山形県縦断駅伝競走大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山形県縦断駅伝競争大会(やまがたけんじゅうだんえきでんきょうそうたいかい)は、山形新聞山形放送(YBC)、山形陸上競技協会などが主催するロードレース大会である。主催誌の表記、および放送番組の発信(テレビ、ラジオ)などでは、「県縦断駅伝」または「縦断駅伝」と略される事がある[1]

概要[編集]

毎年昭和の日の直前から当日にかけて開催され、3日間をかけて山形県最北端の遊佐町から県内をぐるっと回り、山形市までの300㎞超を走り抜ける駅伝大会である。

1955年(昭和30年)に「昭和の大合併」を記念して第1回大会が行われ、2015年に第60回大会を迎えた歴史ある大会となっている。これは、歴史的には「箱根駅伝」に及ばないものの、現在行われている(開催が継続中の)大会において「300㎞以上の距離の駅伝を60年以上にわたって続けている」のは世界的にも例がない[2]

山形県民にとっては、の開花時期にも重なり、春の訪れを感じさせる一大風物詩として親しまれている。また、県を11ブロックに分け、「郷土の誇りをかけた代理戦争」としての側面も強く、大会期間中には沿道や中継所に大勢の観衆が集まり、ランナーに声援を送っている。

現在の出場チーム(第14回大会 - )[編集]

  • 酒田・飽海(濃緑)
  • 鶴岡・田川(黄色)
  • 新庄・最上(藤色)
  • 北村山(薄緑)
  • 寒河江・西村山(紺色)
  • 天童・東村山(水色)
  • 山形(紫色)
  • 上山(橙色)
  • 南陽・東置賜(海老茶)
  • 長井・西置賜(桃色)
  • 米沢(赤色)

※()は襷の色

※大会によって、関東大学陸連に所属する大学陸上部が招待されることもある。

※酒田・飽海は第13回大会までは「酒田」と「飽海」に分かれていた。

※鶴岡・田川は第9回大会までは「鶴岡」と「東田川」に分かれていた。

コース[編集]

1日目:遊佐〜新庄間(113.5km)
第1区(17.1km):遊佐(遊佐町月光橋) - 酒田(酒田市役所)
第2区(10.4km):酒田 - 黒森(酒田市黒森㈱金龍前)
第3区(10.9km):黒森 - 湯野浜(鶴岡市湯野浜温泉
第4区(7.4km):湯野浜 - 大山(鶴岡市大山郵便局)
第5区(6.2km):大山 - 鶴岡(鶴岡市役所)
第6区(9.2km):鶴岡 - 藤島(鶴岡市藤島庁舎)
第7区(6.8km):藤島 - 立川(庄内町立川小学校)
第8区(20.2km):立川 - 古口(戸沢村古口除雪ステーション)
第9区(9.6km):古口 - 升形(新庄市升形公民館)
第10区(5.9km):升形 - 鮭川(鮭川村JAおいしいもがみ鮭川支店)
第11区(10.0km):鮭川 - 新庄(新庄市役所)
2日目:新庄〜長井間(111.9km)
第12区(9.3km):新庄 - 舟形(舟形町郵便局)
第13区(13.9km):舟形 - 尾花沢(尾花沢市役所)
第14区(18.1km):尾花沢 - 村山(村山市五日町公園)
第15区(6.1km):村山 - 東根(東根市役所)
第16区(8.5km):東根 - 天童(天童市役所)
第17区(11.3km):天童 - 寒河江(寒河江市六供町公民館)
第18区(7.2km):寒河江 - 大江(大江町左沢橋前)
第19区(11.3km):大江 - 朝日(朝日町宮宿郵便局)
第20区(16.1km):朝日 - 白鷹(白鷹町役場)
第21区(11.6km):白鷹 - 長井(長井市役所)
3日目:長井〜山形間(79.9km)
第22区(13.0km):長井 - 川西(旧川西町役場)
第23区(13.4km):川西 - 米沢(米沢市役所)
第24区(3.3km):米沢 - 上郷(米沢市上郷小学校
第25区(7.6km):上郷 - 亀岡(高畠町亀岡文殊参道口)
第26区(3.1km):亀岡 - 高畠(高畠町文化ホールまほら
第27区(8.7km):高畠 - 南陽(南陽市えくぼプラザ
第28区(16.6km):南陽 - 上山(上山市役所)
第29区(14.2km):上山 - 山形(山形メディアタワー

※各日距離は第67回大会(2023年)の距離、3日間合計距離=307.0㎞。

放送[編集]

山形放送ラジオ
この大会は主催者である山形新聞・山形放送(YBC)にとっても毎年最大のスポーツイベントである。特にYBCラジオでは開局時からの伝統で、大会期間中は連日臨時編成を組み、スタートからゴールまで完全生中継している。以前は最終日にはテレビでも最終区間を中心に、実況生中継を行っていた。
また大会運営のために各地の支社・支局を提供しており、そこで審判会議など大会運営のための会合を行っている。

備考[編集]

  • 長年、陸上自衛隊神町駐屯地を抱える北村山チームと、伝統的に陸上が盛んで、選手層の厚さを誇る酒田・飽海チームが激しく優勝を争う構図が続いていたが、ここ数年は南陽チームや天童チーム、新庄・最上チーム、長井・西置賜チーム等が他県出身の選手を地元企業に誘致しており、以前よりも混戦となってきた。
  • 第45回大会までは各日午前8時のスタートであった。第46回大会より、第2日目のスタート時間が午前8時40分に変更された。これは、通勤時間帯の道路混雑を避けること及び、第13区の選手が大石田駅踏切を通過する時刻が電車通過時刻と重ならないよう考慮したものである。また、第55回大会からは、第1日目のスタート時間が午前8時20分に変更された。(尚、第13区は第56回大会より大石田踏切を通過しないコースへと変更になっている)。
  • 第20区は通称「峠越え」と呼ばれており、「箱根駅伝の山登り区間」の様なレースの一つのハイライトとなっている。
  • 市町村合併によってチーム数・チーム分けが変更になることがある。上山チームは、上山市山形市との合併が決まった事により、一度は「ラストラン」を行ったが、その後、合併の破談によりチームは存続している。
  • 山形新聞2011年3月21日掲載分にて、東日本大震災の影響を受け諸事情により、(2011年の)第57回は中止する旨が発表された。 これは、自粛[3]という形である事はもとより、毎回各チーム・ランナーを先導するのと追走するのが(全国中継の様な白バイではなく)自衛隊車両である事も関係している(現在は、自衛隊車両による追走は引き続き行われているが、ほぼ全区間で白バイの先導となっている)。前述の通り、山形県内にも駐屯地があり(車両も含めて)隊員たちは被災地に出向している事も要因の一つとなっている。尚、2012年は復活開催され、大会回数は2011年はカウントせず、改めて57回大会として開催された。
  • 第57回大会で南陽・東置賜が優勝したことにより、上山が唯一優勝経験がないチームとなった。
  • 第65回(2020年)は新型コロナウィルス感染拡大に伴い、大会に向けた準備不足など各チームの状況を考慮して中止となった[4]
  • 第66回(2022年)南陽・東置賜が前人未踏の10連覇達成。

戦績[編集]

優勝チーム[編集]

  • 第1回 - 第3回:寒河江・西村山
  • 第4回:米沢
  • 第5回:山形
  • 第6回:米沢
  • 第7回:長井・西置賜飯豊町
  • 第8回:北村山
  • 第9回:山形
  • 第10回 - 第12回:北村山
  • 第13回・第14回:天童・東村山
  • 第15回:新庄・最上
  • 第16回・第17回:鶴岡・田川
  • 第18回・第19回:寒河江・西村山
  • 第20回・第21回:新庄・最上
  • 第22回:北村山
  • 第23回:新庄・最上
  • 第24回 - 第32回:酒田・飽海
  • 第33回:米沢
  • 第34回:酒田・飽海
  • 第35回:米沢
  • 第36回:酒田・飽海
  • 第37回:米沢
  • 第38回 - 第45回:酒田・飽海
  • 第46回 - 第51回:北村山
  • 第52回:酒田・飽海
  • 第53回 - 第56回:北村山
  • 第57回 - 第67回(継続中):南陽・東置賜

総合優勝回数[編集]

  • 1位 酒田・飽海 20回
  • 2位 北村山 15回
  • 3位 南陽・東置賜 11回
  • 4位 米沢 5回
  • 5位 寒河江・西村山 4回

連覇[編集]

  • 南陽・東置賜 11連覇(第57回~継続中)
  • 酒田・飽海 9連覇(第24回~32回)
  • 酒田・飽海 8連覇(第38回~45回)
  • 北村山 6連覇(第46回~51回)

※5連覇以上

タイム[編集]

  • 1日目 5:54:15(山形 64回)
  • 2日目 5:54:06(南陽・東置賜 64回)
  • 3日目 4:08:01(山形 64回)
  • 総合 16:00:26(南陽・東置賜 64回)

本駅伝に出場した著名選手[編集]

  • 今井正人 (第60回大会、最終区間ゲストランナー)
  • 松田和宏(南陽・東置賜)
  • オンベチェ・モカンバ(第50回記念大会、ゲストチーム山梨学院大学)
  • メクボ・ジョブ・モグス(第50回記念大会、ゲストチーム山梨学院大学)
  • ジョセフ・オンサリゴ(南陽・東置賜)
  • オンディバ・コスマス(南陽・東置賜)

市町村対抗駅伝を行っている他の都道府県[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 一例として、開催中の途中経過では「現在、県内で行われている<縦断駅伝>で・・・」と放送(表記)される。
  2. ^ 過去には、1951年~2002年まで(途中休止も含めて全45回=現在まで継続されていれば60回を超えていた)行われた東日本縦断駅伝の759.0km、1952年~2013年まで(全62回)行われた九州一周駅伝(開催時1090.29km、のち59回まで1056.6km、最終回まで739.9㎞)などが存在した。共に、交通網の整備に伴う、交通量の増加による警備などの運営費増大や選手の安全確保の問題により、消滅・廃止されている。
  3. ^ ただし、本来の実施時期に合わせて、県内の各地域(チーム)選抜による天童市内のみでのチャリティー駅伝(1日限り全7区間)が開催された。
  4. ^ 県縦断駅伝、中止 選手の健康、第一に - 山形新聞、2020年3月25日(2020年5月4日閲覧)

外部リンク[編集]