コンテンツにスキップ

田口梓乃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田口 梓乃
Shino Taguchi
基本情報
本名 田口 梓乃
たぐち しの
生年月日 (1992-08-18) 1992年8月18日(32歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 156.0cm
体重 61.2kg
選手情報
所属 日本競輪選手会山口支部
期別 102期
登録地変遷
2012年 - 日本競輪選手山口支部
■最終更新日:2021年3月8日  テンプレートを表示

田口 梓乃(たぐち しの、1992年8月18日 - )は、女子競輪選手行政書士。旧姓は三輪(みわ)。山口県岩国市出身[1]日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期卒業。日本競輪選手会山口支部(当初は広島支部所属)。選手登録番号14922。師匠は齋藤勝(53期)。

実父の三輪直弘(66期)、叔父の三輪俊之(68期)はともに元競輪選手。夫は同じく競輪選手の田口守(94期)。

戦績

[編集]

山口県立岩国商業高等学校を経て、2011年2月25日、競輪学校入学試験に合格[2]。在校競走成績は第10位(9勝)[3]2012年5月1日に選手登録された。

2012年7月6日京王閣競輪場でデビューし3着。初勝利は同年8月15日平塚競輪場。初優勝は2015年1月28日岸和田競輪場

2014年4月26日、同じく競輪選手の田口守(94期)と結婚[4]。結婚後も当初は旧姓での選手登録を続けていた[5]が、2016年6月6日付で広島から山口に移籍すると共に登録名も本名へ変更した[6]

2016年9月14日に第一子となる長女[7]を出産。翌2017年7月9日からの松戸での開催で1年5ヶ月ぶりにレースに復帰、ガールズケイリンで初めてとなる、妊娠・出産後にレース復帰した選手となった[8][9]。ただ、それから暫くしてすぐの9月12日からの防府FI開催を最後に第二子である次女[7]を妊娠したため再び長期欠場が続いていたが、2019年7月19日からの佐世保FIIナイター開催にて約2年ぶりにレースに復帰した。

自身の母親も現役の行政書士であり、そして自身が競輪選手を引退した後のことも考え、現役の競輪選手としてレースに出走しながら行政書士の資格取得の勉強も行っており、2023年11月12日に行われた令和5年度行政書士試験に合格[10]。行政書士として登録されたことで、今後は競輪選手と行政書士の二足の草鞋を履いて活動する[11]

なお、行政書士としては『カバチタレ!』原作者でもある田島隆の田島海事法務事務所(広島県呉市)に入所し、実務修習を受けている[12]

脚注

[編集]
  1. ^ ガールズケイリン フェイスブック
  2. ^ 日本競輪学校女子第1回生徒入学試験合格者名簿 - KEIRIN.JP
  3. ^ 競走成績戦法別一覧表 (PDF) - KEIRIN.JP
  4. ^ ガールズ初婚、三輪梓乃&田口守4・26ゴールイン
  5. ^ 広報KEIRIN 第78号 (PDF) - JKA・2014年9月30日
  6. ^ 広報KEIRIN 第99号 (PDF) - JKA・2016年6月30日
  7. ^ a b “田口梓乃、今年2度目Vを子供のお土産に/西武園”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年12月21日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202012210000961.html 2020年12月21日閲覧。 
  8. ^ “ママ田口梓乃が1年5カ月ぶり実戦復帰/松戸”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2017年7月8日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/1852214.html 2019年11月14日閲覧。 
  9. ^ なお、選手になる前から既に出産経験のある選手としては、高松美代子森美紀(ともに引退)がいた。
  10. ^ 行政書士 田口梓乃 [@keirin_gyosei] (2024年1月31日). "合格してました😭✨". X(旧Twitter)より2024年4月25日閲覧
  11. ^ 【オールガールズクラシック】田口梓乃「行政書士との二刀流です!」”. netkeirin (2024年4月25日). 2024年4月24日閲覧。
  12. ^ 田島隆 カバチタレ!【公式】 [@kabachi_tajima] (2024年4月20日). "作家と行政書士の二足わらじの僕の所に、アスリート兼行政書士の新人先生が入所することになりました❗️". X(旧Twitter)より2024年4月25日閲覧

外部リンク

[編集]