松平定儀

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松平定儀
時代 江戸時代中期
生誕 延宝8年(1680年
死没 享保12年9月25日1727年11月8日
官位 従五位下越中守
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家宣家継吉宗
越後高田藩
氏族 久松松平家定勝
父母 松平定重、笹尾氏
兄弟 定富定逵定儀水野忠定定弘
柳生俊平定利、福姫、松平忠雅室、
松平宗弥正室ら
定泰、千賀姫、酒井忠用正室
幾姫定賢
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松平 定儀(まつだいら さだのり)は、江戸時代中期の旗本大名越後国高田藩4代藩主。定綱系久松松平家6代。官位従五位下越中守

生涯[編集]

初代藩主・松平定重の六男として誕生。母は笹尾氏。

正徳2年(1712年)9月7日、本家から蔵米5000俵を分け与えられて旗本として分家した。寄合衆に所属した。享保10年(1725年)10月11日、甥で先代藩主の定輝が早世したため、その跡を継いだ。同年12月7日、8代将軍・徳川吉宗御目見する。同年12月18日、従五位下・越中守に叙任する。

享保12年(1727年)3月15日、お国入りする許可を得る。同年9月25日、高田で死去し、跡を養嗣子・定賢が継いだ。法号は大超院殿崇誉倒休大居士。

系譜[編集]