新居浜太鼓祭り

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一宮神社かきくらべ
山根グラウンドかきくらべ
夜太鼓

新居浜太鼓祭り(にいはまたいこまつり)は、愛媛県新居浜市を代表する秋祭りであり、徳島の阿波踊り・高知のよさこい祭りと並ぶ四国三大祭りとしても知られている。また日本三大喧嘩祭りとしても有名である。

毎年10月16日から18日(一部地域10月15日から開催)までの3日間、金糸銀糸に彩られた50台以上の絢爛豪華な太鼓台(たいこだい)と呼ばれる山車が練り歩く。

概要[編集]

新居浜太鼓祭りは、豊作などを祝い、新居浜市内各地で執り行われる秋祭り(祭礼)である。また、市内最大のイベントとして県内外から多くの観光客が訪れる。なお、当祭りは男祭りであり、主に男性のみが祭りに参加する。

祭りのメインは、太鼓台と呼ばれる神輿に供奉する巨大な山車の練り歩きである。瀬戸内海沿岸では新居浜太鼓祭りに似た山車が多く見受けられるが、その中でも新居浜のものは巨大で絢爛豪華である。高さ約5.4メートル、長さ約11メートル、重さ約2.5トンにもなる太鼓台を、総勢150人ほどの「かき夫」と呼ばれる担ぎ手らが担ぎ上げる。

新居浜市内で運行される太鼓台は52台ある。これらは、川西川東西部松神子・又野・下郷川東船木角野泉川中萩大生院の9地区いずれかに属し、それぞれ統一した運営のもと祭りが執り行われる。各太鼓台は、地元自治会や、青年団などによって維持管理される。

地元では太鼓台(たいこだい)を「太鼓(たいこ)」と呼ぶ。

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歴史[編集]

祭りの発生時期は明らかではないが、平安から鎌倉時代には存在したという説が有力である。元々の太鼓台は、神社祭礼の際に御輿のお供をする山車の一種であったが、時代を経る毎に次第に祭りの中心的存在となっていった。瀬戸内海沿岸の都市に同様の祭りがあることから、海上交通・貿易漁業などを通じて各地に拡がり、その土地ごとに様式や運行方法が独自に発達したと考えられている。もっとも古い太鼓台の記録は、江戸時代後期、文政年間 (1818 - 1830) で、当時は「神輿太鼓」と書かれていることが多かったが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなった[1]

明治初期以降、別子銅山の近代化・海岸部の工場建設などにより新居浜市は経済的にも人材的にも活気づいた。また、太鼓台を運営する地区同士が対抗意識や財力・体力自慢を見せるようになり、市内の太鼓台は巨大化したり金糸刺繍による豪華な幕で飾ったりと華やかなものに変貌した。それに伴い、かき夫も数を増していき、現在では一台あたり約150人のかき夫によって担がれている。

また、新居浜市の太鼓台は周辺市町村の太鼓台にも影響を与えており、隣接する四国中央市土居町全域と豊岡町の一部)や西条市でもほぼ新居浜の太鼓台と同じものが使用される。さらには、香川県西讃にもほぼ同様の太鼓台がある。これは、太鼓台を新調した際に、数十年使用した旧太鼓台が新居浜市外へ譲られたことによるものである。

年表・主な出来事[編集]

船御幸(1935年)
多喜浜駅前(1955年)
  • 平安時代鎌倉時代 - 地域の伝承によると太鼓台の起源は鎌倉時代、あるいは平安時代まで遡るといわれている。
  • 江戸時代 - 神輿太鼓として現在の太鼓台の形へ近づく。大きさは、現在の子供太鼓台程度。五穀豊穣・安全祈願として地域の興隆・繁栄に努めた沢津村(澤津)、宇高村(宇高)、垣生村(町・本郷・山端)、松神子村(田之上・松神子)の神輿太鼓が八幡神社の神輿に供奉する山車として八幡神社に宮入(奉納、祭礼行事)をおこなうようになる。
  • 明治時代中期 - 別子銅山開坑により産業が発展し、地域経済が発達するにつれて太鼓台の大型化が進み、明治中期には現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、飾り幕は豪華に、また天幕も膨らみを持ったものを付けるようになる。
  • 1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年) - 全太鼓台、出場見合わせ。
  • 1951年(昭和26年) - 新居浜市太鼓台運営協議会、発足。上部地区太鼓台運営委員会が発足、後に各地区でも発足。
  • 1953年(昭和28年) - 昭和天皇を奉迎。
  • 1966年(昭和41年) - 市内各地区で、それぞれで開催されていた日程を、10月16日から18日の3日間に統一され、上部・川西・川東の市内3地区による統一祭りとなる。(これにより喧嘩の一極集中化を軽減する助力ともなる。)
  • 1969年(昭和44年) - 日本万国博覧会出演太鼓台の審査会、開催。
  • 1970年(昭和45年) - 大江、江口太鼓台が、日本万国博覧会に出演。これを皮切りに太鼓台の派遣事業を本格的に開始。
  • 1971年(昭和46年) - 市役所通り(現在の県道13号線。平和通りとも)に市内3地区(当時)から20台が集結し、「にいはま太鼓寄せ」を開催。「新居浜太鼓まつり推進委員会」が発足し、平和運行への取り組みがより具体化される。
  • 1972年(昭和47年) - 岸之下、松神子太鼓台が、多喜浜駅前、八幡神社でよさこい鳴子踊りと交歓。
  • 1973年(昭和48年) - 中須賀、東町太鼓台が、阿波踊りと交歓。
  • 1974年(昭和49年) - 新居浜太鼓台保存会、発足。太鼓台の文化・観光価値の向上が目的。船御幸に太鼓台専用船が登場。
  • 1975年(昭和50年) - 統一寄せ、見送り。
  • 1986年(昭和61年) - 市制施行50周年前年祭とし、県道134号に川西地区と上部地区から17台が集結し、合同寄せ開催。北内、新田、松神子太鼓台が、第9回ふるさと世田谷区民祭りに出演。久保田太鼓台が、第28回全国交歓会松山大会に出演。
  • 1987年(昭和62年) - 市制施行50周年を記念し、国領川緑地に29台が集結し、初の市内全地区統一寄せを開催。
  • 1989年(平成元年) - 大江、楠崎、長野太鼓台が、スポレク愛媛89に出演。大江、北内、松神子太鼓台が、プレ国民文化祭に出演。
  • 1990年(平成2年) - 新田、中須賀太鼓台が、丸亀お城祭りに出演。宇高、中筋、西町太鼓台が、第5回国民文化祭・愛媛90に出演。
  • 1991年(平成3年) - 川東地区が分裂運行。これにより、川東西部地区太鼓台運営委員会が発足。浮嶋太鼓台(川東地区)が新設。北内、新田、中筋、高祖太鼓台が、マイントピア別子で、山御幸を開催。
  • 1992年(平成4年) - 岸影太鼓台(大生院地区)が新調。
  • 1993年(平成5年) - 久保田太鼓台が、第21回チンゲイ・パレードに出演。中筋、町太鼓台が、第13回全国豊かな海づくり大会に出演。川東地区でも船御幸が開催。喜光地太鼓台(上部地区)、土橋太鼓台(上部地区)、本郷太鼓台(上部地区)、上本郷(大生院地区)が新設。
  • 1994年(平成6年) - 新須賀太鼓台(川西地区)が新設。上泉太鼓台(上部地区)新調復活。久保田太鼓台(川西地区)、元船木太鼓台(上部地区)が新調。
  • 1995年(平成7年) - 松木坂井太鼓台(上部地区)新調復活。
  • 1996年(平成8年) - 喜来太鼓台(大生院地区)新設。
  • 1997年(平成9年) - 市制施行60周年を記念し、楠中央通りに39台が集結し、2回目の市内全地区統一寄せを開催。上原太鼓台(上部地区)、萩生東太鼓台(上部地区)新設。
  • 1998年(平成10年) - 下泉太鼓台(上部地区)新調復活。
  • 1999年(平成11年) - 北内、萩生東太鼓台が、御堂筋パレードに出演。下郷太鼓台(川東地区)が新設。大江太鼓台(川西地区)、本郷太鼓台(川東西部地区)、白浜太鼓台(川東地区)が新調
  • 2001年(平成13年) - 澤津太鼓台が、地域伝統芸能まつりに出演。長野太鼓台(上部地区)が新調。
  • 2002年(平成14年) - 宇高太鼓台が、2002 FIFAワールドカップ開会式前夜祭に出演。庄内太鼓台(川西地区)、東雲太鼓台(川東西部地区)が新設。田の上太鼓台(川東地区)が新調。
  • 2003年(平成15年) - 久保原太鼓台(上部地区)が新設。元船木太鼓台(上部地区)、高祖太鼓台(上部地区)が新調。
  • 2004年(平成16年) - 川東地区の6台(阿島、楠崎、白浜、新田、東浜、又野)が9月の豪雨被害により運行自粛。
  • 2005年(平成17年) - 松乃木太鼓台(川東西部地区)が新設。角野新田太鼓台(上部地区)、中須賀太鼓台(川西地区)、西町太鼓台(川西地区)が新調。
  • 2006年(平成18年) - 口屋太鼓台(川西地区)が新設。
  • 2007年(平成19年) - 市制施行70周年を記念し、国領川緑地にて3回目の統一寄せを開催。上部地区は参加せず、山根公園で市制施行70周年記念統一かきくらべを実施。この様子は、NHK BS2で全国放送された。
  • 2008年(平成20年) - 川西地区で、1966年以降初の週末開催(10月第3金土日)、実施。一宮の杜ミュージアムと名付けられた一宮神社参道に南北120メートルの桟敷席、設置。東田太鼓台(上部地区)が新設。萩生西太鼓台(上部地区)、又野太鼓台(川東地区)が新調。
  • 2009年(平成21年) - 江口太鼓台(川西地区)、東浜太鼓台(川東地区)が新調。
  • 2010年(平成22年) - 新居浜市太鼓祭り推進委員会が、平成22年度高円宮殿下記念地域伝統芸能 活用賞を受賞し、「第18回地域伝統芸能全国フェスティバルにいがた」及び「第10回地域伝統芸能による 豊かなまちづくり大会にいがた」に、岸之下太鼓台が出演。上部地区で週末開催(10月第3金土日)。
  • 2011年(平成23年) - 川東地区から、松神子太鼓台・下郷太鼓台・又野太鼓台が脱会。上部地区で2度目の週末開催実施(10月第3金土日)。
  • 2012年(平成24年) - 上部地区太鼓台運営委員会が解散し4地区太鼓台運営委員会に分裂(但し、山根グラウンド統一かきくらべは実施する)。船木地区太鼓台運営委員会(5台)、角野地区太鼓台運営委員会(4台)、泉川地区太鼓台運営委員会(4台)、中萩地区太鼓台運営委員会(6台)。川東地区(6台)、川東西部地区(8台)、下郷・又野・松神子地区(3台)の計17台による多喜浜駅前かきくらべ、八幡神社かきくらべが復活。(浮嶋太鼓台、宇高太鼓台は前年の鉢合わせにより出場停止)
  • 2013年(平成25年) - 震災復興プロジェクトとして宮城県気仙沼市のみなとまつりに口屋太鼓台が参加。川東地区(6台)、川東西部地区(8台)、下郷・又野・松神子地区(3台)の計17台による河川敷公園かきくらべが復活(山端太鼓台、東雲太鼓台は前年の鉢合わせにより出場停止)。宇高太鼓台(川東西部地区)、西原太鼓台(川西地区)が新調。金栄太鼓台(川西地区)が新設。
  • 2015年(平成27年) - 治良丸太鼓台(中萩地区)が新設。川東地区(全域)では異例の分離開催となる。(分裂騒動の深刻化)。
  • 2016年(平成28年) - 川西地区の口屋太鼓台が祭り前のトラブルにより解散。上部地区の中筋太鼓台、池田太鼓台が新調。
  • 2017年(平成29年) - 市制施行80周年を記念し、川西地区、川東地区、川東西部地区、下郷・又野・松神子地区、大生院地区による記念行事を予定(西町太鼓台と東町太鼓台、宇高太鼓台と垣生本郷太鼓台は前年の鉢合せにより出場停止、上部地区は不参加) 本町太鼓台(川西地区)が新設予定(上部地区の旧池田太鼓台を一式購入)

特徴・見どころ[編集]

内宮神社石段かきあげ神事[編集]

新居浜太鼓祭りは内宮神社の「太鼓台石段かきあげ神事」からはじまる。毎年10月16日午前4時の早朝から氏子中、「中筋」・「北内」・「角野新田」・「喜光地」4台の太鼓台が1年おきに参拝の順番を交代しながら内宮神社大鳥居をくぐり、その先に待ち構える約100段300メートルもの参道を夜明け前の暗闇の中、それぞれに趣向を凝らしたライトアップの太鼓台の「氏宮参り」を斉行する様は神聖にして圧巻。朝日によって辺りが明るくなる限られた時間内に拝殿前より退下し境内を速やかにあとに出来る後半戦のバイタリティーが各太鼓台による根性の見せ所ともなる。

かきくらべ[編集]

新居浜太鼓祭りの最大の見どころは「かきくらべ」である。通常は車輪を付けて運行されているが、かきくらべでは、車輪を外し、重さ約2.5トンの太鼓台を約150人のかき夫の力で担ぎ上げる。そして、天高く担ぎ上げる「さしあげ」や、房の割れ方、地面に降ろさずに担ぎ上げている耐久時間などのパフォーマンスを競う。かきくらべは、主に既述した5地区でそれぞれ開催されるほか、2地区以上で合同開催されることもある。また、市内全地区統一寄せも市制施行の10年ごとの周年行事として計画されている。

主要なかきくらべ会場[編集]

  • 川西地区
    • 一宮神社(一宮の杜ミュージアム)(12台)
    • 住友工場前(12台)
    • 大江浜多目的広場(12台)
  • 川東地区、川東西部地区、下郷・又野・松神子地区
    • 多喜浜駅前(17台)
    • 八幡神社(17台)
    • 国領川河川敷(17台)
  • 上部地区
    • 山根グラウンド(20台)
    • フレッシュバリュー大生院店(11台)
  • 大生院地区
    • フレッシュバリュー大生院店(11台)
    • 渦井川原(4台)※西条市の太鼓台7台も参加

船御幸[編集]

船御幸(ふなみゆき)は、豊漁と安全祈願を祈念する行事である。小型船に乗せられた神輿を先導に、大型の専用台船に乗せられた太鼓台が新居浜港本港地区内を一周しながらかきくらべ(さしあげ)などのパフォーマンスを行うこの行事は、川西地区が開催する。なお、この専用台船には、運航関係者とかき夫以外の乗船は禁止されており、広報などで繰り返し告知されている。平成22年は、船御幸までの太鼓台の運行予定が乱れた結果、台船が帰港した際に潮が引いた状態となり、台船と岸壁の間に大きな段差ができて太鼓台を上陸させる[2]のに手間取ることとなり、その後の運行予定が大幅に遅れた。

船御幸会場[編集]

  • 川西地区
    • 新居浜港本港地区

喧嘩(鉢合わせ)[編集]

平成19年川西地区鉢合わせ
平成16年上部地区鉢合わせ

金糸銀糸の絢爛豪華な太鼓台の華やかさと隣り合わせで、太鼓台同士をぶつけ合う危険な喧嘩(鉢合わせ)が絶えない現状がある。鉢合わせの要因は、突発的に発生するものもあれば、盛り上げを目的とした馴れ合い談合型のようなもの、従前よりの因縁対決など様々である。あわせて、一部のかき夫が暴徒化し警察官との衝突や、太鼓台および自治会施設の破壊行為に至るケースも少なくない。しかし、これはいずれも非合法の行為であり、愛媛県警察は毎年機動隊を投入し厳戒態勢のもと警戒にあたる。最も厳しい処罰を課せられた場合は、その場で太鼓台を解体させられ、翌年以降の出場停止処分になるため、毎年安全に対して主催者サイドは一番神経を遣う。

鉢合わせは、古くは漁師の漁場の奪い合いなどに端を発し、鉢合わせへと至った事例が多く見られた。昭和40年代に入り、毎年多くの死傷者が出ることに懸念を募らせた新居浜市及び警察等により「平和運行」をスローガンにかかげ、このような喧嘩行為の排除運動を始めた。しかし、平成に入ると問題はさらに深刻化し、1993年には川西地区で東町太鼓台と西町太鼓台が鉢合わせ行為を行い、東町自治会館が破壊される事態に至った。1997年には、新居浜市制施行60周年イベントの会場で、久保田太鼓台と江口太鼓台が鉢合わせ行為を行い、江口太鼓台が破壊され、多数の重軽傷者を出した。また同年、川東地区では、松神子太鼓台が警察車両の制止を振り切る形で運行ルートを逸脱し宇高太鼓台と激しくぶつかり合い、観光客が将棋倒しとなり死亡者が発生するなど大荒れとなった。この年の事件は、TBSニュースの森がこの模様をトップニュースとして報じるなど、主要報道機関でも大きく取り上げられたが、この問題の解決の方向はいまだはっきりとしておらず、その後も鉢合わせ行為は毎年のように行われ、多くのけが人・逮捕者を出し続けている。

しかし、こういった状況には賛否両論が存在する。鉢合わせを楽しみに見物に来る観光客も多く存在し、鉢合わせを煽る見物態度などが市民アンケートなどで指摘されている。よって、鉢合わせ行為は危険ではあるが、祭りを楽しむという切り口においては無益と言い切れない面がある。また、他の都市では神輿などの鉢合わせを伝統行事として行っている所があり、太鼓台の鉢合わせを喧嘩と呼ぶことに難色を示す声もある。喧嘩とは明確に切り離してルールに則った行事として行えないかという議論もある。

新居浜市内の太鼓台[編集]

川西地区(12台)[編集]

  • 大江、東町、久保田、新田、江口、西町、中須賀、西原、新須賀、庄内、金栄、本町

川東地区(6台)[編集]

  • 阿島、楠崎、白浜、新田、田之上、東浜

川東西部地区(8台)[編集]

  • 浮嶋、宇高、澤津、東雲、本郷、町、松乃木、山端

下郷、又野、松神子地区(3台)[編集]

  • 下郷、又野、松神子

船木地区(5台)[編集]

  • 池田、久保原、高祖、長野、元船木

角野地区(4台)[編集]

  • 北内、新田、中筋、喜光地

泉川地区(4台)[編集]

  • 上泉、下泉、東田、松木坂井

中萩地区(7台)[編集]

  • 上原、岸之下、治良丸、土橋、萩生西、萩生東、本郷

大生院地区(4台)[編集]

  • 上本郷、岸影、喜来、下本郷

観光イベントとしての太鼓祭り[編集]

新居浜太鼓祭りは、毎年十数万人の観客で賑わう。観客はピーク時の3分の1ほどに減少したが、依然として新居浜市最大の観光資源である。このため、祭りを観光資源としてもっと活用しよう、マナーを改善しようとする動きは、既に二十年以上前からある。祭事であるため行政が直接関わることは政教分離に抵触することから、新居浜市や愛媛県は観光イベントとしての協力や広報活動などを活発に行っている。

2007年には愛媛県、新居浜市、西条市及び関連の事業者・団体により、西条祭りとともに観光資源としてグレードアップを図ろうと、「えひめの祭り観光ブランド化モデル事業」が始まった。これは、全国に誇れる祭り(ポスター等においては、西条は「まつり」とひらがな表記)として情報発信の強化、都市圏域からの観光客数の増大、広域観光ネットワークの形成を狙いとし、入込客数を現況の約30万人(西条まつりを含む)から約40万人にしようという構想である。それらの取り組みが、旅行会社による新居浜太鼓祭り見学ツアー商品化に繋がり、市外からの観光客増が期待されている。

また、新居浜太鼓祭りは各地の祭りやイベントに参加するなどPRに余念がない。1970年(昭和45年)に大阪府で開催された日本万国博覧会に参加したのを皮切りに、国内外を問わず太鼓台の派遣を行う。

さらに、開催日を従来の固定制から土日を含んだ週末開催に変更し、市外からの観光客の増加を図ろうとする議論がある。2008年(平成20年)は、多くの反対があるなか川西地区が週末開催を実行したが、以降は従来の日程に戻っている。

上部地区でも2011年(平成23年)に週末開催を実行したが、従来の開催日(10月18日)に行われる、氏神である萩岡神社の神輿渡御に参加を決定した岸之下と萩生西の2台を、中萩の運営委員会が除名するなど問題が残った。

しかし、どこの祭りにもあるように、祭りはその地域に住む人々で楽しむものだとの意見も根強い。それが一部の「喧嘩(鉢合わせ)は祭りの華」という考えにも結びついている。今日の川西地区、上部地区の観光化してしまった祭りに対する批判もあるが、流れは更なる観光イベント化へと向かっている。

祭りと市民気質[編集]

新居浜市出身者は、「盆・正月は帰らなくとも、祭りには休みを取ってでも帰省してくる」といわれるとおり、新居浜太鼓祭りに対する思い入れは強く、事実何よりも祭りを優先する人は少なくない。そのため祭りが行われる10月から始まるカレンダーが毎年作成されている。かき手たる男性のみならず、女性も着飾るなど、一種のハレの場となる。

歴史的経緯から、自治会間の対抗意識が強く、太鼓台の巨大・豪華さは常に競い合っている。近年は、中古の太鼓台を購入し、新たに太鼓台を持つ自治会となるケースが増えている。また、子供太鼓台を所有する自治会も多い。

しかしながら、太鼓台を新調するためには数千万円もの費用がかかるうえ、その運行や維持管理にも多額の費用がかかる。それらの費用は、太鼓台運行時に企業や個人から供される「御花」(寄付)や、地区外からかき夫となることを希望する者より徴収する参加費などでも賄われるものの、主には、太鼓台を持つ地区の住民や企業への、寄付依頼や自治会費上乗せ、地区一斉清掃などの各種行事に参加しない自治会員に課せられる「立て入れ金」などで住民に相当の負担を強いているのが現状である。

祭り好きな市民気質から、寄付などを断れないという人も多い一方、祭りに関心のない市民を中心にこれらの費用負担を嫌って太鼓台のない地区へ転居する世帯、自治会への加入を拒否する世帯も少なくなく、新居浜市外(主に西条市ニュータウン)へ転出する世帯まであるといわれるが、明確な調査などは行われておらず、実態は明らかになっていない。

また、かき夫の高齢化が進んでおり、人材不足に悩む太鼓台も少なくない。

学校での祭り集会と子供太鼓台[編集]

新居浜市内の全小学校と上部地区の中学校には、太鼓台が入り「お祭り集会」が開催される。また、「上部地区山根グラウンド統一かきくらべ」では、普通の太鼓台の前座として子供太鼓台が披露される。また、毎年5月の連休に「春は子ども天国」と称して子供太鼓台の運行が行われる。

子供太鼓台は、大人太鼓台に比べて大きさは数割小さいが、金糸の刺繍などの豪華さ、太鼓台における役割分担はほぼそのまま踏襲されている。

「子供太鼓台」と普通の太鼓台を区別するため、地元では普通の太鼓台を「大人太鼓台」と呼ぶこともある。

子供太鼓台は文字通り子供が主体となるものの、大人が運行サポートに入る他、大人がかくこともある。

子供太鼓台と大人太鼓台は親子関係になっているところもあれば、大人太鼓台はあるが子供太鼓台がない、またその逆や両方とも無い地域がある。子供太鼓台だけに存在する「地区名」もある。

なお、子供が高校に進学すると西条や四国中央市のほか今治松山へ通学する学生も出てくることから、祭りへの関心は二極化するとの説もあるが、明確ではない。

地方祭休業[編集]

新居浜と(旧)西条では、祭り期間中の「地方祭休業」が通例化している。地元企業を中心に休業、病院や診療所は休診、学校は休校となるところが多い。元日に近い様相になるが、官公庁、銀行などは通常業務を行う。ただし、有給休暇を消化し祭りに参加する市民も多く、行政でも地方祭での有給休暇消化を奨励している。ちなみに、新居浜市・西条市は相互で越境しての通勤者がままある都市であるが、西条祭りの参加者は、新居浜市の地方祭休業との日程差を有給休暇の消化で穴埋めする。(その逆も当然あり得る。)したがって、この2つの祭りの期間中は、開店休業状態となる企業や部署も少なくない。

交通への影響[編集]

かきくらべ会場などの付近は、太鼓台の進入路を確保する目的などで車両進入禁止の臨時交通規制が行われる。それ以外にも、かきくらべ会場周辺では低速の太鼓台が道路を塞ぐ上[3]他見物客のマイカーにより大渋滞が発生することがある。

路線バスは迂回運行、臨時運休となる便が出る他、太鼓台の運行状況によっては経路変更や区間運休を行う可能性があると示したうえでえの「条件付き運行」が行われる他、大幅な遅延が発生する場合がある(瀬戸内運輸も参照されたい)。また日時や時間帯により新居浜インターチェンジを先頭に渋滞が発生することもある。

一方、新居浜市では祭り期間中にも帰省ラッシュが発生する。せとうちバスは例年この時期、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始同様、関東・関西方面からの高速バスを増便して対応している。

脚注[編集]

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  1. ^ 新居浜市公式サイト「太鼓台の歴史概説」
  2. ^ 平成28年度は満潮時に太鼓台を船から下ろしたため1時間はかかった。リフトを使わざる得なかった。前日の工場前(住友化学愛媛工場)で久保田太鼓台は西原太鼓台にかき棒を折られたため、乗船できなかった。かき棒が折られた理由は小競り合い。
  3. ^ 太鼓台はかきくらべ会場などへの移動に、交通への影響が大きい片側一車線の幹線道路(国道11号など)をさけ、裏街道や2車線以上の太い道路を運行するようにしているが、地理上幹線道路の通行を避けて通れない場合がある。

参考文献[編集]

  • 新居浜市 『―勇壮華麗な男祭り― 新居浜太鼓祭り』 新居浜市、2007年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]