小田原急行鉄道モニ1形電車

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小田原急行鉄道モニ1形電車
モニ1(1937年4月)
モニ1(1937年4月)
基本情報
製造所 日本車輌製造
主要諸元
編成 1両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
自重 33.0t
全長 13,007 mm
車体長 12,192 mm
全幅 2,720 mm
車体幅 2,590 mm
全高 4,190 mm
車体高 3,710 mm
台車 KS30L
主電動機 MB-146-A
主電動機出力 93.3kW (125HP)
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 61:25=2.95
出力 93.3kW×4
定格引張力 3,130kg(全負荷時)
制御装置 HL式抵抗制御(1950年にHB式に改造)
制動装置 AMM-C 自動空気ブレーキ
備考 半鋼製・荷重は荷物6t
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小田原急行鉄道モニ1形電車(おだわらきゅうこうてつどうモニ1がたでんしゃ)は、かつて小田原急行鉄道(当時)・東京急行電鉄大東急)・小田急電鉄で使用されていた荷物電車である。

本項では、以下単に「小田急」と表記した場合は小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとする。

概要[編集]

1927年11月に荷物輸送用の車両として、日本車輌製造で4両が製造された。

手荷物・小荷物輸送以外に、電気機関車の代用としても使用され、1939年に2両が郵便室を設置しモユニ1形となった。残る2両は利用頻度が少なかったために1941年に廃車となっている。

全長13mの車両で荷物室と郵便室を分離したため荷物室が狭くなり、2両編成での運転が常態化したことから、1960年に車体を更新すると同時に大型化を図った。1971年には郵便輸送が廃止されたため車内を全て荷物室に変更、1976年に1両が廃車されたが、残った1両は1984年の荷物輸送全廃まで使用された。

車体[編集]

車体長は12.1m、側面中央には荷物用の両開き扉があり、荷物室には小窓が設置されていた。

正面は丸みを帯びた非貫通の3枚窓で、これは1形101形と同様のスタイルであった。

車内は荷物室だけではなく、車体長が短いために床下に装備できなかった一部機器を収納するための機器室が設置されていた。

主要機器[編集]

主電動機は125HP(英馬力)のMB-146-A形を4基搭載した。

制御装置三菱電機ウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携によって導入したHL形制御方式、制動装置はAMM-C形自動空気ブレーキを装備した。台車住友金属工業製のKS30Lを使用した。

沿革[編集]

登場後は手小荷物輸送だけではなく、電気機関車代用として貨物列車を牽引することもあった。

1939年3月に、逓信省より郵便輸送の要請があり[1]、改造費用の負担も受けられた[1]ことから、モニ3・モニ4の2両に郵便室を設置し、郵便扱い用の扉が増設されることになり、形式もモユニ1形モユニ1・モユニ2に変更された。郵便室・荷物室とも荷重は3tとなった。モニ1・モニ2については使用頻度の減少に伴い、1941年5月に廃車されたが、電装品や台車はクハ551形をモハ251形に改造するために活用された。余剰となった車体は経堂工場の敷地内に放置されていた[2]が、1953年台枠などを活用してデト1形が製作されている。

1942年には東急に合併したことから形式が東急デユニ1000形に変更され、2両とも改番された。

1960年頃になると、荷物室が狭いことから学期末や学期始めの時期、また手小荷物の多い月曜日や木曜日[3]には2両連結を余儀なくされ、時にはデニ1101を増結した3両編成での運行になることもあった[3]。また、車両自体も更新が必要な時期であった[3]

このため、荷物電車の更新にあたっては車体延長の要求があった[3]が、折りしも1500形が車体更新で1900形に編入され、余剰となった車体が2両分あった[3]ことから、これを活用して車体更新を行なうことになった。車体中央には2m幅の両開き扉が設置された。この更新により、車体長はデユニ1001が17.5m、デユニ1002は16.7mとなり、荷重は2両とも郵便と荷物を合わせて10tとなった。郵便室の荷重は3tで変わらなかったため、荷物室は2倍以上の荷重に対応が可能となった[4]。また、更新と同時に台車もクラスプ式(両抱え式踏面ブレーキ)に改造し、台車形式もKS30Laと変更された。車体色は緑色をベースカラーにして、黄色の帯を車体裾に巻いたデザインに変更された。

なお、この時に余剰となった車体は、空気ばね式自然振り子車両のテストに使用された[5]。これは、小田急の鉄道路線の要所に存在する曲線を、線路改良せずに速度向上を図る[6]べく試験が行なわれたもので、台車は2400形HE車用のFS30を連節台車に改造したFS30Xを装備した。試験の結果、空気ばね式自然振り子車両には問題が多いと判断された[7]ことから、この後に小田急で行なわれる車体傾斜車両の試験は、強制車体傾斜式により行なわれることになった。

デニ1001(1981年)

1971年に郵便輸送が廃止されたことから、車内を全て荷物室に改造した上で、形式もデニ1000形に変更された。改番は行なわれていない。車体色は赤13号[8]1色に変更された。1973年にはさらに白い帯が車体に入れられた。1975年頃にはデニ1001の台車が、2100形の廃車に伴い捻出されたFS14形台車に変更された。

1976年にデニ1002は4000形増備に伴う主電動機提供のため廃車となり、残ったデニ1001はその後も荷物電車として使用されていたが、1984年3月20日限りで荷物輸送は廃止され、さらに3月31日限りで社用品輸送もトラックに切り替えられたことから用途を失い、廃車となった。廃車後、1984年の踏切事故訓練に使用された後に解体された。

車両一覧[編集]

  • 小田原急行モニ1(→電装品のみモハ251形に流用)
  • 小田原急行モニ2(→電装品のみモハ251形に流用)
  • 小田原急行モニ3→小田原急行モユニ1→東急デユニ1001→小田急デユニ1001→小田急デニ1001
  • 小田原急行モニ4→小田原急行モユニ2→東急デユニ1002→小田急デユニ1002→小田急デニ1002

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p67
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p68
  3. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p81
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p82
  5. ^ 保育社『私鉄の車両2 小田急電鉄』p124
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p15
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p16
  8. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』p80

参考文献[編集]

  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル』通巻546号「特集・小田急電鉄」(1991年7月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻679号「特集・小田急電鉄」(1999年12月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』(2002年9月別冊)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』(2002年12月別冊)
  • 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)ISBN 4586505303
  • 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1985年5月1日重版)ISBN 4586505303
  • 保育社『私鉄の車両2 小田急電鉄』(1985年3月25日初版)ISBN 4586532025

関連項目[編集]