大江町

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おおえまち
大江町
Urushi-river-Ancient-battlefield 2014.jpg
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
西村山郡
団体コード 06324-0
法人番号 1000020063240
面積 154.08 km²
総人口 8,353
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 54.2人/km²
隣接自治体 寒河江市
西村山郡西川町朝日町
東村山郡中山町山辺町
町の木 スギ
町の花 アジサイ
他のシンボル 町の鳥:ヤマセミ
町の魚:サクラマス
大江町役場
所在地 990-1101
山形県西村山郡大江町大字左沢882番地1
北緯38度22分50.7秒東経140度12分24.5秒
Aterazawa Oe office 2006.jpg
外部リンク 大江町 公式サイト (日本語)

大江町位置図

― 市 / ― 町・村

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大江町(おおえまち)は、山形県の中央部にある人口約9千人の

地理[編集]

町域は、山形盆地の南西端から朝日連峰西端の小朝日岳まで東西に長く広がる。町域東端の左沢地区で最上川に合流する月布川の流域に沿って、町域西部に細長く展開する集落群が大江町を形成している。 行政上、町域は、東から左沢地区・本郷地区・七軒地区に区分され、月布川に並行する主要地方道・山形県道27号大江西川線が主要な集落を繋いでいる。また、東に接する寒河江市内に、複数の飛び地を抱えている。左沢地区にJR左沢線の終点左沢駅がある。

町の中心地は左沢地区であり、最上川長井盆地と山形盆地との境界となる峡谷部を抜けた谷口から、最上川と月布川の合流点附近の河岸段丘上にかけて形成されている。段丘面の標高は約105~110m程度、最上川の川面の標高が約100m程度である。左沢は難読地名であるが、語源については、寒河江城から見て最上川の対岸「あちら」の転訛であるという説やアイヌ語起源説などがある。

本郷地区・七軒地区は、東から、月布川下流の谷底平野に開けた農村、月布川の河谷段丘上に展開する農村、月布川の支流に散在する山村の大きく3つに分類することができる。江戸時代、本郷地区は左沢領の一部、七軒地区は天領であった。


歴史[編集]

古代[編集]

遺跡により、少なくとも後期旧石器時代から定住が確認されている。後期旧石器時代の重要な遺跡として、東に隣接する寒河江市内にある飛地に存在する金谷原遺跡がある。この遺跡から当地にかなり大規模な石器製作所があったと推察されている。

縄文時代の遺跡は、その多くが町内左沢地区小見から七軒地区柳川までの月布川沿いの河岸段丘上に立地する。なかでも町内本郷地区橋上にある橋上遺跡からは、当地が石器の産地であったことを示す出土品が確認されている。当地の石器製作は、山形県中央部の出羽山地に沿って南北に走る草薙層からもたらされた珪質頁岩を背景としたもので、同様の石器製作遺跡は、月布川流域に色濃く分布している。これらの石器製作遺跡で作られた石器は奥羽山脈を越えて宮城県の縄文時代の遺跡からも出土している。

前述の橋上遺跡からは平安時代竪穴式住居跡も検出されている。また、寒河江市内にある飛地及び町内左沢地区藤田などのいくつかの遺跡において平安時代の須恵器窯が検出されている。


中世 - 近世[編集]

鎌倉時代から室町時代にかけて、寒河江大江氏(寒河江氏)が周辺を治め、左沢楯山城を築き、一族の左沢氏が拠った。

1584年天正12年)、最上義光が大江氏を滅ぼし、左沢楯山城は最上氏の支配下に入る。1600年慶長5年)慶長出羽合戦が起こると上杉氏の別動隊により攻撃を受け城は陥落する。最上氏の下では長尾右衛門が治めた[1]

1622年元和8年)、最上氏の改易により、左沢藩1万2000石が成立し、酒井直次が封じられた。直次は、当初、左沢楯山城を左沢陣屋として藩庁としていたが、ほどなく小漆川城(現町内左沢地区・本郷地区上/下小漆川)を築城し、城下町の整備を行った。

1630年寛永7年)、直次は嗣子なくして没したために絶家。左沢は収公され天領となり、庄内藩の預地を経て、1632年(寛永9年)に庄内藩丸岡領との交換が成立し、庄内藩領に組み込まれた。これは、肥後藩の改易に伴い藩主加藤忠広が庄内藩預かり処分となった後、庄内藩丸岡領に出羽丸岡藩1万石として封じられた処置に因るものである。

1648年慶安元年)、庄内藩より松山藩が分知の折、左沢は松山藩領となり、明治に至る。

明治以降[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、橋左沢村、三郷村、富沢村、小見村、藤田村の区域を以って左沢村が発足。
  • 同 - 橋上村、本郷村、所部村、塩野平村、堂屋敷村、荻野村、材木村、顔好村、十八才村、小釿村、楢山村、月布村、大鉢村の区域を以って本郷村が発足。
  • 同 - 貫見村、沢口村、柳川村、黒森村、小柳村、小清村、勝生村の区域を以って七軒村が発足。
  • 1896年(明治29年)8月17日 - 左沢村が町制施行して左沢町となる。

行政[編集]

町長[編集]

  • 長瀬道郎(1979年5月 - 1988年2月)
  • 逸見麻吉(1980年3月 - 1992年2月)
  • 上田郁雄(1992年2月 - 2008年2月)
  • 渡邉兵吾(2008年2月 - 現職)


経済[編集]

産業[編集]

主な企業[編集]

マルハニチロの冷凍麺・冷凍米飯類の製造拠点。旧日魯漁業株式会社山形工場が前身で、以前は果樹や魚介の缶詰が主力製品であった。
  • クニミネ工業株式会社(左沢工場)
ベントナイトの精製・加工。原料のベントナイト原石は、町内月布にある月布鉱山から産出されている。
  • クニマイン株式会社
月布鉱山の管理・操業。クニミネ工業株式会社の連結子会社
自動車エンジン部品の製造。旧山形泉株式会社(1976年設立)。2006年にマーレエンジンコンポーネンツ株式会社に吸収合併され、同社山形工場となった。

郵便局[編集]

金融[編集]

地域[編集]

旧最上橋
楯山公園からの眺め
左沢原町
おしんロケ地


人口[編集]

Demography06324.svg
大江町と全国の年齢別人口分布(2005年) 大江町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大江町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大江町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 13,126人
1975年 11,801人
1980年 11,374人
1985年 11,061人
1990年 10,724人
1995年 10,537人
2000年 10,477人
2005年 9,915人
2010年 9,229人
総務省統計局 国勢調査より

健康[編集]

教育[編集]

高等学校
中学校
小学校
社会教育
  • 中央公民館
町内で発掘されたヤマガタダイカイギュウの化石(レプリカ)が展示されている。
  • 大江町歴史民俗資料館
町内七軒地区十郎畑にあった1823年文政6年)築の斎藤半助家住宅を移築し、民俗資料などを展示している。斎藤家は寛文年間から知られる名主であり、青荢養蚕などで栄えた商家でもあった。

交通[編集]

左沢駅(2005年5月)
左沢駅ホーム側

空港[編集]

鉄道路線[編集]

  • 中心となる駅:左沢駅
  • 隣接市町村への連絡
  • 都道府県庁への連絡
  • 広範囲な連絡

路線バス[編集]

  • 山交バス
    • 寒河江ターミナル~松川~左沢駅前~大谷~朝日町役場前
  • 大江町スクールバス
    • 舟唄温泉~左沢駅前~柳川温泉
      • 旧山形交通の左沢待合所~柳川線を引き継いでいる。

道路[編集]

町域内にインターチェンジはないが、最寄りの山形自動車道寒河江ICからは約10分。ETC対応車両であれば寒河江SAスマートICが寒河江ICよりも近い。庄内方面へは西川ICが最寄りICになる。

友好都市[編集]

  • 締結している自治体はないが、宮城県亘理郡亘理町と文化事業で相互協力する覚え書きを交わしている[2]

観光ほか[編集]

柳川温泉
  • 水郷おおえ夏まつり花火大会(8月15日)
1929年(昭和4年)にスタートした山形県最古の花火大会。
国の史跡
町内本郷地区小釿。樹齢約1500年。東北地方最古のカヤの木といわれる。
町内左沢地区藤田。舟唄温泉に隣接している。
町内七軒地区柳川。
  • 舟唄温泉
町内左沢地区藤田。柏稜荘とテルメ柏稜の2軒の入浴施設がある。道の駅おおえに隣接している。
  • 古寺鉱泉
町内七軒地区古寺。大朝日岳への登山口にもなっている。

出身人物[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「最上義光分限帳」弐千三百石
  2. ^ 隣県は良き助っ人 山形の自治体、宮城に支援続々(2011年4月13日付河北新報より) - 2011年4月16日閲覧

参考文献[編集]

  • 「最上義光分限帳」色部三郎兵衛原蔵 東京大学史料編纂所所蔵本

外部リンク[編集]