大阪府立泉大津高等学校
大阪府立泉大津高等学校 | |
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過去の名称 |
(大阪府立第十五高等女学校) 大阪府立大津高等女学校 大阪府立大津高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1941年 |
創立記念日 | 4月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | ビジネス情報コース |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 27180C |
所在地 | 〒595-0012 |
北緯34度29分54.2秒 東経135度25分21.1秒 / 北緯34.498389度 東経135.422528度座標: 北緯34度29分54.2秒 東経135度25分21.1秒 / 北緯34.498389度 東経135.422528度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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大阪府立泉大津高等学校(おおさかふりつ いずみおおつこうとうがっこう)は、大阪の泉大津の学校。
概要[編集]
1941年に大阪府立としては15番目となる高等女学校として設立された。
1942年には学校所在地の泉北郡大津町が市制を施行して泉大津市になったが、学校が「泉大津」に改称したのはこの時ではなく1950年で、野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場した際に「泉大津」の名称を使用したことがきっかけとなった。
希望者を対象に、ベトナムやカンボジアでの海外ボランティア活動を実施している。ホームステイや現地の高校との交流、孤児院へのボールペン寄付、日本語学校での講師体験などを行う。
校内には「考古資料室」が設置され、地歴部の生徒らが発掘した古代の遺物などが収蔵されている。また情報の選択科目では生徒が考古資料室の収蔵品を整理してデータベース化し、ウェブ上で公開するなどの取り組みもおこなっている。大阪府立弥生文化博物館と連携した博学連携の取り組みも行われている[1]。
2012年に情報活用専門コースを設置[2]。2013年にはビジネス情報コースへ改名し、進路実現のための資格習得・活用を図っている[1][3]。
沿革[編集]
1941年2月に設立が認可され、泉北郡大津町大字豊中の現在地に設立された。当初は大阪府立第十五高等女学校の名称での認可であったが、開校直前に大阪府立大津高等女学校へ改称している。
1948年の学制改革で大阪府立大津高等学校となり、大阪府立鳳高等学校(旧制大阪府立鳳中学校)との間で教員・生徒の交流をおこなって男女共学となった。一時期定時制課程を設置していたことがあったが、短期間で廃止されている。1950年に大阪府立泉大津高等学校へ改称した。
- 1941年2月16日 - 大阪府立第十五高等女学校として設立認可。
- 1941年3月31日 - 大阪府立大津高等女学校に改称。
- 1941年4月15日 - 大阪府立大津高等女学校として開校。第1回入学式。
- 1948年 - 大阪府立大津高等学校に改称。
- 1948年10月 - 定時制課程を設置。
- 1950年10月25日 - 大阪府立泉大津高等学校に改称。
- 1951年3月 - 定時制課程を閉課程。
部活動[編集]
野球部は1950年に第32回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
地歴部は1948年創立。1950年代から1960年代にかけて池上・曽根遺跡や陶邑古窯跡群の発掘に携わるなど大阪府南部の遺跡調査で実績をあげ、マスコミでもたびたび取り上げられるなどした。2009年には「3年生が卒業すると部員がいなくなり、廃部の危機」と報じられた[4]が、2010年度に新入生が入部して廃部は免れた[5]。
出身者[編集]
- 池田忠雄 - 和泉市長(第4代)
- 神谷昇 - 衆議院議員、元泉大津市長
- 夏夕介 - 俳優
- 太平シロー - 芸人
- 土田嘉徳 - プロ野球選手
- 斉藤祐子 - 芸人
- 夛田凌輔 - サッカー選手(興國高校に転校)
- 山本富士子 - 女優
関係者[編集]
- 森浩一 - 考古学者、元同校教諭。
交通[編集]
脚注[編集]
- ^ a b 大阪府教育委員会、「特色ある学校づくり 大阪府立泉大津高等学校」、『府教委ニュース』第146号(平成26年5月30日発行) p.5 http://www.pref.osaka.lg.jp/kyoikusomu/news/news146-5.html
- ^ 府立泉大津高等学校、『平成24年度学校経営計画及び学校評価』 p.1,3 http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/6344/00127508/24r_410izumiotu.pdf
- ^ 府立泉大津高等学校、『平成25年度学校経営計画及び学校評価』 p.2 http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/6344/00127520/25r_410izumiootsu.pdf
- ^ 産経関西2009年10月24日『地歴部 存続ピンチ 考古学の名門・泉大津高 部員来春ゼロに』、朝日新聞2009年11月14日『名門地歴部が廃部の危機』
- ^ 読売新聞2010年8月19日『「歴女」休部危機救う…名門・大阪府立泉大津高地歴部に4人入部』