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渡辺薫彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺薫彦
2022年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市)
生年月日 (1975-04-05) 1975年4月5日(51歳)
身長 165cm
体重 50kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東・沖芳夫(1994 - 2012)
初免許年 1994年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2012年12月20日
重賞勝利 10勝(中央)
G1級勝利 菊花賞(1999年)
通算勝利 7262戦339勝(中央)
142戦12勝(地方)
調教師情報
初免許年 2015年
重賞勝利 4勝(中央)
G1級勝利 ジャパンカップ(2022年)
通算勝利 2229戦139勝(中央)
経歴
所属 栗東・沖芳夫/調教助手(2012.12 - 2015.2)
栗東T.C.(2015.3 - )
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渡辺 薫彦(わたなべ くにひこ、1975年4月5日 - )は、滋賀県栗東市出身の現調教師、元騎手・元調教助手。

戸籍上での表記は渡邊であるが、JRAでは旧字体等での登録が禁止されている為、新字体の渡辺に修正して登録している。

妻は関西テレビ『ドリーム競馬』の司会を務めていた水野麗奈[1][2]。

来歴・人物

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騎手時代の渡辺(2010年フィリーズレビュー)

栗東で厩務員を務める渡辺薫の嫡男として出生、また伯父の古川博も古川平厩舎で調教助手を務める[3]という競馬に近い環境で育つ。1994年3月1日に父の勤める沖芳夫厩舎の所属騎手としてデビューし、以後引退するまで同厩舎に所属し続けた。吉田豊・幸英明らは競馬学校の同期生(10期)にあたり、とても仲がよく初GI制覇となった菊花賞優勝後には冗談で「胴上げしようか?」と言われている。

デビュー当初より着実に勝ち鞍を積み重ねるも、重賞で人気を背負いながら経験の薄さを懸念される[4]など重賞タイトルにはなかなか手が届かなかったが、1999年にナリタトップロードとのコンビでクラシック戦線にて活躍。同年のきさらぎ賞で重賞初制覇を達成し、春のクラシックでは皐月賞3着・東京優駿2着と後一歩のところで届かなかった。東京優駿のレース後には悔し涙を流したが、秋の菊花賞で自身唯一のGI初制覇を成し遂げた。ナリタトップロードの全8勝中7勝は渡辺騎乗によるものであるが、ナリタトップロードの資質を十分に発揮した騎乗が出来ていないとの批判もあり、2000年の有馬記念と2001年の京都記念を的場均に鞍上を交替させられた。続く阪神大賞典で渡辺の下に戻り、最後の直線で追い続け、後続に8馬身差をつけ、さらに芝3000mの世界レコードという勝利を収めた。この変更について沖は「暮れの荒れた中山の馬場はトップロードに合わない。負ければ渡辺の株が下がる恐れもありますから。もちろん、的場君が勝ってくれても渡辺の株は下がります。ただ的場君は調教師試験に受かっていたからね」と発言しており、乗り替わりは合わない馬場に騎乗させずに渡辺の評判を守る目的があったことと、的場引退後に渡辺に戻す前提であったことを明かしている[5]。落馬による怪我で2002年の秋は四位洋文に3戦乗り替わり、京都大賞典の完勝と天皇賞(秋)2着惜敗という結果を受け、渡辺は「もう自分の下には戻ってこない」と思ったという。しかし引退レースとなった有馬記念ではファンの声もあり、渡辺は三たびナリタトップロードの鞍上に帰ってくる。結果は4着であったが、重馬場を見越して先行気味にレースを進めたのが功を奏し、当時最強の牝馬との呼び声があったファインモーションには先着した。2003年の年初に京都で菊花賞優勝時のゼッケン1番をつけて引退式が行われ、関係者インタビューでは渡辺が涙で思わず声を詰まらせる場面があった。産駒のデビューを待っていた矢先、2005年11月7日にナリタトップロードの訃報があった。その直後に、ベストアルバムに騎乗したエリザベス女王杯での本馬場入場の紹介の際に「ベストアルバム…亡き友に健闘を誓う渡辺薫彦です。」という紹介があった。

ナリタトップロード引退後はGI戦線の常連馬には出会えなかったが、関西の中堅騎手として騎乗数や勝ち星を伸ばす。ナリタトップロードなどに見られるように、先行からの粘りを最も得意としているが、タマモホットプレイやカネトシツヨシオーなどに見られるように差し・追い込みにも戦略の幅を広げていった。また、ときおり人気薄を2着に持ってくることから関西では穴騎手として人気があった[6]。

2007年にはソウル競馬場で行われた韓国国際騎手競走へ招待され[7]、初の日本国外競走への騎乗も経験(結果は10人中9位)。

栗東トレセン内にある駿風寮の寮長[8]でもあったが、調教師試験の準備のため2012年12月20日を以って騎手を引退し[9]、所属の沖芳夫厩舎の調教助手に転身した。

2014年12月11日、2015年度新規調教師免許試験に合格し、翌2015年3月に調教師へ転身。技術調教師として研鑽を積み、2016年3月に沖厩舎を引き継ぐ形で厩舎を開業した[10]。

第42回ジャパンカップ表彰式における渡辺(左端)

騎乗成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1994年3月5日1回中京3日12R5歳上900万円下ヘラケン16頭167着
初勝利1994年6月26日2回中京4日8R5歳上500万円下ミスターハリケーン16頭41着
重賞初騎乗1994年12月11日4回中京6日11R愛知杯サムソンビッグ15頭13中止
重賞初勝利1999年2月7日2回京都4日11Rきさらぎ賞ナリタトップロード15頭21着
GI初騎乗1996年4月14日2回中山8日11R皐月賞ロングシコウテイ18頭1316着
GI初勝利1999年11月7日5回京都2日11R菊花賞ナリタトップロード15頭31着
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
1994年91325283.032.078.166
1995年242633412.058.121.201
1996年151714260.058.123.177
1997年82716222.036.158.230
1998年19816211.090.128.204
1999年151315228.066.123.189
2000年122116279.043.118.176
2001年333832474.070.150.217
2002年222325362.061.124.193
2003年213134455.046.114.189
2004年242022406.059.108.163
2005年161734407.039.081.165
2006年233919459.050.135.176
2007年312933589.053.102.158
2008年102731548.018.068.124
2009年151820407.037.081.130
2010年16910426.038.059.082
2011年17918402.042.065.109
2012年91415432.021.053.088
中央3393994287262.047.102.161
地方12915142.085.148.254
通算3514084437404.047.103.162
  • JRA騎手名鑑より

主な騎乗馬

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太字はGI・JpnI競走を示す

その他

調教師成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2016年3月6日1回小倉8日8R4歳上500万下デンコウウノ18頭153着
初勝利2016年3月21日2回中京4日7R4歳上500万下ドラゴンバローズ15頭21着
重賞初出走2016年6月12日3回阪神4日11Rマーメイドステークスタガノエトワール14頭1112着
重賞初勝利2019年1月6日1回京都2日11Rシンザン記念ヴァルディゼール12頭41着
GI初出走2017年12月17日5回阪神6日11R朝日杯フューチュリティステークスダブルシャープ16頭79着
GI初勝利2022年11月27日5回東京8日12Rジャパンカップヴェラアズール18頭31着

主な管理馬

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※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

脚注

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  1. ↑ スポーツニッポン
  2. ↑ サンケイスポーツ
  3. ↑ 競馬騎手読本 ISBN 4-7966-9290-8
  4. ↑ 1996年3月31日フジテレビスーパー競馬・吉田均コメント
  5. ↑ “「ウマ娘」に新登場でファン歓喜!ナリタトップロードの「今度こそ!」を「東スポ」で振り返る”. 東スポnote. 東京スポーツ新聞社 (2022年2月9日). 2022年5月17日閲覧。
  6. ↑ 競馬騎手名鑑 ISBN 4-7966-9383-1
  7. ↑ ラジオNIKKEI
  8. ↑ 宝島競馬騎手名鑑 ISBN 4-7966-9517-6
  9. ↑ ナリタトップロードの渡辺騎手が引退 調教師へ「勉強専念」 スポーツニッポン 2012年12月11日閲覧
  10. ↑ “3名の新規調教師が開業”. 日本中央競馬会 (2015年12月21日). 2017年4月11日閲覧。
  11. ↑ “ヴェラアズール”. www.jbis.or.jp. JBISサーチ. 2022年10月10日閲覧。

主な厩舎所属者

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関連項目

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