永世中立国

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SIG SG550アサルトライフルを携帯したまま買い物するスイス民兵。
スイスは永世中立国であると同時に、徴兵制を有する国民皆兵国家でもある。

永世中立国(えいせいちゅうりつこく、: permanently neutralized state/country)とは、将来もし他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり、自国は中立の立場である事を宣言し、他国がその中立を保障・承認している、永世中立(フランス語: La neutralité permanente)の立場を取る国家[1]。この場合の中立は国際法上の義務である[2]。永世中立の立場を取るのは実効性を持つ政府でも可能であり、厳密には国家に限られない。

永世中立の条件[編集]

永世中立は伝統的中立とともに古い歴史を持つ概念であり、かなり古くから国際法に存在していた[1]。そのため、以下の条件を満たす必要があると考えられている[1]

  1. 複数の国家の同意による「中立化」が必要である[1]。このためアミアンの和約の際にイギリスが提案したマルタの永世中立化は、関係諸国の承諾が得られず、実現しなかった事例がある[3]
  2. 中立化に参加した諸国は、永世中立国の独立と領土保全を常時保障する義務がある[1]
  3. 永世中立国はその中立である領土を他国の侵害から守る義務がある[4]。そのため常設的な武装が求められる[1][5]
  4. 永世中立国は、自衛の他は戦争をする権利を持たない[1][4]
  5. 永世中立国は、他国が戦争状態にある時には伝統的中立を守る義務がある[1]
  6. 永世中立国は、平時においても戦争に巻き込まれないような外交を行う義務がある。従って、軍事同盟や軍事援助条約、安全保障条約の締結を行わず、他国に対して基地を提供してはならない[6][7]。戦時においては外国軍隊の国内の通過、領空の飛行、船舶の寄港も認めないが、これは中立国一般の義務でもある[8]
  7. 永世中立国は非軍事的な国際条約、国際組織には参加でき、思想的中立を守る義務、出版・言論の自由を制限する義務は持たない[6]
  8. 永世中立国は原則的に保障国の許諾無しに領域の割譲・併合などの変更を行わない。なお、ベルギーによるコンゴ自由国の併合のように、保障国の許諾が得られる事例もある[8]

軍事的な同盟国が無いため、他国からの軍事的脅威に遭えば、自国のみで解決することを意味する。すなわち、『どのような戦争に対しても「かならず/固定的に」中立の立場を採る国家』という意味である。日本語訳の「永世」のような『永遠に』『これから先もずっと』という意味合いは、全く持っていない。

よって、状況によっては「永世中立」を放棄することも可能であり、実際に放棄された事例もある。このため、スイスのように強力な国土防衛政策を採る国家もある(武装中立)。いわゆる「平和主義」や「非暴力非武装」や「無防備都市宣言」とは全く概念が異なる。

中立の定義[編集]

永世中立国には他国の紛争に荷担する行為など、戦争に巻き込まれる恐れのある行為を慎むことも求められる[9]。スイスは中立国であったために、他国からの政治的亡命者がスイスにおいて活動することもあった。ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)が亡命した際にはフランス政府が軍事な威嚇を行い、ルイ・ナポレオンが自発的退去を行ったこともある[10]。 また国家に対する経済制裁に参加することも中立違反となる。しかしローデシア問題のように、国家承認が得られていない独立を主張する政権に対する経済制裁は、中立違反とは見られていない[11]。また永世中立国が他国の戦時債権を買うことは中立義務違反となる。

このような見解に伴い、第二次エチオピア戦争の際に国際連盟イタリア王国に対する経済制裁を議決した際、スイスは加盟国であるにもかかわらず、伝統的中立政策に回帰して経済制裁を行わなかったという事例もある[12]。このためスイスは1945年の国際連合発足に当たっては、中立義務の遂行と国連加盟が両立しないとして加盟しなかった[13]。ただし国連機関の設置や、国連組織への参加は認めている[13]。一方でオーストリアは1955年に加盟が行われたが、その際にオーストリアの永世中立を問題にした国は存在せず、中立義務を守ることが可能であるという見解がとられていた[14]

国連における平和維持活動への兵力派遣は、中立義務違反とは見なされない[15]。オーストリアは1965年の憲法改正以降、コンゴ動乱国際連合キプロス平和維持軍に軍を派遣しており[16]、1968年には国連の要請に即時に対応するため、国連待機軍ドイツ語版を設置している[17]。またスイスも国連加盟の前からPKOに参加しており、1993年には待機軍を組織している[17]。これはPKOにおける派遣が非強制的な性格のものであり、公平性を義務づけられていたために、永世中立の義務と反しないという考えによるものである[18]。また、他国間の紛争を抑止することは永世中立国自体の利益となるとも考えられてきたことによる[18]。平和維持活動で、自衛の他の軍事力を執行することについては中立義務違反であるという解釈が一般的であったが、冷戦終結後には変化が生じている。平和維持活動による、平和強制のための軍事行動は、法の執行であり中立義務違反ではないという解釈である。この解釈は有力になり、スイスおよびオーストリアの政府も同じ見解を表明している[19]

一方でオーストリアとスイスが欧州共同体に参加することは、中立義務違反であるとしてソビエト連邦など東側諸国から反対されていた[20]。冷戦終結後、オーストリアは同様に強い中立政策をとるスウェーデンなどとともに欧州連合に参加している。

また永世中立は国民の立場をも統制するものではない。中立国の国民が戦時債権を買うことは中立義務違反ではない[21]。また国民が戦争の義勇兵となることも自由であり、永世中立国はこれを抑止する義務を持たない[21]

保障国の立場[編集]

永世中立国は中立条約締結国によって中立の法的地位を保障されるのを原則としている。ゆえに中立保障国は永世中立国の独立と領土の保全を尊重し、その独立が第三国によって侵犯されたならば、武力をもってこれを排除する義務を負う。このため1955年のオーストリアの永世中立国化によって、オーストリアはスイスの保障国から離脱したという事例もある[15]。一方でオーストリアの永世中立化に当たっては条約を交わすという形式を取らず、交換公文によって行われたが、これらの国はオーストリアの中立を尊重するとしたものの、保障は行わなかった[22]。中立を保障したのはオーストリアとソ連の間で交わされたモスクワ覚書によるものである[23]

また、保障国は中立国の憲法改正など、内政に干渉する権利は持たない[9]。しかしクラクフ共和国が大量の亡命者によって政府転覆された(クラクフ蜂起)際には、亡命者の受け入れを禁じた事前協定に反するとして保障三国(プロイセン、オーストリア、ロシア)による軍事占領が行われた事例もある[9]

永世中立国一覧[編集]

周辺国等の承認[編集]

周辺国等の承認により成立している諸国。

宣言のみ[編集]

以下の国は永世中立を宣言しているに留まる。

かつての永世中立国[編集]

列強が独立を承認したベルギールクセンブルクロンドン条約により、永世中立が定められた[28][29]。しかし両国とも第一次世界大戦ドイツ帝国の侵攻を受けた。ベルギーは国土の大半を占領されながらも抵抗し、非武装であったルクセンブルクは全土が占領された[29]。この後1920年に発効したヴェルサイユ条約で永世中立義務は解除された。ベルギーはその後連合国の一員としてロカルノ条約等に参加したが、ロカルノ体制崩壊後は中立に回帰した[30]。ルクセンブルクは国際連盟によってロンドン条約は有効であるため永世中立国であると再認定され[31]、非武装中立政策を継続していたが、両国とも1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、国土は占領された[29]。ベルギーは戦後に中立政策を放棄している[29]。ルクセンブルクは1948年のNATO加盟と憲法改正により事実上中立政策を放棄した。ただし憲法上では中立政策をとると規定している[29]

その他の永世中立国[編集]

日本における永世中立国化議論[編集]

戦後日本においては、日本国憲法第9条に戦争放棄の規定が設けられたこともあり、日本が中立国となるべきであるという主張を述べる者も多く現れた[29]。たとえば、1949年(昭和24年)3月のダグラス・マッカーサーが「日本は極東のスイスたるべき(現実世界のスイスは国民皆兵を前提とした重武装国家である)」と発言したという報道や[33]、同年3月3日・4月9日の読売新聞社説などに見られる[34]。ところが、中国大陸の共産化と朝鮮戦争の勃発により、保守右派にとって、永世中立化は非現実・幻想的な物と採られることになった。しかし革新・左派による中立化、永世中立化の主張はより強くなっている[29]

サンフランシスコ講和会議においては、ソビエト社会主義共和国連邦が日本の永世中立化を提案し、その後も1958年(昭和33年)に同様の提案を行っているが[35]日本国政府はこれを拒否している[36]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 30.
  2. ^ 礒村英司 2013, p. 39.
  3. ^ a b 山尾徳雄 1982, pp. 132.
  4. ^ a b 山尾徳雄 1983, pp. 195.
  5. ^ 山尾徳雄 1983, pp. 193.
  6. ^ a b 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 30-31.
  7. ^ 伊津野重満 1993, pp. 28.
  8. ^ a b 山尾徳雄 1983, pp. 194.
  9. ^ a b c 山尾徳雄 1983, pp. 190.
  10. ^ 山尾徳雄 1983, pp. 137.
  11. ^ 山尾徳雄 1985, pp. 150.
  12. ^ 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 32.
  13. ^ a b 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 34.
  14. ^ 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 37.
  15. ^ a b 伊津野重満 1993, pp. 26.
  16. ^ 広瀬孝文・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 47.
  17. ^ a b 礒村英司 2013, p. 42.
  18. ^ a b 礒村英司 2013, p. 41.
  19. ^ 礒村英司 2013, p. 45.
  20. ^ 伊津野重満 1993, pp. 27.
  21. ^ a b 伊津野重満 1993, pp. 23.
  22. ^ a b 山尾徳雄 1982, pp. 138.
  23. ^ 山尾徳雄 1982, pp. 137.
  24. ^ 伊津野重満 1993, pp. 25.
  25. ^ a b 山尾徳雄 1982, pp. 133.
  26. ^ 第1章 カンボジアに関する基礎情報 - 独立行政法人国際協力機構 I-2p
  27. ^ 山岡加奈子「コスタリカ外交 -理念と現実-」2012年3月、日本貿易振興機構アジア経済研究所『コスタリカ総合研究序説』所収
  28. ^ 山尾徳雄 1982, pp. 132-133.
  29. ^ a b c d e f g 倉頭甫明 1971, pp. 228.
  30. ^ 田村幸策 1969, pp. 33-34.
  31. ^ 田村幸策 1969, pp. 36.
  32. ^ a b 世界大百科事典内のLa neutralité permanenteの言及-コトバンク
  33. ^ 倉頭甫明 1971, pp. 233.
  34. ^ 倉頭甫明 1971, pp. 234.
  35. ^ 田村幸策 1969, pp. 48-49.
  36. ^ 田村幸策 1969, pp. 50.

参考文献[編集]

関連項目[編集]