小田急1500形電車

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小田急1500形電車
基本情報
製造所 デハ1501:日本車輌製造
クハ1551:日本鉄道自動車
主要諸元
編成 2両
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
編成定員 242人
車両定員 デハ1501:124人(座席46+立席78)
クハ1551:118人(座席44+立席74)
自重 デハ1501:36.5t
クハ1551:26.5t
全長 デハ1501:17,530 mm
クハ1551:16,730 mm
車体長 デハ1501:16,690 mm
クハ1551:15,910 mm
全幅 2,740 mm
車体幅 2,640 mm
全高 デハ1501:4,174 mm
クハ1551:3,815 mm
車体高 デハ1501:3,700mm
クハ1551:3,720 mm
台車 デハ1501:D-18→川崎車輛製鋳鋼台車→KS31L
クハ1551:TR10形→D-18→KS30L
主電動機 MB-146-CF
主電動機出力 93.3kW (125HP)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 59:27=2.07
制御装置 東芝カム軸式→HB式→CS5形
制動装置 GE→制御管式→AMM-R 自動空気ブレーキ
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小田急1500形電車(おだきゅう1500がたでんしゃ)は、かつて東京急行電鉄大東急)・小田急電鉄で使用されていた電車である。

帝都電鉄200形・500形として製造された車両のうち、いわゆる「大東急時代」に1両ずつが小田原線に転属となり、そのまま小田急電鉄の車両となったものである。小田原線に転入した当初は、制御装置制動装置(ブレーキ)ともに既存の小田急の車両とは異なり、単独運用とされていたが、後に他の小田急の車両に揃えられ、共通化が図られた。

更新修繕の際に車体載せ替えを行い、1900形に編入された。この時に余剰となった車体はデユニ1000形の更新に活用されており、1984年まで使用された。

本項では、帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)在籍当時の沿革についても一部記述する。

沿革[編集]

前史[編集]

帝都電鉄モハ200形は、1936年の増備車として電動車4両が日本車輌製造で製造されたが、この時の最終番号の車両がデハ1501の前身となるモハ208である。

一方、帝都電鉄クハ500形は、1936年1月に日本鉄道自動車制御車2両が製造されたが、これは1925年に汽車会社で製造した筑摩電気鉄道(現在のアルピコ交通)の注文流れといわれており[2]、さらに台枠鉄道省木造客車台枠を流用したものであった。このため、車体こそ帝都電鉄の標準的な外観であった[2]が、車体長が15,910mmと短い上に、3扉車が標準であった帝都電鉄の車両では例外的な2扉車であった。また、台枠にはトラス棒が残り、台車も旧式のTR10形であった。この2両のうち1両が、クハ1551の前身となるクハ502である。登場当時は両運転台であった[3]

1940年に帝都電鉄は小田急に合併したが、この時には改番は行なわれず、1942年に東急に合併した時に形式が東急デハ1450形・クハ1500形に変更され、全車両が改番された。また、クハ500形は戦時中に片側の運転台の機器を撤去し、事実上片運転台の車両となった[3]。戦時中に、デハ1458は台車をD-18から川崎車輛製鋳鋼台車に交換しており、電動機の出力も80HP(英馬力)から125HPに増強している。また、正面の運転席窓上の庇は1944年以降に撤去された。1945年5月25日空襲では永福町車庫が被災し、29両中23両が焼失した中、デハ1458(モハ208)とクハ1502(クハ502)は焼失を免れた。

小田急時代[編集]

1947年11月にデハ1458とクハ1502は小田原線に転属となったが、この2両が転属した理由としては二つの説があった。一つは「1943年5月に小田原線から井の頭線に転属したデハ1366・デハ1367の代替である」というもの[2]で、もう一つは「当初計画では新車6両のうち2両(デハ3550形)を東横線に、4両(デハ1700形)を小田原線に配置する計画であったが、永福町車庫の被災により6両全てが井の頭線へ配置されたため、この代替として井の頭線の復旧が進んだことから小田原線へ転属させた」というもの[2]である。

転属した当初は、井の頭線の電車そのままという状態で、外部塗装も緑1色であったことから、乗務員からは「青大将」と呼ばれていた[2]。また、制御装置・制動装置(ブレーキ)もそのままであったため、小田急の他の車両とは連結ができず、専ら2両編成の単独運用に入っていた。その後、部品の互換性を考慮し、1950年までに台車はデハ1458が住友金属工業KS31Lに交換され、制御器もウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社系のHB単位スイッチ式制御器に変更された。またブレーキは制御管式自動空気ブレーキに改造され、HB車(HB形制御方式を装備した車両)との連結が可能になった。また、2両とも乗務員室の仕切りが低い帝都電鉄仕様であったが、後に天井まで仕切る様式に変更した上、乗務員扉を助士席側にも設置した。また、クハ1502の撤去された乗務員室は客室化され、座席(ロングシート)も設置された。

小田急電鉄として分離独立した後の1950年に、形式・番号はデハ1500形1501・クハ1550形1551に変更・改番が行なわれた。デハ1501(モハ208)は1951年2月ごろからしばらくは、日立製作所のKH-1形台車を装備の上、クイル式駆動方式の試験が行なわれていた[2]

1956年7月には、デハ1501について制御器は国鉄制式のCS5に、主電動機も93.3kW級の三菱電機MB-146-CFに変更する工事が施工された。クハ1551については車体長が15,090mmと短い上に2扉でラッシュ時の客扱いに難があり、運用上使いにくかったため[3]経堂工場で車体延長を行なうと同時に、客用扉を中央に増設して3扉車としたが、特徴的であった床下のトラス棒はそのまま残されていた。また、2両ともブレーキ装置がMR自動空気ブレーキに変更され、ABF車[注釈 1](ABF形制御装置を装備した車両)との連結が可能になった[2]他、室内灯が直流蛍光灯に変更された[3]。なお、この更新後しばらくの間、3000形SE車の設計資料として、クハ1551で弾性車輪の試験が行なわれた。

1960年3月から5月にかけて、東急車輛製造にて更新が行なわれた際に、1900形と同様の車体に載せかえられ、形式も1900形デハ1914・クハ1964に変更された(これ以後の動向については小田急1900形電車を参照のこと)。なお、車体はしばらく東急車輛の構内に保管されていたが、同年秋に行なわれたデユニ1000形の更新に流用され、1984年まで使用された。

車両一覧[編集]

  • 帝都モハ208→東急デハ1458→小田急デハ1501→小田急デハ1914(車体はデニ1001へ流用)
  • 帝都クハ502→東急クハ1502→小田急クハ1551→小田急クハ1964(車体はデニ1002へ流用)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ABFは三菱電機の直流電車用自動加速形制御装置の形式名で、本来は三菱電機の提携先であるウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製制御器の形式名に由来し、A:Automatic acceleration(自動加速) B:Battery voltage(低電圧電源) F:Field Tapper(弱め界磁制御)の各機能に対応することを示す。

出典[編集]

  1. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p178
  2. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p55
  3. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p56

参考文献[編集]

  • 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)ISBN 4586505303
  • 大正出版『小田急 車両と駅の60年』(吉川文夫編著・1987年6月1日初版)0025-301310-4487
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』(2002年9月別冊)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』(2002年12月別冊)

関連項目[編集]