大江町

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山形県 > 西村山郡 > 大江町
おおえまち
大江町
Urushi-river-Ancient-battlefield 2014.jpg
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
西村山郡
団体コード 06324-0
法人番号 1000020063240
面積 154.08 km²
総人口 8,191
推計人口、2017年10月1日)
人口密度 53.2人/km²
隣接自治体 寒河江市
西村山郡西川町朝日町
東村山郡中山町山辺町
町の木 スギ
町の花 アジサイ
他のシンボル 町の鳥:ヤマセミ
町の魚:サクラマス
大江町役場
町長 渡邉兵吾
所在地 990-1101
山形県西村山郡大江町大字左沢882番地1
北緯38度22分50.7秒東経140度12分24.5秒
Aterazawa Oe office 2006.jpg
外部リンク 大江町 公式サイト (日本語)

大江町位置図

― 市 / ― 町・村

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大江町(おおえまち)は、山形県の中央部にある人口約8千人の元禄年間より大正初期にかけ、最上川舟運の中継地として大いに栄えた。1959年(昭和35年)、左沢町漆川村の合併により成立。

地理[編集]

概要[編集]

面積153.92km²。その約80%にあたる126.33km²が森林である[1]。 町域は、山形盆地の南西端から朝日連峰西端の小朝日岳まで東西約24kmに細長く広がる。行政上、町域は、東から左沢地区・本郷地区・七軒地区に区分される。また、東に接する寒河江市内および東村山郡中山町内に、複数の飛び地を抱えている。

町域西部は、朝日山系の小朝日岳や古寺山等が連なる高山帯となっている。小朝日岳を水源とする一級河川月布川が町域の中央部を横断(東進)し、町域東端の左沢地区で最上川に合流している。月布川の本・支流に沿って集落が展開しており、同河川に並行して走る主要地方道の山形県道27号大江西川線が主要な集落を繋いでいる。集落の平均標高は212mであるが、町域で標高200m以下にあるのは総面積の13.7%にすぎない[2]

町の中心地は町域東端の左沢地区であり、人口の7割超が集中している[3]JR左沢線の終点左沢駅があり、国道287号および458号のが通る。 左沢の市街地は、最上川が長井盆地山形盆地との境界となる峡谷部を抜けた谷口から、最上川と月布川の合流点附近の氾濫原および河岸段丘上にかけて形成されている。段丘面の標高は約105~110m程度、最上川の川面の標高が約100m程度である[4]。 なお、左沢は難読地名であるが語源については諸説ある(#地名の由来参照)。

本郷地区・七軒地区は、東から、月布川下流の谷底平野に開けた農村、月布川の河谷段丘上に展開する農村、月布川の支流沿いに散在する山村の大きく3つに分類することができる。 戊辰戦争以前は、本郷地区は松山藩左沢領の一部、七軒地区は柴橋代官所(現寒河江市柴橋。1866年慶應2年)に寒河江代官所(現寒河江市丸内)と共に長岡代官所(現寒河江市長岡)に統合)管轄の天領であった。

  • 山 : 小朝日岳(1,648m)、古寺山(1,501m)、鳥原山(1,430m)、大頭森山(984m)、大山(312m)、楯山(222m)
  • 河川 : 最上川、月布川

気候[編集]

ケッペンの気候区分に拠ればCfa(温暖湿潤気候)に分類される。

町域全体が豪雪法に基づく「特別豪雪地帯」および積寒法に基づくに「積雪寒冷特別地域」に指定されている。積雪は12月上旬から3~4ヶ月に及び、積雪量は左沢地区で1m前後、本郷・七軒地区は2~3mに達する[2]。一方、夏季は、フェーン現象等の盆地的特性により、30℃を超える真夏日が続くことも珍しくない。

大字本郷字己下タ原に気象庁アメダス左沢観測所がある。

大江町 (アメダス左沢観測所 : 北緯38度22分 東経140度11分 )の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 12.3
(54.1)
15.9
(60.6)
20.7
(69.3)
29.5
(85.1)
32.3
(90.1)
33.9
(93)
36.2
(97.2)
36.7
(98.1)
34.7
(94.5)
27.9
(82.2)
25.7
(78.3)
19.0
(66.2)
36.7
(98.1)
平均最高気温 °C (°F) 2.0
(35.6)
2.9
(37.2)
7.1
(44.8)
15.3
(59.5)
21.3
(70.3)
24.7
(76.5)
27.6
(81.7)
29.6
(85.3)
24.7
(76.5)
18.5
(65.3)
11.5
(52.7)
5.4
(41.7)
15.88
(60.59)
日平均気温 °C (°F) −1.5
(29.3)
−1.1
(30)
2.0
(35.6)
8.6
(47.5)
14.4
(57.9)
18.8
(65.8)
22.3
(72.1)
23.7
(74.7)
19.0
(66.2)
12.4
(54.3)
6.2
(43.2)
1.4
(34.5)
10.5
(50.9)
平均最低気温 °C (°F) −4.9
(23.2)
−5.1
(22.8)
−2.5
(27.5)
2.3
(36.1)
7.8
(46)
13.7
(56.7)
18.1
(64.6)
19.2
(66.6)
14.6
(58.3)
7.4
(45.3)
1.7
(35.1)
−2.0
(28.4)
5.86
(42.55)
最低気温記録 °C (°F) −15.4
(4.3)
−16.2
(2.8)
−13.6
(7.5)
−6.9
(19.6)
−1.0
(30.2)
4.4
(39.9)
8.5
(47.3)
10.3
(50.5)
3.8
(38.8)
−2.1
(28.2)
−7.5
(18.5)
−16.3
(2.7)
−16.3
(2.7)
降水量 mm (inch) 128.9
(5.075)
98.7
(3.886)
87.9
(3.461)
72.6
(2.858)
83.1
(3.272)
115.8
(4.559)
175.1
(6.894)
136.5
(5.374)
124.0
(4.882)
101.5
(3.996)
123.9
(4.878)
132.5
(5.217)
1,380.5
(54.352)
降雪量 cm (inch) 238
(93.7)
200
(78.7)
85
(33.5)
2
(0.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
6
(2.4)
95
(37.4)
626
(246.5)
平均降水日数 (≥ 1 mm) 21.0 18.4 16.7 11.7 10.0 10.6 13.5 10.2 12.5 12.7 16.0 20.3 173.6
平均月間日照時間 68.5 89.9 141.7 179.6 194.0 157.2 149.5 179.3 128.9 129.3 94.8 67.1 1,579.8
出典: 気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1976年-現在)[5][6]

人口[編集]

Demography06324.svg
大江町と全国の年齢別人口分布(2005年) 大江町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大江町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大江町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 13,126人
1975年 11,801人
1980年 11,374人
1985年 11,061人
1990年 10,724人
1995年 10,537人
2000年 10,477人
2005年 9,915人
2010年 9,227人
2015年 8,472人
総務省統計局 国勢調査より

地名の由来[編集]

大江[編集]

合併に因る瑞祥地名である。
1956年(昭和31年)施行の町村合併促進法に基づき、県は漆川村による左沢町吸収合併を命じていたが、対等合併を望む左沢町の反対等により難航。最終的に対等合併で妥結したことで、当時の県知事安孫子藤吉によって新町名として命名された。
安孫子は、代初期の詩人高啓(青邱)の詩「登金陵雨花台望大江」などを引きながら、五百川峡谷を抜けてきた最上川がこの地で大きく屈曲し、はじめて大江の景観を呈することからの命名であり、平安時代末期に大江広元が当地を含む寒河江荘を領有して以来約400年に亘り繁栄し、当地(現七軒地区大字貫見)で滅亡した大江氏寒河江大江氏)からの連想は本義ではないとしている。

左沢[編集]

諸説あるが、主に人口に膾炙しているのは以下の説である。
  1. 宝暦年間に進藤重記によって編纂された地誌『出羽國風土略記』に拠る最上川の右岸を「こちらの沢」、左岸を「あちらの沢」と呼んだ(左沢市街地は実際に最上川左岸にあたる)ことからの転訛との説[7]
  2. 柳田國男に拠る、古語に樹木の日の当たらない側をアテと云い、転じて日当たりの悪い土地をアテと称したことに基づくとの説[8][注 1]。なお、柳田に拠れば「アテラ」「安寺」「阿寺」等、同音の地名は美濃以東日本各地に分布している[注 2]山中襄太は山形県内だけでも同音の地名を10箇所確認できるとする[9]
  3. 大正年間の鉄道旅行ガイド[10]が採取している、寒河江城から見て「あちら」方の渓谷と大江親広が呼んだことに因るとの説。
  4. 詩人の黒田喜夫等が唱えるアイヌ語起源説。黒田に拠れば、アイヌ語で「at‐e‐ra‐nay」は日本語で「オヒョウニレ・そこの・下方に・沢」となり、すなわち「楡の木のある所の下流の沢」となるという[11][注 3]

本郷[編集]

松山藩左沢領であったうちの小漆川城より西側、現大字本郷己以西を総称した江戸期の呼び名「本郷組」に基づく。

七軒[編集]

天領であった現町域のうちの大字貫見以西の貫見村、沢口村、柳川村、黒森村、小柳村、小清村、勝生村の七ヶ村を総称した江戸期の呼び名「七軒組」に基づく。

歴史[編集]

古代[編集]

遺跡により、少なくとも後期旧石器時代から定住が確認されている。同時代の重要な遺跡として、大字左沢字木の沢(東に隣接する寒河江市内にある飛地)に存在する金谷原遺跡がある[13][14]。この遺跡から当地にかなり大規模な石器製作所があったと推察されている。[15]

縄文時代の遺跡は、その多くが大字小見(左沢地区)から大字柳川(七軒地区)までの月布川沿いの河岸段丘上に立地する[13][14][16]。なかでも大字橋上(本郷地区)にある橋上遺跡からは、当地が石器の産地であったことを示す出土品が確認されている。当地の石器製作は、山形県中央部の出羽山地に沿って南北に走る草薙層からもたらされた珪質頁岩を背景としたもので、同様の石器製作遺跡は、月布川流域に色濃く分布している。これらの石器製作遺跡で作られた石器は奥羽山脈を越えて宮城県の縄文時代の遺跡からも出土している[15]

古墳の状況から、6世紀には当地が含まれる山形盆地一帯にヤマト王権の勢力が及び[17]646年大化2年)までには陸奥国として大和朝廷の支配下に組み込まれたと考えられる[注 4]

712年和銅5年)9月(現行の暦では10月)に越後国出羽郡(現山形県庄内地方)が出羽国に昇格[注 5]。翌月、陸奥国最上郡(当地が含まれる現山形県村山地方および最上地方)・置賜郡(現山形県置賜地方)が割譲され出羽国が成立[注 6][注 7]

平安時代初期の886年仁和2年)に最上郡が村山郡(現山形県最上地方)と最上郡(現同村山地方)に分割され[注 8][注 9]、当地は出羽国最上郡下となる。前述の橋上遺跡からはこの時代の竪穴式住居跡も検出されている。また、寒河江市内にある飛地及び大字藤田(左沢地区)などのいくつかの遺跡において同時代の須恵器窯が検出されている[24]

9世紀初頭までには、当地を含む最上郡下寒河江荘(現西村山郡・寒河江市の全域および村山市の一部)は、摂関家荘園として成立していたとみられ[注 10]、平安時代を通してほぼ摂関家に伝領された[25]

中世 - 近世[編集]

1189年文治5年)鎌倉幕府の初代政所別当であった大江広元が最上郡下の寒河江荘および置賜郡全域の地頭に補任された。

1192年建久3年)惣領である大江親広が寒河江荘の地頭職を相続し[注 11]、以後大江氏が領有。13世紀末頃、広元の四世孫元顕の代に初めて当地に入部したとされる(それまでは目代による統治)[注 12]

南北朝時代に入り、南朝方に与した元顕の子元政1359年延文4年・正平14年)北朝より派遣された斯波兼頼との戦で討ち死。跡を継いだ元政の子時茂は一族を寒河江荘各地に配置し、防禦に備えた。当地には次男大江元時が配され、左沢楯山城に拠った。

1368年応安元年・正平23年)、元時は斯波最上氏との漆川の戦い(現本郷地区大字荻野)で敗れ、荻袋盾(現本郷地区大字荻野)に拠っていた次男大江冬政ら一族60数名と自刃。しかし、元時の長男大江氏政らは楯山城に残り、左沢氏を称し国人としての独立性を高めていった。

1584年天正12年)、最上義光の攻勢を受けた寒河江大江氏18代高基は敗走し、貫見盾(現七軒地区大字貫見)で自刃。大江氏は滅亡し、寒河江荘であった領域は全て最上氏の支配下に入る。

1600年慶長5年)慶長出羽合戦が起こると上杉氏の別動隊により攻撃を受け楯山城は陥落する。最上氏の下では長尾右衛門が治めた[26]

1622年元和8年)、最上氏の改易により、左沢藩1万2000石が成立し、酒井直次が封じられた。直次は、当初、左沢楯山城を藩庁としていたが、ほどなく小漆川城(現大字左沢字小漆川および大字本郷己字古城裏)を築城し、城下町の整備を行った。

1630年寛永7年)、直次は嗣子なくして没したために絶家。左沢は収公され天領となり、庄内藩の預地を経て、1632年(寛永9年)に庄内藩丸岡領との交換が成立し、庄内藩領に組み込まれた。これは、肥後藩の改易に伴い藩主加藤忠広が庄内藩預かり処分となった後、庄内藩丸岡領に出羽丸岡藩1万石として封じられた処置に因るものである。

1648年慶安元年)、庄内藩より松山藩が分知の折、現左沢(除く大字三郷)および本郷地区は松山藩領となる。

1868年(慶應4年)、戊辰戦争後の処分により天領(長岡代官所管轄)であった現七軒地区および棚倉藩領となっていた現左沢地区大字三郷が酒田民生局に移管。

明治以降[編集]

  • 1869年明治2年)6月 - 松山藩が松嶺藩へ改称。左沢(除く大字三郷)および本郷地区は引き続き同藩所管。
  • 同5月3日 - 火災により左沢(現大字左沢)の市街地の7割を焼失する。
  • 同7月 - 酒田民政局の管轄区域に酒田県(第1次)が発足したことに伴い、七軒地区および左沢地区大字三郷は酒田県(第1次)所管。
  • 1870年(明治3年)- 酒田県(第1次)が県庁移転・改称して山形県(第1次)となり、七軒地区および左沢地区大字三郷は山形県(第1次)所管。
  • 1871年(明治4年)7月- 廃藩置県により松嶺藩領が松嶺県に移管したことに伴い、左沢(除く大字三郷)および本郷地区は松嶺県所管。
  • 同11月 - 第1次府県統合により、現町域すべてが山形県(第2次)村山郡の管轄となる。
  • 1873年(明治6年)- 郡内で村名が重複(現尾花沢市大字荻袋)していたことにより、荻袋村(現本郷地区大字荻野)が荻野村に改称。
  • 1876年(明治9年)- 第2次府県統合により現山形県が発足。
  • 同年 - 本顔好村と新顔好村が合併し、顔好村(現本郷地区大字顔好甲および顔好乙)となる。
  • 1877年(明治10年)- 深沢村、伏熊村、用村が合併し、三郷村(現左沢地区大字三郷)となる。
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法の施行により、現町域が村山郡より西村山郡へ移管(同日村山郡は消滅)。
  • 1882年(明治15年)- 小漆川村、市野沢村、上北山村、下北山村、滝野沢村、葛沢村が合併し、本郷村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、左沢村、三郷村、富沢村、小見村、藤田村の区域を以って左沢村が発足。
  • 同 - 本郷村、堂屋敷村、荻野村、橋上村、所部村、塩野平村、材木村、顔好村、十八才村、小釿村、楢山村、月布村、大鉢村の区域を以って本郷村が発足。
  • 同 - 貫見村、沢口村、柳川村、黒森村、小柳村、小清村、勝生村の区域を以って七軒村が発足。
  • 1896年(明治29年)8月17日 - 左沢村が町制施行して左沢町となる。
  • 1906年(明治39年)- 年内にあった三度の火災により左沢の市街地(現大字左沢)の半数を焼失
  • 1936年(昭和11年)6月7日 - 火災により左沢の市街地(現大字左沢)のほぼ全てが焼失。焼失建物450棟、被災人員730名、被害金額は50万円とされる[27]
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 本郷村七軒村が合併し、漆川村発足。
  • 1959年(昭和34年)8月20日 - 左沢町、漆川村が合併し、大江町成立。

行政[編集]

町長[編集]

  • 松田兄次郎(1959年9月 - 1979年5月)
  • 長瀬道郎(1979年5月 - 1988年2月)
  • 逸見麻吉(1980年3月 - 1992年2月)
  • 上田郁雄(1992年2月 - 2008年2月)
  • 渡邉兵吾(2008年2月 - 現職)

議会[編集]

議長[編集]

  • 土田勵一( - 現職)

会派[編集]

  • 平成29年9月29日現在[28]
会派名 議席数 議員名 所属党派
会派に属しない議員 10 関野幸一、毛利登志浩、安食幸治、佐藤敏春、菊地勝秀、宇津江雅人、伊藤慎一郎、結城岩太郎、土田勵一、小野祐一 無所属
欠員 1
10

施設[編集]

警察[編集]

  • 寒河江警察署大江交番
  • 寒河江警察署貫見駐在所

消防[編集]

  • 西村山広域行政事務組合消防署大江分署

図書館[編集]

体育施設[編集]

総合公園[編集]

  • 大山自然公園
    大字小見字大山(左沢地区)。展望棟、芝生広場、キャンプ場、コテージハイキングコースを備える。

福祉施設[編集]

生涯学習施設[編集]

  • 山形県立朝日少年自然の家
    大字左沢。
  • 大江町歴史民俗資料館
    大字本郷丁。大字小清字十郎畑(七軒地区)にあった1823年文政6年)築の斎藤半助家住宅を移築し、民俗資料などを展示している。斎藤家は寛文年間から知られる名主であり、青荢養蚕などで栄えた商家でもあった。

公民館[編集]

  • 中央公民館
    大字本郷丁。
  • 東地区公民館(町民ふれあい会館)
    大字左沢。電動式移動席240席、可動式席108席、固定式席104席の劇場を備える。

経済[編集]

産業[編集]

主な企業[編集]

  • マルハニチロ株式会社(山形工場)
    大字小見(左沢地区)。マルハニチロの冷凍麺・冷凍米飯類の製造拠点。旧日魯漁業株式会社山形工場が前身で、以前は果樹や魚介の缶詰が主力製品であった。
  • クニミネ工業株式会社(左沢工場)
    大字左沢(左沢地区)。ベントナイトの精製・加工。原料のベントナイト原石は、町内月布にある月布鉱山から産出されている。
  • クニマイン株式会社
    大字月布(本郷地区)。月布鉱山の管理・操業。クニミネ工業株式会社の連結子会社
  • マーレエンジンコンポーネンツジャパン株式会社(山形工場)
    大字小見(左沢地区)。自動車エンジン部品の製造。旧山形泉株式会社(1976年設立)。2006年にマーレエンジンコンポーネンツ株式会社に吸収合併され、同社山形工場となった。

郵便局[編集]

金融[編集]

友好都市[編集]

  • 締結している自治体はないが、宮城県亘理郡亘理町と文化事業で相互協力する覚え書きを交わしている[29]

地域[編集]

旧最上橋
楯山公園からの眺め
左沢原町
おしんロケ地


交通[編集]

概要[編集]

県庁所在地山形市までは車で30分程度、JR左沢線で45分。寒河江市中心部までは車で10分弱、JR左沢線で15分程度である。
山形空港までは車で20分弱。最寄の国際空港となる仙台空港までは車で70分程度、公共交通のみを利用する場合はJR左沢線とバスの乗継で約2時間10分である。
左沢駅(2005年5月)
左沢駅ホーム側

空港[編集]

鉄道路線[編集]

  • 中心となる駅:左沢駅
  • 隣接市町村への連絡
  • 都道府県庁への連絡
  • 広範囲な連絡

路線バス[編集]

  • 山交バス
    • 寒河江ターミナル~松川~左沢駅前~大谷~朝日町役場前[30]
  • 町営バス
    • 舟唄温泉~左沢駅前~柳川温泉[30]
      • 旧山形交通の左沢待合所~柳川線を引き継いでいる。
  • デマンドタクシー[30]

道路[編集]

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

かつて存在した小学校[編集]

  • 大江町立七軒西小学校南又分校(元漆川村立第四小学校南又分校。1972年(昭和47年)[[廃校]

[33]

  • 大江町立七軒南小学校十郎畑冬季分校(元漆川村立第五小学校十郎畑冬季分校。1972年(昭和47年)廃校[33]
  • 大江町立七軒西小学校古寺分校(元漆川村立第三小学校古寺分校。1962年(昭和37年)七軒東小学校から移管、1974年(昭和49年)廃校[33]
  • 大江町立本郷西小学校大鉢分校(元漆川村立第二小学校大鉢分校。1976年(昭和51年)廃校[33]
  • 大江町立七軒南小学校(1981年(昭和56年)七軒西小学校に統合され同道海分校。1998年平成10年)休止、児童は本郷東小学校へ。2013年(平成25年)廃校[33]
  • 大江町立七軒西小学校(2001年(平成13年)休校、児童は本郷東小学校へ。2013年(平成25年)廃校[33]
  • 大江町立七軒東小学校(2006年(平成18年)休校、児童は本郷東小学校へ。2013年(平成25年)廃校[33]
  • 大江町立三郷小学校2012年(平成24年)休校、児童は左沢小学校へ)
  • 大江町立本郷西小学校1892年(明治25年)本郷西部尋常小学校として創立。2013年(平成25年)廃校、児童は本郷東小学校へ[34]

観光ほか[編集]

柳川温泉
  • 水郷おおえ夏まつり花火大会(8月15日
    1929年(昭和4年)にスタートした山形県最古の花火大会。
  • 大江ひなまつり3月
  • 正調最上川舟唄全国大会(6月
  • 左沢楯山城址(楯山公園)
    国の史跡
  • 阿弥陀如来坐像(護真寺)
    大字三郷字伏熊(左沢地区)。県指定文化財。12世紀(平安後期)の作。
  • 神代カヤ
    大字小釿(本郷地区)。根回り9m、高さ19m。樹齢約1,500年で、東北地方最古のカヤの木といわれる。
  • 道の駅おおえ
    大字藤田(左沢地区)。舟唄温泉に隣接している。
  • 柳川温泉
    大字柳川(七軒地区)。
  • 舟唄温泉
    大字藤田(左沢地区)。柏稜荘とテルメ柏稜の2軒の入浴施設がある。道の駅おおえに隣接している。
  • 古寺鉱泉
    大字古寺(七軒地区)。大朝日岳への登山口にもなっている。

出身人物[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ より正確には、柳田は「和訓栞」を引き、同書に「アテとは『樹木の日のあたる側』と説明があるが、自分が採取した俚言や通言に拠れば全く逆で日の当たらない側 との意味であり、かつ、全国各地の『アテラ』と称される集落を検分してみればすべて山の陰に位置していることが確認できるので、(和訓栞は間違いであり)自らのフィールドワークの結果の方が正当である」旨の主張をしている。ただし、当地の左沢は丘陵の南麓に位置し、南東に最上川と山形盆地が開ける日当たりの良い土地である。ところで、柳田は「地名は実際にその場に住んでいる者が付けるのが普通であり、自分達の住む場所を『あちら』などと称するのはありえない」と『出羽国風土略記』の説に多分に否定的である
  2. ^ 現在でも、安寺沢川(相模川水系秋山川支流)、阿寺川(木曽川水系木曽川支流)、阿寺川(豊川水系宇連川支流)、アテラ沢(鬼怒川水系男鹿川支流)をはじめ同音の川、沢また集落が日本各地に複数存在していることは確認できる
  3. ^ ただし、北海道アイヌ語でオヒョウの木は正確には「atni(アッニ)」であり、「at(アッ)」ではない。「at」は「オヒョウの樹皮」を限定して意味する語であり、それに「樹木」を意味する「ni(ニ)」が付いてはじめてオヒョウの木を意味する語となる[12]
  4. ^ 常陸国風土記』「序」に云う「至難波長柄豊前大宮臨軒天皇之世(中略)我姫之道分為八国」[18]および『日本書紀』「巻25」にある「大化二年三月(中略)前以良家大夫使治東方八道。既而國司之任…」[19]等の記述による。「八国/道」が、相模国武蔵国上総国下総国上毛野国下毛野国常陸国陸奥国と解されている
  5. ^ 出羽郡の設置は708年和銅元年)。『続日本紀』「巻4」の「(和銅)元年九月(中略)越後国言新建出羽郡許之」との記述[20]から確認される
  6. ^ 『続日本紀』「巻5」の「(和銅)五年九月(中略)太政官議奏曰(中略)於是、始置出羽国」および「(和銅)五年十月(中略)割陸奥国最上置賜二郡隷出羽国焉」の記述から確認される[21]。ただし、同書「巻7」における716年霊亀2年)9月の記述にも、出羽国が設置され、置賜郡と最上郡が陸奥から移管された旨があり[22]、重複している
  7. ^ したがって、712年に成立した出羽国版図は現在の山形県域とほぼ同一となる
  8. ^ 日本三代実録「巻49」に勅令により最上郡を二郡に分割した旨の記述がある[23]。ただし、二郡に分割したという記述のみで、その時点でそれぞれを村山郡と最上郡と称したとの明記はない
  9. ^ 太閤検地の際に最上郡と村山郡の名称が入れ替えられた
  10. ^ 1253年建長5年)成立の『近衛家所領目録』に、寒河江荘が京極殿領であった旨および「宇治殿領事平等院領外稱京極殿領是也(宇治殿は平等院領の他に(後に)京極殿領と称されるものを領有していた)」との記述があり、また1045年寛徳2年)以前に成立していたことの証明を提出しない荘園を没収するとした延久の荘園整理令に寒河江荘が該当していないことから推察される
  11. ^ 置賜郡は広元の次男長井時広が相続
  12. ^ これは1285年弘安8年)に発生した霜月騒動を受け、それまで鎌倉政権内で有力であった大江氏の立場が悪化したことに因ると考えられている

出典[編集]

  1. ^ 山形県林業統計 (PDF)”. 山形県農林水産部林業振興課. p. 12 (2015年). 2017年11月16日閲覧。
  2. ^ a b 大江町と最上川の流通・往来の景観 保存調査報告書 (PDF)”. 大江町教育委員会. p. 3 (2012年3月). 2017年11月16日閲覧。
  3. ^ 大江町地域福祉計画(第2期) (PDF)”. 大江町. pp. 4-5 (2012年). 2017年11月16日閲覧。
  4. ^ 大江町と最上川の流通・往来の景観 保存調査報告書 (PDF)”. 大江町教育委員会. p. 227 (2012年3月). 2017年11月16日閲覧。
  5. ^ 左沢観測所 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2017年11月16日閲覧。
  6. ^ 左沢観測所 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2017年11月16日閲覧。
  7. ^ 出羽國風土略記 巻之十(山形県立図書館蔵本版) (PDF)
  8. ^ 柳田國男『地名の研究』(pp.227-232、古今書院、1936)
  9. ^ 山中襄太『地名語源辞典』(校倉書房、1989年)
  10. ^ 安治博道・藤井友次郎・野田文六『新撰鉄道旅行案内』(p.1038、駸々堂旅行案内部、1923年)
  11. ^ 黒田善夫『一人の彼方へ』(pp.199-200、国文社、1979年)
  12. ^ 萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典(増補版)』(三省堂2002年
  13. ^ a b 大江町遺跡一覧 (PDF)”. 山形県教育庁文化財・生涯学習課. 2017年11月16日閲覧。
  14. ^ a b 山形県遺跡地図 左沢 (PDF)”. 山形県教育庁文化財・生涯学習課. 2017年11月16日閲覧。
  15. ^ a b 大江町と最上川の流通・往来の景観 保存調査報告書 (PDF)”. 大江町教育委員会. p. 29 (2012年). 2017年11月16日閲覧。
  16. ^ 山形県遺跡地図 貫見(山形県教育庁) (PDF)
  17. ^ やまがたの古墳とその時代 (PDF)”. 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館. p. 39 (1999年). 2017年11月16日閲覧。
  18. ^ 『常陸國風土記』国会図書館蔵、西野宣明校閲和泉屋金右衛門版、1839年天保10年))
  19. ^ 『日本書紀』(国会図書館蔵、慶長15年古活字版)
  20. ^ 『続日本紀』経済雑誌社編『国史大系 第2巻』所収、p.517、経済雑誌社、1897年
  21. ^ 『続日本紀』(経済雑誌社編『国史大系 第2巻』所収、p.715、経済雑誌社、1897年)
  22. ^ 『続日本紀』(経済雑誌社編『国史大系 第2巻』所収、p.100、経済雑誌社、1897年)
  23. ^ 『日本三代実録』(経済雑誌社編『国史大系 第4巻』所収、p.700、経済雑誌社、1897年)
  24. ^ 大江町と最上川の流通・往来の景観 保存調査報告書 (PDF)”. 大江町教育委員会. pp. 30-33 (2012年). 2017年11月16日閲覧。
  25. ^ 角川日本地名大辞典 6』(角川日本地名大辞典編纂委員会編、角川書店1981年
  26. ^ 「最上義光分限帳」弐千三百石
  27. ^ 大江町と最上川の流通・往来の景観 保存調査報告書 (PDF)”. 大江町教育委員会. pp. 70-71 (2012年). 2017年11月16日閲覧。
  28. ^ 大江町議会議員名簿(平成29年9月29日現在)
  29. ^ 隣県は良き助っ人 山形の自治体、宮城に支援続々(2011年4月13日付河北新報より) - 2011年4月16日閲覧
  30. ^ a b c 平成29年度 大江町公共交通機関時刻表 (PDF)”. 大江町政策推進課制作推進係 (2017年). 2017年11月16日閲覧。
  31. ^ 栄光の記録 第一回大会 - 第五回大会 全国高等学校剣道選抜大会
  32. ^ 「大楓 左沢小学校だより」(平成25年5月23日号、p.1)
  33. ^ a b c d e f g 大江町立本郷東小学校 平成28年度学校要覧 (PDF)”. 大江町立本郷東小学校 (2016年). 2017年11月16日閲覧。
  34. ^ 「広報おおえ」(平成25年3月 通巻625号、p.3)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]