河竹繁俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
河竹繁俊

河竹 繁俊(かわたけ しげとし、1889年明治22年)6月9日 - 1967年昭和42年)11月15日)は、日本の演劇学者。文学博士。旧姓は市村(いちむら)。

来歴・人物[編集]

長野県下伊那郡山本村(現・飯田市)に市村保三郎の三男として生まれる。旧制飯田中学まで毎日10キロ程徒歩で通学。1911年早稲田大学英文科卒業。在学中、坪内逍遥文芸協会演劇研究所に入り、俳優、演出助手を務める。

1911年、逍遥の推薦で河竹黙阿弥の娘・糸女の養子となる。1923年、早稲田大学講師、のち教授。演劇博物館館長を務め、歌舞伎史、比較演劇を中心に演劇史を研究した。

「多年に渡る歌舞伎研究」により1956年、第4回菊池寛賞を受賞。1960年、「日本演劇全史」で日本学士院賞受賞。1967年文化功労者日本演劇学会初代会長で逝去まで会長を務めた。1967年11月15日、老衰のため死去、享年78歳[1][2]2008年、早大演劇博物館名誉館長の称号を授与された。

次男は演劇学者の河竹登志夫金城学院大学初代学長の市村与市、郷土史家の市村咸人は実兄。

著書[編集]

共著[編集]

編集[編集]

共編[編集]

翻訳[編集]

監修[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 「河竹 繁俊氏(日本芸術院会員)」『朝日新聞』、1967年11月15日、11面。
  2. ^ 「河竹繁俊氏(かわたけ・しげとし=文化功労者、日本芸術院会員、文博・早大名誉教授)」『読売新聞』、1967年11月15日、11面。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]