慈眼院

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慈眼院
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多宝塔 (国宝)
所在地 大阪府泉佐野市日根野626番地
位置 北緯34度22分27.3秒
東経135度20分36秒
座標: 北緯34度22分27.3秒 東経135度20分36秒
山号 大悲山
井堰山(旧称)
院号 慈眼院
無邊光院無辺光院(旧称)
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗御室派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)天武天皇2年(673年
開基 覚豪
正式名 大悲山 願成就寺 慈眼院
井堰山 願成就寺 無邊光院(旧称)
別称 大井堰御坊 慈眼院
札所等 仏塔古寺十八尊第12番
和泉西国三十三箇所客番
文化財 多宝塔国宝)、金堂(重要文化財)、境内(国の史跡
法人番号 6120105006313
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慈眼院(じげんいん)は、大阪府泉佐野市日根野[1]にある真言宗御室派寺院山号は大悲山、寺号は願成就寺。近世末までは、隣接する日根神社神宮寺であった。国宝多宝塔石山寺多宝塔、金剛三昧院多宝塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとして知られる。また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。仏塔古寺十八尊第12番札所。

歴史[編集]

伝承によれば、天武天皇2年(673年)、天皇の勅願寺として、また日根神社神宮寺として井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、奈良時代天平年間(729年から749年)、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。

南北朝正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。その後、後村上天皇後亀山天皇の勅命により再興された。

慈眼院の位置する日根荘(ひねのしよう、日根野荘)は、五摂家の1つである九条家荘園であった。文亀元年(1501年)から4年間、前関白九条政基が日根に滞在して領地の直接経営にあたり、日記「政基公旅引付」(宮内庁書陵部蔵)を残している。

天正13年(1585年)には豊臣秀吉根来寺攻めの兵火を受けて、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。その後慶長7年(1602年)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、奥之坊山之坊明王院戒躰院稲之坊中之坊下之坊(現・日根神社社務所)、東方寺上之坊明神社観音堂毘沙門堂護摩堂の堂宇が建立された。寛文年間(1661年から1673年)には岸和田藩藩主岡部氏により修復が行われ、寛文5年(1665年)、中之坊が仁和寺性承門跡から現在の院号慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となった。

伽藍[編集]

札所等[編集]

拝観情報[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』36号、朝日新聞社、1997

関連項目[編集]

周辺情報[編集]

外部リンク[編集]

  • 慈眼院
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