青い目の人形

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青い目の人形(あおいめのにんぎょう、: Blue-eyed Dolls)は、1927年に、アメリカ合衆国から日本に贈られた人形(Japanese friendship dolls:友情人形またはJapanese ambassador dolls:人形使節)の日本における通称。本記事では日本より返礼のために贈られた人形についても解説する。

概要[編集]

日米の人形交換を進めた渋沢栄一と「青い目の人形」写真は渋沢史料館所蔵

日露戦争後に日本満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていた。また、1924年に成立したジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)もまた、両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師シドニー・ギューリック博士(1860年1945年)が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から1927年3月3日に間に合う様に日本郵船の前橋丸、アングル丸など12隻[1]に分乗し日本の子供に12,739体[2]の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体[3]とミス・アメリカ及びワシントンDCが贈られた[4]。仲介者は渋沢栄一であった。

12,739体の「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された(但し、数が限られていたこともあり、全ての小学校・幼稚園(大正15年当時:小学校25,490、幼稚園1,066、合計26,556[5])に配布されたわけではなく、抽選で決められた所もある[6])。1000体程の余った人形も一部の家庭に配布された[7]。ミス・アメリカ及びワシントンDCと48体の各州代表人形は1927年3月18日に横浜の本牧小学校で歓迎式典を開かれた後、皇室に献上される為同月26日に赤坂御所に運ばれた。(48体の各州代表人形は後に香淳皇后より、内帑金(ないどきん)が下賜され、子供たちの利用が多い東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館で、同数の日本人形と共に展示されていたが、戦火の混乱でその殆どが行方不明となった。)

返礼として、渋沢栄一を中心に「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体(ミス大日本及び1道3府43県や主要6都市・統治していた外地4箇所の名を冠した人形)が同年11月に天洋丸で日本からアメリカ合衆国に贈られた。

日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争第二次世界大戦)中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を奉安殿や物置などに隠し、戦後に発見された。現存する人形は2015年2月現在、331体[8]にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。

人形について[編集]

青い目の人形[編集]

青い目の人形「エレナ」(横浜人形の家

青い目の人形は、シドニー・ギューリックの「日本の雛祭りに人形を送ろう」との呼びかけによって全米から集められたもので[9][10]、一体ごとに衣装や体形など人形のデザインが異なっていた(大半は人形旅行局で用意した後述の3社の人形を元に児童たちがカスタマイズしたものである一方、一部手持ちの人形を差し出した例もあった。そのため、メーカーの規格(1フィート5インチ:40cm前後[11])に当てはまらない人形も散見する(現存の人形でも30~60cm、後述の満州に送られたメリー・マーガレットの90cmの例もある))。

当時アメリカでは人形の量産体制が作られており、アメリカの世界児童親善会がジェニウィン社エファンビー社ホースマン社に発注し、衣装を着ていない状態の裸人形を「友情表示人形」として1体3ドルで斡旋した。これを男の子達が持ち寄ったお金で購入し、女の子達や母親が衣装や付属品を手作りしたものが送られた。人形の中には瞼を開閉したり(スリーピング・アイ)、体を起こすと鳴いたりするカラクリ仕掛けとなっているものもあった(「ママー」と泣くものが証言に多く見られる)。送られた人形達には生徒らによって名前(パスポート記載の名前または愛称)がつけられ、ガラスケースなどに入れられて学校の昇降口や校長室の前に飾られていたという。アメリカ人形だけでは淋しいと日本人形と一緒に飾られた事例もある[12]

なお、人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[9]、贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではない。野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)のことで(『金の舟』1921年12月号)、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが童謡「青い眼の人形」で、1923年にはアメリカでも演奏され、好評を博していた。「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられたと思われる。

またアメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くがコンポジション・ドール(パルプやおが屑・土を練り混ぜた上で精製し、乾燥させて糊やグリセリンなどを混ぜたものを仕上げ塗りし、顔を描き入れた人形)[13]であり、ドイツ製などのビスクドール素焼きの人形)もわずかに含まれている[14]

人形には本体に付随してパスポートや旅券・切符が用意され、パスポートには名前や発行番号、出身地などが記載されている(例:千葉県・成東小学校のアリス・プレーブル - Alice Plable、No.860、Patland,Maine)。日本には前述の通り1万2千体以上の人形が贈られているが、中には発行番号が左記の数字よりはるかに大きいもの(例:島根県・今福小学校のキャサリンのNo.48129や広島県・鞆幼稚園のドロシー・フィリップスのNo.45645)もある。現存している青い目の人形の中にはパスポートが失われ、本名・番号・出身地が不明のものも多く、戦後にギューリック3世に再発行してもらったケースもある。

第二次世界大戦に入り、日本の青い目の人形の大半は竹槍訓練の標的にされたり、焼却されたりなどして滅失した(現在残っている青い目の人形の中には当時暴行を受けた痕跡が見られるものもある)が、戦後に残っていた人形がテレビ等で紹介された事と共に、地方に残る青い目の人形の再発見や、人形親善の継続としてアメリカから(ギューリック3世らから)の学校等への新しい人形の寄贈(新・青い目の人形)が行われるようになった。戦時中に処分された人形や、アメリカへの里帰りの最中に盗難に遭った人形(後述)に対しても、代替の人形が贈られている。

答礼人形[編集]

インディアナポリスに贈られた答礼人形(ミス島根。台座に「島根縣(県)、MISS SHIMANE」と記されている。)

渋沢栄一が日米関係委員会委員として外務省から依頼され、全国の役場や学校を通して集められた募金を元に製作された市松人形がアメリカに送られた。この際は、雛祭りに送られた人形への答礼として「日本からもクリスマスに人形を送ろう」というコンセプトのもとに送られている[9][10]。日本側から送られた人形は皇室下賜人形1体を含めて全58体となっている。

当初はギューリックは青い目の人形の贈答に対し、日本国内の経済事情を鑑み返礼は無用と断っているため、代案として贈られた人形の相当数ではなく、少数の精巧に作られた人形を以って返礼を行うこととした[15]

青い目の人形が送られた各学校の生徒から1人1銭の募金を行い、そのお金(29,000円程[16]。ミス大日本には皇后より千円が下賜された[17])で東京の職人たち(平田郷陽、滝沢光龍齊ら十数名)によって製作された100体以上の人形の中からコンテストで51体を選出、ミス大日本(別称の「倭日出子」は渋沢栄一が自ら名づけた)ならびに主要都市(東京市、横浜、名古屋、京都市、大阪市、神戸)の計7体は京都の大木平蔵商店(現・丸平大木人形店)に依頼して創られた[18]

青い目の人形がメーカーの指定した人形の他に個別に持ち込んだものも含まれ、身長や身なりが不揃いであったこととは対照的に、答礼人形の背丈は概ね二尺七寸(約81cm)、桐塑製(桐のおが屑と正麩のりを混ぜ込んだものを乾燥させたもの。但し、ミス大日本他6体は桐素材の丸彫り)の生地に胡粉を塗り上げた本体に、有名デパート特製の友禅縮緬と本金の帯、コンビネーションの洋風肌着を着せられた[19]

地域の名を冠した人形は各道府県に送られ、それぞれの道府県の学校で(但し植民地へは地理的な関係上、答礼人形は送られなかった[20]。)送別式を開いた後、再び集められてアメリカに渡ることとなった。それぞれの人形は、台座に記された名前の地域名を取ってミス○○と呼ばれている。

アメリカに渡る際は、人間と同様に、パスポート、客船の一等切符なども用意され、鏡や箪笥といったお道具も含めたものとして作られている。製作費用は、人形本体約150円、衣装約150円、お道具約50円、計1体あたり約350円(2010年現在の貨幣価値で約260万円 - 280万円程度)であったという[9][10]

アメリカに送られた後は、すぐに各州に届けられるのではなく、1年間ほどアメリカ各地をまわって紹介、展示された後に、各州に渡された。このような経緯もあり、各地をまわる間に人形本体と台座が入れ違いになっているものもある。行方不明になったものもあるが、日本と比べると戦時中も比較的大切にされていたものが多く(来場者に見られないように隠蔽されたり売却されたりして存在が忘れられたケースもある[21])、47体(平田郷陽作の関係地不明の1体を含む)が現存している。

これらの人形とは別に、自治体独自で「ミス岡崎」(1928年。現在はニュージャージー州ニューアーク市の個人所有[22])、「ミス福江渥美」(1927年。現在はロサンゼルス郊外のフラートン市のメイン図書館所蔵[23])等も寄贈されている[24]

なお、戦後青い目の人形と同様に人形交流の一環として日本に里帰りした人形に対して、新たに日本人形がアメリカへ贈られている(後述)。

青い目の人形が送られた学校・幼稚園など[編集]

太字は人形が現存する学校・幼稚園など・()カッコ内は人形の名前、カッコがないものは未詳または不明。
☆:ビスクドールであることを示す
戦後に贈られた、いわゆる「新・青い目の人形」は特記を除き割愛。
出典は外部リンクを参照

北海道地方[編集]

北海道[編集]

643体が寄贈され、26体が現存。

千島(参考)[編集]

根室支庁に所属する千島列島にも人形が贈られている(人形の配布先としては、外地ではなく北海道に含まれる)[38]

  • 内訳:択捉3体(留別、紗那、蘂取)、国後2体(国後、乳呑路)、色丹1体(色丹)、歯舞2体(珸瑤瑁、華岬)

東北地方[編集]

青森県[編集]

220体が寄贈され、9体が現存。寄贈先は出典[5]を参照。

以下に現存の人形がある地域と送られた数(寄贈当時)を示す。東津軽郡25体、青森市15体、北津軽郡26体、上北郡19体、下北郡12体は現存せず。

弘前市 - 12体

  • 弘前学院聖愛中学高等学校(エリザベス・ハットン) - 愛光幼稚園より譲り受ける
  • 弘前市養生幼稚園:メリーは後日に命名された。ドイツ製の人形[39]

南津軽郡 - 33体

中津軽郡 - 19体

三戸郡 - 37体

西津軽郡 - 22体

岩手県[編集]

263体が寄贈され、18体の現存が確認されている。

宮城県[編集]

221体が寄贈され、10体が現存。出典[44] も参照。

秋田県[編集]

190体が寄贈され、12体が現存

山形県[編集]

205体が寄贈され、12体が現存

福島県[編集]

323体が寄贈され、17体が現存(他に秋田県湯沢市立湯沢東小学校の人形がいわき市の個人宅に保管されている)。出典も参照[50]

関東地方[編集]

茨城県[編集]

茨城県には246体が寄贈され、11体の現存が確認されている。

栃木県[編集]

213体が寄贈され、5体が現存する。

群馬県[編集]

県内には142体が寄贈され、19体現存する。

埼玉県[編集]

178体が寄贈され、12体が現存。出典はこちら[65]

千葉県[編集]

214体が寄贈され、11体が現存。寄贈先の学校を以下に記す。

出典
毎日新聞1937年3月19日4月9日発行記事
千葉県小学校変遷一覧(千葉県立中央図書館編)

葛飾郡

印旛郡

香取郡


千葉郡

千葉市

市原郡

海上郡



長生郡

山武郡

匝瑳郡


君津郡

安房郡

夷隅郡


東京都(東京府)[編集]

568体(うち東京市へは293体[69]。この外「ミス・アメリカ」など50体の各州代表人形)が寄贈され、11体が都内に現存。

※東京都内

  • 個人所有「ミス・アメリカ」(アンネシレー)[70]
    • 東京博物館上野分館で空襲の爆撃を受け、焼け跡から発見された。
  • お茶の水女子大学附属幼稚園(メリー)
  • 杉並幼稚園:パスポートが失われ、名前が不明のままだったが、ギューリック3世によりパスポートの再発行とレノアの名前を戴いた[71]
  • 青梅幼稚園(ヘレン)
  • 青梅市立第六小学校 - 人形贈呈式の写真が残されている[72]
  • あきる野市立戸倉小学校(シャロン)[73] - 平成25年3月31日閉校、五日市小学校と統合。
  • 八王子市立第八小学校(メアリー):旧・小宮第一小学校。八王子市には他に八王子幼稚園、恩方第一小学校、川口小学校、浅川小学校等に贈られている(体数は不明)[74]。戦後、新・青い目の人形のベッキーが寄贈された[75]
  • 檜原村立檜原小学校(バテー)
  • 個人所有(メリー):下谷幼稚園(台東区)より
  • 福生尋常高等小学校(アミー・アーデル)[76]
  • 個人所有 : 知人より譲り受ける。名称・寄贈先は不明とのこと。小林人形資料館(墨田区)にて所蔵[77]

※東京都外から譲り受けた人形

  • 株式会社 吉徳(アニー):中島幼稚園(三重県)より(詳細は後述)
  • 個人所有(グレンデール):楠渓幼稚園(樺太)より

神奈川県[編集]

166体が寄贈され、12体が現存。

中部地方[編集]

新潟県[編集]

398体が寄贈され、12体が現存。

富山県[編集]

150体が寄贈され、6体が現存。

石川県[編集]

205体が寄贈され、3体が現存。

  • 輪島市立西保小学校(メリー):2013年春閉校。現在は西保公民館に保存されている。
  • 津幡町実生保育園(ジェーン・オルフ):現在は津幡町教育委員会で保管。町有形文化財に指定されている[87]
  • 白山市立朝日小学校(ローラ・マーガレット):現在は白山市立鶴来博物館(閉鎖)所蔵。

福井県[編集]

152体が贈呈された。1体のみ現存。出典を参照[88]

山梨県[編集]

山梨県では129体の人形が寄贈され、第一便の前橋丸と第七便のりすぼん丸の人形が割り当てられた。人形は1927年(昭和2年)3月14日の甲府市の春日小学校で歓迎会、展覧会が行われ、県内の幼稚園や小学校へ配布された。

戦時下では多くの人形が処分され、1945年(昭和20年)7月6日-7月7日の甲府空襲の戦災で焼失したものも多く、現在では進徳幼稚園(甲府市)所蔵の「イヴァンヂリーン」、相川小学校(甲府市)所蔵の「ジェネラ」、河口小学校蔵の「ジェニサガ」(富士河口湖町)、増穂町民俗資料館蔵増穂町。富士川町立増穂南小学校より譲り受けた)の「ヘルン・モナー」、谷村第一小学校蔵(都留市)の「メリー」の計5体が現存し、一部の人形にはメッセージが添えられた「パスポート」も付属している。

また、日本側からアメリカへ送られた答礼人形のなかには市松人形の「山梨富士子さん」が含まれ、現在はワイオミング州シャイアンの博物館に所蔵されている。現在では人形が現存する学校において日米交流や教材として利用されている[91]

長野県[編集]

286体が寄贈され、28体が現存(名古屋市の個人所有を含む)。

※長野市 - 10体が寄贈されている。[92][93]

※長野市以外

岐阜県[編集]

235体が寄贈された。うち3体が現存。 ※出典参照[21][100]

静岡県[編集]

253体が贈呈され、7体が現存。

  • のぞみ幼稚園(フローレンス) - 大仁幼稚園(旧・微笑幼稚園)より引き継がれる。平成15年に吉田幼稚園と合併し、現在の園名になる[102]
  • 長田西小学校 - 現在は個人所有
  • 浜岡北小学校(マーベル・ワレン) - 朝比奈小学校より
  • 網代小学校(メリー)
  • 明倫小学校(ミルドレッド)
  • 第一幼稚園(メリー) - 富士川町立第一小学校より
  • 木花幼稚園(ネリー) - 園舎は静岡空襲で焼失したが、人形は園長の自宅にて保管[103]。現在は横浜人形の家にて所蔵。

愛知県[編集]

349体が寄贈され、現存するのは9体(県内には個人所有の1体(プリシラ・キングスレイ)も確認されているが、長野県上松町野中幼稚園から譲り受けたものである)

近畿地方[編集]

三重県[編集]

三重県には194体の人形が寄贈され、県内の小学校や幼稚園に配布された。戦時下で多くの人形が処分され、現存しているものは9体に限られる(内1体は東京に保管)[9]

滋賀県[編集]

135体が寄贈され、4体が現存。

京都府[編集]

262体が寄贈され、7体が現存。

大阪府[編集]

429体が寄贈され、4体が現存する。ちなみに、高槻市には福島県会津若松市より送られた「ジュリー」が個人宅にて保管されている。

  • 枚方幼稚園(ジュリエット・ロウ・ブラッドフォード)
  • さくら幼稚園(ナンシー):池田幼稚園より譲り受ける
  • 海老江西小学校:後に新しい親善人形としてマリアが寄贈された[117]
  • 個人所有(メリー):中本第三小学校より譲り受ける。

兵庫県[編集]

373体が寄贈され、12体が現存。

  • 山口幼稚園(メリー):山口小学校より譲り受ける。
  • 神戸市甲南幼稚園(ローズ、名称不明):後者は2015年に発見されたもの。ギューリック3世により「キャシー」と命名された[118]
  • 神戸大学発達科学部(マダリン・エリザベス):児童の村小学校(東京都)より譲り受ける。
  • 親和女子高等学校
  • 神戸市千鳥幼稚園(メリー)[119]
  • 高砂幼稚園:2体あるうち1体は高砂小学校にあったもの。パスポートが失われて名前が不明だったため、エリカ、ヘレンと命名された。[119]
  • ベイカ保育園(ローズマリー)
  • 赤穂幼稚園(ローズマリー)
  • 播磨町立播磨小学校(メリー):旧・阿閇尋常小学校
  • 旧・神戸市兵庫区菊水幼稚園(エリーネ・ジェーン・プーリッジ):三木市内個人所有。現在は『横浜人形の家』にて所蔵[119]

奈良県[編集]

144体が寄贈され、4体が現存する。

和歌山県[編集]

寄贈された177体のうち、1体のみ現存。 出典:『和歌山県教育史』編さんだより No.4(平成14年7月)(アーカイブ)、わかやま発見(和歌山県教育委員会HP)

中国地方[編集]

鳥取県[編集]

107体が寄贈され、3体が現存する。出典[121]を参照。

島根県[編集]

182体が寄贈され、2体が現存する。

岡山県[編集]

238体が寄贈され、3体が現存する。

  • 鶴鳴保育所(アンナ)
  • 金光学園幼稚園(ベッシー)
  • 岡山市立加茂小学校(ロイズグット・ウィル):現在は個人所有。

広島県[編集]

326体が寄贈され、5体が現存する。

山口県[編集]

200体が寄贈され、4体が現存。

  • 大殿小学校(ローズ・メアリー)
  • 松崎小学校(ローズマリー)
  • 湯田小学校(エリナ・アン)
  • 興進小学校(ロイス・メイ・フレッシュマン)
  • 福賀小学校(パシー)
    • 長野県南安曇郡梓川小学校のメリー同様、アメリカへの里帰りの最中に盗難に遭い、消息不明[128]。後に☆パシー2世(寄贈当時はベティ)[73]他2体の新・青い目の人形が寄贈された[129]

四国地方[編集]

※愛媛県以外には1体ずつしか残っていない。

徳島県[編集]

152体が寄贈された。

  • 神領小学校(アリス・ジョンストーン) - 青い目の人形の国際交流をきっかけに町おこしに役立てている事例[130]

香川県[編集]

102体が寄贈された。出典はこちら[131][132]

  • 平石幼稚園(アナマ・ジュリー):現在は吉祥院(三豊市)にて保管。
  • (参考)明善学園(ベッチィ・ジャアン):後にベッチィ・ジャアンと思われる人形が岐阜県高山市で発見されているが、断定までには及んでいない[101]
  • 多度津町立白方小学校 - 昭和2年、人形が寄贈された後、アメリカへ届けられた児童からのお礼の手紙がギューリックの手記にて紹介されている。2001年2月にはこの出来事に基づき、新・青い目の人形の「リサ・レネイ」が送られた[133]
  • 小豆島町立安田小学校(フルトン)
  • 高松市立一宮小学校(ドロッシー)
  • 丸亀市西幼稚園(キューピー)

愛媛県[編集]

214体のうち、6体が現存。出典[134]

高知県[編集]

187体が寄贈された。

九州・沖縄地方[編集]

福岡県[編集]

259体が寄贈され、3体の現存が確認されている。

佐賀県[編集]

寄贈された98体のうち、現存は次の1体のみ。

長崎県[編集]

214体が寄贈され、2体が現存。出典[139]

熊本県[編集]

241体が寄贈され、2体が現存。

大分県[編集]

182体が寄贈され、4体が現存。

宮崎県[編集]

124体が寄贈され、1体のみ現存。

鹿児島県[編集]

209体が寄贈されたが、現存が確認されていない。

沖縄県[編集]

63体(うち小学校へは47体[144])が寄贈されたが、現存が確認されていない。

  • 武田英子の著書には、学校代表として青い目の人形を受け取った名護市東江(あがりえ)小学校の児童の写真が掲載されている。本土への疎開の途中、『対馬丸』は魚雷の砲撃を受けて沈没したが、別の疎開船に乗っていた写真の児童は難を逃れた[145]
  • 首里第二尋常高等小学校 - 現・那覇市立城西小学校[146]。2体寄贈された[144]

旧植民地[編集]

旧植民地へは内閣拓殖局へ319体が割り当てられている[1]

樺太[編集]

20体が寄贈された[115]。出典[147]も参照。

  • 大泊楠渓幼稚園(グレンデール) - 現在は東京都の個人が所有。外地に贈られた青い目の人形の唯一の現存例。
  • 鵜城郡のある小学校(ヘンドリック)[148]
  • 豊原幼稚園(グレース)
  • 落合小学校(ワーレス・ウェード)
  • 本斗小学校(パトリシアン)[149]
  • 送先不明:ジョン・ウェスリー、ローズメアリー、ローズバット、セルマ、ジョアン、チェリーブラッサム

台湾[編集]

93体が寄贈され、88体が役所・学校などに贈られた。出典はこちら[150]

  • 台中州村上幼稚園 - 歓迎式の写真が残されている。

朝鮮[編集]

193体が寄贈された[115]

  • 大邱公立高等女学校:2体の人形が寄贈されている[151]
  • 慶尚南道河東小学校(クララ・エルアンダーマン)[152]
  • 慶尚南道統営小学校(エリザベス・ミッチエル)[152]

中国(関東州)[編集]

10体が寄贈された(大連3体、旅順2体、他5体[153][115]

  • 公主嶺小学校[154]
  • 送先不明(メリー・マーガレット)[155] - 身長が90cmもあった。

答礼人形が送られた施設他[編集]

日本から送り出す際は、「筑波かすみ」や「東京花子」などのように郷土にちなんだ名前が名づけられ、アメリカでは郷土名を取ってミス○○といった形で呼ばれている。但し、既に説明の通り、台座と人形が入れ替わってしまっているものがあり、これに気づいたのは後年であるため、長い間、台座に記された名前が贈り元だとして扱われてきた[156]。例えば、ミス三重は三重子(贈り元が三重県)ではないことが判明しているが、「三重から送られた人形」として扱われている[9][10]。里帰りについては送り元の都道府県・都市に戻った時期を示し、国内での展示会や修繕のためだけに戻ったものは含まれない。

この外、関係地不明の1体(平田郷陽・作)が現存する[157]

受取先:出典[158]を元に記述。

人形の名前 昭和2年の受取先 所蔵施設等 里帰り 備考
ミス大日本
倭日出子
ワシントン市国立博物館 ワシントンD.C.
スミソニアン国立自然歴史博物館
1986年 1986年(昭和61年)、修繕のために日本へ戻った際、松乾斉東光により男子人形の「倭富士男(園田天光光により命名された)」が製作され、共にワシントンへ送られた[159]
ミス北海道
北海花子[160]
アイオワ州ダベンポート市公立博物館 アイオワ州ダベンポート
パットナム歴史自然科学博物館
「北海花子」は北海道帝国大学教授の西村真琴により命名された[160]
ミス青森
青森陸奥子
ニューヨーク州ロチェスター市立博物館 マサチューセッツ州
個人所有
1963年にマサチューセッツ州ダートマスのアンティークショップで購入[161]
ミス岩手
岩手鈴子
アラバマ州バーミングハム公立図書館 アラバマ州バーミンガム
バーミンガム公立図書館
ミス宮城 カンザス州トピカ市マルヴェーン博物館 カンザス州
個人所有
2003年 収蔵していた博物館は、1966年の竜巻で倒壊[46]。後にカンザス州在住の人物が1982年にオークションで入手した人形が、1998年にミス宮城であることが判明[162]
ミス秋田
秋田蕗子
ミシガン州デトロイト市児童博物館 ミシガン州デトロイト
デトロイト児童博物館
ミス山形
山形千歳
メイン州オーガスタ市州立博物館 メイン州
州立博物館
ミス福島
福島絹子
テキサス州ハウストン市美術館 モンタナ州
個人所有
2007年 台座、お道具、人形が取り違われ、福島出身の人形である福島絹子がどこにあるのかは判明していない[163]
ミス茨城
筑波かすみ
ウィスコンシン州ミルウォーキー市公立博物館 ウィスコンシン州ミルウォーキー
ミルウォーキー公立博物館
2007年
ミス栃木
日光幸子
ウェストバージニア州チャールストン市州立博物館 行方不明
ミス群馬
上野絹子[160]
ニューヨーク州ブルックリン博物館 行方不明
ミス埼玉
秩父嶺玉子
サウスカロライナ州チャールストン市チャールストン博物館 サウスカロライナ州
チャールストン博物館
ミス千葉
千葉子・房子[164]
カリフォルニア州リバーサイドミッション・イン 行方不明 房子は千葉子の侍女[165]
ミス東京市
東京花子
ニューヨーク州ニューヨーク市博物館 行方不明
ミス東京府
東京子
バージニア州リッチモンド市図書館児童室 行方不明
ミス神奈川
神奈子
オレゴン州ユーゼン市オーナー東洋博物館 行方不明
ミス横浜
横浜浜子
カリフォルニア州サンフランシスコ市市立図書館 コロラド州
デンバー公立図書館
ミス新潟
新潟雪子
コロラド州 デンバー市公立図書館 コロラド州 デンバー公立図書館で長年、ミス新潟として展示されていたが、昭和63年にミス横浜と判明された[166]
ミス富山
八重桜
ケンタッキー州ルイビル市J.B.スピード記念博物館 ケンタッキー州ルイビル
スピード美術館
1995年 1937年の洪水で流失したものとされていたが、その後、1992年に博物館の奥底に眠っているのを発見され、1995年に修繕を兼ねて里帰りを果たした。
ミス石川 モンタナ州ヘレナ市州立博物館 モンタナ州ヘレナ
モンタナ歴史協会
ミス福井 ユタ州ソルトレイクシティ州立博物館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
「ミス岐阜」として展示されていた[167]
ミス名古屋 ジョージア州アトランタ市高等美術館 ジョージア州アトランタ
アトランタ歴史センター
ミス愛知 テネシー州ナッシュビル美術館 ミネソタ州
個人所有
2013年に収集家が所有していた人形が調査により、本物の「ミス愛知」と判明された[168]。2017年夏の里帰りを予定している[169]
ミス静岡
富士山三保子
ミズーリ州カンザス市公立図書館 ミズーリ州
カンザスシティ博物館
2016年2月23日(富士山の日)の里帰りの予定[170]
ミス長野
長野絹子
ロードアイランド州プロヴィデンス市ロジャー・ウィリアムス公園博物館 デラウェア州ウィルミントン
デラウェア歴史協会
2004年 ロードアイランド州の博物館に寄贈された人形は現存せず、長いこと行方不明になっていたが、後の調査で「ミス樺太」として展示されていた人形が「ミス長野」であることが判明[96]
ミス山梨
山梨(甲斐[165])富士子
ワイオミング州チューネ市州立博物館 ワイオミング州
ワイオミング州立博物館
ミス岐阜
ギフ子
オハイオ州クリーヴランド公立図書館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
(従来のミス岐阜として展示)
1995年 里帰りの返還の際、妹人形として「あゆ」が合わせて寄贈された。また、クリーブランド市からは「セーラ」が、ギューリック三世からは青い目の人形の二代目「マリリン」が岐阜市立明徳小学校に寄贈されている。
人形の出自は後の調査で「ミス福井」であることが判明されている[167]
ミス三重
三重子
ネブラスカ州リンカーン州立博物館 ネブラスカ州
ネブラスカ大学
2009年 実際にはミス三重の台座に乗っている人形は三重子でないことが判明しているが、三重を故郷として、2009年の夏に里帰りを実現した[9][10]
ミス滋賀
近江滋賀子[165]
フロリダ州マイアミ市フレグラー図書館 行方不明
ミス京都市
山城(平安)京子[165]
アーカンソー州リトルロック市アーカンソー博物館 アーカンソー州
アーカンソー歴史博物館
2012年[112]
ミス京都府
京都宮子
マサチューセッツ州ジャマイカ・プレーン・ボストン子ども博物館 マサチューセッツ州ボストン
ボストン児童博物館
ミス大阪市
ミス浪速[165]
ニュージャージー州ニューアーク市ニューアーク美術館 ニュージャージー州ニューアーク
ニューアーク博物館
ミス大阪府 オハイオ州コロンバス市州立博物館 オハイオ州
オハイオ歴史協会
ミス兵庫 ミズーリ州セントジョセフ児童博物館 ミズーリ州セントジョゼフ博物館 1997年  
ミス神戸市 コネチカット州スタンフォード市ラーネット私立公開博物館 行方不明
ミス奈良 アイダホ州ヴォイス市州立博物館 アイダホ州
アイダホ歴史博物館
1993年
ミス和歌山 ネバダ州リノ市州立博物館 ネバダ州
ネバダ歴史協会
ミス鳥取 サウスダコタ州ピール市州立博物館 サウスダコタ州
サウスダコタ州立歴史協会
1989年[171] 後にマレーシア在住の人物より落札された人形が元々の「ミス鳥取」と判明された。現在展示中の「ミス鳥取」の出自は不明[172]
ミス島根 インディアナ州インディアナポリス子ども博物館 インディアナ州
インディアナポリス児童博物館
ミス岡山 ノースダコタ州ファーゴ市メイソン図書館 ノースダコタ州
ノースダコタ州立大学
織物コレクション
2001年
ミス広島
広子[165]
メリーランド州ボルティモア美術館 メリーランド州
ボルチモア美術館
1974年 答礼人形の中では最も早い1974年に里帰りを果たしている。
ミス山口 イリノイ州シカゴ美術館児童部 ニューメキシコ州サンタフェ
国際民俗芸術博物館
ミス徳島 ワシントン州スポーケン市博物館 ワシントン州スポケーン
ノースウエスト美術文化博物館
ミス香川 ノースカロライナ州ラレー市州立博物館 ノースカロライナ州
ノースカロライナ州立自然科学博物館
1998年
ミス愛媛 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館 初代が1969年、2代目が2008年1月のハリケーンで喪失。これら2体の失われた人形の絵が3代目として寄贈されることになった[134][173]
ミス高知 ペンシルヴェニア州ピッツバーグ市カーネギー自然歴史博物館 ペンシルバニア州ピッツバーグ
カーネギー自然史博物館
1993年
ミス福岡
(通称不明)[165]
未定[174] オレゴン州ユージーン
ジョーダン・シュニッツァー美術館
ミス佐賀
鍋島肥佐子
ペンシルバニア州フィラデルフィア市商品陳列館 行方不明
ミス長崎
長崎瓊子
未定[174] ロチェスター市立科学博物館 2003年 ミス青森として保管されていた人形が、ミス長崎であることが2000年に判明。
里帰りの返還の際、妹人形として鶴子が合わせて寄贈された。
ミス熊本 ルイジアナ州ニューオーリンズ市州立博物館 行方不明
ミス大分 マサチューセッツ州スプリングフィールド市博物館及びウースター市美術館 マサチューセッツ州スプリングフィールド
スプリングフィールド科学博物館
ミス宮崎
日向瓊子
ミネソタ州ミネアポリス市美術館 ミネソタ州ヘネピン中央図書館
ミス鹿児島
薩摩昭子
アリゾナ州フェニックス市アリゾナ博物館 アリゾナ州フェニックス
フェニックス歴史博物館
ミス沖縄
沖縄球子[175]
オハイオ州シンシナティ美術館 オハイオ州シンシナティ
シンシナティ美術館
ミス台湾 カリフォルニア州ロサンゼルス市博物館 ロスアンゼルス
ロスアンゼルス国立自然史博物館
(旧植民地)
ミス関東州
満州子[20]
ニューハンプシャー州マンチェスター市美術館及びバーモント・セント・ジョンスペリ・フェアバンクス博物館 個人所有 (旧植民地)
ミス朝鮮 コネチカット州ハートフォード市児童博物館 コネチカット州
コネチカット科学協会
(旧植民地)
ミス樺太
樺太華子[20]
デラウェア市博物館 行方不明 (旧植民地) 近年「ミス長野」と判明されるまで「ミス樺太」として展示されていた。

青い目の人形を題材にした映画・テレビ番組等[編集]

この外にも、青い目の人形に関する絵本や紙芝居、演劇なども発表されている(外部リンクも参照)。

その他[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 渋沢伝記第38巻 p.75。
  2. ^ 寄贈された人形の個数は資料により異なる。本記事にある12,739体は渋沢史料館提供の『青い目の人形にはじまる人形交流展(横浜人形の家・刊)』に記載された数)であり、American Blue-eyed Dolls Locationsには12,294体、"Dolls of Friendship"(1930年刊)にはアメリカ各地より贈り出されたのが11,276体(武田・1985年 p.233~238)、『渋沢栄一伝記資料第38巻』には13,357体(破損6)と記されている。出典:親善人形の会ニュース第190号(SWFファイル) 2015年6月6日閲覧。
  3. ^ アラスカハワイは当時は含まれていない。それぞれ1959年に州に昇格。
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  6. ^ 武田・1985年 p.23。
  7. ^ 是沢 p.82~83,104。
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  12. ^ みやぎ青い目の人形を調査する会ニュース No.6 2001.11.20刊
  13. ^ 是沢 p.75~76によると、ゴムやセルロイドは輸送中の劣化や破損の恐れが高いため、コンポジションドールの方が壊れにくい素材として採用された経緯がある。
  14. ^ 武田・1985年 p.19、青い目の人形 - 伊勢原市立大山小学校HP。
  15. ^ 武田・1985年 p.26,27。
  16. ^ 是沢 p.112。
  17. ^ 武田・1985年 p.28。
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  179. ^ 太平洋にかける虹 - 金の星社
  180. ^ 石橋雅史さん出演作品解説(1983年) - 魔窟~悪人たちの棲む館~ 原典:朝日新聞1983年11月11日夕刊 2015年8月30日閲覧。
  181. ^ ふるさと切手博物館:神奈川県「青い目をした人形」
  182. ^ 「渋沢栄一からくり時計の設置について」 - 深谷市HP

参考資料[編集]

  • DOLLS OF FRIENDSHIP (by Sidney L. Gulick,Friendship Press,1929)
  • DOLLS OF FRIENDSHIP (by Sidney L. Gulick,Friendship Ambassadors Press,1997)
  • 『渋沢栄一伝記資料』第38巻(公益財団法人 渋沢栄一財団・刊)
  • 是沢博昭 『青い目の人形と近代日本:渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方』 世織書房、2010年ISBN 978-4-902163-56-8
  • 武田英子 『青い目をしたお人形は』 太平出版社、1981年8月6日
  • 武田英子 『青い目の人形-写真資料集』 山口書店、1985年ISBN 978-4-8411-0105-8
  • 武田英子 『人形たちの懸け橋―日米親善人形たちの二十世紀』 小学館文庫、1998年ISBN 978-4094027211
  • 高岡美知子 『人形大使 - もうひとつの日米現代史』 日経BP出版センター、2004年ISBN 978-4-8222-4390-6
  • 鈴野十朗 『答礼哀歌』 文芸社2007年ISBN 978-4-2860-2484-4
  • 杉村孝雄 『樺太-暮らしの断層』 サッポロ堂書店、2000年
  • 毎日新聞「仮面の親善使 青い眼をした人形 憎い敵だ許さんぞ 童心に聞くその処分」 - 1943年2月19日、「児童は叫ぶ 叩き壊せ『青い眼の人形』」 - 同2月20日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]