小田原急行鉄道201形電車

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小田原急行鉄道201形電車
小田原急行鉄道201形電車(モハ213)
小田原急行鉄道201形電車(モハ213)
基本情報
製造所 川崎車輛
主要諸元
編成 1両
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
車両定員 126人(座席52人・立席74人)
自重 36.10t
全長 16,760 mm
車体長 15,850 mm
全幅 2,728 mm
車体幅 2,620 mm
全高 4,192 mm
車体高 3,710 mm
車体材質 半鋼製
台車 KS31L
主電動機 MB-146-A
主電動機出力 93.3kW (125HP)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 59:24=2.46
制御装置 HB式抵抗制御
制動装置 AMM-C 自動空気ブレーキ
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小田原急行鉄道201形電車(おだわらきゅうこうてつどう201がたでんしゃ)は、かつて小田原急行鉄道(当時)・東京急行電鉄大東急)・小田急電鉄で使用されていた電車である。

1929年の小田原急行鉄道(当時)江ノ島線の開通と同時期に製造された増備車で、501形・551形は小田急の車両史上では初の片運転台車両・制御車である。201形が15両、501形が5両、551形が15両製造されたが、後に551形のうち2両は電装の上251形となった。

1942年に東急に合併すると同時に東急デハ1350形、クハ1300形に形式を変更したが、大東急時代に旧251形は2両とも他線へ転属した。戦後、小田急電鉄として分離独立した後の1950年には小田急デハ1400形・クハ1450形へ形式が変更された。その後クハ1450形のうち2両が電装されているが、デハ1400形のうち1両は他形式に分離された。

製造数35両、1950年代に行なわれた更新修繕後も32両という両数であり、HB式制御方式の車両(HB車)では最大の両数が在籍した形式であるが、車両の大型化のために主電動機(モーター)を4000形に提供することになり、1968年までに全車両が廃車となった。

本項では、同時期に増備された小田原急行鉄道501形電車小田原急行鉄道551形電車および、551形を電装した小田原急行鉄道251形電車についても記述する。また、以下単に「小田急」と表記した場合は小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとする。

車体[編集]

車体長は15.8m、片開き扉を2箇所に配した半鋼製車体で、モハニ121形・モハニ131形と同様、正面が丸みを帯びておらずフラットになっており、貫通扉が設置されていた。また、乗務員扉は助士席側のみに設置されていた。側面窓は下降窓(落とし窓)で、日よけとしてよろい戸が装備されていた。

クハ501形・クハ551形は片運転台車両で、クハ502のみが新宿側に、それ以外は小田原側に乗務員室が設置されていた。

車内[編集]

室内灯は白熱灯で、車内内壁や扉脇の座席の袖仕切り、床などに木製部品が多用されていた。

座席はクハ501については扉脇にロングシート、扉間にはクロスシートを片側4ボックスずつ配した。モハ201形・クハ551形は全てロングシートである。手荷物室は当初から設置されていない。

運転席は左側に設置されており、当初より内壁で区切られていたが、それ以外の部分の乗務員室と客室は真鍮製のパイプで区切られていた。

主要機器[編集]

主電動機は125HP(英馬力)のMB-146-A形を4基搭載した。

制御装置はHL形制御装置の動作電源を低圧電源 (100V) に変更したHB形制御方式で、三菱電機製である。制動装置はAMM-C形自動空気ブレーキを装備した。台車住友金属工業製のKS31Lを使用した。

沿革[編集]

創業期[編集]

江ノ島線の開業に合わせて増備された車両で、車両増結のために制御車が同時に製造された。しかし、当時の小田急の輸送需要は低調[1]で、どの列車も単行か2両編成程度で運行されていた状況であった。このため、夏期以外にはほとんど使用されることもなく、車庫に留置されている状態が続いたという[1]。しかし、夏期の海水浴輸送には旅客需要が増大し、在籍車両を総動員してこれをさばいたという[1]

1931年にはモハ209・モハ210・クハ560の3両について客用扉にドアエンジンを設置した。この3両が選ばれたのは、座間駅(当時)近くに陸軍士官学校があり、皇族利用の際の「御乗用車」として整備されたのがこの3両だったからである[2]

1941年7月にクハ565に対して、廃車となったモニ1形の電装品を流用した上、両運転台車両とした。歯数比が異なるため、モハ251形という新形式となり、モハ251となった。その後、クハ564も同様の改造を行い、モハ252に変更された。同年12月にはモハ202が参宮橋駅構内で追突事故により大破したため、復旧時に乗務員室の仕切りをパイプから仕切り壁に変更した[2]。また、この頃には旅客需要の増大に対応して、クハ501形に対してロングシート化改造が行なわれた。

1942年には東急に合併したことから形式が東急デハ1350形・クハ1300形に変更され、全車両が改番された。改番後の車両番号は、旧モハ201形がデハ1351から、旧モハ251形がデハ1367から、旧クハ501形がクハ1301、旧クハ551形がクハ1306からのそれぞれ連番となっている。また、この頃から全車両に対して客用扉の自動化が行なわれた。1943年5月には、デハ1366(旧クハ565→モハ251)・デハ1367(旧クハ564→モハ252)の2両が井の頭線に転出した。また、1945年5月25日深夜の空襲により、井の頭線の永福町車庫に留置されていた29両中23両が焼失するという壊滅的な被害を受けたことを受け、応援として同年7月からしばらくの間、クハ1316(旧クハ561)・クハ1317(旧クハ562)・デハ1352(旧モハ202)などの車両が代田連絡線を経由して井の頭線に貸し出された[3]

戦後[編集]

1945年には、1600形の制御車として使用するため、クハ1315(クハ560)の制御回路が改造された[4]1948年には特急の運行が開始されており、1600形の中から整備された車両が使用されたが、1600形の制御車として使用されていたクハ1315も1回だけ特急に使用されたことがある[4]。その後1949年にデハ1350形の制御車に戻されている。

1946年5月29日に経堂工場で火災が発生、デハ1356(旧モハ206)とクハ1310(旧クハ555)が全焼し、3段窓として復旧された。1950年にはデハ1350形の新宿側乗務員室について、乗務員扉を運転席側にも設置する改造が行なわれた。

1950年には改番が行なわれ、形式はデハ1400形・クハ1450形に変更され、全車両が改番された。改番後の番号は、デハ1350形(旧モハ201形)は元番号に50を、クハ1300形(旧クハ501形・クハ551形)は元番号に150を加算したものである。1952年にはクハ1450形の台車がKS30L形に変更された。

1954年から更新修繕が開始され、全車両が片運転台化されることになり、デハ1400形は新宿側、クハ1450形は小田原側の向きに揃えられた。また、客用扉は幅を1,000mmから1,100mmに拡大したため、側面窓が2つ減少した。この時、デハ1406(旧モハ206)については更新対象から除外され、番号もデハ1311に変更された(これ以後のデハ1311の動向については小田原急行鉄道151形電車を参照のこと)。また、この時期にデハ1300形のうち2両が電装を解除されていたので、この電装品を使用してクハ1466(旧クハ561)がデハ1406(2代目)に、クハ1467(旧クハ562)がデハ1416に変更され、クハ1468がクハ1466(2代目)に改番された。

1956年からは客室内の照明を直流蛍光灯に変更、1959年にはデハ1400形とクハ1450形の連結面間にが設置された。

更新修繕を受けてからは主にローカル区間の各駅停車などに使用されていたが、1960年代以降の通勤輸送激化の中では、これらの2扉や3扉の小型・中型車両は使いづらいものとなってきた[5]。このため、主電動機を新しく製造される大型通勤車両である4000形に提供することになり、1966年から1968年までに全車両が廃車となった。

廃車後も教習車として使用されたデハ1406

デハ1406(旧クハ561)のみは廃車後もすぐには解体されず、経堂の小田急教習所で教習車として使用された。この時に、当時の通勤車の標準色である黄色と青色の塗装に変更され、本系列で唯一の2色塗り車両となった。その後、1987年10月に教習車としての指定を解除され、海老名機械保線区内に移されたが、1995年10月に解体された。

譲渡車両[編集]

前述のように、主電動機を4000形に流用したため、車体のみが数社に譲渡されている。

越後交通ではモハ1400形・クハ1450形として長岡線で使用されたが、1975年4月の同線旅客営業廃止により全廃された。

  • モハ1401(旧モハ215→デハ1401)
  • モハ1402(旧モハ202→デハ1402)
  • クハ1451(旧クハ501→クハ1451)
  • クハ1452(旧モハ207→デハ1407)
  • クハ1453(旧クハ503→クハ1453)
  • クハ1454(旧クハ563→クハ1466(2代))
  • クハ1455(旧クハ552→クハ1457)
  • クハ1456(旧クハ556→クハ1461)
譲渡されたうち、唯一現存していた1両(クハ45

新潟交通では電車線で使用されたが、1993年の同線部分廃止によりクハ46以外は廃車され、残ったクハ46も1999年の同線全線廃止により廃車された。現存する車体は佐渡島両津港にあるクハ45と埼玉県の個人所有のクハ46の2両の車体が残っていたが、クハ45の状態はかなり悪く、2009年9月ごろに解体された。

  • モハ16(旧モハ209→デハ1409)
  • クハ45(旧クハ562→デハ1416)
  • クハ46(旧モハ208→デハ1408)
  • クハ47(旧モハ214→デハ1414)
  • クハ48(旧モハ212→デハ1412)
  • クハ49(旧クハ560→クハ1465)
  • クハ50(旧モハ211→デハ1411)

弘前電気鉄道(現・弘南鉄道大鰐線)へはクハ1459(旧クハ554)が譲渡され、クハ201として使用されたが、1981年12月に廃車された。また、岳南鉄道では1967年からクハ2102(旧クハ504→クハ1454)として使用された。

なお、戦時中に井の頭線に転出した車両のうち、デハ1366については大東急から京王帝都電鉄(現・京王電鉄)・小田急電鉄が分離独立した後も東急に残り、車体更新時に車体を載せかえられた。載せかえた車体は同社デワ3041に使用されたが、1981年に廃車となっている。車籍上はデハ1366は更新時に東急デハ3554となり、1975年豊橋鉄道に譲渡されてク2731として1998年まで使用されていることになっているが、東急での更新後は小田急在籍当時の部品は全く残っていない。

小田急時代に改造・改番が行なわれた車両[編集]

  • 小田原急行モハ206→東急デハ1356→小田急デハ1406(初代)→小田急デハ1311→小田急デハ1304(2代)→小田急デニ1304
  • 小田原急行クハ561→東急クハ1316→小田急クハ1466(初代)→小田急デハ1406(2代)
  • 小田原急行クハ562→東急クハ1317→小田急クハ1467→小田急デハ1416(→新潟クハ45)
  • 小田原急行クハ563→東急クハ1318→小田急クハ1468→小田急クハ1466(2代)→越後クハ1454
  • 小田原急行クハ564→小田原急行モハ252→東急デハ1367(→京王デハ1462→京王デハ1562→京王サハ1562)
  • 小田原急行クハ565→小田原急行モハ251→東急デハ1366(→東急デハ3554(車籍)・東急デワ3041(車体)→豊橋鉄道ク2731(車籍))

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1985年5月1日重版)p106
  2. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1 小田急電鉄1950-60』p54
  3. ^ 大正出版『小田急 車両と駅の60年』p94
  4. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1 小田急電鉄1950-60』p55
  5. ^ 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1985年5月1日重版)p120

参考文献[編集]

  • 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)ISBN 4586505303
  • 保育社『私鉄の車両2 小田急電鉄』(1985年3月25日初版)ISBN 4586532025
  • 大正出版『小田急 車両と駅の60年』(吉川文夫編著・1987年6月1日初版)0025-301310-4487
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル』通巻491号「特集・小田急ロマンスカー」(1988年2月号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻546号「特集・小田急電鉄」(1991年7月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻679号「特集・小田急電鉄」(1999年12月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』(2002年9月別冊)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』(2002年12月別冊)

関連項目[編集]