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大和久彪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 大和久 彪 八段
名前 大和久 彪
生年月日 (1914-01-23) 1914年1月23日
没年月日 (1956-08-25) 1956年8月25日(42歳没)
プロ入り年月日 1936年
出身地 千葉県千葉市
所属 日本将棋連盟(関東)
→将棋大成会(関東)
→日本将棋連盟(関東)
師匠 石井秀吉七段
弟子 長谷部久雄九段
段位 八段
順位戦最高クラス B級
0
筆名:飛将軍
2022年2月21日現在
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大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 1956年8月25日[1][2]は、将棋棋士。贈八段[1][2]石井秀吉七段門下[1][2]千葉県千葉市出身[1][2]

経歴

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  • 1946年順位戦B級に参加。以後10期にわたり順位戦に参加。
  • 1956年、順位戦C級1組在籍のまま死去。

人物

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  • 縁起を特に気にしていたといわれている[3]。死去の半年ほど前に、松下力八段との対局で駒柱(駒が将棋盤の一段目から九段目まで縦一列に並ぶ事)が現れ、その対局は大和久が敗れた[要出典]。それからまもなく大和久が病床につき休場、若くして腎臓病で亡くなった。この時の駒柱の位置が死線に通じる4の列だった[要出典]
  • 升田幸三実力制第4代名人が低段時代にライバル視していた[要出典]棋士としても有名。
  • 弟子長谷部久雄がいる。
  • 晩年、日経新聞に「飛将軍」のペンネームで観戦記を執筆した[2][4]

昇段履歴

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  • 1933年00月00日:入門 [1][2]
  • 1934年00月00日:初段 [5]
  • 1936年00月00日:四段 [5]
  • 1937年00月00日:五段 [5]
  • 1941年00月00日:六段 [5]
  • 1944年00月00日:七段 [5]
  • 1956年08月25日:現役死去 [2]
  • 1968年11月03日:追贈八段(表彰感謝の日表彰)[2]

主な成績

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順位戦クラス

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順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[6]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1946 1 六・七段戦 7-7-持1・成績9位
1947 2 B級15位 4-8
1948 3 B級 予選3組 0-2-持2
1949 4 B級 4-4
1950 5 B級 6-6
1951 6 B級10位 3-8-持1
1952 7 B202 8-4
1953 8 B206 4-7
1954 9 B211 5-8
1955 10 C101 5-8
1956 11 C110 現役死去
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )

著書

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  • 大和久彪『奇襲戦法:鬼殺し・石田・捻り飛車・穴熊戦法・金開き (将棋新書 第10)』野口書店、1952年。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

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外部リンク

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