大谷繞石

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大谷 繞石
(おおたに ぎょうせき)
誕生 大谷 正信
1875年
日本の旗 日本島根県松江市末次本町
死没 1933年(58歳没)
職業 俳人英文学者
国籍 日本の旗 日本
ジャンル 俳句英文学
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大谷 繞石(おおたに ぎょうせき、おおたに じょうせきとも。1875(明治8)年~1933(昭和8)年、本名: 正信)は、松江市末次本町出身の英文学者・俳人。

経歴[編集]

島根県尋常中学校(後の松江中学校)在学中に、西田千太郎らの英語教師に教えを受けるとともに、1890(明治23)年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語教師として同校に赴任すると、学生の中で最もハーンの信任を得た[1]

1892(明治25)年、京都の第三高等学校へ入学し、1894(明治27)年、学制改革のため仙台の第二高等学校へ転校した。第三高等学校、第二高等学校では、同級生に俳人高浜虚子河東碧梧桐がおり、この頃俳句への傾倒が始まった。

1896(明治29)年、第二高等学校を卒業し、東京帝国大学英文学科に入学した。同年、島根県尋常中学時代に教えをうけたラフカディオ・ハーンが同大学に赴任し、再会を果たしている。東京大学在学中に、俳人正岡子規に出会い、本格的に俳句の道に踏み出した。1897(明治30)年に、松江に帰省し、出雲俳壇の中心的な俳人であった奈倉梧月に勧めて全国で5番目の俳句会である「碧雲会」を発足させた。

1899(明治32)年、東京大学を卒業すると[2]、東京の私立中学郁文館や哲学館(後の東洋大学)、真宗大学などに勤めた。 1908(明治41)年、金沢の第四高等学校に赴任し、翌1909(明治42)年には文部省の外国留学生としてロンドン大学で2年間英文学を学んだ。 1922(大正13)年、広島の広島高等学校の教授として赴任し、そこで『小泉八雲全集』の翻訳に打ち込み、第一書房から出版された。

脚注[編集]

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  1. ^ 『明治百年島根の百傑(島根県教育委員会 1968年)419頁
  2. ^ 日野雅之『松江の俳人・大谷繞石 : 子規・漱石・ハーン・犀星をめぐって』(今井出版 2009)276頁

参考文献[編集]

  • 『明治百年島根の百傑』 島根県教育委員会 1968年 全国書誌番号:68014241NCID BN15506326
  • 島根県文学館推進協議会編『人物しまね文学館』 山陰中央新報社 2010年 ISBN 978-4879031433
  • 日野雅之『松江の俳人・大谷繞石 : 子規・漱石・ハーン・犀星をめぐって』 今井出版 2009 ISBN 978-4901951418
  • 安住敦ほか編『現代俳句大辞典』明治書院 1980年 全国書誌番号:80043601NCID BN00746304