大橋建一

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日本の旗 日本の政治家
大橋 建一
おおはし けんいち
生年月日 (1946-06-22) 1946年6月22日(71歳)
出生地 日本の旗 日本 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
出身校 東京大学文学部卒業
前職 和歌山市長
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章(2017年)
親族 大橋正雄(父)
公式サイト 大橋建一ホームページ

Flag of Wakayama, Wakayama.svg 公選第16-18代和歌山市長
当選回数 3回
在任期間 2002年8月26日 - 2014年8月24日
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大橋 建一(おおはし けんいち、1946年昭和21年〉6月22日 - )は、日本政治家。前和歌山市長和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事大橋正雄お茶の水女子大学名誉教授原ひろ子は従姉。

経歴[編集]

1946年昭和21年)6月22日大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている[1]

父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。1959年(昭和34年)に和歌山大学教育学部附属小学校を卒業し、附属中学校に進学するが、1962年(昭和37年)に世田谷区立北沢中学校に転校。東京都立戸山高等学校を経て東京大学文学部国史専修課程卒業後、毎日新聞社記者となる。毎日新聞社では東京本社製作技術局次長、社長室委員などを務め、2002年平成14年)7月に退社。

旅田卓宗前市長の辞職に伴う出直し選挙(同年8月25日投開票)にて、父が元県知事ということで推されて立候補し、自由民主党社会民主党保守党が推薦、日本共産党の支援を受けて当選した[2][3]2005年(平成17年)12月5日 11月に発生した広島小1女児殺害事件や、12月に発生した栃木小1女児殺害事件による子どもの安全対策を問われた事に触れ「広島もかなり郊外ですし、栃木今市もイマイチのまちであります。そういうところで事件が相次いで起こる。我々のまちも全くひとごとではない」とと発言した。大橋市長は、6日の本会議で発言を取り消した上「不用意な、配慮を欠いた発言だった」として謝罪した。 2006年(平成18年)7月30日の和歌山市長選では、戦後最多の6人が立候補する激戦となったが、次点に大差をつけて2選を果たしている。2010年(平成22年)8月1日の市長選では3選を果たしたが、目立った争点のない選挙戦で有権者の関心は低く、投票率は和歌山市長選挙としては過去最低の36.45%を記録した[4]

2011年(平成23年)6月2日、全国の中核市の市長で構成される中核市市長会第8代会長に就任[5]

4選目には不出馬を表明し、2014年8月10日の市長選挙では尾花正啓が当選した[6]ため、同年8月24日をもって3期12年の任期を終えた[7]。和歌山市では辞職、死去などで任期途中での市長退任が多く、退庁式を行った市長は、戦後では大橋が初であった[8]

2017年4月、旭日中綬章を受章。

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大橋建一ホームページ 自分史
  2. ^ ニュース和歌山-2002年8月31日2面記事
  3. ^ 和歌山市長選挙への日本共産党の対応について 2002年7月25日付の声明で大橋への支援を呼びかけた。
  4. ^ 大橋さんが3選、和歌山市長選”. 和歌山新報. 2013年7月3日閲覧。
  5. ^ 中核市市長会会長に就任しました”. 和歌山市. 2013年7月3日閲覧。
  6. ^ 尾花氏が初当選 和歌山市長選の投票率過去最低30・84%”. 紀伊民報. 2014年8月12日閲覧。
  7. ^ 和歌山)戦後初、和歌山市長の退庁式 これまでは…:朝日新聞デジタル.htm
  8. ^ 戦後任期を全うした市長は他に宇治田省三がいるが、落選による退任であるため退庁式は行われていない。

外部リンク[編集]


公職
先代:
旅田卓宗
Flag of Wakayama, Wakayama.svg 和歌山市長
公選第16-18代:2002年 - 2014年
次代:
尾花正啓