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{{政治家
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|name = ジャン=リュック・メランション<br />
|人名=ジャン=リュック・メランション
|各国語表記={{Lang|fr|Jean-Luc Mélenchon}}
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|画像説明=ジャン=リュック・メランション(2013年11月)
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|生年月日={{生年月日と年齢|1951|8|19}}
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|出生地={{Flagicon|MAR}} [[フランス第四共和政|フランス]][[保護国|保護領]][[モロッコ]]、[[タンジェ]]
|term_start = 2000年3月27日
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|出身校=フランシュ=コンテ大学
|primeminister = [[リオネル・ジョスパン]]
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|所属政党=[[社会党 (フランス)|社会党]]<small>(1977年 – 2008年)</small><br />[[左翼党 (フランス)|左翼党]]<small>(2008年 – 現在)</small>
|order2 = 南仏欧州選挙区[[欧州議会]]|議員
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|親族(政治家)=
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|order3 = [[エソンヌ県]][[元老院|元老院儀員]]
|サイン=
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|ウェブサイト=http://www.jean-luc-melenchon.fr
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|サイトタイトル=Jean-Luc Mélenchon
|term_start4 = 2004年10月1日
|国旗=FRA
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|職名=職業教育大臣
|birth_date = {{birth date and age|1951|8|19|df=y}}
|内閣=[[リオネル・ジョスパン]]内閣
|birth_place = [[タンジェ]], [[モロッコ]]
|就任日=[[2000年]][[3月27日]]
|death_date =
|退任日=[[2002年]][[5月6日]]
|death_place =
|元首職=大統領
|party = [[社会党 (フランス)|社会党]] <small>(1977年–2008年)</small><br />[[左翼党 (フランス)|左翼党]] <small>(2008年–現在)</small>
|元首=[[ジャック・シラク]]
|alma_mater = [https://fr.wikipedia.org/wiki/Universit%C3%A9_de_Franche-Comt%C3%A9 フランシュ=コンテ大学]
|国旗2=EU
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|職名2=[[欧州議会議員]]
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}}
'''ジャン=リュック・メランション'''({{Lang-fr|Jean-Luc Mélenchon(フランス語発音: ​[ʒɑ̃lyk melɑ̃ˈʃɔ̃]}})、JLM, [[1951年]][[8月19日]] - )は[[フランス]]の[[政治家]]。<br />
2008年から、{{仮リンク|マルティーヌ・ビヤル|en|Martine Billard}}と共に[[左翼党 (フランス)|左翼党]]の共同党首を務めている。<br />


== 経歴 ==
'''ジャン=リュック・メランション'''({{lang-fr|Jean-Luc MÉLENCHON、JLM)(フランス語発音: ​[ʒɑ̃lyk melɑ̃ˈʃɔ̃]}})([[1951年]][[8月19日]]生まれ)は[[フランス共和国]]政府で2000年から2002年まで、職業教育大臣となった[[フランス]][[政治家]]である。<br />
[[モロッコ]]の[[タンジェ]]<ref name="CV">{{cite web|url=http://www.europe1.fr/Presidentielle-2012/Le-CV-de-Jean-Luc-Melenchon-951161 |title=ジャン=リュック・メランションの履歴書 |publisher=Frédéric Frangeul, Europe 1 |date=2014年02月27日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>(詳しくはタンジェ国際管理地域内)に生まれた。父は郵便局員で、スペイン出身の母は学校教師だった。モロッコ北部で育ち、両親の離婚に伴い1962年にフランスへ移住し、[[ジュラ県]][[ロン=ル=ソーニエ]]のルージェ・ド・リール高等学校で学んだ<ref name="LyCo6">{{Cite web|url=http://lgcorneille-lyc.spip.ac-rouen.fr/spip.php?article4 |title=ルアン市立ピエル・コルネイユ高等学校 – 学歴 |publisher=Frédéric Vivien |date=2014年2月27日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>。{{仮リンク|フランシュ=コンテ大学|en|University of Franche-Comté}}では哲学を学び、卒業後は{{仮リンク|CAPES|fr|Certificat d'aptitude au professorat de l'enseignement du second degré}}(フランス文部省の専門の指導資格)に合格して教師となった<ref name="CV" /><ref name="LyCo6" />。
現在、[[欧州議会]]議員で、[[マルティヌ・ビヤル]]({{lang-fr|Martine BILLARD}})と共に[[左翼党 (フランス)|左翼党]]の共同党首を務める。<br />
2012年[[フランス大統領選挙|フランス大統領選]]に11.10%で、第4位になった。<br />
[[エソンヌ県]]を代表するフランス[[元老院]]委員でもあった。メランションは2008年11月にフランス[[衆議院]]議員[[マルク・ドレズ]]({{lang-fr|Marc DOLEZ}})と一緒に[[左翼党 (フランス)|左翼党]]を創設するために、[[社会党 (フランス)|社会党]]({{lang-fr|Parti Socialiste}})を離党した<ref name="離党宣言">{{cite web|url=http://www.jean-luc-melenchon.fr/2008/11/ca-suffit-comme-ca/ |title=ジャン=リュック・メランションが社会党を離党宣言。 |publisher=左翼党 |date=2008年11月07日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}{{fr icon}}</ref><ref name="立党演説">{{cite web|url=http://archive.wikiwix.com/cache/?url=http://www.lepartidegauche.fr/index.php?option=com_eventlist%26view=details%26id=2:congres-fondateur-du-parti-de-gauche&title=%C2%AB%C2%A0Congr%C3%A8s%20fondateur%20du%20Parti%20de%20gauche%C2%A0%C2%BB |title=左翼党立党会議日付 |publisher="左翼党" |date=2008年11月29日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>。


1983年から1995年まで、[[エソンヌ県]]、[[マシー]]市元老院委員・市長。1983年から2001年まで、エソンヌ県、マシー市長会委員。1998年から2001年まで、エソンヌ県大評議会副議長。1985年から1992年まで、1998年から2004年までエソンヌ県大評議会議員。1998年に再任。
左翼党の党首として、2009年欧州議員選前に左翼戦線に加わって、南西仏選挙区の候補者として選ばれた。この選挙で、投票の8.15%で収めて、欧州議会に当選した。メランションは[[マルティヌ・ビヤル]]と一緒に左翼党共同党首に勤めている。


1986年、エソンヌ県選出の[[元老院 (フランス)|元老院]]議員として当選(35歳での当選は当時最年少)。1995年に再任され、2000年まで務めた。
2010年に行われた年金制度改革を抵抗する運動の時、何回か公演やテレビに出たお陰で、公に知られるようになった。


2000年から2002年まで職業教育大臣を務めた<ref name="CV" />。2004年に元老院議員に再任され、2010年まで務めた。
== 個人履歴 ==
[[モロッコ]]の[[タンジェ]]({{lang-fr|Tanger}})<ref name="CV">{{cite web|url=http://www.europe1.fr/Presidentielle-2012/Le-CV-de-Jean-Luc-Melenchon-951161 |title=ジャン=リュック・メランションの履歴書 |publisher=Frédéric Frangeul, Europe 1 |date=2014年02月27日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>、詳しくはタンジェ国際管理地域内に生まれた。父は郵便局員で、スペイン出身の母は学校教師だった。モロッコ北部で育ち、両親の離婚に伴い1962年にフランスへ移住し、[[ジュラ県]][[ロン=ル=ソーニエ]]のRouget de Lisle高等学校で学んだ<ref name="LyCo6">{{Cite web|url=http://lgcorneille-lyc.spip.ac-rouen.fr/spip.php?article4 |title=ルアン市立ピエル・コルネイユ高等学校 – 学歴 |publisher=Frédéric Vivien |date=2014年2月27日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>。フランシュ=コンテ地域圏(Franche-Comté)大学哲学を卒業して、CAPÈS(フランス文部省の専門の指導資格)に合格し、政治活動の前に教師となった<ref name="CV" /><ref name="LyCo6" />。


2008年11月に[[国民議会 (フランス)|国民議会]]議員{{仮リンク|マルク・ドレズ|fr|Marc Dolez}}と共に[[社会党 (フランス)|社会党]]を離党<ref name="離党宣言">{{cite web|url=http://www.jean-luc-melenchon.fr/2008/11/ca-suffit-comme-ca/ |title=ジャン=リュック・メランションが社会党を離党宣言。 |publisher=左翼党 |date=2008年11月07日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}{{fr icon}}</ref><ref name="立党演説">{{cite web|url=http://archive.wikiwix.com/cache/?url=http://www.lepartidegauche.fr/index.php?option=com_eventlist%26view=details%26id=2:congres-fondateur-du-parti-de-gauche&title=%C2%AB%C2%A0Congr%C3%A8s%20fondateur%20du%20Parti%20de%20gauche%C2%A0%C2%BB |title=左翼党立党会議日付 |publisher="左翼党" |date=2008年11月29日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref>して左翼党を創設した。
== 政治理想履歴 ==
ジャン=リュック・メランションは基本的にフランス共和的社会主義創立者である[[ジャン・ジョレス]]に基づく共和的社会主義者と市場資本主義の危機を理解するためにマルクス的な見解を理解する[[唯物史観]]者である。<br />
以前ヨーロッパ連邦化の弁護者だったが、ジャン=リュック・メランションは「ヨーロッパ連合はもう解答でなく、経済自由主義が機構を完全に汚職した事で、欧連が必要とする民主化を成し遂げるのは不可能にした、権力が民衆正当性のない技官達にあるから、問題」だとあきらめた事が知られている。<br />
そのため、彼は協力的、統一的、民衆主義的なヨーロッパの設立を支えながら、[[リスボン条約]]と[[欧州中央銀行]]の独立に反対している。<br />
南アメリカで自分で経験したことに基づいて、ジャン=リュック・メランションは、[[ラファエル・コレア]]、[[ウゴ・チャベス]]、[[エボ・モラレス]]と同様に、[[フランス革命]]と[[パリ・コミューン]]からなる思想を土台に、憲法を再び作文できるよう、選挙の勝ちを狙いながら、民衆主義を守る新たな作戦を追加する、公民に付属している値が達成しうる「[[市民革命]]」(révolution citoyenne)を目指している。<br />
この「[[市民革命]]」は現在、証券持主者達に代表されている資本から生み出されている富と労働階層(直接お金を得るために働く必要のあるの人々をさして広く理解されている意味で)の分け方の逆転に達成すべきものである。<br />
追加目的として、第6フランス共和国を創立する新しい憲法が含まれている。<br />
この第6共和国では、大統領は今と権力より小さくと国会はより大きく、給料が増やされ、私営銀行の国有化によって国営銀行が設立され、共同会社を創立する権利を社員らに与える新しい権利の設立によっての会社内民衆主義化、大手会社の国有化、環境計画導入、[[北大西洋条約機構]]の脱出、パレスチナ国の設立によっての中近東平和ができるようになる。<br />
ジャン=リュック・メランションは重大な問題を解決するために国民が投票する事の重要さを強調している。<br />
彼はフランス社会に於ける[[世俗主義]]強化、[[同性結婚]]と[[安楽死]]が法律で認識されるよう、支得することを表現した。


左翼党の党首として、2009年欧州議員選前に左翼戦線に加わり、南西仏選挙区の候補者として選ばれた。この選挙で8.15%の得票率を収めて欧州議会議員に当選した。
== 2012年フランス大統領選候補 ==
[[2012年フランス大統領選挙]]で、[[フランス共産党]]・[[左翼党]]・[[統一左翼党]]の合同組織
「[[左翼戦線 (フランス)|左翼戦線]]」として立候補<ref name="tribune">{{Cite web|url=http://www.latribune.fr/actualites/economie/france/20120319trib000689126/les-candidats-a-la-presidentielle-jacques-cheminade-a-ses-500-signatures-pas-corinne-lepage.html |title=2012年フランス大統領選挙に憲法委員会が公式に認識した候補者達 |publisher=フランス通信社 |newspaper=La_Tribune|date=2012年3月19日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref><ref name="iht 10 Apr 12">{{Cite web|url=http://www.lefigaro.fr/politique/2011/06/29/01002-20110629ARTFIG00732-2012-melenchon-tient-son-premier-meeting-de-candidat.php |title=候補者としてのメランションの最初の演説会 |accessdate=2014年03月30日|newspaper=[[フィガロ (新聞)|フィガロ]]|date=2011年6月29日|publisher=Sophie de Ravinel}}{{fr icon}}</ref>。憲法を改め「第六共和政」の立ち上げを主張した。


2010年に行われた年金制度改革を抵抗する運動の際、何回か公演やテレビ番組に出た影響で、公に知られるようになった。
事前の世論調査では第1回投票の上位2人が進出する決選投票への進出はないとされたものの、一時は結果として第1回投票で3位となった[[マリーヌ・ル・ペン]]([[国民戦線 (フランス)|国民戦線]])に迫る支持を集めたが、結果としてマリーヌに得票で倍近い差をつけられている(得票率11.10パーセント、第4位)<ref name="大統選結果">{{Cite web |url=http://www.interieur.gouv.fr/Elections/Les-resultats/Presidentielles/elecresult__PR2012/(path)/PR2012/FE.html |title=国民議会選挙 – 結果 |publisher=[[内務省 (フランス)|フランス内務省]] |accessdate=2014年3月30日}}{{fr icon}}</ref>。


== 2012年フランス国民議会議員候補 ==
=== 2012年フランス大統領===
[[2012年フランス大統領選挙]]で、[[フランス共産党]]・[[左翼党]]・{{仮リンク|統一左翼党 (フランス)|label=統一左翼党|en|United Left (France)}}の合同組織「{{仮リンク|左翼戦線 (フランス)|label=左翼戦線|en|Left Front (France)}}」として立候補<ref name="tribune">{{Cite web|url=http://www.latribune.fr/actualites/economie/france/20120319trib000689126/les-candidats-a-la-presidentielle-jacques-cheminade-a-ses-500-signatures-pas-corinne-lepage.html |title=2012年フランス大統領選挙に憲法委員会が公式に認識した候補者達 |publisher=フランス通信社 |newspaper=La_Tribune|date=2012年3月19日 |accessdate=2014年03月30日}}{{fr icon}}</ref><ref name="iht 10 Apr 12">{{Cite web|url=http://www.lefigaro.fr/politique/2011/06/29/01002-20110629ARTFIG00732-2012-melenchon-tient-son-premier-meeting-de-candidat.php |title=候補者としてのメランションの最初の演説会 |accessdate=2014年03月30日|newspaper=[[フィガロ (新聞)|フィガロ]]|date=2011年6月29日|publisher=Sophie de Ravinel}}{{fr icon}}</ref>。憲法を改め「第六共和政」の立ち上げを主張した。
大統領選挙に敗れた後、メランションは[[2012年フランス議会総選挙]]にて[[パ=ド=カレー県]]第11選挙区から立候補、[[マリーヌ・ルペン]]との直接対決に臨んだ。<ref>{{Cite web|url=http://www.politiquemania.com/election-presidentielle-2012-tour1-circonscriptions.html |title=2012年大統領選挙 – 選挙区別第1回結果 |publisher=Politiquemania |date= |accessdate=2014年3月30日}}{{fr icon}}</ref>。<br />
しかし第1回投票で[[社会党 (フランス)|社会党]]のフィリップ・ケメルに僅差で敗れ3位となり、決選投票へ進むことはできなかった。<ref>{{Cite web|url=http://www.dailytelegraph.com.au/news/breaking-news/french-far-left-leader-jean-luc-melenchon-admits-defeat-by-far-rights-le-pen/story-e6freuyi-1226390732088 |title=French far-left leader Jean-Luc Melenchon admits defeat by far-right's Le Pen |accessdate=2012年04月14日}}{{fr icon}}</ref>。なお決選投票ではケメルがマリーヌを破り当選している。


事前の世論調査では第1回投票の上位2人が進出する決選投票への進出はないとされたものの、一時は結果として第1回投票で3位となった[[マリーヌ・ル・ペン]]([[国民戦線 (フランス)|国民戦線]])に迫る支持を集めたが、結果としてマリーヌに得票で倍近い差をつけられた(得票率11.10%、第4位<ref name="大統選結果">{{Cite web |url=http://www.interieur.gouv.fr/Elections/Les-resultats/Presidentielles/elecresult__PR2012/(path)/PR2012/FE.html |title=国民議会選挙 – 結果 |publisher=[[内務省 (フランス)|フランス内務省]] |accessdate=2014年3月30日}}{{fr icon}}</ref>)。
== 政治履歴 ==
[[ファイル:Besancenot, Bové, Mélenchon - gare Saint-Lazare, mai 2005.jpeg|250px|サムネイル|右|[[オリヴィエ・ブザンスノー]]と[[ジョゼ・ボヴェ]]と談笑するメランション(2005年)]]
'''政府役'''<ref name="CV" />


=== 2012年フランス国民議会議員選 ===
2000年から2002年まで、職業教育大臣。
大統領選挙に敗れた後、メランションは[[2012年フランス議会総選挙]]において[[パ=ド=カレー県]]第11選挙区から立候補、ル・ペンとの直接対決に臨んだ<ref>{{Cite web|url=http://www.politiquemania.com/election-presidentielle-2012-tour1-circonscriptions.html |title=2012年大統領選挙 – 選挙区別第1回結果 |publisher=Politiquemania |date= |accessdate=2014年3月30日}}{{fr icon}}</ref>。<br />
しかし第1回投票で社会党の{{仮リンク|フィリップ・ケメル|fr|Philippe Kemel}}に僅差で敗れ3位となり、決選投票へ進むことはできなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.dailytelegraph.com.au/news/breaking-news/french-far-left-leader-jean-luc-melenchon-admits-defeat-by-far-rights-le-pen/story-e6freuyi-1226390732088 |title=French far-left leader Jean-Luc Melenchon admits defeat by far-right's Le Pen |accessdate=2012年04月14日}}{{fr icon}}</ref>。なお決選投票ではケメルがル・ペンを破り当選している。


== 政治思想 ==
'''選挙任意'''
[[ファイル:Besancenot, Bové, Mélenchon - gare Saint-Lazare, mai 2005.jpeg|250px|サムネイル|右|[[オリヴィエ・ブザンスノ]]と[[ジョゼ・ボヴェ]]と談笑するメランション(2005年)]]
メランションは基本的に、[[ジャン・ジョレス]]の思想に基づく共和的社会主義者と市場資本主義の危機を理解するために[[カール・マルクス|マルクス]]的な見解を理解する[[唯物史観]]者である。<br />
以前は[[ヨーロッパ合衆国|ヨーロッパ連邦構想]]の支持者だったが、メランションは「ヨーロッパ連合はもう解答でなく、経済自由主義が機構を完全に汚職した事で、欧連が必要とする民主化を成し遂げるのは不可能にした、権力が民衆正当性のない技官達にあるから、問題」だとあきらめた事が知られている。<br />
そのため、彼は協力的、統一的、民衆主義的なヨーロッパの設立を支えながら、[[リスボン条約]]と[[欧州中央銀行]]の独立に反対している。<br />
南米で自分で経験したことに基づき、[[ラファエル・コレア]]、[[ウゴ・チャベス]]、[[エボ・モラレス]]と同様に、[[フランス革命]]と[[パリ・コミューン]]からなる思想を土台に、憲法を再び起草できるよう、選挙の勝ちを狙いながら、民衆主義を守る新たな作戦を追加する、公民に付属している値が達成しうる「[[市民革命]]」を目指している。<br />
この「市民革命」は現在、証券所有者達に代表されている資本から生み出されている富と労働階層(直接賃金を得るために働く必要のあるの人々をさして広く理解されている意味で)の分け方の逆転に達成すべきものである。<br />
追加目的として、第六共和政を創立する新しい憲法が含まれている。<br />
この第六共和政では、大統領の権力は今より小さく、国会はより大きく、給料が増やされ、私営銀行の国有化によって国営銀行が設立され、共同会社を創立する権利を社員らに与える新しい権利の設立によっての会社内民衆主義化、大手会社の国有化、環境計画導入、[[北大西洋条約機構]]の脱退、[[パレスチナ]]国の設立によって中近東における平和が達成できるようになる。<br />
メランションは重大な問題を解決するために国民が投票する事の重要さを強調している。<br />
彼はフランス社会における[[世俗主義]]の強化、[[同性結婚]]と[[安楽死]]が法律で認識されるよう、支得することを表現した。


==脚注==
'''''欧州議会'''''
{{Reflist}}

2009年から欧州議会議員。

'''''フランス元老院'''''

1986年から2000年(2000年に職業教育大臣となるので)と2004年から2010年まで(2009年に[[欧州議会]]員に当選)までの[[エソンヌ県]][[元老院 (フランス)|元老院]]議員。1986年に当選、1995年と2004年に再任。(1986年に35歳で、当時現在フランス[[元老院 (フランス)|元老院]]一番若い議員だった)。

'''''大評議会'''''

1998年から2001年まで、[[エソンヌ県]][[大評議会]](だいひょうぎかい)副長。1985年から1992年まで、1998年から2004年まで[[エソンヌ県]][[大評議会]]議員。1998年に再任。

'''''市長委員会'''''

1983年から1995年まで、[[エソンヌ県]]、[[マシー]]市[[元老院 (フランス)|元老院]]委員・市長。1983年から2001年まで、エソンヌ県、[[マシー]]市長会委員。

'''政治任意'''

2008年から、[[マルティヌ・ビヤル]]({{lang-fr|Martine BILLARD}})と[[左翼党]]の共同党首。

==参考資料==
{{reflist}}


==外部リンク==
==外部リンク==
{{commons|Jean-Luc Mélenchon}}
{{Commonscat|Jean-Luc Mélenchon}}
{{Portal|フランス|フランス社会党の政治家}}
{{Portal|フランス}}
* [http://www.jean-luc-melenchon.fr ジャン=リュック・メランション公式サイト]{{fr icon}}
* [http://www.senat.fr/senfic/melenchon_jean_luc86039k.html ランス元老院公式サイトページ]{{fr icon}}
* [http://www.senat.fr/senfic/melenchon_jean_luc86039k.html フランス元老院公式サイトページ]{{fr icon}}
* [http://www.europarl.europa.eu/members/expert/politicalBodies/view.do;jsessionid=ED833155531FE7AB5D063DB14E57672C.node1?group=2954&partNumber=1&language=EN&id=96742 欧州議員公式サイトページ]{{fr icon}}
* [http://www.europarl.europa.eu/members/expert/politicalBodies/view.do;jsessionid=ED833155531FE7AB5D063DB14E57672C.node1?group=2954&partNumber=1&language=EN&id=96742 欧州議員公式サイトページー]{{fr icon}}
* [http://www.europarl.europa.eu/members/expert/politicalBodies/view.do;jsessionid=ED833155531FE7AB5D063DB14E57672C.node1?group=2954&partNumber=1&language=FR&id=96742 欧州議員公式サイトページー]{{fr icon}}

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2015年1月18日 (日) 11:43時点における版

ジャン=リュック・メランション
Jean-Luc Mélenchon
ジャン=リュック・メランション(2013年11月)
生年月日 (1951-08-19) 1951年8月19日(72歳)
出生地 モロッコの旗 フランス保護領モロッコタンジェ
出身校 フランシュ=コンテ大学
所属政党 社会党(1977年 – 2008年)
左翼党(2008年 – 現在)
公式サイト Jean-Luc Mélenchon

フランスの旗 職業教育大臣
内閣 リオネル・ジョスパン内閣
在任期間 2000年3月27日 - 2002年5月6日
大統領 ジャック・シラク

選挙区 南フランス
在任期間 2009年7月14日 - 2014年5月25日

選挙区 エソンヌ県
在任期間 1986年10月2日 - 2000年4月27日
在任期間 2004年10月1日 - 2010年1月7日
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ジャン=リュック・メランションフランス語: Jean-Luc Mélenchon(フランス語発音: ​[ʒɑ̃lyk melɑ̃ˈʃɔ̃])、JLM, 1951年8月19日 - )はフランス政治家
2008年から、マルティーヌ・ビヤル英語版と共に左翼党の共同党首を務めている。

経歴

モロッコタンジェ[1](詳しくはタンジェ国際管理地域内)に生まれた。父は郵便局員で、スペイン出身の母は学校教師だった。モロッコ北部で育ち、両親の離婚に伴い1962年にフランスへ移住し、ジュラ県ロン=ル=ソーニエのルージェ・ド・リール高等学校で学んだ[2]フランシュ=コンテ大学英語版では哲学を学び、卒業後はCAPESフランス語版(フランス文部省の専門の指導資格)に合格して教師となった[1][2]

1983年から1995年まで、エソンヌ県マシー市元老院委員・市長。1983年から2001年まで、エソンヌ県、マシー市長会委員。1998年から2001年まで、エソンヌ県大評議会副議長。1985年から1992年まで、1998年から2004年までエソンヌ県大評議会議員。1998年に再任。

1986年、エソンヌ県選出の元老院議員として当選(35歳での当選は当時最年少)。1995年に再任され、2000年まで務めた。

2000年から2002年まで職業教育大臣を務めた[1]。2004年に元老院議員に再任され、2010年まで務めた。

2008年11月に国民議会議員マルク・ドレズフランス語版と共に社会党を離党[3][4]して左翼党を創設した。

左翼党の党首として、2009年欧州議員選前に左翼戦線に加わり、南西仏選挙区の候補者として選ばれた。この選挙で8.15%の得票率を収めて欧州議会議員に当選した。

2010年に行われた年金制度改革を抵抗する運動の際、何回か公演やテレビ番組に出た影響で、公に知られるようになった。

2012年フランス大統領選

2012年フランス大統領選挙で、フランス共産党左翼党統一左翼党英語版の合同組織「左翼戦線英語版」として立候補[5][6]。憲法を改め「第六共和政」の立ち上げを主張した。

事前の世論調査では第1回投票の上位2人が進出する決選投票への進出はないとされたものの、一時は結果として第1回投票で3位となったマリーヌ・ル・ペン国民戦線)に迫る支持を集めたが、結果としてマリーヌに得票で倍近い差をつけられた(得票率11.10%、第4位[7])。

2012年フランス国民議会議員選

大統領選挙に敗れた後、メランションは2012年フランス議会総選挙においてパ=ド=カレー県第11選挙区から立候補、ル・ペンとの直接対決に臨んだ[8]
しかし第1回投票で社会党のフィリップ・ケメルフランス語版に僅差で敗れ3位となり、決選投票へ進むことはできなかった[9]。なお決選投票ではケメルがル・ペンを破り当選している。

政治思想

オリヴィエ・ブザンスノジョゼ・ボヴェと談笑するメランション(2005年)

メランションは基本的に、ジャン・ジョレスの思想に基づく共和的社会主義者と市場資本主義の危機を理解するためにマルクス的な見解を理解する唯物史観者である。
以前はヨーロッパ連邦構想の支持者だったが、メランションは「ヨーロッパ連合はもう解答でなく、経済自由主義が機構を完全に汚職した事で、欧連が必要とする民主化を成し遂げるのは不可能にした、権力が民衆正当性のない技官達にあるから、問題」だとあきらめた事が知られている。
そのため、彼は協力的、統一的、民衆主義的なヨーロッパの設立を支えながら、リスボン条約欧州中央銀行の独立に反対している。
南米で自分で経験したことに基づき、ラファエル・コレアウゴ・チャベスエボ・モラレスと同様に、フランス革命パリ・コミューンからなる思想を土台に、憲法を再び起草できるよう、選挙の勝ちを狙いながら、民衆主義を守る新たな作戦を追加する、公民に付属している値が達成しうる「市民革命」を目指している。
この「市民革命」は現在、証券所有者達に代表されている資本から生み出されている富と労働階層(直接賃金を得るために働く必要のあるの人々をさして広く理解されている意味で)の分け方の逆転に達成すべきものである。
追加目的として、第六共和政を創立する新しい憲法が含まれている。
この第六共和政では、大統領の権力は今より小さく、国会はより大きく、給料が増やされ、私営銀行の国有化によって国営銀行が設立され、共同会社を創立する権利を社員らに与える新しい権利の設立によっての会社内民衆主義化、大手会社の国有化、環境計画導入、北大西洋条約機構の脱退、パレスチナ国の設立によって中近東における平和が達成できるようになる。
メランションは重大な問題を解決するために国民が投票する事の重要さを強調している。
彼はフランス社会における世俗主義の強化、同性結婚安楽死が法律で認識されるよう、支得することを表現した。

脚注

  1. ^ a b c ジャン=リュック・メランションの履歴書”. Frédéric Frangeul, Europe 1 (2014年2月27日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  2. ^ a b ルアン市立ピエル・コルネイユ高等学校 – 学歴”. Frédéric Vivien (2014年2月27日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  3. ^ ジャン=リュック・メランションが社会党を離党宣言。”. 左翼党 (2008年11月7日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)(フランス語)
  4. ^ 左翼党立党会議日付”. "左翼党" (2008年11月29日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  5. ^ 2012年フランス大統領選挙に憲法委員会が公式に認識した候補者達”. フランス通信社 (2012年3月19日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  6. ^ 候補者としてのメランションの最初の演説会”. Sophie de Ravinel (2011年6月29日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  7. ^ 国民議会選挙 – 結果”. フランス内務省. 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  8. ^ 2012年大統領選挙 – 選挙区別第1回結果”. Politiquemania. 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
  9. ^ French far-left leader Jean-Luc Melenchon admits defeat by far-right's Le Pen”. 2012年4月14日閲覧。(フランス語)

外部リンク