櫛田神社 (福岡市)
櫛田神社 | |
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所在地 | 福岡県福岡市博多区上川端町1-41 |
主祭神 |
大幡大神(櫛田大神) 天照皇大神 素盞嗚大神(祇園大神) |
社格等 | 県社・別表神社 |
創建 | 天平宝字元年(757年) |
例祭 |
5月3日・4日(博多どんたく) 7月1日 - 15日(博多祇園山笠) |
櫛田神社(くしだじんじゃ)は、福岡市博多区にある神社である。古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集める。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう。5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている。旧社格は県社。地元の博多の人々からは「お櫛田さん」と愛称で呼ばれている。
祭神
祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られている。
当社以外にも日本全国にいくつかの櫛田神社があるが、それらが櫛名田姫を主祭神とする神社であるのに対し、当社では櫛名田姫は祀られていない。ただし、元々は櫛名田姫を祀る神社であったとする説もある。
大幡大神(大幡主命)は伊勢国松坂の櫛田神社から勧請した神とされている。別名を大若子命といい、天御中主神の19世の子孫で、北陸地方で怪物を退治したとされる。なお、大幡神を主祭神とする神社は佐渡市にあり、櫛名田姫を主祭神とする神社5社のうち3社も北陸地方にある。
歴史
社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられる。
他に、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説があり、櫛田神社の宮司らが編纂し1965年(昭和40年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や1979年(昭和54年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』はこの説を取り上げている。しかし、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もある。
戦国時代に荒廃したが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された。
1868年(明治元年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた。
その他
境内には、通例祭り期間中にしか見ることができないはずの博多祇園山笠の飾り山が、歴史を伝えるために唯一常設されている。これは、1960年(昭和35年)から『走れ!山笠』を放送し続けているKBC九州朝日放送が奉納している(2010年のKBC枠放送で紹介された)。これらもあってKBCは他局に比べ比較的有利な条件で中継を行っている。 また、境内の入り口付近には「櫛田の銀杏」とよばれる樹齢約1000年の銀杏の木がそびえる。「博多祝い歌」にも謡われ、県の天然記念物に指定されている。
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境内の飾り山
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櫛田の銀杏
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楼門天井にある恵方盤
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節分前後に設置される巨大お多福面
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境内の絵馬
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境内の手水舎(ちょうずや)
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博多ふ頭にある浜宮
交通
- 福岡市地下鉄空港線 祇園駅・中洲川端駅
- 西鉄バス
- 一般路線:キャナルシティ博多前バス停
- 福岡シティループバス「ぐりーん」:櫛田神社・博多町家ふるさと館前バス停