巨人・大鵬・卵焼き

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巨人・大鵬・卵焼き(きょじん・たいほう・たまごやき)とは、昭和時代(戦後期)の流行語。「子ども(を含めた大衆)に人気のあるもの」の代名詞として、

  1. プロ野球の巨人軍(読売ジャイアンツ
  2. 大相撲横綱大鵬
  3. 料理の卵焼き

を並べたものである。

概要[編集]

日本の高度経済成長期、西暦では1960年代(昭和35年~昭和44年)、元号では昭和40年代(1965年 - 1974年)の雰囲気を表現する場合に使用される。

大鵬の初優勝が1960年(昭和35年)の11月場所、引退を決意するのが1971年(昭和46年)の5月場所。プロ野球セントラル・リーグの読売巨人軍は1950年代から常に上位を占める強豪チームだったが、中でも(すでに入団していた)長嶋茂雄王貞治ON砲に加えて川上哲治が監督に就任し、6年ぶりに日本シリーズを制覇したのが1961年(昭和36年)[1]、日本シリーズ9連覇(V9)を成し遂げるのが1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)にかけてである。『巨人・大鵬・卵焼き』の言葉は昭和40年代前半から昭和45年頃の昭和元禄の時期の文化を背景にして誕生した流行語である[2]

由来[編集]

生みの親は作家経済企画庁長官も務めた堺屋太一とされる。堺屋が通商産業省(現在の経済産業省)の官僚だった1961年(昭和36年度)の経済報告の記者会見の席で「子供たちはみんな、巨人、大鵬、卵焼きが好き」と話して広まることになった[3]。もとは若手官僚の間で、強い巨人軍や大鵬、物価の優等生と呼ばれたが「時代象徴」だと冗談で話していたことがきっかけであったという[4]

巨人[編集]

巨人は川上哲治監督の徹底した管理野球による手堅い勝利の積み重ねで、空前絶後ともいえる9連覇を実現した。当時の戦術やその特徴についてはV9 (読売ジャイアンツ)を参照。

しかし、長嶋をはじめ主軸だったメンバーも年齢を積み重ねて衰えが出たり怪我に泣かされるようになり、1973年(昭和48年)のリーグ優勝は最終戦までもつれ込んだ。1974年(昭和49年)中日ドラゴンズのリーグ優勝により10連覇が阻止されると川上監督は辞任、長嶋も引退して川上巨人は終焉を迎えた。昭和30年代 - 昭和40年代の巨人と大鵬の手堅さによる安定感は、同時期の佐藤栄作率いる自由民主党政権と共通した高度経済成長期の様子がうかがえる[2]

大鵬[編集]

1940年昭和15年)生まれの大鵬は、1956年(昭和31年)に才能を見出されて二所ノ関部屋に入門して初土俵を踏んだ。1960年(昭和35年)に初入幕した。11月場所で優勝して大関に昇進。1961年(昭和36年)9月場所に3回目の優勝をして、異例の早さで横綱に昇進した。好敵手の柏戸が同時に横綱に昇進し、以後両者が横綱に在位した期間は「柏鵬時代」と呼ばれる[2]。その後1971年(昭和46年)の引退までに優勝32回という前人未踏の記録を樹立した(この記録は、第69代横綱の白鵬翔が、2015年(平成27年)初場所に33回目の優勝を達成するまで破られなかった)。大鵬は猛烈な稽古によって打ち立てられた手堅く負けない相撲を基本として、度重なる怪我もやはり激しい稽古によって克服した。大鵬は美男子としても評判だった。

大鵬自身は「巨人と一緒にされては困る」と語ったこともある[5]。その理由は、大鵬自身がプロ野球でアンチ巨人(巨人が嫌い)だったことと、団体で行う競技の野球と個人で行う競技の大相撲を同一視されなくない気持ちがあったためであるという。大鵬は相撲を取るための天才と言われたら、自分は天才ではなく努力家であると反論した。「巨人のスーパースターである長嶋茂雄と同列に見られたり引き合いに出されたりしたが、自分はあのような天才でもなければスターでもない、南海野村克也のような下から苦労した努力型で、ああいう選手に親しみを感じる」「自分くらい努力した人間はいない。稽古も人一倍やった。巨人・大鵬・卵焼きを言われた時は冗談じゃないと思った。いい選手をそろえた巨人と裸一貫稽古稽古で横綱になった自分が何で一緒なのか。天才という響きは生まれつき持って生まれた素質の良さだけで、そんなに努力しなくても勝てるというニュアンスが感じられて余計嫌だった、むしろ柏戸の方が怪我のためにあまり稽古しないのに、あんなに強かった点では『大鵬より柏戸の方が天才』」と大鵬は述べている[6]

大鵬は自伝に『巨人 大鵬 卵焼き ― 私の履歴書』という題名を付けた。その中で「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語について、自分の相撲は安心して見られるから素人受けしたのが理由と述べている。なお、大鵬は前述の通りアンチ巨人であったが、巨人の選手の中でも自身と同じく典型的な努力型の選手で、なおかつ自身と同じ1940年(昭和15年)5月生まれでもある王貞治とは大変親しく、青年時代には大鵬と王は一緒に酒を飲む仲であった。

卵焼き[編集]

1960年代には、高度経済成長による所得増加と共に他の諸物価も急上昇した。しかし卵については、1950年代から現代に至るまで、価格の変動がほとんどなく[7]「物価の優等生」と呼ばれた。1950年代までは卵は高価な食材であり、庶民が日常で食べられるものではなかったのだが、1960年代に至って庶民も毎日食べられる食材となった。そのため卵焼きが、子供たちの好きなものとして特筆されるようになった。

もじった呼称[編集]

大洋柏戸水割り
「巨人・大鵬・卵焼き」が「子どもが好きなもの」の代名詞として使われたのに対し、「大人(特に男性)が好きなもの」を指す対語として挙げられた[8][9]。大洋ホエールズは大鵬の初優勝と同じ1960年(昭和35年)に日本一となっている。
江川ピーマン北の湖
1970年代後半(昭和50年代前半)に「嫌われるもの」の代名詞として『江川・ピーマン・北の湖』という呼び方が揶揄的になされた[9][10]。北の湖は大鵬とは逆に強さが仇となり[10]、江川卓は江川事件による巨人への入団経緯への印象からこのように呼ばれた。
おしん家康隆の里
1983年の流行語。同年放送された連続テレビ小説の主人公・おしん、大河ドラマとなった徳川家康糖尿病を患いながら30歳にして横綱昇進した隆の里を「辛抱する人の代表」として並び称したもの[11]

脚注[編集]

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  1. ^ ただし、王が「一本足打法」を取り入れて初めて本塁打王と打点王のタイトルを獲得するのは1962年、「ON砲」の愛称が生まれるのは1963年である。
  2. ^ a b c 古川 2006, pp. 194-195.
  3. ^ 「巨人、大鵬、卵焼き」の生みの親 堺屋太一さんが大横綱悼む - スポーツニッポン2013年1月21日
  4. ^ 「巨人・大鵬・玉子焼き」の生みの親 堺屋太一さん 「残念、昭和ははるか遠くに」 - MSN産経ニュース2013年1月20日
  5. ^ 大鵬 2001.
  6. ^ 大鵬 2001, pp. 138-139.
  7. ^ 昭和29年~昭和63年の月別鶏卵価格
  8. ^ 大相撲 古今 酒豪番付:時事ドットコム”. 時事通信社. 2016年9月15日閲覧。
  9. ^ a b 渡辺学 (2013年1月22日). “ツアーにもなった「巨人、大鵬、卵焼き」とその反語|ニュースのフリマ”. 東京スポーツ. 2016年9月15日閲覧。
  10. ^ a b 「江川ピーマン北の湖」強すぎで揶揄 - 日刊スポーツ2015年11月21日
  11. ^ 大河ドラマの人気主人公特集 3 戦国の名将 徳川家康 | 大河ドラマ”. NHK. 2016年9月15日閲覧。

参考文献[編集]