]

北海道[編集]

643体が寄贈され、26体が現存。

石狩支庁

※札幌市 - 19体が寄贈された[55]

  • 札幌市立簾舞小学校:名称不明だったが、後にギューリック3世により「ベティアン」と名づけられた他、2体の友情人形が寄贈されている[56]
  • 札幌若葉幼稚園(ファンニー・ピオ)P[55]:現在は札幌時計台記念館にて保管。
  • 札幌市立資生館小学校(ボニー):旧豊水小学校との統合により引き継がれる。

※札幌市以外

渡島支庁

檜山支庁

後志支庁

空知支庁

  • 美唄市立中央小学校(メリー):旧・沼貝小学校。現在は美唄市郷土史料館にて保管。史料館には「エレーン」の名前で展示されている。美唄市には他に我路小学校(沼東小学校と統合の後、廃校)、沼東小学校、茶志内小学校へ寄贈されている[67]
  • 南幌町立南幌小学校
  • 栗山町立角田小学校:名称不明だったが、後にマリーと命名された。

※砂川地区には下記の4体が寄贈されている[68]

上川支庁

  • 和寒町立三和小学校(サミー):2004年和寒小学校と統合。和寒町には3小学校(和寒小、中和小、三和小)に寄贈された[69]

留萌支庁

宗谷支庁

網走支庁(現存なし)

胆振支庁

  • 室蘭市立絵鞆小学校(イブリン。当時の新聞では「エブレン」と記されていた):現在は室蘭市民俗資料館にて保管。市内に12体寄贈されたうち、唯一現存の人形[70]。現在室蘭市指定文化財[71]
  • 苫小牧市立苫小牧東小学校(フランセス・キロッチ):市内には西小学校(ヘレン・ルイズ)、沼ノ端小学校にも寄贈された[72][60]

日高支庁

十勝支庁

  • 幕別町立白人小学校:1997年、ギューリック3世によりスーザンと命名された[73]が、贈られた当時は「MARLY」という名前だったと言われている[74]
  • 足寄町立上足寄小学校(エセル・パドロック)P:1993年に螺湾小学校へ統合。人形は現在は足寄町郷土資料館にて保管。
  • 足寄町立上利別小学校(ドリー):現・大誉地小学校。人形は一時期、世界平和子供協会(東京都渋谷区)が所有し[75]、現在は足寄町郷土資料館にて保管。
  • 帯広市双葉幼稚園(ベティ・ジェーン・ローズ)P:2013年3月末閉園。現在は双葉幼稚園保存期成会にて保存[76]
  • 本別町立仙美里小学校(メリー)[77]

釧路支庁(現存なし)

根室支庁(現存なし)

千島(参考)[編集]

根室支庁に所属する千島列島にも人形が贈られている(人形の配布先としては、外地ではなく北海道に含まれる)[78]

  • 内訳:択捉3体(留別、紗那、蘂取)、国後2体(国後、乳呑路)、色丹1体(色丹)、歯舞2体(珸瑤瑁、華岬)

東北地方[編集]

青森県[編集]

220体が寄贈され、9体が現存。寄贈先は出典[9]を参照。

以下に現存の人形がある地域と送られた数(寄贈当時)を示す。東津軽郡25体、青森市15体、北津軽郡26体、上北郡19体、下北郡12体は現存せず。

弘前市 - 12体

  • 弘前学院聖愛中学高等学校(エリザベス・ハットン):弘前学院聖愛幼稚園にあった人形。1958年(昭和33年)に愛光幼稚園が若葉幼稚園と合併し、1995年(平成7年)をもって休園。2体の人形を所有していたが、若葉幼稚園から譲り受けた人形(アメリカ人形だが友情人形ではない)の方は消息不明。
  • 弘前市養生幼稚園:メリーは後日に命名された。ドイツ製の人形[79]

南津軽郡 - 33体

中津軽郡 - 19体

三戸郡 - 37体

西津軽郡 - 22体

岩手県[編集]

263体が寄贈され、18体の現存が確認されている。寄贈された地域の内訳は出典[26]を参照[82]

※盛岡市 - 11体

※岩手郡 - 20体

※紫波郡 - 13体(現存なし)

※稗貫郡 - 14体

※和賀郡 - 15体

※胆沢郡 - 13体

※江刺郡 - 12体

※西磐井郡 - 14体(現存なし)

※東磐井郡 - 16体

※気仙郡 - 16体

※上閉伊郡 - 16体(現存なし)

※下閉伊郡 - 16体(現存なし)

※九戸郡 - 14体(現存なし)

※二戸郡 - 13体

宮城県[編集]

221体が寄贈され(内訳:(師範学校)附属小学校(2)、盲唖学校(1)、公立小学校(195)、幼稚園(13)、保育園など(10)[89]) 、10体が現存。出典[42]も参照。

秋田県[編集]

190体が寄贈され、12体が現存

山形県[編集]

205体が寄贈され、12体が現存

福島県[編集]

323体が寄贈され、17体が現存(他に秋田県湯沢市立湯沢東小学校の人形がいわき市の個人宅に保管されている)。出典も参照[98]

関東地方[編集]

茨城県[編集]

茨城県には246体が寄贈され、11体の現存が確認されている。

栃木県[編集]

213体が寄贈され、5体が現存する。

群馬県[編集]

県内には142体が寄贈され、19体現存する。

埼玉県[編集]

178体が寄贈され、12体が現存。出典はこちら[126]

所沢市 - 5体が寄贈された。

  • 三ヶ島小学校(ミルドレッド・ルシール)P:"Mildred Lucille"の名前は、かつては「ミルドレッド・ルーチェル」と呼ばれていたが、現在は「ルシール」と読むのが正しいとのこと。市内には他にも所沢・吾妻・小手指・富岡の各学校に贈られた[18]

秩父郡 - 16体が寄贈された(後述の旧・坂石小学校も含まれる)[127]

川越市 - 11体が寄贈された(小学校10体、幼稚園1体。人形は現存しない。)[128]

越谷市 - 6体が寄贈された[129]

  • 大沢小学校(ワーテラ・ヘズ)P:パスポートには"Martha Heath"と書かれており、後年「マーサ・ヒース」が正しい読み方であるとの指摘を受けたが、"Watera Hayes"[130]とも読めるために贈られた当時は「ワーテラ・ヘズ」で呼ばれており、映画などでもこの名前が使われた。

大里郡(昭和2年当時) - 10数体が寄贈されている[131]

その他地域

千葉県[編集]

214体が寄贈され、11体が現存。寄贈先の学校は出典を参照。

出典
毎日新聞1937年3月19日4月9日発行記事
千葉県小学校変遷一覧(千葉県立中央図書館編)

葛飾郡 - 30体(現存なし)

印旛郡 - 23体

香取郡 - 25体

千葉郡 - 10体(現存なし)

千葉市 - 5体(現存なし)

市原郡 - 13体(現存なし)

海上郡 - 12体

長生郡 - 11体(現存なし)

山武郡 - 17体

  • 成東小学校(アリス・プレーブル)P:1987年3月5日に市の有形文化財に指定[135]

匝瑳郡 - 7体(現存なし)

君津郡 - 21体

安房郡 - 24体

夷隅郡 - 16体(現存なし)

東京都(東京府)[編集]

568体(うち東京市へは293体[138]。この外「ミス・アメリカ」など50体の各州代表人形)が寄贈され、11体が都内に現存。

※東京都内

  • 国立科学博物館「ミス・アメリカ」(アンネシレー)[139]
    • 東京博物館上野分館で空襲の爆撃を受け、焼け跡から発見された。一時「青い目の人形交流会」が所有[140]
    • 1989年には「青い目の人形交流会」に新「ミス・アメリカ」(☆マージィ)が寄贈されている[141]
  • 「ミス・カリフォルニア」(絵葉書には「カリフォルニア嬢」と記されている):各州代表人形の1つ。ウェディングドレスを着ていた[142][143]
  • お茶の水女子大学附属幼稚園(メリー):アメリカ人形が大小2体保存されており、大きい方は卒業生から贈られた抱き人形(むしろこちらの人形が昭和53年の「青い目の人形」展に出品されたことがある。)で、小さい方が実際の友情人形。附属小学校にも人形が贈られている[144][145]
  • 杉並幼稚園:パスポートが失われ、名前が不明のままだったが、ギューリック3世によりパスポートの再発行とレノアの名前を戴いた[146]
  • 八王子市立第八小学校:旧・小宮第一小学校。八王子市には他に八王子幼稚園、恩方第一小学校、川口小学校、浅川小学校等に贈られている(体数は不明)[147]。戦後、メアリーと命名され、新・青い目の人形のベッキーが寄贈された[148]
  • 青梅幼稚園(ヘレン)
  • 青梅市立第六小学校:人形贈呈式の写真が残されている[149]
  • 国分寺市立第一中学校[150]:人形歓迎会の写真が残されている。寄贈当時は国分尋常高等小学校。‎
  • 福生尋常高等小学校(アミー・アーデル)[28]
  • あきる野市立戸倉小学校(シャロン)[151]:「シャロン」はギューリックの孫の次女の名前から取った(ヘブライ語で『平和』という意味を持つ)[152]。平成25年3月31日閉校、五日市小学校と統合。ギューリック3世より贈られた新・青い目の人形「ローラ」共に五日市郷土館に移される予定[153]
  • 檜原村立檜原小学校(パティ)P
  • 個人所有(メリー):下谷幼稚園(台東区)より
  • 個人所有 : 人形は知人より譲り受ける。名称・寄贈先は不明とのこと。小林人形資料館(墨田区)にて所蔵[154]。工房では、かつて答礼人形の製作にも携わった[155]

※東京都外から譲り受けた人形

  • 株式会社 吉徳(アニー):中島幼稚園(三重県)より(詳細は後述)
  • 個人所有(グレンデール):楠渓幼稚園(樺太)より

神奈川県[編集]

166体が寄贈され、12体が現存。

横浜市 - 60体以上の人形が寄贈された[156]

  • 西前小学校(ポーリン、マーリン):マーリン(名称不明のため、戦後に命名された)は昭和22年に西戸部小学校の統合の際譲り受けた。[156]なお、「横浜人形の家」の山下公園側にはポーリンの銅像が飾られた「ポーリン橋」が架かっている。
  • 戸部小学校(メリー・ジェン)
  • 宮谷小学校:日本人形と一緒に飾られていたが戦時中に消失。2009年8月にはギューリック3世より新・青い目の人形の「メアリー・スー」が贈られた[157]
  • 横浜人形の家:以下の4体を所蔵。
    • ブロッソン本町小学校より[158](横浜人形の家開館以前の1980年に横浜市に移管[159]、同校には1996年にレプリカが寄贈されている[160]
    • ネリー:旧・木花幼稚園(静岡県)より
    • マージョリー・ルスムーア:東京都内のある幼稚園より
    • エリーネ・ジェーン・プーリッジ(P※ギャラリー参照):旧・菊水幼稚園(兵庫県)より。通称「エレナ」。

横須賀市 - 20体余りが寄贈された(人形は現存せず)[161]

その他地域

中部地方[編集]

新潟県[編集]

418体[166]が寄贈され(新聞で公表された内訳はこちら[167])、12体が現存。下記に昭和2年当時の人形が配られた地域、個数を示す。

新潟市 - 21体

長岡市 - 11体(現存なし)

高田市 - 6体(現存なし)

北蒲原郡 - 31体

中蒲原郡 - 30体

西蒲原郡 - 30体

南蒲原郡 - 17体(現存なし)

東蒲原郡 - 10体(現存なし)

刈羽郡 - 25体

  • 柏崎市立柏崎小学校(ミルドレッド)P:戦時中に処分されることを危惧した一収集家が校長に嘆願し、アメリカの「捕虜」という名目で保護された[169]。現在は痴娯の家所蔵。
  • 柏崎市柏崎幼稚園(ナオミ・ルース・シェプラ)P:同上。現在は痴娯の家所蔵。

古志郡 - 25体(現存なし)

三島郡 - 18体(現存なし)

中魚沼郡 - 19体(現存なし)

北魚沼郡 - 15体(現存なし)

南魚沼郡 - 21体(現存なし)

中頚城郡 - 42体(現存なし)

東頚城郡 - 12体(現存なし)

西頚城郡 - 17体

岩船郡 - 16体(現存せず)

佐渡郡 - 22体

富山県[編集]

150体が寄贈され、6体が現存。

石川県[編集]

205体が寄贈され、3体が現存。

福井県[編集]

152体が贈呈された。1体のみ現存。出典を参照[174]

山梨県[編集]

山梨県では129体の人形が寄贈され、第一便の前橋丸と第七便のりすぼん丸の人形が割り当てられた。人形は1927年(昭和2年)3月14日の甲府市の春日小学校で歓迎会、展覧会が行われ、県内の幼稚園や小学校へ配布された。

戦時下では多くの人形が処分され、1945年(昭和20年)7月6日-7月7日の甲府空襲の戦災で焼失したものも多く、現在では進徳幼稚園(甲府市)所蔵の「イヴァンヂリーン」P、相川小学校(甲府市)所蔵の「ジェネラ」、河口小学校富士河口湖町)蔵の「ジェニサガ」P、増穂町民俗資料館増穂町。富士川町立増穂南小学校より譲り受けた。増穂町には増穂小学校にも「ドーリー・マジソン」が寄贈されたが現存せず[177])蔵の「ヘルン・モナー」、谷村第一小学校都留市)蔵の「メリー」の計5体が現存し、一部の人形にはメッセージが添えられた「パスポート」も付属している。

また、日本側からアメリカへ送られた答礼人形のなかには市松人形の「山梨富士子さん」が含まれ、現在はワイオミング州シャイアンの博物館に所蔵されている。現在では人形が現存する学校において日米交流や教材として利用されている[178]

長野県[編集]

286体が寄贈され(当時の新聞に公表された内訳は出典[179]を参照)、28体が現存(名古屋市の個人所有を含む)。

※長野市:10体が寄贈されている。[180]

※長野市以外

岐阜県[編集]

235体が寄贈された。うち2体が現存。 ※出典参照[51][190]

静岡県[編集]

253体が寄贈され、7体が現存。

  • のぞみ幼稚園(フローレンス):大仁幼稚園(旧・微笑幼稚園)より引き継がれる。平成15年に吉田幼稚園と合併し、現在の園名になる[194]
  • 長田西小学校(メリー)[195]:現在は個人所有
  • 浜岡北小学校(マーベル・ワレン)P:朝比奈小学校より。現在は御前崎市教育委員会所蔵の市指定有形文化財[196]
  • 網代小学校(メリー):当時の田方郡には14体が寄贈された[197]
  • 明倫小学校(ミルドレッド)
  • 第一幼稚園(メリー):富士川町立第一小学校より。現在は富士市立博物館にて所蔵[198]
  • 木花幼稚園(ネリー):園舎は静岡空襲で焼失したが、人形は園長の自宅にて保管[199]。現在は横浜人形の家にて所蔵。
  • (参考)夢寂寺:浜松市北区の寺に保管されている青い目の人形(但し友情人形ではなく、古くから伝えられ、戦時中に匿われたアメリカ人形とのこと)。なお、近くの三ヶ日西小学校には昭和2年に人形が配布された記録があり、1999年にギューリック3世より新・青い目の人形の「ペニー・スー」が寄贈されている[200][201]

愛知県[編集]

349体が寄贈され、現存するのは9体(+県外より1体)

※東三河地区

  • 西郷小学校(コネタ)P:コネタはオハイオ州のウォーパコネータという町の名から来ている[202]
  • 御津南部小学校(ヘレン):贈られた当時は「ヘルン」と呼ばれた。他に、「ミス愛知」のレプリカとされる「みやこ」「あかり」が関係者より寄贈されている[203]
  • 田原中部小学校(マーシャル・セントラル)P:ドイツ製の人形。渥美郡には17体、うち田原町には田原南部小学校にも寄贈された[204]
  • 田原市立福江小学校(カレン):寄贈当時は福江町だったが、1955年に現在の田原市へ編入される。初代の人形は現存せず、2007年にギューリック3世より二代目「カレン」が寄贈された[205]。なお、前述の答礼人形「ミス福江渥美」を送り出した学校でもある[53]
  • 細谷小学校(エセル・ディーン)P
  • 東陽小学校(ノルマン):旧・鳳来町立能登瀬小学校より譲り受ける[206]
  • 田峯小学校(グレース・A・グリーン)P:青い目の人形発見をきっかけとして、国際交流に役立てている事例(アメリカへの里帰り及び奉納歌舞伎の公演)[207]

※西三河地区

※尾張・知多地区(現存なし)

※名古屋市(元々市内にあった人形は現存なし)

  • 個人所有(プリシラ・キングスレイ):長野県上松町野中幼稚園から譲り受けた人形。

近畿地方[編集]

三重県[編集]

三重県には194体の人形が寄贈され、県内の小学校や幼稚園に配布された。戦時下で多くの人形が処分され、現存しているものは9体に限られる(内1体は東京に保管)[16]

津市:74体が届けられた[210]

  • 川合小学校(名称不明)
    • 校長先生の自宅蔵に保管されており、1986年より学校に展示されている。
  • 新町小学校(名称不明)
    • 2007年に服を新調。
  • 明小学校(不明、1990年にロザリーと命名される)
    • 1980年に校舎改築の折、屋根裏から発見される[211]。1989年に青い目の人形と判明して以来、学校に展示されている。

松阪市:18体が寄贈された。

  • 豊地小学校(グレース)
    • 松阪市に贈られた唯一現存の青い目の人形[212]。校長先生指示の下、当時の先生の自宅蔵に隠し持っていたとされる。1977年に学校に戻され、以後は学校に展示されている。
  • 柿野小学校
    • 『飯南町史』に「1927年(昭和2年)3月21日にアメリカ友情人形歓迎会を開催した」旨が記載されている[213]
  • 花岡尋常高等小学校(マーティホルマン)[214]

その他地域

滋賀県[編集]

135体が寄贈され、4体が現存。

大津市:20体が配布された(小学校16体、幼稚園4体)[219]

※ その他地域

京都府[編集]

262体が寄贈され、7体が現存。

大阪府[編集]

429体が寄贈され、4体が現存する。ちなみに、高槻市には福島県会津若松市より送られた「ジュリー」が個人宅にて保管されている。

  • 枚方幼稚園(ジュリエット・ロウ・ブラッドフォード)P
  • さくら幼稚園(ナンシー):池田幼稚園より譲り受ける
  • 海老江西小学校:後に新しい親善人形としてマリアが寄贈された[228]
  • 個人所有(メリー):中本第三小学校より譲り受ける。

兵庫県[編集]

373体が寄贈され、12体が現存。

  • 西宮市山口幼稚園(メリー):山口小学校より譲り受ける。
  • 神戸市甲南幼稚園(ローズ、名称不明):後者の人形は、戦後までに寄贈されていたと思われ、2015年に友情人形と判明されたもの[229]。ギューリック3世により「キャシー」と命名された[230]
  • 神戸大学発達科学部(マダリン・エリザベス):児童の村小学校(東京都)より譲り受ける。
  • 親和女子高等学校
  • 神戸市千鳥幼稚園(メリー)[231]
  • 高砂幼稚園:2体あるうち1体は高砂小学校にあったもの。パスポートが失われて名前が不明だったため、エリカ、ヘレンと命名された。[231]
  • ベイカ保育園(ローズマリー):現・幼保連携型認定こども園ベイカ(姫路市)。
  • 赤穂幼稚園(ローズマリー)
  • 播磨町立播磨小学校(メリー):旧・阿閇尋常小学校
  • 旧・神戸市兵庫区菊水幼稚園(エリーネ・ジェーン・プーリッジ)P:三木市内個人所有。現在は『横浜人形の家』にて所蔵[231]

奈良県[編集]

144体が寄贈され、4体が現存する。

和歌山県[編集]

寄贈された177体のうち、1体のみ現存。 出典:『和歌山県教育史』編さんだより No.4(平成14年7月)(アーカイブ)、わかやま発見(和歌山県教育委員会HP)

中国地方[編集]

鳥取県[編集]

107体が寄贈され、3体が現存する。出典[236]を参照。

島根県[編集]

182体が寄贈され、2体が現存する。

岡山県[編集]

238体が寄贈され、3体が現存する。

広島県[編集]

326体が寄贈され、5体が現存する。

山口県[編集]

200体が寄贈され、5体が現存。

四国地方[編集]

※愛媛県以外には1体ずつしか残っていない。

徳島県[編集]

152体が寄贈された。

  • 神領小学校(アリス・ジョンストーン)P:青い目の人形の国際交流をきっかけに町おこしに役立てている事例[252]

香川県[編集]

108体が寄贈された(内訳:幼稚園21、小学校74、女学校13)。出典はこちら[253][254][255]

※以下に贈られた地域と体数を記す[11]

三豊市 - 14体

高松市 - 39体

その他地域

  • 多度津町立白方小学校:昭和2年、人形が寄贈された後、アメリカへ届けられた児童からのお礼の手紙がギューリックの手記にて紹介されている。2001年2月にはこの出来事に基づき、新・青い目の人形の「リサ・レネイ」が送られた[256]
  • 小豆島町立安田小学校(エリザベス・フルトン)。
  • 丸亀市西幼稚園(キューピー)

愛媛県[編集]

214体のうち、6体が現存。出典[257]

高知県[編集]

187体が寄贈された。出典[263]を参照。

九州地方[264][編集]

福岡県[編集]

259体が寄贈され、3体の現存が確認されている。

佐賀県[編集]

寄贈された98体のうち、現存は次の1体のみ。

長崎県[編集]

214体が寄贈され、2体が現存。出典[46]

熊本県[編集]

241体が寄贈され、2体が現存。

大分県[編集]

182体が寄贈され、4体が現存。

宮崎県[編集]

131体[272]が寄贈され、1体のみ現存。

鹿児島県[編集]

209体が寄贈されたが、現存が確認されていない。

沖縄県[264][編集]

63体(うち小学校へは47体[275])が寄贈されたが、現存が確認されていない。

  • 武田英子の著書には、学校代表として青い目の人形を受け取った名護市東江(あがりえ)小学校の児童の写真が掲載されている。本土への疎開の途中、『対馬丸』は魚雷を受けて沈没したが、別の疎開船に乗っていた写真の児童は難を逃れた[276]
  • 首里第二尋常高等小学校:現・那覇市立城西小学校[277]。2体寄贈された[275]

旧外地[編集]

旧外地へは内閣拓殖局へ319体が割り当てられている[3]

樺太[編集]

20体が寄贈された[226]。出典[278]も参照。

  • 大泊楠渓幼稚園(グレンデール):現在は東京都の個人が所有。外地に贈られた青い目の人形の唯一の現存例。
  • 鵜城郡のある小学校(ヘンドリック)[279]
  • 豊原幼稚園(グレース)
  • 落合小学校(ワーレス・ウェード)
  • 本斗小学校(パトリシアン)[280]
  • 送先不明(ジョン・ウェスリー、ローズメアリー、ローズバット、セルマ、ジョアン、チェリーブラッサム)

台湾[編集]

93体が寄贈され、88体が役所・学校などに贈られた。出典はこちら[281]

※内訳:台北州20、新竹州8、台中州17、台南州24、高雄州12、台東庁2、花蓮港庁3、澎湖庁2(日本統治時代の台湾行政区分による)

  • 台中州村上幼稚園:歓迎式の写真が残されている。

朝鮮[編集]

193体が寄贈された[226]

  • 大邱公立高等女学校:2体の人形が寄贈されている[282]
  • 慶尚南道河東小学校(クララ・エルアンダーマン)[283]
  • 慶尚南道統営小学校(エリザベス・ミッチエル)[283]
  • 木浦公立尋常小学校(現:儒達小学校):人形の歓迎会の写真が残されている[284]
  • 京城日出小学校[285]
  • 驪州公立普通学校:大阪朝日主催の人形歓迎歌の応募で一等を獲得した少女が賞品として受け取った人形。[8][151]

中国(関東州)[編集]

10体が寄贈された(大連3体、旅順2体、他5体[286][226]

  • 公主嶺小学校[287]
  • 奉天春日小学校[284]
  • 送先不明(メリー・マーガレット)[288]:身長が90cmもあった。

送先その他[編集]

  • 不明(ベティ・ジョイス):ミシガン州イプシランティバプテスト教会より寄贈された人形[289]
  • 不明(スーザン・パルマー):ペンシルベニア州パーマトンのパルマートン博愛社より寄贈された双子のうち、富山県の伏木保育園に送られた「ステファン・パルマー(現存)」の相方のほう[290]
  • 不明:ニュージャージー州のフレンズ小学校から贈られた人形のうち、八王子市立第八小学校(現存、戦後メアリーと命名された)の他に贈られたと思われる2体[148]

答礼人形が送られた施設他[編集]

日本から送り出す際は、「筑波かすみ」や「東京花子」などのように郷土にちなんだ名前が名づけられ、アメリカでは郷土名を取ってミス○○といった形で呼ばれている。但し、既に説明の通り、台座と人形が入れ替わってしまっているものがあり、これに気づいたのは後年であるため、長い間、台座に記された名前が贈り元だとして扱われてきた[291]。例えば、ミス三重は三重子(贈り元が三重県)ではないことが判明しているが、「三重から送られた人形」として扱われている[16][17]。里帰りについては送り元の都道府県・都市に戻った時期を示し、国内での展示会や修繕のためだけに戻ったものは含まれない。

なお、昭和2年当時の48州及びワシントンD.C.のうち、オクラホマ州及びニューメキシコ州には答礼人形は贈られていない(うちニューメキシコ州には後に「ミス山口」が移されている)。

この外、関係地不明の1体(2010年発見[292]。平田郷陽・作)が現存する。

受取先:出典[293]を元に記述。

太字は取り違えがないまま現在に至っている人形[291]

人形の名前 昭和2年の受取先 所蔵施設等 里帰り 備考
ミス大日本
倭日出子(やまとひでこ)
ワシントン市国立博物館 ワシントンD.C.
スミソニアン国立自然歴史博物館
1986年 1986年(昭和61年)、修繕のために日本へ戻った際、松乾斉東光により男子人形の「倭富士男(園田天光光により命名された)」が製作され、共にワシントンへ送られた[41]
ミス北海道
北海花子(ほっかいはなこ)[294]
アイオワ州ダベンポート市公立博物館 アイオワ州ダベンポート
パットナム歴史自然科学博物館
「北海花子」は北海道帝国大学教授の西村真琴により命名された[294]
ミス青森
青森陸奥子/睦子[84](あおもりむつこ)
ニューヨーク州ロチェスター市立博物館 マサチューセッツ州
個人所有
1963年にマサチューセッツ州ダートマスのアンティークショップで購入[295]
ミス岩手
岩手鈴子(いわてすずこ)
アラバマ州バーミングハム公立図書館 アラバマ州バーミンガム
バーミンガム公立図書館
2015年 岩手県立博物館にて2015年12月24日~翌年3月6日まで里帰り展示[296]
ミス宮城 カンザス州トピカ市マルヴェーン博物館 カンザス州
個人所有
2003年
2015年[297]
収蔵していた博物館は、1966年の竜巻で倒壊[91]。後にカンザス州在住の人物が1982年にオークションで入手した人形が、1998年にミス宮城であることが判明[42]
2015年には2度目の里帰りを果たし、5月1~6日に仙台市歴史民俗資料館で展示された[297]
ミス秋田
秋田蕗子(あきたふきこ)
ミシガン州デトロイト市児童博物館 ミシガン州デトロイト
デトロイト児童博物館
ミス山形
山形千歳(やまがたちとせ)
メイン州オーガスタ市州立博物館 メイン州
州立博物館
ミス福島
福島絹子(ふくしまきぬこ)
テキサス州ハウストン市美術館 モンタナ州
個人所有
2007年 台座、お道具、人形が取り違われ、福島出身の人形である福島絹子がどこにあるのかは判明していない[298]
ミス茨城
筑波(つくば)かすみ
ウィスコンシン州ミルウォーキー市公立博物館 ウィスコンシン州ミルウォーキー
ミルウォーキー公立博物館
2007年
ミス栃木
日光幸子(にっこうさちこ)
ウェストバージニア州チャールストン市州立博物館 行方不明
ミス群馬
上野絹子[294](うえのきぬこ)
ニューヨーク州ブルックリン博物館 行方不明
ミス埼玉
秩父嶺玉子(ちちぶねたまこ)
サウスカロライナ州チャールストン市チャールストン博物館 サウスカロライナ州
チャールストン博物館
1997年[299]
ミス千葉
千葉子(ちばこ)・房子(ふさこ)[300]
カリフォルニア州リバーサイドミッション・イン 行方不明 房子は千葉子の侍女[301]
ミス東京市
東京花子(とうきょうはなこ)
ニューヨーク州ニューヨーク市博物館 行方不明
ミス東京府
東 京子(あづまきょうこ)
バージニア州リッチモンド市図書館児童室 行方不明
ミス神奈川
神奈子(かなこ)
オレゴン州ユーゼン市オーナー東洋博物館 行方不明 所持品のみ現存(保管されている人形は「ミス福岡」[302])。
ミス横浜
横浜浜子(よこはまはまこ)
カリフォルニア州サンフランシスコ市市立図書館 コロラド州
デンバーミニチュア・人形・玩具博物館[303]
ミス新潟
新潟雪子(にいがたゆきこ)
コロラド州 デンバー市公立図書館 行方不明 デンバー公立図書館で長年、ミス新潟として展示されていたが、昭和63年にミス横浜と判明された[50]
ミス富山
八重桜(やえざくら)
ケンタッキー州ルイビル市J.B.スピード記念博物館 ケンタッキー州ルイビル
スピード美術館
1995年 1937年の洪水で流失したものとされていたが、その後、1992年に博物館の奥底に眠っているのを発見され、1995年に修繕を兼ねて里帰りを果たした。
ミス石川 モンタナ州ヘレナ市州立博物館 モンタナ州ヘレナ
モンタナ歴史協会
ミス福井 ユタ州ソルトレイクシティ州立博物館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
「ミス岐阜」として展示されていた[304]
ミス名古屋 ジョージア州アトランタ市高等美術館 ジョージア州アトランタ
アトランタ歴史センター
ミス愛知 テネシー州ナッシュビル美術館 ミネソタ州
個人所有
2013年に収集家が所有していた人形が調査により、本物の「ミス愛知」と判明された[305]。2017年夏の里帰りを予定している[306]
ミス静岡
富士山三保子(ふじやまみほこ)
ミズーリ州カンザス市公立図書館 ミズーリ州
カンザスシティ博物館
2016年 2016年2月21日より、静岡市のグランシップのほか、沼津市浜松市の会場にて里帰り展示が行われた[307]。4月以降も各地で展示が行われる[308]
ミス長野
長野絹子(ながのきぬこ)
ロードアイランド州プロヴィデンス市ロジャー・ウィリアムス公園博物館 デラウェア州ウィルミントン
デラウェア歴史協会
2004年 ロードアイランド州の博物館に寄贈された人形は現存せず、長いこと行方不明になっていたが、後の調査で「ミス樺太」として展示されていた人形が「ミス長野」であることが判明[186]
ミス山梨
山梨/甲斐[301]富士子(やまなし/かい ふじこ)
ワイオミング州シャイアン市州立博物館 ワイオミング州
ワイオミング州立博物館
ミス岐阜
ギフ子(ギフこ)
オハイオ州クリーヴランド公立図書館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
(従来のミス岐阜として展示)
1995年 里帰りの返還の際、妹人形として「あゆ」が合わせて寄贈された。また、クリーブランド市からは「セーラ」が、ギューリック三世からは青い目の人形の二代目「マリリン」(後に2003年にはカンザス州の女性から「スーザン・ギブソン」[51])が岐阜市立明徳小学校に寄贈されている。
人形の出自は後の調査で「ミス福井」であることが判明されている[304]
ミス三重
三重子(みえこ)
ネブラスカ州リンカーン州立博物館 ネブラスカ州
ネブラスカ大学
2009年 実際にはミス三重の台座に乗っている人形は三重子でないことが判明しているが、三重を故郷として、2009年の夏に里帰りを実現した[16][17]
ミス滋賀
近江滋賀子(おうみしがこ)[301]
フロリダ州マイアミ市フレグラー図書館 行方不明
ミス京都市[223]
山城/平安京子(やましろ/へいあん きょうこ)[301]
アーカンソー州リトルロック市アーカンソー博物館 アーカンソー州
アーカンソー歴史博物館
2012年[223]
ミス京都府
京都宮子(きょうとみやこ)
マサチューセッツ州ジャマイカ・プレーン・ボストン子ども博物館 マサチューセッツ州ボストン
ボストン児童博物館
1985年
ミス大阪市
ミス浪速(なにわ)[301]
ニュージャージー州ニューアーク市ニューアーク美術館 ニュージャージー州ニューアーク
ニューアーク博物館
1989年 大阪市制百年を記念して、ミス大阪府とともに展示された。
ミス大阪府 オハイオ州コロンバス市州立博物館 オハイオ州
オハイオ歴史協会
1989年
ミス兵庫 ミズーリ州セントジョセフ児童博物館 ミズーリ州セントジョゼフ博物館 1997年  
ミス神戸市 コネチカット州スタンフォード市ラーネット私立公開博物館 行方不明 1981年登録抹消後、売却される[309]
ミス奈良 アイダホ州ヴォイス市州立博物館 アイダホ州
アイダホ歴史博物館
1994年[248] 里帰りの際に、ネ・ペルセ族の民族人形も県へ寄贈された[310]
ミス和歌山 ネバダ州リノ市州立博物館 ネバダ州
ネバダ歴史協会
後の調査で判明されるまでは「ミス奈良」として展示されたことから、本来の「ミス奈良」と同一視された経緯もある[248]
ミス鳥取 サウスダコタ州ピール市州立博物館 サウスダコタ州
サウスダコタ州立歴史協会
1989年[311] 後にマレーシア在住の人物より落札された人形が元々の「ミス鳥取」と判明された。現在展示中の「ミス鳥取」の出自は「ミス宮城」と思われる[312]
ミス島根 インディアナ州インディアナポリス子ども博物館 インディアナ州
インディアナポリス児童博物館
ミス岡山
岡山桃子(おかやまももこ)[84]
ノースダコタ州ファーゴ市メイソン図書館 ノースダコタ州
ノースダコタ州立大学
織物コレクション
2001年
ミス広島
広子[301](ひろこ)
メリーランド州ボルティモア美術館 メリーランド州
ボルチモア美術館
1974年 答礼人形の中では最も早い1974年に里帰りを果たしている。
ミス山口 イリノイ州シカゴ美術館児童部 ニューメキシコ州サンタフェ
国際民俗芸術博物館
ミス徳島 ワシントン州スポーケン市博物館 ワシントン州スポケーン
ノースウエスト美術文化博物館
1988年、2010年
ミス香川 ノースカロライナ州ラレー市州立博物館 ノースカロライナ州
ノースカロライナ州立自然科学博物館
1998年 里帰りの際、「かおり」「さくら」「かこ」の3体の妹人形が寄贈された[313]
ミス愛媛 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館
(後に行方不明)
初代が1969年、2代目(1988年寄贈)が2008年1月のハリケーンで喪失。これら2体の失われた人形の絵が3代目として寄贈されることになった[257][314]
ミス高知 ペンシルヴェニア州ピッツバーグ市カーネギー自然歴史博物館 ペンシルバニア州ピッツバーグ
カーネギー自然史博物館
1993年
ミス福岡
(通称不明)[301]
未定[315] オレゴン州ユージーン
ジョーダン・シュニッツァー美術館
2000年に美術館改修の際に発見される。持ち物は「ミス神奈川」の所持品[302]
ミス佐賀
鍋島肥佐子(なべしまひさこ)
ペンシルバニア州フィラデルフィア市商品陳列館 行方不明
ミス長崎
長崎瓊子(ながさきたまこ)
未定[315] ロチェスター市立科学博物館 2003年 ミス青森として保管されていた人形が、ミス長崎であることが2000年に判明。
里帰りの返還の際、妹人形として鶴子が合わせて寄贈された。
ミス熊本 ルイジアナ州ニューオーリンズ市州立博物館 行方不明
ミス大分 マサチューセッツ州スプリングフィールド市博物館及びウースター市美術館 マサチューセッツ州スプリングフィールド
スプリングフィールド科学博物館
1996年 1996年8月、大分県立芸術会館で里帰り展示が行われた[316]
ミス宮崎
日向瓊子(ひゅうがたまこ)
ミネソタ州ミネアポリス市美術館 ミネソタ州ヘネピン中央図書館
ミス鹿児島
薩摩昭子(さつまあきこ)
アリゾナ州フェニックス市アリゾナ博物館 アリゾナ州フェニックス
フェニックス歴史博物館
2002年 鹿児島市金生町山形屋にて12月5~10日に里帰り展示が行われた。[317]
ミス沖縄
沖縄球子(おきなわたまこ)[318]
オハイオ州シンシナティ美術館 オハイオ州シンシナティ
シンシナティ美術館
ミス台湾 カリフォルニア州ロサンゼルス市博物館 ロスアンゼルス
ロスアンゼルス国立自然史博物館
(旧植民地)
ミス関東州
満州子(ますこ)[44]
ニューハンプシャー州マンチェスター市美術館及びバーモント州セント・ジョンスペリ・フェアバンクス博物館 個人所有 (旧植民地) 1998年10月ニュージャージー州の骨董店にて購入[319]
ミス朝鮮 コネチカット州ハートフォード市児童博物館 コネチカット州
コネチカット科学協会
(旧植民地)
ミス樺太
樺太華子(からふとはなこ)[44]
デラウェア市博物館 行方不明 (旧植民地) 近年「ミス長野」と判明されるまで「ミス樺太」として展示されていた。

青い目の人形を題材にした映画・テレビ番組等[編集]

この外にも、青い目の人形に関する絵本や紙芝居、演劇なども発表されている(外部リンクも参照)。

その他[編集]

  • ふるさと切手の神奈川県版(1989年6月2日、62円・タイトル:青い目の人形)として発行された[325]
  • 2014年2月、JR深谷駅北口に、渋沢栄一没後80年を記念して「からくり時計」が設置された。時計には「青い目の人形」や答礼人形のイメージも盛り込まれている[326]
  • 2008年3月18日、愛媛県の「青い目の人形」のフランセッタ、ノーマ、ピッティの3体に、2010年12月5日には兵庫県播磨町のメリー[327]、2016年3月12日には長崎県島原市のリトル・メリー[328]特別住民票が交付されている。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  4. ^ 寄贈された人形の個数は資料により異なる。本記事にある12,739体は渋沢史料館提供の『青い目の人形にはじまる人形交流展(横浜人形の家・刊)』に記載された数)であり、American Blue-eyed Dolls Locationsには12,294体、"Dolls of Friendship"(1930年刊)にはアメリカ各地より贈り出されたのが11,276体(武田・1985年 p.233~238)、『渋沢栄一伝記資料第38巻』には13,357体(破損6)と記されている。この他、個人篤志家からの157体や各州代表人形も贈られている(青い目の人形エレン・Cと答礼人形長崎瓊子(たまこ)の背景)。出典:親善人形の会ニュース第190号(SWFファイル) 2015年6月6日閲覧。
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  34. ^ 当時は不景気で普段は小遣いがほとんどなく、祭りの日に一銭で二個の饅頭が買える状況であったほどの欠食児童がいた有様だった。
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参考資料[編集]

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  • 武田英子 『青い目の人形-写真資料集』 山口書店、1985年ISBN 978-4-8411-0105-8
  • 武田英子 『人形たちの懸け橋―日米親善人形たちの二十世紀』 小学館文庫、1998年ISBN 978-4094027211
  • 高岡美知子 『人形大使 - もうひとつの日米現代史』 日経BP出版センター、2004年ISBN 978-4-8222-4390-6
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  • 杉村孝雄 『樺太-暮らしの断層』 サッポロ堂書店、2000年
  • 加藤昭雄 『岩手県に残る青い目の人形』 熊谷印刷出版部、2009年6月ISBN 978-4-87720-314-6
  • 毎日新聞「仮面の親善使 青い眼をした人形 憎い敵だ許さんぞ 童心に聞くその処分」 - 1943年2月19日、「児童は叫ぶ 叩き壊せ『青い眼の人形』」 - 同2月20日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]