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アテレコ論争

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アテレコ論争(アテレコろんそう)[1]とは、俳優東野英治郎が『東京新聞』に発表したコラムを発端として起こったアテレコ演技に関する論争である。

1962年の論争

時代背景

1960年代初頭、日本のテレビ放送では海外ドラマが全盛期を迎えており、その吹き替え(アテレコ)を務める声優として、発声の基本ができていてなおかつ出演料が安価な人材を得やすいといった理由から、新劇の劇団員が多く起用されていた[1]。声優の出演料は顔出しで出演する場合よりも低く設定され[2]、テレビ局や俳優から地位の低いものとして見られている状況があった。

東野が共同設立者の一人である俳優座も、1961年の『読売新聞』にて、吹き替えのできる俳優が所属する劇団のひとつに挙げられている[3]。俳優座の団員は当初、セリフが崩れるという千田是也の意見にもとづきアテレコを差し控えていたが、その俳優座でさえ「最近はドンドン出演している」という記事が1962年5月の『週刊新潮』に書かれている[4]

東野英治郎の意見

1962年2月19日、東野は『東京新聞』朝刊の「月曜モニター」欄に「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」と題するコラムを発表した。このコラムで東野は、日本の俳優によるアテレコを「最近はだんだんにうまくなってきている」と評価しつつも、「これからは性格や個性を出すような段階にきている」という意見には疑問を呈している。そして、俳優の仕事とは「自分独特の方法で役の人物を創造するもの」であって、その演技は「動くから自然に声が出るのであり、声が出るから動くもの」なのだから、他人のつくった役の動きに声だけを当てはめるアテレコを続ければ、「俳優は操り人形になりかね」ず、「うかうかすれば片輪になりかねない」危険な仕事であると論じ、「ことに若い俳優諸君に申し上げたい」と警告した。加えて制作者に対しては、「危険手当てとでもと考えて」、アテレコを務める俳優に「十分の報酬をあげてほしい」と要求した[5]

なお、このコラムにおいて、東野が洋画の吹き替えやアニメアフレコを「自分の尺で演技できない、芝居とは呼べない外道の所業」と評したとされることがある[6]が、実際は東野はアニメには言及しておらず、「外道の所業」という言葉も使っていない。

安部徹の意見

翌週、2月26日の同欄にドラマ『第三の男』で声を当てていた安部徹が反論を寄せた。安部は「俳優の本質とアテレコとは、というような議論をしようとは思わないが、そのために俳優が片輪になるとは考えられない。要は本人の自覚次第である」、「一番重要なことは相手の感情や性格を日本語を通してどう復元するかということだ」と述べ、アテレコという「むくわれない仕事」に携わる人達に対し、前向きな姿勢でプライドを持ち、情熱を燃やすことを祈った[7]

夏川大二郎の意見

さらにその翌週、3月5日の同欄に俳優の夏川大二郎が東野への賛意を寄せた。夏川は東野の意見に加え、アテレコは俳優演技の分野に入るものではなく、視聴者に矛盾を感じさせずに翻訳したり、うまく口を合わせるといった特殊な技術であり、そこに演技の創造性はなく、個性や性格を出せるものではないとし、現状ではたまたま俳優の中からアテレコの技術者が選ばれているに過ぎず、「落語家でもアナウンサーでも、観光案内係でも、声を使う職業の人の中から選ばれてもよいことだ」と述べている。東野が述べたアテレコの危険性については、成熟した俳優には危険性は少ないと思うが、若い俳優にとってはアテレコは演技の勉強になるどころか、「むしろマイナスになる恐るべき麻薬的作用をなすもの」だから、特殊な技術に対するビジネスとして割り切って取り組むべきだと論じた[8]

永井一郎は「この後、何回かこの論争は続いたと記憶している」と述べているが、具体的な資料は挙げていない[9]

その他の反応

福田定良は同年4月の『キネマ旬報』春の特別号に、東野の意見について熊倉一雄から聞いた話として、アテレコであっても役作りをしなければならない。アテレコならではの面白さは向こうの役者と対決することだ、というコメントを記している。福田は「フィルムの中の俳優の声だけを演技するというのは不自然にみえる。だが、それは外国製のドラマを日本のドラマにする国際的な創造作業なのだ」と述べている[10]

近石真介は2014年のインタビューで、東野のコラムについて「あれに関してはものすごい反発がありましたね。若山弦蔵さんなんて、怒り狂ってましたから。彼ほどアテレコに関して必死で研究した人はいないですからね」と証言している[11]

1981年、永井一郎の反論

永井によれば、その後長い間演技論上の反論は出なかった。永井自身も東野の演技論に縛られていたが、体育学者勝部篤美による、実際に体を動かさなくてもイメージするだけで筋肉に放電が起こるという研究報告[12]にヒントを得て、1981年、『ガンダムセンチュリー』に寄稿した「細胞でとらえた演技」の中で反論を行った。

永井は東野の意図を「若い人のギャラを増やしてやろうという暖い心からのものだったろう」と推し量りつつも、東野や夏川の論は「舞台帝国主義のようにきこえる」と批判。俳優の仕事とは、東野が述べたような「役の人物を創造するもの」ではなく、作家が創造した「役の人物を肉体化することだ」とし、その肉体化については、行動を基礎単位とするスタニスラフスキーの演技論にベクトルの概念を組み合わせ、先述した勝部の報告を援用して、体を動かさない声優の演技においても「強い行動のイメージを持ちえた時には、筋肉は放電するはずである。細胞のベクトルが揃うはずである」と論じ、イメージすることによって役の行動の方向に体中の細胞のベクトルが揃った時、声帯の細胞のベクトルも揃い、的確に動いたり、声を出すことができる、というあらゆる分野に適用できる演技論を導き出し、舞台俳優の演技も声優の演技も本質的に違いはないと結論した。なお、永井は東野、安部、夏川の実名を挙げず、イニシャルを用いている[9]

その後

2003年、森川友義辻谷耕史は共著論文でこの論争を取り上げ、東野と夏川の意見は伝統的舞台俳優としての視点であり、安部と永井の意見は(アテレコだけに留まらない)広い意味での声優の視点だと分析している。また、海外ドラマの吹き替えは、オリジナルの役者の声を消し去った上で違う言語の違う声を当てはめるという点と、翻訳の過程で失われたり付け加えられたりするものも多いという点で、最初から声が挿入されていないアニメやラジオドラマとは本質的に異なっており、「従って東野が暗示的に指摘する、吹き替えはオリジナリティを損なう行為である、という点は認めなければならない」と論じ、一方で声優自体に価値を見出して吹き替えを楽しむ、独立した「声優文化」と呼びうる現象が創出されていることも指摘している[1]

脚注

  1. ^ a b c 森川友義・辻谷耕史 「声優のプロ誕生-海外テレビドラマと声優」『メディア史研究』第14号、ゆまに書房、2003年、pp.115-139。
  2. ^ 納谷悟朗は1999年のインタビューで当時を振り返り、「ギャラも7掛けで安かった」と語っている(とり・みき 『別冊映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』 洋泉社、2004年、p.63)。また、若山弦蔵は1963年の『週刊平凡』で1年前までアテレコのギャラは顔を出し芝居をする俳優の70%だったと語っている(「アテレコ・タレントのヘンな日本語!?」『週刊平凡』1963年7月11日号、平凡出版、pp.50-52)。
  3. ^ 「テレビ映画の吹き替え-アテレコ屋さん300人-輸入増加で脚光浴びる」『読売新聞』1961年4月17日朝刊、p.5。
  4. ^ 「アテレコ戦線異状あり-一線タレントが続々進出」『週刊新潮』1962年5月28日号、新潮社、p.19。
  5. ^ 東野英治郎 「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」『東京新聞』1962年2月19日朝刊、p.9。
  6. ^ 小林翔 「声優試論-「アニメブーム」に見る職業声優の転換点」『アニメーション研究』第16巻2号、日本アニメーション学会、2015年、pp.3-14。
  7. ^ 安部徹 「アテレコと俳優-片輪になるとは思わない」『東京新聞』1962年2月26日朝刊、p.9。
  8. ^ 夏川大二郎 「ビジネスと割り切れ-アテレコは特殊な技術」『東京新聞』1962年3月5日朝刊、p.9。
  9. ^ a b 永井一郎 「細胞でとらえた演技」『GUNDAM CENTURY-宇宙翔ける戦士達-RENEWAL VERSION』 樹想社、2000年、pp.89-96。
  10. ^ 福田定良 「アテレコの破壊と創造」『キネマ旬報』1962年春の特別号、キネマ旬報社、pp.175-177。
  11. ^ 近石真介インタビュー(2014年5月19日付)、吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント、2018年1月9日閲覧。
  12. ^ 勝部篤美 「運動とイメージ」『Energy』第9巻4号、エッソ・スタンダード石油株式会社広報部、1972年、pp.45-47。