煙詰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
▲持ち駒 なし
将棋図巧第99番「煙詰」
△持ち駒 残り駒全部
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
▲持ち駒 なし
「煙詰」詰め上がり図
117手目 ▲2二馬まで

煙詰(けむりづめ)は初期状態で全ての駒を盤上に配置し必要最低限の枚数で詰め上がる詰将棋の総称である。上に配置されたが煙のように消え失せて最後の詰み上がりとなることからこの名称で呼ばれる。

定義[編集]

狭義には、盤上に攻方の玉以外の39枚の駒を配置し玉を含めて3枚の駒で詰める物を指す。

広義には、特定の駒(小駒のみ・以外の駒のみなど)を全て配置し、最低限の駒(通常は3枚だが、中央のますで詰める場合には4枚)で詰めるものを指す。また、盤上に39枚より少ない駒が配置され、詰め上がりが玉を含めて3枚となる詰将棋をミニ煙と呼ぶ。

主な物としては以下のようなものがある。

小駒煙
飛車角行以外の35枚を配置する。
歩なし煙
歩以外の21枚の駒を配置する。
貧乏煙
金将銀将以外の31枚を配置する。
双玉煙
攻め方の玉も追加して40枚の駒を配置する。
都煙
4枚の駒を残して中央(5五)のますで詰め上げる。
通常は玉と攻め駒3枚であるが、玉方に逃げ道をふさぐ駒が1枚あり、攻め方の駒は2枚という作品もある。

歴史[編集]

煙詰を初めて発表したのは、江戸時代将棋指しである初代伊藤看寿であり、1755年宝暦5年)に幕府に献上した作品集将棋図巧』に収録されている。

看寿が煙詰を考案するきっかけは不明であるが、三代伊藤宗看(『将棋無双』14番 27枚から4枚)や久留島喜内(『将棋妙案』99番 28枚から3枚)らは看寿に先駆けて盤面に20枚以上の駒を配置して3-4枚の駒で詰めあがる問題を発表している。

看寿の発表後、煙詰の創作を試みた人は何人もいたがいずれも失敗に終わり、創作は不可能ではないかとも言われていた。

1954年に黒川一郎によって『落花』が発表される。これが史上2作目の煙詰である。その後、多くの人が作品を発表し現在に至っている。

広義の煙詰の誕生[編集]

煙詰の黎明期に何問もの作品を発表した田中鵬看は、玉も加え40枚の駒を配置した作品を3作1960年に発表している。『宇宙』『地影』『人生』と名づけられたこの3作が最初の双玉煙である。

その田中は「小駒だけでは玉を捕らえられない」と予測していた[1]が、1963年に黒川が『嫦娥』を発表してこの予想を覆した。この作品が初の小駒煙である。翌1964年、山田修司は、歩なし煙『織女』と貧乏煙(最初に金銀以外の31枚を配置する)『牽牛』を発表した。初形が39枚でない主な煙詰はこの時点で一通り出揃ったといえる。

駒が4枚残る都煙は1967年に駒場和男によって発表された。『夕霧』『かぐや姫』『父帰る』と名づけられた三部作は、発表された当初煙詰として認めるべきか議論が起こった[2][3]が、現在は煙詰の一分野として認められている。

手数[編集]

手数で見ると煙詰は長編の詰将棋に属し、その多くが詰みまでに100手以上かかる。

最長手数と最短手数[編集]

煙詰は、詰みまでに不要な駒を全て消さなければならないが、駒が消えるのは玉方が駒を取ったときのみ(攻め方が取った駒は持ち駒として残る)なので、理論上の最小手数は 36枚*2手+1手=73手 であり、通常の煙詰ではこれ以下の数値はありえない。

田中至は85手の作品を発表したときに実際の最短手数は80手を切らないのではと予想したが、1997年に79手の『伏龍』(新ヶ江幸弘作)が発表されこの予想は覆されている。2003年に『伏龍』の作者自身による改作(75手)が発表されてその記録を更新した。2015年に73手の『来たるべきもの』(岡村孝雄作)が発表された。

最長手数の煙詰は、1983年に発表された『妖精』(191手・添川公司作)が20年以上の長い間その地位を保ってきた。この作品は「馬鋸」と呼ばれる趣向を利用し、盤面の駒の数を減らすことなく手数を増やすことに成功している。

2004年になって、200手を超える作品が続けて発表され最長手数記録を更新した。『いばらの森』(221手・馬詰恒司作)・『妖精2』(235手・添川公司作)の2作品は『妖精』でも使用されていた「馬鋸」の手順を複雑化することにより手数を伸ばすことに成功した。2010年に239手の作品(近藤真一作)が発表されている。

煙詰と合駒[編集]

煙詰も詰将棋であるので、玉方は王手を防ぐために持ち駒を使用できる。この場合、発生した合駒も詰め上がりまでに消さなくてはならない。多くの作品では、合駒は登場しないか登場しても歩のみである。

合駒で有名な作品には、5種6回の合駒を含む『地獄変』(若島正作)や飛車の中合が登場する『春時雨』(浦野真彦作)などがある。

7種類の駒全てが合駒として登場する作品も何作か発表されている。

その他[編集]

伊藤たかみの小説『8月の路上に捨てる』には、登場人物が煙詰について語るシーンがある。手が進むたびに駒がなくなっていく煙詰に、味方が少なくなっていく自分を重ね合わせている。

新・必殺仕置人』第5話「王手無用」では、将棋を巡るトラブルへの復讐話を煙詰になぞらえ、4人の犯人が1人ずつ消されていく。最後の1人(気性の荒い貧乏旗本)は、煙詰の詰将棋にのめり込みながら仕置きされる。なお、伊藤宗看役で棋士の伊藤果(当時は4段)がゲスト出演しており、本作では煙詰めは伊藤宗看が考案し、弟が完成させた、と説明されている。

NHKの『銀河テレビ小説』の『煙が目にしみる』では、冒頭のタイトルに伊藤看寿作の煙詰が使用され、回毎に数手ずつ進み、最終回に詰み上がるという趣向がなされた。青野照市は七段の頃、この盤面にて駒を指す役を演じた[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『看寿賞作品集』P.78
  2. ^ 『詰将棋探検隊』P.75
  3. ^ 『看寿賞作品集』P.101
  4. ^ 『光文社将棋シリーズ(3) 古典詰将棋』P.269

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]