「ユニオン駅 (エリー)」の版間の差分

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|備考 = <ref name="翻訳">英語版を参照</ref><ref name="Amtrak">{{cite web |title= Erie, PA|publisher= [http://www.amtrak.com Amtrak] |date= July 2016 |url= https://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI |accessdate= 2016-07-17}}</ref><ref>{{cite web |title= Amtrak Fact Sheet, FY2015, Commonwealth of Pennsylvania|publisher= [http://www.amtrak.com Amtrak] |date= November 2015 |url= https://www.amtrak.com/ccurl/146/740/PENNSYLVANIA15.pdf |format= PDF |accessdate= 2016-07-17}}</ref>>
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'''ユニオン駅'''([[英語]]:Union Station)は、[[ペンシルベニア州]][[エリー (ペンシルベニア州)|エリー]]西14番街125にある[[鉄道駅|駅]]<ref name="翻訳">英語版を参照</ref><ref name="Amtrak">{{cite web |title= Erie, PA|publisher= [http://www.amtrak.com Amtrak] |date= July 2016 |url= https://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI |accessdate= 2016-07-17}}</ref>。
'''ユニオン駅'''({{Lang-en|Union Station}})は、[[ペンシルベニア州]][[エリー (ペンシルベニア州)|エリー]]西14番街125にある[[アムトラック]]の[[鉄道駅]]<ref name="Amtrak">{{cite web|title=Erie,PA|publisher=[http://www.amtrak.com Amtrak]|date=July 2016|url=https://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI|accessdate= 2016-07-17}}</ref>、および商業ビルである。[[シカゴ]]、[[ニューヨーク]]、[[ボストン]]などを通過する旅客列車[[レイクショア・リミテッド]]の、ペンシルベニア州内唯一の停車駅でもある。駅の地上階は[[ブルーパブ]]のユニオン駅醸造所などを含め、商業施設として再開発されている。建物は物流会社および貨物管理会社のロジスティックス・プラスによって所有されており、同社の本社としても機能している


エリー市で最初の鉄道駅は1851年に開業したが、1866年には[[ロマネスク・リヴァイヴァル建築]]のユニオンデポ駅(本記事で詳述する'''ユニオン駅'''の先代となる)が完成した。エリー市に鉄道が開通して以来の、競合する鉄道会社による一連の合併・買収を経て、ユニオンデポ駅は[[ニューヨーク・セントラル鉄道]]と[[ペンシルバニア鉄道]]の共同所有及び共同運営となった。急速に成長するエリー市の変化する需要に対応するため、都市計画の計画者はユニオンデポ駅に代わるより現代的な構造の駅を設計した。そして[[1927年]][[12月3日]]に完成した'''ユニオン駅'''は、アメリカでは初めての[[アール・デコ]]調の鉄道駅となった。
== 利用可能な鉄道路線/列車 ==

[[アムトラック]]の停車する列車は下記の通り。
繁栄していたユニオン駅だが、[[第二次世界大戦]]後は[[航空機]]や[[高速道路]]の発達で次第に衰退した。1960年代までに、ニューヨーク・セントラル鉄道はユニオン駅への運行本数を大幅に減少させ、ペンシルベニア鉄道はエリー市に通じる路線を廃止した。1971年に両社は合併して[[ペン・セントラル鉄道]]となった。その後の1972年から1975年の間に、エリー市ではアムトラックの運行も廃止された。そのためユニオン駅の利用者は減少し、一時期は人通りがほとんど無い状態で放置されていた。しかし、2003年の運送会社ロジスティックス・プラスによる買収後は、ユニオン駅は運送施設および商用施設として再利用されている。
:[[シカゴ]]と[[ニューヨーク]]・[[ボストン]]間の夜行長距離列車[[レイクショア・リミテッド|レイクショア・リミテッド号]]…1日1往復停車<ref>[https://www.amtrak.com/ccurl/596/930/Lake-Shore-Limited-Schedule-042416,0.pdf Lake Shore Limited]. P2. Amtrak. 2016年1月11日. 2016年6月27日閲覧 (PDFファイル)</ref>(当駅にはシカゴ-ニューヨーク間・シカゴ-ボストン間の編成とも停車 [[オールバニ・レンセラー駅]]にてニューヨーク編成&ボストン編成と 連結/切り離し)

当駅は[[レイクショア・リミテッド|レイクショア・リミテッド号]]のペンシルベニア州内、唯一の停車駅である。
== 外観 ==
ユニオン駅はエリーのピーチ・ストリートとササフラス・ストリートの間の、14番ストリートの西にあるダウンタウンに位置している。設計者は建築家の{{仮リンク|アルフレッド・T・フェルハイマー|en|Alfred T. Fellheimer}}と{{仮リンク|スチュワード・ワグナー|en|Steward Wagner}}であり、この駅は米国では初の[[アール・デコ]]調の鉄道駅だった<ref name="leonardi">{{Cite news|last=Leonardi|first=Ron|title=Union Station, Erie Landmark, Turns 85 Today|date=Dec 2, 2012|url=http://www.goerie.com/union-station-erie-landmark-turns-85-on-monday|newspaper=[[Erie Times-News]]|accessdate=Apr 26, 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20160304111336/http://www.goerie.com/union-station-erie-landmark-turns-85-on-monday|archive-date=Mar 4, 2016}}</ref>{{Sfn|DeMarco|2013|p=11}}。フェルハイマーは以前、[[ニューヨーク]]の[[グランド・セントラル駅]]の設計に携わっており、またこの二人は以前にも、1929年には{{仮リンク|バッファロー・セントラル・ターミナル駅|en|Buffalo Central Terminal}}、1933年には[[シンシナティ駅]]など、いくつかの鉄道駅を共同で設計していた{{Sfn|Stanford|1985|pp=5, 12}}。

ユニオン駅の本館である三階建ての部分は、鉄骨フレームと[[組積造]]で建築されている。全体の外観は茶色の粗い[[煉瓦]]と[[フランドル積み]]の[[砂岩]]を素焼きにして装飾され、また地盤面は[[花崗岩]]で裏打ちされている<ref name="lauds">{{Cite news|title=Lauds Erie's Co-operation in Union Station Design|date=Dec 3, 1927|newspaper=Erie Daily Times|page=10}}</ref>{{sfn|Federal Writers' Project|1938|p=82}}。駅の本館の軒先の長さは、ピーチ・ストリートに沿って35メートル、14番ストリートに沿って63メートルである。狭い二階建ての増築部分は、ササフラス・ストリートに沿って、ササフラス・ストリートの端にある付属の小さなオフィスビルの前まで123メートル続いている{{Sfn|Fellheimer|Wagner|1927|p=11}}。この増築によって、本館と駅の付属のオフィスビル内の事務所の間での、郵便物、手荷物、貨物などの移動が容易になった{{Sfn|Fellheimer|Wagner|1927|p=11}}。

{{Wide image|Erie Union Station rotunda panorama.jpg|600px|ユニオン駅の八角形の[[ロタンダ]]。|25%|left|dir=rtl|alt=Large, octagonal room with several, square tables surrounded with chairs}}
ユニオン駅が最初に開業した際、14番ストリート側の出入口は広く開いており、チケット売り場だった八角形の[[ロタンダ]]には預け荷物置き場とニューススタンドが置かれていた。周辺の線路はユニオン駅の後側で[[立体交差]]しており、[[プラットホーム]]は線路の下にある[[地下横断歩道|地下トンネル]]からアクセスすることができる。地下トンネルからの入り口は、真っ直ぐロタンダを横切って14番通り側の出入口に繋がっており、その一部は現在駅内の醸造所の台所として使用されている。ロタンダから離れたコンコースは、ピーチ・ストリート側の出入口と繋がっており、また、[[ソーダ・ファウンテン]]や理髪店、電報局、343平方メートルの待合室などが内包されている。ピーチ・ストリートに面しているダイニングルームと{{仮リンク|軽食堂|en|lunch counter}}は、[[グランド・セントラル駅]]の多くの食事サービスを統括しているユニオン・ニュース・カンパニーによって管轄されている<ref>{{Cite news|title=Dining Room Feature Stressed at Terminal|date=Dec 3, 1927|newspaper=Erie Daily Times|page=17}}</ref>{{Sfn|Fellheimer|Wagner|1927|p=14}}。1階の大部分は、特徴的な模様の[[モザイク]]が入った[[人造大理石]]と、石膏の壁に沿った[[ボッティチーノ]]産の大理石の羽目板で敷き詰められている{{Sfn|Fellheimer|Wagner|1927|p=14}}。壁はもともとは、緑と黄色の配色が建物全体で使用されていた<ref name="lauds"/>。ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の監督者、および他の鉄道機関の関係者の多くは、ユニオン駅の2階に事務所を構えていた{{Sfn|Fellheimer|Wagner|1927|p=14}}。

ユニオン駅のコンクリート製のプラットホームは、[[島式ホーム]]の形態であり高さは低く、表面は鋼鉄で覆われた「バタフライ・スタイル」の屋根と木製のデッキが約137メートルの範囲に付いている<ref name="leonardi"/>。プラットホームは全部で3つ設置されており、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の共同運営だった時代は、ニューヨーク・セントラル鉄道は2つのホームと隣接する4つの線路を、ペンシルバニア鉄道は1つのホームと隣接する2つの線路をそれぞれ利用していた。

== 運行状況と設備 ==
ユニオン駅は[[レイクショア・リミテッド|レイクショア・リミテッド号]]のペンシルベニア州内唯一の停車駅であり、[[アムトラック]]の[[レイクショア・リミテッド]]は、西行きの列車は[[ニューヨーク|ニューヨーク市]]の[[ペンシルベニア駅 (ニューヨーク)|ペンシルベニア駅]]と[[ボストン|ボストン市]]の[[サウス駅 (ボストン)|サウス駅]]から、東行きの列車は[[シカゴ|シカゴ市]]の[[ユニオン駅 (シカゴ)|ユニオン駅]]から、1日1往復ユニオン駅に到着する<ref name="lsl">{{Cite web|title=Lake Shore Limited:New York/Boston and Chicago|date=Apr 24, 2016|publisher=Amtrak |url=https://www.amtrak.com/ccurl/596/930/Lake-Shore-Limited-Schedule-042416.pdf|accessdate=Nov 13, 2016}}</ref>。
ユニオン駅はエリー市の{{仮リンク|レイクショア区|en|Lake Shore Subdivision}}に位置しており、エリー市から[[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー市]]、[[ニューヨーク|ニューヨーク市]]へと続く86.9マイルの[[CSXトランスポーテーション]]の本線上の駅である<ref>{{Cite book|last=Decker|first=J.C.|title=Albany Division, Timetable No. 4|publisher=CSX Transportation|date=Nov 1, 2004|url=http://www.multimodalways.org/docs/railroads/companies/CSX/CSX%20ETTs/CSX%20Albany%20Div%20ETT%20%234%2011-1-2004.pdf|page=53|accessdate=Nov 15, 2015}}</ref>。に位置しているシカゴ市の702キロメートル東、ニューヨーク市の842キロメートル西、ボストン市の1164キロメートル西である<ref name="lsl"/>。隣接する駅は西側が[[クリーブランド駅]]、東側が[[バッファロー・ドピュー駅]]である<ref name="lsl"/>。ユニオン駅は2016年の[[会計年度]]では、利用者数は16273人と前年と比べて2.2%の減少となったが、それでもペンシルバニア州で15番目に利用者数の多い駅だった<ref>{{Cite web |title=Amtrak Fact Sheet, Fiscal Year 2015, Commonwealth of Pennsylvania|publisher=Amtrak|date=Nov 2015|url=http://www.amtrak.com/pdf/factsheets/PENNSYLVANIA15.pdf|accessdate=Dec 23, 2015}}</ref><ref>{{Cite web|title=Amtrak Fact Sheet,Fiscal Year 2016, Commonwealth of Pennsylvania|publisher=Amtrak|date=Nov 2016|url=https://www.amtrak.com/ccurl/19/618/PENNSYLVANIA16,0.pdf|accessdate=Dec 2, 2016}}</ref>。

ユニオン駅は乗車券発売所やQuik-Trak(アムトラック専用の[[自動券売機]])が設置されていないため、駅からのすべての乗車券は事前に運賃を支払う必要がある<ref name="amtrak">{{Cite web|title=Erie, PA (ERI)|work=Stations|url=http://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI|publisher=Amtrak|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。とはいえ、待合室や公共トイレなどは装備されている<ref name="amtrak"/>。また、ユニオン駅を通るレイクショア・リミテッドの[[ビューライナー]]には、[[寝台車]]や[[食堂車]]などが連結されている<ref name="lsl"/>。{{仮リンク|エリー・メトロポリタン・トランジット・オーソリティ|en|Erie Metropolitan Transit Authority}}の{{仮リンク|国道20A号 (ニューヨーク州)|label=国道20A号|en|U.S. Route 20A (New York)}}である{{仮リンク|ダウンタウン・サーキュレーター|en|downtown circulator}}では、東行きのレイクショア・リミテッドの到着予定時刻に、駅と繁華街の間でのバスによる送迎サービスが提供されている<ref name="lsl"/><ref name="trolley">{{Cite web|title=20A Dowtown Loop/20B Lincoln Park-and-Ride/20C Courthouse Loop|publisher=Erie Metropolitan Transit Authority|date=Aug 29, 2016|url=http://www.ride-the-e.com/wp-content/uploads/2016/10/Route-20-Downtown-Trolley-Service-2016.pdf|accessdate=Nov 13, 2016}}</ref>。

== 歴史 ==
=== 前史 ===
1840年代から1850年代にかけて、エリーでは鉄道建設の動きが活発になり、その中でエリーでは4つの鉄道会社が統合されることとなった。エリー・アンド・ノース・イースト鉄道とフランクリン・カナル・カンパニー間の路線は、エリー市の市民が両鉄道の間で貨物をより速く輸送するために大きく貢献していた{{Sfn|Reed|1923|pp=351–352}}。1853年にこの路線間の[[軌間]]の統一が提案された際には、「{{仮リンク|エリーゲージ戦争|en|Erie Gauge War}}」とも呼ばれる激しい論争が起こった<ref group="注">このような軌間をどちらに統一すべきかといった類の論争は、しばしば「ゲージ戦争 (Battle of the gauges)」などとも形容される。[[軌間#標準軌の起源とゲージ戦争]]も参照。</ref>。しかし、この軌間の統一によりエリー市が[[地方港湾]]になってしまうことを危惧したエリーの住民は、直前に迫った軌間の統一を阻止するため、この路線間の鉄橋を解体して線路を撤去した{{Sfn|Reed|1923|pp=352, 354}}。この紛争の和解の一環として、双方の鉄道会社はエリー市が新たに{{仮リンク|エリー・アンド・ピッツバーグ鉄道|en|Erie and Pittsburgh Railroad}}とサンベリー・アンド・エリー鉄道の2つの鉄道会社を設立するための資金を提供した{{Sfn|Reed|1923|p=355}}。1854年には、後の{{仮リンク|レイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道|en|Lake Shore and Michigan Southern Railway}}の前身であるクリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道がフランクリン・カナル・カンパニーを買収し、その数年後にエリー・アンド・ノース・イースト鉄道はバッファロー・アンド・ステートライン鉄道と併合してバッファロー・アンド・エリー鉄道を創設した{{sfn|Bates|Brown|Russell|Weakley|1884|p=435}}。1861年にはサンベリー・アンド・エリー鉄道は{{仮リンク|フィラデルフィア・アンド・エリー鉄道|en|Philadelphia and Erie Railroad}}と名称を変えた{{Sfn|Miller|1909|pp=296–297}}。そして1864年までにペンシルベニア鉄道はサンベリー&エリー鉄道を買収し、路線の開通のための資金提供を行った{{Sfn|Miller|1909|p=297}}。

エリーで最初の鉄道駅は1851年に建設され、その駅は扱いにくい未加工の煉瓦で構成されていた{{Sfn|Bates|Brown|Russell|Weakley|1884|p=435}}{{Sfn|Federal Writers' Project|1938|p=46}}。1861年2月16日には、当時次期大統領だった[[エイブラハム・リンカーン]]がこの駅の外で演説を行い、そのまま就任式に向かうために[[ワシントンD.C.]]に赴いたというエピソードが残っている<ref>{{Cite news|title=Incidents of the Trip from Cleveland to Buffalo|date=Feb 17, 1861|newspaper=[[New York Herald]]|page=5}}</ref>。1865年初頭にはクリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道とバッファロー・アンド・エリー鉄道の[[合弁事業]]として新しい駅の建設が始まり、新駅は1866年2月に完成した{{sfn|Erieite Offers Description|p=11}}。その後、エリー・アンド・ピッツバーグ鉄道とフィラデルフィア・アンド・エリー鉄道の二社も、この新駅の一部の区画で運行を開始した{{Sfn|Bates|Brown|Russell|Weakley|1884|p=435}}。また、フィラデルフィア・アンド・エリー鉄道はこの区画に加えて、ステート・ストリート沿いにある[[貨物駅]]の運営もその後数年間継続していた{{Sfn|Reed|1923|p=355}}。

ユニオンデポ駅として知られているこの駅は、[[ロマネスク・リヴァイヴァル建築]]の煉瓦で構成されており、二つの線路の間にあるピーチ・ストリートに面した構造となっていた。10メートルの高さと独特の小丸屋根を持っており、プラットホームは駅の両側に沿ってササフラス・ストリートに向かって150メートル程度延びていた{{Sfn|Erieite Offers Description|p=11}}。ユニオンデポ駅には屋外には[[ガス灯]]、内部には理髪店、パーラー、ダイニングルームなど、当時最新の設備が備え付けられていた。2階には鉄道関係者用のオフィスと寝室も設置されていた{{Sfn|Erieite Offers Description|pp=11, 16}}。

1869年、クリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道は{{仮リンク|レイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道|en|Lake Shore and Michigan Southern Railway}}と名称を変更し、翌年にはバッファロー・アンド・エリー鉄道に吸収される運びとなった{{Sfn|Bates|Brown|Russell|Weakley|1884|p=435}}。1870年にペンシルバニア鉄道はエリー・アンド・ピッツバーグ鉄道を賃借した{{Sfn|Miller|1909|p=300}}。1902年3月5日には約10000人近い人々が、アメリカでの旅行中だった[[ハインリヒ・フォン・プロイセン (1862-1929)|ヘンリー王子]]を迎えるためにユニオンデポ駅に集結した。ヘンリー王子は彼の列車が[[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]と[[ナイアガラフォールズ (ニューヨーク州)|ナイアガラフォールズ]]に進むまで、約10分間エリーに滞在した<ref>{{Cite news|title=He Has Come And Gone|date=Mar 5, 1902|newspaper=Erie Daily Times |p=1}}</ref>{{Sfn|Pennsylvania Railroad|1902|p=5}}。1914年12月22日に、レイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道は名称を[[ニューヨーク・セントラル鉄道]]へと変更した<ref>{{Cite news|title=Lake Shore Votes to Join Central|date=December 23, 1914|newspaper=[[The New York Times]]|page=17|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9503E7D81438E633A25750C2A9649D946596D6CF|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。

{{Wide image|Erie PA Panorama c1912 LOC 6a14402u.jpg|1650px|1912年の[[パノラマ写真]]、線路に沿って奥に見えるのがエリー市のダウンタウン。写真左の二つの線路の間にあるのがユニオンデポ駅。|alt=Elevated view of a cityscape with a set of railroad tracks crossed by several roads}}

=== 建設 ===
1913年、エリー市は都市の継続的な成長を支援するための最善の行動を決定するため、[[ジョン・ノーレン]]が委員長を務める[[都市計画家]]・[[土木施工管理技士]]委員会を設立した{{Sfn|Nolen|Goodrich|Long|Lane|1913|p=15}}。委員会は都市計画の最終報告にて、都市改良の一環としてエリー市内の鉄道施設の改善のために、新たなユニオン駅を建設すること、全ての鉄道交差点を廃止することを提案した{{Sfn|Nolen|Goodrich|Long|Lane|1913|p=38}}。当時エリーでは、ステート・ストリート、フレンチ・ストリート、アシュ・ストリート、バッファロー・ロードなどの道路は鉄道線路とは立体的に交差していたが、それ以外のストリートはいずれも鉄道線路と平面上で交差していた{{Sfn|Nolen|Goodrich|Long|Lane|1913|p=39}}。委員会は、エリーの地形と既存の鉄道の高さ、新しい道路の地下通路などに対応するために、線路の位置を上昇させる事が望ましいと判断した{{Sfn|Nolen|Goodrich|Long|Lane|1913|p=39}}。エリー市は1915年9月30日、ニューヨーク・セントラル鉄道およびペンシルバニア鉄道との契約を締結し、鉄道橋の建設や道路の閉鎖を通してアシュ・ストリートとカスケード・ストリート上の全ての踏切を排除した<ref name="pact">{{Cite news|title=1915 Pact Forbids New {{sic|Grade|crossings}}|date=Dec 6, 1966|newspaper=Erie Daily Times |page=13}}</ref>。その補償として、両鉄道はユニオンデポ駅に代わる新たな駅を建設する事を約束した<ref name="pact"/>

1925年から1927年にかけて、ユニオン駅の建設と同時にピーチ・ストリートとササフラス・ストリートの排水路を改修して再設置する作業が行われ、この作業には約11万ドルを要した<ref>{{Cite news|title=Station Works Plan Costs City $110,000|date=Dec 3, 1927|newspaper=Erie Daily Times|page=19}}</ref>。この期間は14番ストリートとフレンチ・ストリートに臨時駅が建設され、臨時駅は1925年に古い駅が解体されて新しい駅が完成するまで使用された{{Sfn|Erieite Offers Description|p=11}}<ref name="howell">{{Cite news|last=Howell|first=Bill|title=Union Station a Bustling Place|date=Jun 1, 1987|newspaper=ErieMorning News|page=4B}}</ref>。そして1927年12月3日、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の両社の社長が主宰した記念式典にて、ユニオン駅はプロジェクトの始動を援助した市長のジョセフ・ウィリアムズと前市長のウィリアム・スターンに寄贈された<ref name="howell"/>。14番ストリートの北にあるグリスウォルド・プラザ郵便局は、1932年にユニオン駅に繋がるトンネルが設置されるのと同時期に開業した{{Sfn|Federal Writers' Project|1938|p=82}}。

=== 当時の運営状況 ===
1928年の開業当初、ユニオン駅からは東行きと西行きの列車がそれぞれ約1時間ごとに駅を出発していた{{Sfn|Felong|1988|p=6K}}。利用客は駅の広々とした待合室で、ニュース・スタンド、電信局、理髪店、[[靴磨き]]、ランチ・カウンター、[[ソーダ・ファウンテン]]などのサービスを利用する事ができた<ref name="howell"/>。列車の発着の合図は駅員が[[メガホン]]でアナウンスしており、時刻表は大きな[[黒板]]に手書きされていた{{Sfn|Felong|1988|p=6K}}。

1930年代には、ニューヨーク・セントラル鉄道はレイクショア・リミテッドを含め、エリーに発着する1日に20本以上の列車の大多数を提供していた{{sfn|New York Central|1933|pp=23&ndash;26}}。しかし[[20世紀特急]]については、当時はユニオン駅には停車しなかった。ユニオン駅はニューヨーク・セントラル鉄道の[[本線]]、通称「ウォーター・レベル・ルート」上の駅であり、西に向かうとクリーブランド、トレド、シカゴ、東に向かうとバッファロー、ニューヨーク、ボストンがある場所に位置していた{{sfn|New York Central|1933|pp=23&ndash;26}}。ニューヨーク・セントラル鉄道はまた、ピッツバーグ・アンド・レイク・エリー鉄道と連携して、エリーから支線を経由して[[ヤングスタウン (オハイオ州)|ヤングスタウン]]へと続く列車も運行していた{{sfn|New York Central|1933|pp=27&ndash;28}}。一方のペンシルバニア鉄道は、主にペンシルベニア、フィラデルフィア、ワシントンD.C.へと続くノーザン・エクスプレスとサザン・エクスプレスや、ピッツバーグ行きの日替わり列車など、エリー発着の少数の列車のみを運行していた{{Sfn|Springirth|2010|pp=51&ndash;52}}。

無線装置の送信機と受信機などに使用されている{{仮リンク|水晶発振器|en|Crystal oscillator}}のメーカーであるブライリー・エレクトリック・カンパニーは、クリスタル部門1933年に8番ストリートとピーチ・ストリートからユニオン駅の2階のスペースに移動した{{Sfn|Bliley|2001|p=6}}。機関車が通過する際の[[すす]]と振動が水晶の測定の際に問題を引き起こす可能性もあったが、列車を利用して多くのクリスタルを効率的に運送できることが出来る点を重視した{{Sfn|Bliley|2001|p=12}}。ブライリー・エレクトリック・カンパニーは移転してすぐに、ユニオン駅の2階と3階の全体を占領するまでに成長した<ref name="bliley">{{Cite web|last=Bliley|first=Charles A.|title=Union (Railway) Station Building, 1935&ndash;1966|work=Facilities|date=Aug 2001|publisher=Charles A. Bliley|url=http://www.bliley.net/XTAL/facilities/1935_Tour/index.html|accessdate=Nov 9, 2015}}</ref>。[[第二次世界大戦]]中、ブライリー・エレクトリック・カンパニーは24時間営業を行い、クリスタルを形成するために地元の女性住民を起用した<ref name="women">{{Cite news|last=Thompson|first=Lisa|series=Women of the Greatest Generation|title=Day Three: On the Factory Floor, Leona Justka Helped Win the War|newspaper=Erie Times-News|date=Mar 18, 2008|pages=1A, 4A|url=http://www.goerie.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080318/NEWS02/803180337|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。しかしブライリー・エレクトリック・カンパニーは結局、1966年に大規模な専用施設に事業全体を移転した<ref name="bliley"/>。

=== 衰退期 ===
{{歴史的人口
|title=2003年以降の利用者数の推移
|pop_name={{abbr|利用者数}}
|source=アムトラック
|width=17em
|2003|7957
|2004|8254
|2005|8690
|2006|8371
|2007|10182
|2008|11855
|2009|12668
|2010|14833
|2011|15859
|2012|17794
|2013|18108
|2014|18312
|2015|16633
|2016|16273
}}

第二次世界大戦後、自動車旅行の流行と[[州間高速道路]]の建造により、旅客鉄道は衰退の一途を辿った<ref name="beyer">{{Cite news|last=Beyer|first=Vicki|title=Familiar 'All Aboard' Now a Whisper|newspaper=Erie Times-News|date=Jan 14, 1968|page=3}}</ref>。ペンシルバニア鉄道もその例外では無く、1948年4月にはエリーとピッツバーグ間での運行を停止した<ref>{{Cite web|last=Baer|first=Christopher T.|date=Apr 2015|work=A General Chronology of the Pennsylvania Railroad, its Predecessors and Successors and its Historical Context|title=1948|publisher=[[Pennsylvania Railroad Technical and Historical Society]]|url=http://www.prrths.com/newprr_files/Hagley/PRR1948.pdf|accessdate=Aug 1, 2015}}</ref>。そして最終的に1965年3月27日には、エリーからの運行を全面的に中止するに至った{{sfn|Springirth|2010|p=57}}。一歩のニューヨーク・セントラル鉄道も、1968年までに1日辺りの運行本数が5台にまで減少した<ref name="beyer"/>。1968年2月1日には、2つの鉄道会社は合併して[[ペン・セントラル鉄道]]を結成した。以降ペン・セントラル鉄道は1971年4月30日まで、旧ニューヨーク・セントラル鉄道の旅客列車の運行を続けていた<ref>{{Cite news|last=Gallagher|first=Marty|title=Passenger Service Dies: Last Westbound Train Clears Erie's Depot|date=May 1, 1971|newspaper=Erie Morning News|page=13}}</ref>。その翌日には新たに結成された[[アムトラック]]が、ユニオン駅を始めとする全国の旅客鉄道事業を引き継ぐこととなった<ref>{{Cite book|title=Nationwide Schedule of Intercity Passenger Service|date=May 1, 1975|publisher=Amtrak|page=15}}</ref>。アムトラックは1971年11月から営業を開始し、ニューヨーク~シカゴ間で運行されユニオン駅にも停車していた{{仮リンク|レイクショア|en|Lake Shore}}という列車を、1972年1月まで運行し続けた。しかし、バッファロー~シカゴ間の線路の貧弱な状況と、サービスの普遍的な収益性の低さは、レイクショアの運行の終了に繋がった<ref>{{Cite news|last=Grazier|first=Jack|date=Mar 26, 1971|title=Why Erie Was Left Out of Railpax|newspaper=Erie Daily Times|page=15}}</ref><ref>{{Cite book|title=Nationwide Schedules of Intercity Passenger Service|date=Nov 14, 1971|publisher=Amtrak|page=60}}</ref>。それ以来、1975年11月30日にアムトラックが旧ニューヨーク・セントラル鉄道の列車である[[レイクショア・リミテッド]]を再導入するまで、エリーには旅客列車が存在しなかった<ref>{{Cite book|title=All-America Schedules|date=Nov 30, 1975|publisher=Amtrak|page=36}}</ref>。
[[File:Erie Union Station, October 1991.jpg|thumb|left|1991年以降、ユニオン駅は手付かずのまま放置された状態となっていた。|alt=Large, rectangular building with several broken windows]]
またこの間、ユニオン駅のメンテナンスはされておらず、廃棄物も放置され続けるなど、駅の保存状態は徐々に低下した{{Sfn|Felong|1988|p=6K}}<ref name="beyer"/><ref name="booth">{{Cite news|last=Booth|first=Jim|title=Once-Grand Union Station Now a Shelter for Derelicts|date=Feb 15, 1982|newspaper=Erie Daily Times|page=1B}}</ref>。当時ユニオン駅を使用していたのは、貨物列車の乗務員のみであった。しかし1973年になると、[[アメリカ合衆国労働省]]は衛生上の問題を理由に、ペン・セントラル鉄道にユニオン駅の閉鎖を要求した<ref>{{Cite news|title=Union Depot In Use Despite Fines|newspaper=Erie Morning News|date=Sep 28, 1973|page=8B}}</ref>。以降ユニオン駅は冬の間、ホームレスのための「シェルター」としてもしばしば利用されるようになった<ref name="booth"/><ref name="panepento"/>。しかし一部の乗客の間では、駅からの眺望が失われる恐れがあったため、アムトラックの一時的な待合室として駅のロタンダが用いられることには消極的であった<ref name="booth"/>{{Sfn|Felong|1988|p=7K}}。ペン・セントラル鉄道は倒産を宣言し、[[一級鉄道]]の[[コンレール]]に吸収合併される1976年4月1日まで、貨物運送業を行っていた{{Sfn|Springirth|2010|p=11}}。そのコンレールも1998年6月6日に解体され、ニューヨーク・セントラル鉄道の運営していた区間は[[CSXトランスポーテーション]]が、ペンシルバニア鉄道が運営していた区間は[[ノーフォーク・サザン鉄道]]が、それぞれ運営権を獲得した{{Sfn|Springirth|2010|p=11}}。

=== 改修と復元 ===
ユニオン駅は2003年10月30日、1996年に創設されたエリー市最大の雇用先でもある[[物流]]及び[[運輸]]会社ロジスティックス・プラスによって、$15000000ドルで買収された<ref name="panepento">{{Cite news|last=Panepento|first=Peter|title=Local Firm Buys Union Station|date=Oct 31, 2003|newspaper=Erie Times-News|url=http://www.goerie.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20031031/FRONTPAGE/110310337/0/NEWS|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。ロジスティックス・プラスは、ユニオン駅を[[本社]]として使用するために本館の3階と2階の一部を改装して、駅をエリー市の[[ランドマーク]]として回復させ、周辺地域の活性化を目指した。ロジスティックス・プラスの[[最高経営責任者]]だったジム・ベルリンは、ユニオン駅が輸送機関としては理想的な建物になっていることに気付いた。ベルリンは、「ユニオン駅が再び輸送の中心地になることは決してないだろうが、それでも世界的な物流を管理できる場所になることはできる。」と語った<ref name="leonardi"/>{{Sfn|DeMarco|2013|p=11}}。当初の都市計画案は、ユニオン駅の改修を始め、小売店や[[歩行者天国]]の設置、{{仮リンク|ステーション・スクエア|en|Station Square}}の改修などの{{仮リンク|複合開発|en|mixed-use development}}などが含まれていた<ref name="panepento"/>。2007年5月からユニオン駅の[[欄干]]には、ロジスティックス・プラスが事業を展開している国や、従業員の出身国などの約50本の国旗が並べられている{{sfn|"Gateway"|p=12}}<ref>{{Cite news|last=Boyle|first=Andy|date=May 17, 2007|title=Flags Make Banner Statement|newspaper=Erie Times-News|url=http://www.goerie.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070517/NEWS02/705170404/-1/RSS|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。

1990年代からは、ユニオン駅はビール醸造所「ホッパーズ」としても営業を開始し、1994年から1999年までは駅の内部で運営されていた。その後ホッパーズは駅の外部に店舗を移転し、名称を「{{仮リンク|エリー・ブルーイング・カンパニー|en|Erie Brewing Company}}」に変更、高級ダイニングレストランやビールバーなども開業した{{Sfn|Bryson|2010|pp=276&ndash;277}}。その後ダイニングレストランは閉鎖されたが、そのスペースを引き継いで2006年10月にユニオン駅醸造所が開業した{{Sfn|Bryson|2010|p=280}}。2008年の[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ合衆国大統領選挙]]の準備期間中には、ユニオン駅では[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー]]の報道番組[[グッド・モーニング・アメリカ]]のニュースチームが手配したアムトラックの車両上で「ホイッスル・ストップ」と呼ばれる短期間の演説が行われた。{{仮リンク|サム・チャンピオン|en|Sam Champion}}、[[クリス・クオモ]]、{{仮リンク|ロビン・ロバーツ|en|Robin Roberts (newscaster)}}、[[ダイアン・ソイヤー]]らが司会を務め、ユニオン駅醸造所にて地域の有権者に選挙の争点についてのインタビューを行った<ref name="abc">{{Cite news|last=Guerriero|first=John|title=Here and Gone: ABC Team Makes Quick Visit to Erie|date=Sep 17, 2008|newspaper=Erie Times-News|url=http://www.goerie.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080917/NEWS02/809170342|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。ユニオン駅でのインタビューは約30分の間続けられ、その結果は2008年9月18日にテレビ上で報道された<ref name="abc"/><ref>{{Cite news|last=Guerriero|first=John|title=Erie Gets Short, Sweet Good Morning from TV Show|date=Sep 18, 2014|newspaper=Erie Times-News|url=http://www.goerie.com/article/20080918/NEWS02/809180405|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。

2009年には[[2009年アメリカ復興・再投資法|アメリカ復興・再投資法]]施行の一環として、[[連邦鉄道局]]は10の[[行政区]]を[[高速鉄道]]建設のための開発予定地として認定したが、その際にエリー市には{{仮リンク|シカゴ・ハブ・ネットワーク|en|Chicago Hub Network}}、{{仮リンク|エンパイア・コリダー|en|Empire Corridor}}、{{仮リンク|キーストーン・コリダー|en|Keystone Corridor}}と3つの路線がそれぞれユニオン駅周辺の線路に接続した場所に配置されることとなった<ref>{{Cite web|title=Vision for High-Speed Rail in America|date=Apr 2009|series=High-Speed Rail Strategic Plan|publisher=Federal Railroad Administration, [[United States Department of Transportation]]|url=http://www.fra.dot.gov/Elib/Document/1468|accessdate=Apr 26, 2015|page=6}}</ref>。これに対し地元の旅客鉄道愛好団体「All Aboard Erie」は、これらの高速鉄道建設の実現可能性についての調査を提案した<ref name="myers">{{Cite news|last=Myers|first=Valerie |date=Nov 13, 2014|title=Rail Service, Visioning Project Outlined f、or Regional Planners|newspaper=Erie Times-News|url=http://www.goerie.com/article/20141113/NEWS02/311129913/Rail-service-visioning-project-outlined-for-regional-planners|archive-url=http://web.archive.org/web/20160127182630/http://www.goerie.com/article/20141113/NEWS02/311129913/Rail-service-visioning-project-outlined-for-regional-planners|archive-date=Jan 27, 2016|accessdate=Nov 18, 2016}}</ref>。また同時に、高速鉄道建設の際に既存の線路を使用することは可能かどうかや、[[ヤングスタウン]]と[[ピッツバーグ]]間での優先通行権が与えられるかどうかなどを決定するように要求した<ref name="myers"/>。

=== 現在の運営状況 ===
[[File:Brewerie at Union Station beer menu.jpg|thumb|ビールのメニュー表として書き換えられたかつての時刻表。]]
ロジスティックス・プラスは2004年から、本社を[[ニューヨーク]]の[[ジェームズタウン]]からユニオン駅に移転している{{Sfn|"Solutions Provider"|p=11}}{{Sfn|"Solutions Provider"|p=10}}。ロジスティックス・プラスの本社は、建物の3階では{{Convert|16000|sqft|sqm|adj=on|-2}}、2階では{{Convert|5000|sqft|sqm|-2}}<ref name="leonardi"/>を占める。それ以外の敷地は[[アムトラック]]、[[ブルワリー]]、[[水タバコ]]ラウンジ、[[ワイン]]ショップ、[[ヘアサロン]]、[[宴会]]場、アート[[スタジオ]]など、様々なテナントに貸し出されている<ref name="leonardi"/><ref>{{Cite news|last=Rieder|first=Doug|date=Oct 12, 2012|title=From Brews to Boos: What Lies Beneath Union Station|newspaper=Erie Times-News|url=http://goerie.com/from-brews-to-boos-what-lies-beneath-union-station |accessdate=Apr 26, 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20160304070842/http://www.goerie.com/from-brews-to-boos-what-lies-beneath-union-station|archive-date=Mar 4, 2016}}</ref>。

ユニオン駅醸造所は[[マイクロブルワリー]]である。また、レストランとしての機能も兼ね備えており、{{仮リンク|ブルワーズ・アソシエーション|en|Brewers Association}}によって[[ブルーパブ]]としても認定されている<ref>{{Cite web|title=United States Brewers|work=Directory|publisher=Brewers Association|url=http://www.brewersassociation.org/directories/breweries/?type=brewpub&term=United%20States&searchby=country|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。ブルワリーは、駅の地上階にある八角形のドームを使用して営業している{{Sfn|Bryson|2010|p=281}}。2013年には、ブルワリーは約500[[バレル]](約59000[[リットル]])のビールを生産しており、その内3.5バレル(410リットル)はPrice-Schonstrom醸造製法によって製造されている{{Sfn|Bryson|2010|p=281}}<ref>{{Cite web|title=Brewery Data|year=2013|publisher=[[Brewers Association]]|format=XLS|url=http://www.brewersassociation.org/wp-content/uploads/2014/06/Brewers_Association_Brewery_Data_2013.xls|at=Craft Control Group Barrels|accessdate=Apr 26, 2015}}</ref>。

== 注釈 ==
{{Reflist|group="注"}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|20em}}

{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
*{{Cite book|last=Bates|first=Samuel P.|authorlink=Samuel Penniman Bates|last5=Whitman|first5=Benjamin|last3=Russell|first3=N.W|last2=Brown|first2=R.C.|last4=Weakley|first4=F.E|title=History of Erie County, Pennsylvania|publisher=Warner and Beers|location=Chicago|year=1884|oclc=8622308|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Bliley|first=Charles A.|title=The Bliley Electric Company:The Early Years 1930&ndash;1955|year=2001|orig-year=First published 1982|publisher=Bliley Electric|location=Erie, Pennsylvania|url=http://www.bliley.net/XTAL/docs/history-PDF/BEC_History-LR.pdf|accessdate=Jun 19, 2015|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Bryson|first=Lew|title=Pennsylvania Breweries|year=2010|edition=4th|publisher=[[Stackpole Books]]|location=[[Mechanicsburg, Pennsylvania]]|isbn=0-8117-3641-5|ref=harv}}
*{{Cite journal|last=DeMarco|first=Tricia Wood|title=Erie's Treasures:Union Square, The Achievement Center and the Armory|date=Oct–Nov 2013 |journal=Erie|publisher=Erie Regional Chamber and Growth Partnership|pages=10-11|ref=harv |url=http://issuu.com/eriemagazine/docs/erie_magazine_oct-nov_2013/12|accessdate=Apr 26, 2015}}
*{{Cite book|author=[[Federal Writers' Project]]|year=1938|title=Erie, A Guide to the City and County|publisher=William Penn Association|location=Philadelphia|oclc=5429724|ref=harv}}
*{{Cite journal|last=Fellheimer|first=Alfred T.|last2=Wagner|first2=Steward|date=Dec 3, 1927|journal=Celebrating the Dedication of Erie's New Passenger Station|publisher=Erie Chamber of Commerce|title=Interesting Review of the Station|pages=11, 14|ref=harv}}
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*{{Cite news|title=Erieite Offers Description Of 'Old Union Station' When It Was New $100,000 Depot Away Back In 1864|newspaper=Erie Daily Times |date=Dec 3, 1927|pages=11, 16|ref={{SfnRef|Erieite Offers Description}}}}
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*{{Cite book|last=Nolen|first=John|last2=Goodrich |first2=E. P.|last3=Long|first3=Henry C.|last4=Lane|first4=F. Van Z.|authorlink=John Nolen|year=1913|title=Greater Erie:Plans and Reports for Extension and Improvement of the City|publisher=Chamber of Commerce; Board of Trade |location=Erie,Pennsylvania|oclc=4851681|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Reed|first=John Elmer|year=1923|title=History of Erie County, Pennsylvania|volume=1|publisher=Historical Publishing Co |location=[[Topeka, Kansas]]|oclc=2566729|ref=harv}}
*{{Cite journal|title=Logistics Plus:Gateway to the World|volume=19|issue=8|date=Aug 2006|journal=Business Magazine|publisher=Manufacturers' Association of Northwest Pennsylvania|location=Erie, Pennsylvania|page=10&ndash;12|ref={{Harvid|"Gateway"}}|url=http://www.logisticsplus.net/wp-content/uploads/2015/02/BusinessMagazine-Aug-2006.pdf|accessdate=Apr 26, 2015}}
*{{Cite journal|title=Logistics Plus: Solutions Provider, Strategic Partner Growing in Services and Support|volume=28|issue=1|date=Jan 2015 |journal=Business Magazine|publisher=Manufacturers and Business Association|pages=10&ndash;12|location=Erie, Pennsylvania|ref={{Harvid|"Solutions Provider"}}|url=http://issuu.com/mbabusinessmagazine/docs/businessmagazinejanuary2015-new_2_/14|accessdate=Apr 26, 2015}}
*{{Cite book|title=New York Central Time Tables|date=Sep 24, 1933|publisher=New York Central Railroad|url=http://www.canadasouthern.com/caso/ptt/images/tt-0933.pdf|accessdate=Apr 25, 2015|ref={{Harvid|New York Central|1933}}}}
*{{Cite book|author=Pennsylvania Railroad |title=Tour of His Royal Highness Prince Henry of Prussia in the United States of America:Under the Personally-Conducted System of the Pennsylvania Railroad|publisher=Allen, Lane & Scott|location=Philadelphia|year=1902|oclc=14699803|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Springirth|first=Kenneth C.|title=Northwestern Pennsylvania Railroads|year=2010|series=Images of Rail|publisher=[[Arcadia Publishing]]|location=[[Charleston, South Carolina]]|isbn=0-7385-7347-7|ref=harv}}
*{{Cite journal|last=Stanford|first=Linda Oliphant|title=Railway Designs by Fellheimer and Wagner, New York to Cincinnati|date=Fall 1985|journal=Queen City Heritage|publisher=Cincinnati Historical Society|pages=2&ndash;24 |url=http://library.cincymuseum.org/topics/u/files/unionterminal/rai-003.pdf|accessdate=Nov 9, 2015|ref=harv}}
{{Refend}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Union Station (Erie, Pennsylvania)}}
*[https://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI アムトラック:エリー・ユニオン駅] <small>(英語)</small>
{{ウィキプロジェクトリンク|建築}}
*[http://www.greatamericanstations.com/Stations/ERI グレート・アメリカン・ステーションズ:エリー・ユニオン駅] <small>(英語)</small>
{{ウィキポータルリンク|建築}}
{{ウィキプロジェクトリンク|鉄道}}
{{ウィキポータルリンク|鉄道}}
{{ウィキプロジェクトリンク|アメリカ合衆国}}
{{ウィキポータルリンク|アメリカ合衆国}}
{{Amtrak web|ERI|Erie, PA|PENNSYLVANIA}}


*[http://www.brewerie.com The Brewerie at Union Station]
{{Eki-stub}}
*[http://www.greatamericanstations.com/Stations/ERI Erie, PA (ERI)], ''Great American Stations''
*[http://www.trainweb.org/usarail/erie.htm Erie Union Station (USA Rail Guide – Train Web)]
*[http://logisticsplus.net Logistics Plus]
*[https://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=am/am2Station/Station_Page&code=ERI アムトラック:エリー・ユニオン駅] {{en icon}}
*[http://www.greatamericanstations.com/Stations/ERI グレート・アメリカン・ステーションズ:エリー・ユニオン駅] {{en icon}}


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[[Category:ペンシルベニア州の鉄道駅]]
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[[Category:1927年開業の鉄道駅]]

2017年3月4日 (土) 00:04時点における版

ユニオン駅
ゆにおん
Union
所在地 125 West 14th Street
Erie, PA 16501
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
北緯42度07分15秒 西経80度04分55秒 / 北緯42.1209度 西経80.0820度 / 42.1209; -80.0820座標: 北緯42度07分15秒 西経80度04分55秒 / 北緯42.1209度 西経80.0820度 / 42.1209; -80.0820
所属事業者 アムトラック
所属路線 レイクショア・リミテッド
駅構造 ERI
ホーム 2面5線
乗車人員
-統計年度-
16273人/日(降車客含まず)
-2015-
開業年月日 1927年12月3日
備考 [1][2]
テンプレートを表示

ユニオン駅英語: Union Station)は、ペンシルベニア州エリー西14番街125にあるアムトラック鉄道駅[3]、および商業ビルである。シカゴニューヨークボストンなどを通過する旅客列車レイクショア・リミテッドの、ペンシルベニア州内唯一の停車駅でもある。駅の地上階はブルーパブのユニオン駅醸造所などを含め、商業施設として再開発されている。建物は物流会社および貨物管理会社のロジスティックス・プラスによって所有されており、同社の本社としても機能している。

エリー市で最初の鉄道駅は1851年に開業したが、1866年にはロマネスク・リヴァイヴァル建築のユニオンデポ駅(本記事で詳述するユニオン駅の先代となる)が完成した。エリー市に鉄道が開通して以来の、競合する鉄道会社による一連の合併・買収を経て、ユニオンデポ駅はニューヨーク・セントラル鉄道ペンシルバニア鉄道の共同所有及び共同運営となった。急速に成長するエリー市の変化する需要に対応するため、都市計画の計画者はユニオンデポ駅に代わるより現代的な構造の駅を設計した。そして1927年12月3日に完成したユニオン駅は、アメリカでは初めてのアール・デコ調の鉄道駅となった。

繁栄していたユニオン駅だが、第二次世界大戦後は航空機高速道路の発達で次第に衰退した。1960年代までに、ニューヨーク・セントラル鉄道はユニオン駅への運行本数を大幅に減少させ、ペンシルベニア鉄道はエリー市に通じる路線を廃止した。1971年に両社は合併してペン・セントラル鉄道となった。その後の1972年から1975年の間に、エリー市ではアムトラックの運行も廃止された。そのためユニオン駅の利用者は減少し、一時期は人通りがほとんど無い状態で放置されていた。しかし、2003年の運送会社ロジスティックス・プラスによる買収後は、ユニオン駅は運送施設および商用施設として再利用されている。

外観

ユニオン駅はエリーのピーチ・ストリートとササフラス・ストリートの間の、14番ストリートの西にあるダウンタウンに位置している。設計者は建築家のアルフレッド・T・フェルハイマー英語版スチュワード・ワグナー英語版であり、この駅は米国では初のアール・デコ調の鉄道駅だった[4][5]。フェルハイマーは以前、ニューヨークグランド・セントラル駅の設計に携わっており、またこの二人は以前にも、1929年にはバッファロー・セントラル・ターミナル駅英語版、1933年にはシンシナティ駅など、いくつかの鉄道駅を共同で設計していた[6]

ユニオン駅の本館である三階建ての部分は、鉄骨フレームと組積造で建築されている。全体の外観は茶色の粗い煉瓦フランドル積み砂岩を素焼きにして装飾され、また地盤面は花崗岩で裏打ちされている[7][8]。駅の本館の軒先の長さは、ピーチ・ストリートに沿って35メートル、14番ストリートに沿って63メートルである。狭い二階建ての増築部分は、ササフラス・ストリートに沿って、ササフラス・ストリートの端にある付属の小さなオフィスビルの前まで123メートル続いている[9]。この増築によって、本館と駅の付属のオフィスビル内の事務所の間での、郵便物、手荷物、貨物などの移動が容易になった[9]

Large, octagonal room with several, square tables surrounded with chairs
ユニオン駅の八角形のロタンダ

ユニオン駅が最初に開業した際、14番ストリート側の出入口は広く開いており、チケット売り場だった八角形のロタンダには預け荷物置き場とニューススタンドが置かれていた。周辺の線路はユニオン駅の後側で立体交差しており、プラットホームは線路の下にある地下トンネルからアクセスすることができる。地下トンネルからの入り口は、真っ直ぐロタンダを横切って14番通り側の出入口に繋がっており、その一部は現在駅内の醸造所の台所として使用されている。ロタンダから離れたコンコースは、ピーチ・ストリート側の出入口と繋がっており、また、ソーダ・ファウンテンや理髪店、電報局、343平方メートルの待合室などが内包されている。ピーチ・ストリートに面しているダイニングルームと軽食堂英語版は、グランド・セントラル駅の多くの食事サービスを統括しているユニオン・ニュース・カンパニーによって管轄されている[10][11]。1階の大部分は、特徴的な模様のモザイクが入った人造大理石と、石膏の壁に沿ったボッティチーノ産の大理石の羽目板で敷き詰められている[11]。壁はもともとは、緑と黄色の配色が建物全体で使用されていた[7]。ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の監督者、および他の鉄道機関の関係者の多くは、ユニオン駅の2階に事務所を構えていた[11]

ユニオン駅のコンクリート製のプラットホームは、島式ホームの形態であり高さは低く、表面は鋼鉄で覆われた「バタフライ・スタイル」の屋根と木製のデッキが約137メートルの範囲に付いている[4]。プラットホームは全部で3つ設置されており、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の共同運営だった時代は、ニューヨーク・セントラル鉄道は2つのホームと隣接する4つの線路を、ペンシルバニア鉄道は1つのホームと隣接する2つの線路をそれぞれ利用していた。

運行状況と設備

ユニオン駅はレイクショア・リミテッド号のペンシルベニア州内唯一の停車駅であり、アムトラックレイクショア・リミテッドは、西行きの列車はニューヨーク市ペンシルベニア駅ボストン市サウス駅から、東行きの列車はシカゴ市ユニオン駅から、1日1往復ユニオン駅に到着する[12]

ユニオン駅はエリー市のレイクショア区英語版に位置しており、エリー市からバッファロー市ニューヨーク市へと続く86.9マイルのCSXトランスポーテーションの本線上の駅である[13]。に位置しているシカゴ市の702キロメートル東、ニューヨーク市の842キロメートル西、ボストン市の1164キロメートル西である[12]。隣接する駅は西側がクリーブランド駅、東側がバッファロー・ドピュー駅である[12]。ユニオン駅は2016年の会計年度では、利用者数は16273人と前年と比べて2.2%の減少となったが、それでもペンシルバニア州で15番目に利用者数の多い駅だった[14][15]

ユニオン駅は乗車券発売所やQuik-Trak(アムトラック専用の自動券売機)が設置されていないため、駅からのすべての乗車券は事前に運賃を支払う必要がある[16]。とはいえ、待合室や公共トイレなどは装備されている[16]。また、ユニオン駅を通るレイクショア・リミテッドのビューライナーには、寝台車食堂車などが連結されている[12]エリー・メトロポリタン・トランジット・オーソリティ英語版国道20A号英語版であるダウンタウン・サーキュレーター英語版では、東行きのレイクショア・リミテッドの到着予定時刻に、駅と繁華街の間でのバスによる送迎サービスが提供されている[12][17]

歴史

前史

1840年代から1850年代にかけて、エリーでは鉄道建設の動きが活発になり、その中でエリーでは4つの鉄道会社が統合されることとなった。エリー・アンド・ノース・イースト鉄道とフランクリン・カナル・カンパニー間の路線は、エリー市の市民が両鉄道の間で貨物をより速く輸送するために大きく貢献していた[18]。1853年にこの路線間の軌間の統一が提案された際には、「エリーゲージ戦争英語版」とも呼ばれる激しい論争が起こった[注 1]。しかし、この軌間の統一によりエリー市が地方港湾になってしまうことを危惧したエリーの住民は、直前に迫った軌間の統一を阻止するため、この路線間の鉄橋を解体して線路を撤去した[19]。この紛争の和解の一環として、双方の鉄道会社はエリー市が新たにエリー・アンド・ピッツバーグ鉄道英語版とサンベリー・アンド・エリー鉄道の2つの鉄道会社を設立するための資金を提供した[20]。1854年には、後のレイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道英語版の前身であるクリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道がフランクリン・カナル・カンパニーを買収し、その数年後にエリー・アンド・ノース・イースト鉄道はバッファロー・アンド・ステートライン鉄道と併合してバッファロー・アンド・エリー鉄道を創設した[21]。1861年にはサンベリー・アンド・エリー鉄道はフィラデルフィア・アンド・エリー鉄道英語版と名称を変えた[22]。そして1864年までにペンシルベニア鉄道はサンベリー&エリー鉄道を買収し、路線の開通のための資金提供を行った[23]

エリーで最初の鉄道駅は1851年に建設され、その駅は扱いにくい未加工の煉瓦で構成されていた[21][24]。1861年2月16日には、当時次期大統領だったエイブラハム・リンカーンがこの駅の外で演説を行い、そのまま就任式に向かうためにワシントンD.C.に赴いたというエピソードが残っている[25]。1865年初頭にはクリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道とバッファロー・アンド・エリー鉄道の合弁事業として新しい駅の建設が始まり、新駅は1866年2月に完成した[26]。その後、エリー・アンド・ピッツバーグ鉄道とフィラデルフィア・アンド・エリー鉄道の二社も、この新駅の一部の区画で運行を開始した[21]。また、フィラデルフィア・アンド・エリー鉄道はこの区画に加えて、ステート・ストリート沿いにある貨物駅の運営もその後数年間継続していた[20]

ユニオンデポ駅として知られているこの駅は、ロマネスク・リヴァイヴァル建築の煉瓦で構成されており、二つの線路の間にあるピーチ・ストリートに面した構造となっていた。10メートルの高さと独特の小丸屋根を持っており、プラットホームは駅の両側に沿ってササフラス・ストリートに向かって150メートル程度延びていた[26]。ユニオンデポ駅には屋外にはガス灯、内部には理髪店、パーラー、ダイニングルームなど、当時最新の設備が備え付けられていた。2階には鉄道関係者用のオフィスと寝室も設置されていた[27]

1869年、クリーブランド・アンド・ペインズヴィル・アンド・アシュタビューラ鉄道はレイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道英語版と名称を変更し、翌年にはバッファロー・アンド・エリー鉄道に吸収される運びとなった[21]。1870年にペンシルバニア鉄道はエリー・アンド・ピッツバーグ鉄道を賃借した[28]。1902年3月5日には約10000人近い人々が、アメリカでの旅行中だったヘンリー王子を迎えるためにユニオンデポ駅に集結した。ヘンリー王子は彼の列車がバッファローナイアガラフォールズに進むまで、約10分間エリーに滞在した[29][30]。1914年12月22日に、レイクショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道は名称をニューヨーク・セントラル鉄道へと変更した[31]

Elevated view of a cityscape with a set of railroad tracks crossed by several roads
1912年のパノラマ写真、線路に沿って奥に見えるのがエリー市のダウンタウン。写真左の二つの線路の間にあるのがユニオンデポ駅。

建設

1913年、エリー市は都市の継続的な成長を支援するための最善の行動を決定するため、ジョン・ノーレンが委員長を務める都市計画家土木施工管理技士委員会を設立した[32]。委員会は都市計画の最終報告にて、都市改良の一環としてエリー市内の鉄道施設の改善のために、新たなユニオン駅を建設すること、全ての鉄道交差点を廃止することを提案した[33]。当時エリーでは、ステート・ストリート、フレンチ・ストリート、アシュ・ストリート、バッファロー・ロードなどの道路は鉄道線路とは立体的に交差していたが、それ以外のストリートはいずれも鉄道線路と平面上で交差していた[34]。委員会は、エリーの地形と既存の鉄道の高さ、新しい道路の地下通路などに対応するために、線路の位置を上昇させる事が望ましいと判断した[34]。エリー市は1915年9月30日、ニューヨーク・セントラル鉄道およびペンシルバニア鉄道との契約を締結し、鉄道橋の建設や道路の閉鎖を通してアシュ・ストリートとカスケード・ストリート上の全ての踏切を排除した[35]。その補償として、両鉄道はユニオンデポ駅に代わる新たな駅を建設する事を約束した[35]

1925年から1927年にかけて、ユニオン駅の建設と同時にピーチ・ストリートとササフラス・ストリートの排水路を改修して再設置する作業が行われ、この作業には約11万ドルを要した[36]。この期間は14番ストリートとフレンチ・ストリートに臨時駅が建設され、臨時駅は1925年に古い駅が解体されて新しい駅が完成するまで使用された[26][37]。そして1927年12月3日、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道の両社の社長が主宰した記念式典にて、ユニオン駅はプロジェクトの始動を援助した市長のジョセフ・ウィリアムズと前市長のウィリアム・スターンに寄贈された[37]。14番ストリートの北にあるグリスウォルド・プラザ郵便局は、1932年にユニオン駅に繋がるトンネルが設置されるのと同時期に開業した[8]

当時の運営状況

1928年の開業当初、ユニオン駅からは東行きと西行きの列車がそれぞれ約1時間ごとに駅を出発していた[38]。利用客は駅の広々とした待合室で、ニュース・スタンド、電信局、理髪店、靴磨き、ランチ・カウンター、ソーダ・ファウンテンなどのサービスを利用する事ができた[37]。列車の発着の合図は駅員がメガホンでアナウンスしており、時刻表は大きな黒板に手書きされていた[38]

1930年代には、ニューヨーク・セントラル鉄道はレイクショア・リミテッドを含め、エリーに発着する1日に20本以上の列車の大多数を提供していた[39]。しかし20世紀特急については、当時はユニオン駅には停車しなかった。ユニオン駅はニューヨーク・セントラル鉄道の本線、通称「ウォーター・レベル・ルート」上の駅であり、西に向かうとクリーブランド、トレド、シカゴ、東に向かうとバッファロー、ニューヨーク、ボストンがある場所に位置していた[39]。ニューヨーク・セントラル鉄道はまた、ピッツバーグ・アンド・レイク・エリー鉄道と連携して、エリーから支線を経由してヤングスタウンへと続く列車も運行していた[40]。一方のペンシルバニア鉄道は、主にペンシルベニア、フィラデルフィア、ワシントンD.C.へと続くノーザン・エクスプレスとサザン・エクスプレスや、ピッツバーグ行きの日替わり列車など、エリー発着の少数の列車のみを運行していた[41]

無線装置の送信機と受信機などに使用されている水晶発振器のメーカーであるブライリー・エレクトリック・カンパニーは、クリスタル部門1933年に8番ストリートとピーチ・ストリートからユニオン駅の2階のスペースに移動した[42]。機関車が通過する際のすすと振動が水晶の測定の際に問題を引き起こす可能性もあったが、列車を利用して多くのクリスタルを効率的に運送できることが出来る点を重視した[43]。ブライリー・エレクトリック・カンパニーは移転してすぐに、ユニオン駅の2階と3階の全体を占領するまでに成長した[44]第二次世界大戦中、ブライリー・エレクトリック・カンパニーは24時間営業を行い、クリスタルを形成するために地元の女性住民を起用した[45]。しかしブライリー・エレクトリック・カンパニーは結局、1966年に大規模な専用施設に事業全体を移転した[44]

衰退期

2003年以降の利用者数の推移
利用者数±%
20037,957—    
20048,254+3.7%
20058,690+5.3%
20068,371−3.7%
200710,182+21.6%
200811,855+16.4%
200912,668+6.9%
201014,833+17.1%
201115,859+6.9%
201217,794+12.2%
201318,108+1.8%
201418,312+1.1%
201516,633−9.2%
201616,273−2.2%
Source: アムトラック

第二次世界大戦後、自動車旅行の流行と州間高速道路の建造により、旅客鉄道は衰退の一途を辿った[46]。ペンシルバニア鉄道もその例外では無く、1948年4月にはエリーとピッツバーグ間での運行を停止した[47]。そして最終的に1965年3月27日には、エリーからの運行を全面的に中止するに至った[48]。一歩のニューヨーク・セントラル鉄道も、1968年までに1日辺りの運行本数が5台にまで減少した[46]。1968年2月1日には、2つの鉄道会社は合併してペン・セントラル鉄道を結成した。以降ペン・セントラル鉄道は1971年4月30日まで、旧ニューヨーク・セントラル鉄道の旅客列車の運行を続けていた[49]。その翌日には新たに結成されたアムトラックが、ユニオン駅を始めとする全国の旅客鉄道事業を引き継ぐこととなった[50]。アムトラックは1971年11月から営業を開始し、ニューヨーク~シカゴ間で運行されユニオン駅にも停車していたレイクショア英語版という列車を、1972年1月まで運行し続けた。しかし、バッファロー~シカゴ間の線路の貧弱な状況と、サービスの普遍的な収益性の低さは、レイクショアの運行の終了に繋がった[51][52]。それ以来、1975年11月30日にアムトラックが旧ニューヨーク・セントラル鉄道の列車であるレイクショア・リミテッドを再導入するまで、エリーには旅客列車が存在しなかった[53]

Large, rectangular building with several broken windows
1991年以降、ユニオン駅は手付かずのまま放置された状態となっていた。

またこの間、ユニオン駅のメンテナンスはされておらず、廃棄物も放置され続けるなど、駅の保存状態は徐々に低下した[38][46][54]。当時ユニオン駅を使用していたのは、貨物列車の乗務員のみであった。しかし1973年になると、アメリカ合衆国労働省は衛生上の問題を理由に、ペン・セントラル鉄道にユニオン駅の閉鎖を要求した[55]。以降ユニオン駅は冬の間、ホームレスのための「シェルター」としてもしばしば利用されるようになった[54][56]。しかし一部の乗客の間では、駅からの眺望が失われる恐れがあったため、アムトラックの一時的な待合室として駅のロタンダが用いられることには消極的であった[54][57]。ペン・セントラル鉄道は倒産を宣言し、一級鉄道コンレールに吸収合併される1976年4月1日まで、貨物運送業を行っていた[58]。そのコンレールも1998年6月6日に解体され、ニューヨーク・セントラル鉄道の運営していた区間はCSXトランスポーテーションが、ペンシルバニア鉄道が運営していた区間はノーフォーク・サザン鉄道が、それぞれ運営権を獲得した[58]

改修と復元

ユニオン駅は2003年10月30日、1996年に創設されたエリー市最大の雇用先でもある物流及び運輸会社ロジスティックス・プラスによって、$15000000ドルで買収された[56]。ロジスティックス・プラスは、ユニオン駅を本社として使用するために本館の3階と2階の一部を改装して、駅をエリー市のランドマークとして回復させ、周辺地域の活性化を目指した。ロジスティックス・プラスの最高経営責任者だったジム・ベルリンは、ユニオン駅が輸送機関としては理想的な建物になっていることに気付いた。ベルリンは、「ユニオン駅が再び輸送の中心地になることは決してないだろうが、それでも世界的な物流を管理できる場所になることはできる。」と語った[4][5]。当初の都市計画案は、ユニオン駅の改修を始め、小売店や歩行者天国の設置、ステーション・スクエア英語版の改修などの複合開発英語版などが含まれていた[56]。2007年5月からユニオン駅の欄干には、ロジスティックス・プラスが事業を展開している国や、従業員の出身国などの約50本の国旗が並べられている[59][60]

1990年代からは、ユニオン駅はビール醸造所「ホッパーズ」としても営業を開始し、1994年から1999年までは駅の内部で運営されていた。その後ホッパーズは駅の外部に店舗を移転し、名称を「エリー・ブルーイング・カンパニー英語版」に変更、高級ダイニングレストランやビールバーなども開業した[61]。その後ダイニングレストランは閉鎖されたが、そのスペースを引き継いで2006年10月にユニオン駅醸造所が開業した[62]。2008年のアメリカ合衆国大統領選挙の準備期間中には、ユニオン駅ではアメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーの報道番組グッド・モーニング・アメリカのニュースチームが手配したアムトラックの車両上で「ホイッスル・ストップ」と呼ばれる短期間の演説が行われた。サム・チャンピオン英語版クリス・クオモロビン・ロバーツダイアン・ソイヤーらが司会を務め、ユニオン駅醸造所にて地域の有権者に選挙の争点についてのインタビューを行った[63]。ユニオン駅でのインタビューは約30分の間続けられ、その結果は2008年9月18日にテレビ上で報道された[63][64]

2009年にはアメリカ復興・再投資法施行の一環として、連邦鉄道局は10の行政区高速鉄道建設のための開発予定地として認定したが、その際にエリー市にはシカゴ・ハブ・ネットワーク英語版エンパイア・コリダー英語版キーストーン・コリダー英語版と3つの路線がそれぞれユニオン駅周辺の線路に接続した場所に配置されることとなった[65]。これに対し地元の旅客鉄道愛好団体「All Aboard Erie」は、これらの高速鉄道建設の実現可能性についての調査を提案した[66]。また同時に、高速鉄道建設の際に既存の線路を使用することは可能かどうかや、ヤングスタウンピッツバーグ間での優先通行権が与えられるかどうかなどを決定するように要求した[66]

現在の運営状況

ビールのメニュー表として書き換えられたかつての時刻表。

ロジスティックス・プラスは2004年から、本社をニューヨークジェームズタウンからユニオン駅に移転している[67][68]。ロジスティックス・プラスの本社は、建物の3階では16,000-平方フート (1,500 m2)、2階では5,000平方フィート (500 m2)[4]を占める。それ以外の敷地はアムトラックブルワリー水タバコラウンジ、ワインショップ、ヘアサロン宴会場、アートスタジオなど、様々なテナントに貸し出されている[4][69]

ユニオン駅醸造所はマイクロブルワリーである。また、レストランとしての機能も兼ね備えており、ブルワーズ・アソシエーション英語版によってブルーパブとしても認定されている[70]。ブルワリーは、駅の地上階にある八角形のドームを使用して営業している[71]。2013年には、ブルワリーは約500バレル(約59000リットル)のビールを生産しており、その内3.5バレル(410リットル)はPrice-Schonstrom醸造製法によって製造されている[71][72]

注釈

  1. ^ このような軌間をどちらに統一すべきかといった類の論争は、しばしば「ゲージ戦争 (Battle of the gauges)」などとも形容される。軌間#標準軌の起源とゲージ戦争も参照。

脚注

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参考文献

外部リンク