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'''建水分神社'''(たけみくまりじんじゃ)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[千早赤阪村]][[大字]]水分にある[[神社]]である。通称'''水分神社'''(すいぶんじんじゃ)。'''水分大明神'''、'''上水分社'''(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。[[式内社]]で、旧[[社格]]は[[府社]]。 |
'''建水分神社'''(たけみくまりじんじゃ)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[千早赤阪村]][[大字]]水分(すいぶん)にある[[神社]]である。通称'''水分神社'''(すいぶんじんじゃ)。'''水分大明神'''、'''上水分社'''(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。[[式内社]]で、旧[[社格]]は[[府社]]。 |
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古来より[[金剛山 (金剛山地)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。 |
古来より[[金剛山 (金剛山地)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。 |
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==祭神== |
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中殿に[[天御中主神]]、左殿に[[水分神|天水分神]]・[[ミヅハノメ|罔象女神]]、右殿に[[水分神|国水分神]]・[[瀬織津姫|瀬織津姫神]]を祀る。このうち天御中主神以外は[[水神]]である。 |
中殿に[[天之御中主神|天御中主神]]、左殿に[[水分神|天水分神]]・[[ミヅハノメ|罔象女神]]、右殿に[[水分神|国水分神]]・[[瀬織津姫|瀬織津姫神]]を祀る。このうち天御中主神以外は[[水神]]である。 |
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<!-- 天水分神・国水分神と罔象女神は[[水神]]であり、瀬織津姫神も[[大祓詞]]で「速川の瀬に坐す」とある罪穢を祓い清める神である。--> |
<!-- 天水分神・国水分神と罔象女神は[[水神]]であり、瀬織津姫神も[[大祓詞]]で「速川の瀬に坐す」とある罪穢を祓い清める神である。--> |
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*摂社:南木神社(なぎじんじゃ) |
*摂社:南木神社(なぎじんじゃ) |
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**祭神:楠木正成公(大楠公) |
**祭神:楠木正成公(大楠公) |
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**延元2年 |
**延元2年(1337年)4月創建。 |
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*末社:金峯神社(きんぶじんじゃ) |
*末社:金峯神社(きんぶじんじゃ) |
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**祭神:[[天照大御神]] |
**祭神:[[天照大御神]] |
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==文化財== |
==文化財== |
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*本殿 |
*本殿([[重要文化財]]) |
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**本殿は三殿で構成されている。中殿 |
**本殿は三殿で構成されている。中殿は一間社[[春日造]]、左右両殿は二間社[[流造]]、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。[[1900年]](明治33年)に大阪府の[[神社建築]]として初めて[[古社寺保存法]]に基づく特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、[[1950年]]([[昭和]]25年)、[[文化財保護法]]施行に伴い重要文化財となった。通常は非公開である。 |
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==その他== |
==その他== |
2011年4月17日 (日) 06:22時点における版
建水分神社 | |
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所在地 | 大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357番地 |
主祭神 |
天御中主神 天水分神 国水分神 罔象女神 瀬織津媛神 |
社格等 | 式内社(小)・府社 |
創建 | 崇神天皇5年 |
本殿の様式 | 水分造 |
例祭 |
4月25日 10月第三土曜日 |
建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分(すいぶん)にある神社である。通称水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神、上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。式内社で、旧社格は府社。
古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。
祭神
中殿に天御中主神、左殿に天水分神・罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀る。このうち天御中主神以外は水神である。
由緒
社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。延喜式神名帳に「河内国石川郡 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、美具久留御魂神社(富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。
元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにあったが、南北朝時代に兵火にかかり、荒廃した。このため建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年)4月27日、最高位である正一位の神階を授けられた。
中世、織田信長軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し、復旧された。
1873年(明治6年)の社格制定の際に付近18ヵ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列格した。1907年(明治40年)に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀し、1913年(大正2年)に府社に昇格した。
例祭
- 4月25日:春祭
- 10月第三土曜日:秋祭
摂末社
- 摂社:南木神社(なぎじんじゃ)
- 祭神:楠木正成公(大楠公)
- 延元2年(1337年)4月創建。
- 末社:金峯神社(きんぶじんじゃ)
- 祭神:天照大御神
文化財
- 本殿(重要文化財)
その他
外部リンク
- 建水分神社オフィシャルホームページ
- ななかまど-神社ふり~く(合祀された神社に詳しい)