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石井敬之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石井 敬之
生誕 1893年12月18日
日本の旗 日本 千葉県
死没 (1975-04-03) 1975年4月3日(81歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1915年 - 1945年
1945年 - 1946年
最終階級 海軍少将
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石井 敬之(いしい けいし[1]1893年明治26年)12月18日[2] - 1975年昭和50年)4月3日[2])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将位階勲等正五位勲二等[3]

経歴

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千葉県出身[2]1915年(大正4年)12月、海軍兵学校第43期を卒業し[3]1916年(大正5年)12月に海軍少尉に任官した[3]。その後「肥前」「常盤」「」各乗組や[3]、「千早」「若宮」各航海長兼分隊長などを歴任し[3]1926年(大正15年)12月に海軍大学校甲種第26期学生となった[1][3]1927年(昭和2年)12月、海軍少佐に進級し[3]、「鬼怒」航海長兼分隊長などを経て[3]1932年(昭和7年)12月に海軍中佐に進級した[3]。その後、海軍大学校教官[3]佐世保鎮守府参謀兼佐世保要塞参謀などを歴任した[4]

1937年(昭和12年)12月に海軍大佐に進級し[4]海軍艦政本部大阪監理官兼神戸監督官[4]駐満海軍部[4]軍令部出仕を経て[4]1939年(昭和14年)3月に在ソビエト連邦大使館附武官兼在フィンランド国公使館附武官に任命された[4]1940年(昭和15年)11月に大湊要港部参謀長に就任し[4]1942年(昭和17年)2月10日に「摂津」特務艦長を経て[4]6月20日に「榛名」艦長に着任してガダルカナル島に出征[2][4]ヘンダーソン基地艦砲射撃南太平洋海戦などで力戦した[2]1943年(昭和18年)5月1日に海軍少将に進級し[1][4]7月15日海務院船員部長・航海訓練所長に就任した[4]。同年8月には海事審議会専門委員[4]厚生省勤労局参与などを務め[4]11月1日運輸通信省海運総局船員局長となり[4]11月13日から高等海員審判所長を兼ねた[4]

1944年(昭和19年)12月、軍令部出仕となり[4]1945年(昭和20年)1月29日佐世保鎮守府参謀長兼補給部長に就任して終戦を迎えた[2][4]11月30日、予備役編入と同時に充員召集され[4]、佐世保地方復員局長官に就任し[4]1946年(昭和21年)3月31日第二復員省出仕・第二復員事務官となり[4]4月12日に充員召集解除となった[4]1947年(昭和22年)11月28日公職追放の仮指定を受けた[5]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b c 外山 1981, 189頁.
  2. ^ a b c d e f 福川 2000, 33頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 海軍歴史保存会 1995, 649頁.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 海軍歴史保存会 1995, 650頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、19頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034 
  • 海軍歴史保存会 編集『日本海軍史 第9巻』海軍歴史保存会、1995年。