大晦日
大晦日(おおみそか)は、1年の最後の日。天保暦(旧暦)など日本の太陰太陽暦では12月30日、または12月29日である。現在のグレゴリオ暦(新暦)では12月31日。翌日は新年(1月1日)である。大つごもりともいう。日本では、年神を迎えることにちなむ行事が行われる。
由来
名称
旧暦では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といった。もともと“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味だった。ただし、月の大小が年によって変動するので、実際には29日のこともあった。現在は、新暦の12月31日を指す。
大晦日を大つごもりともいった[1]。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月隠り(つきごもり)」が転じたものである。
英語では「New Year's Eve」と呼ぶ。また西ヨーロッパを中心にシルウェステル1世 (ローマ教皇)が由来の「ジルベスター(Silvester)」とも呼ばれる。
文化
日本における大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」(としがみさま)、または「歳徳様」(としとくさま)への信仰に基づく儀礼から生じており、これらは歳徳神などとも呼ばれるその年一年間を司る神様である。年の初めから来られるため、「正月様」(しょうがつさま)とも呼ばれ、各年によって来られる方向が異なり、その方角は「恵方」と呼ばれる。この神様は神社のような宗教施設ではなく各家々に訪れると昔から信じられていたため、神様をお迎えし食事を共にしたりするために大晦日から「年籠り」(としごもり)をして(元旦に恵方にある近所の神社へ参拝する恵方詣りをすることもあるが)元旦も家で過ごすことが一般的であった。今では歳神様が家に来られるという観念がほとんど無くなり、一般庶民が正月三が日などに神様に願いを伝えるためにこちらから神社へ参賀する「初詣」を行うようになっているが、そのきっかけは、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などを経て、関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで、年籠りという習慣は次第に失われたとされる[2]。
日本の平安時代に行われていた大晦日の宮廷儀礼の1つに「鬼やらい」とも呼ばれる「追儺」(ついな)がある。年の変わり目という最大の節分において、「鬼」で表現される良くない何かを追い払うために方相氏(ほうそうし)と呼ばれる恐ろしい扮装・いでたちの導士によって執り行われる古い行事であるが、これが現代の節分行事に変化したとされる[3]。恐ろしい姿の演者としては、今でも日本の郷土文化として大晦日や旧正月などに「なまはげ」などが行われている。
大晦日の行事
大晦日には、様々な年越しの行事が行われる。年越しの夜のことを除夜(じょや)とも言う。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皺が寄るとかいった俗信があった[4]。また、
大晦日の伝統的な風習には以下のようなものがある。
神社仏閣や各地方では伝統的な行事が行われ、その他にも年越しを祝うイベントが行われる。また、そういった行事やイベント、初日の出など元旦のイベントの為に移動する人が多いため、電車などの交通機関が日常は営業時間外となっている深夜に営業する事もある。
テレビでの特別番組
- 年越し特別番組については、「ゆく年くる年#その後の民放局の展開」も参照
大晦日は正月の1日前であることから、家族が全員そろっていることが多い。そのため、テレビ番組においては一家団欒をにらんでの目的で特別番組を多く編成しており、これも大晦日の風物詩となっている。下記以外も多数ある。
大晦日を題材とした古典落語
脚注
- ^ 「年中行事事典」p123 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 橋本、13-16頁
- ^ 橋本、57-64頁
- ^ 「年中行事事典」p123 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
参考書籍
- 橋本章著、『近江の年中行事と民俗』サンライズ出版、2012年1月20日第1版発行、ISBN 9784883251698