古橋あや香

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古橋 あや香(ふるはし あやか、1985年12月7日 - )は、コピーライターCMプランナーコラムニストShy Flower Project代表。愛称はスイスイあーちゃんジェリ

愛知県名古屋市出身。血液型はA型。夫は3歳年上の会社員。[1][2]

略歴[編集]

生い立ち[編集]

1985年12月7日に古橋家の長女として生を受ける。愛知県で生まれたあや香は幼少期に枇杷島町に家族で移り、生活の拠点となる。幼年期に二回の骨折を経験しており、うち一回は玄関を玩具の車に乗り後ろ向きに落ちるという大惨事であった。

少女時代[編集]

名古屋市立枇杷島小学校から天神山中学校に進み、幼少期から絵を描くことが好きだったあや香は、中学校の写生大会名古屋城に行き、皆がお城の絵を描くなか一人だけ城の側の井戸を描くも入賞を果たし、現在(2015年12月現在)も中学校に飾られている。

学生時代[編集]

愛知県立西春高等学校に進んだあや香は、水泳部に入る。進学校だったため校則が厳しい高校時代を過ごす予定だったが、当時はルーズソックス全盛期で、あや香は毎日ルーズソックスで登校、先生との小競り合いが絶えなかった。文化祭でアカペラのパフォーマンスを行い、一躍同高校の有名人となる。また美化委員だったあや香は、友人とよく空き教室に忍び込んではふたりエッチを読みふけっていた。 高校を卒業し、2004年に南山大学経営学部入学。大学では寮に入り、生活の拠点は南山大学に。大学では軽音楽部に入部し、バンドを始める。バンド内では主にボーカルを担当。頭の右半分を金髪にし、学内の注目を集めた。服装は基本的に黒。またライブは裸足で行うというポリシーの元行っていたが、ガラスで足を切り負傷したことも。常に周囲から近寄り難いオーラを放っていたが本人に自覚は無かった。軽音楽部の副部長を務めたことで、管理能力も向上。卒業論文のテーマはラブホテルで、当時はかなり熱心に研究していた。

リクルート時代[編集]

大学を卒業し、リクルートに入社すると共に上京。学生時代から憧れていた吉祥寺で社会人生活をスタートさせる。初めは習い事などのスクールに対して、ホットペッパーの営業を行う。この当時、営業手法にマインドマップを取り入れ、顧客、上司共に注目を浴び、信頼を集める存在となる。そして吉祥寺編集部への異動と同時に営業の対象が美容室へと変わり、都内でも有数の美容室のマーケットシェアを誇る吉祥寺で、数多くのリクルートの社内賞を受賞、その営業力を開花させる。その後高い営業力を買われ、多くの有名美容室が名を連ねる青山表参道のエリアを担当。リクルート時代の彼女の働きぶりの周りからの評価は、「とにかくレスが早い」「見た目に似合わずマナーがしっかりしている」「誰とでも仲が良い」「クライアント思い」「後輩を育てるのは苦手そう」。そして3年半のリクルートとの契約期間を満了し、惜しまれながらもリクルートを卒業。リクルート時代後半の愛称は「ジェリ」。

サステナ時代[編集]

リクルート卒業後、ブログのある記事をきっかけに、前北美弥子が代表を務める、サステナに入社し、コピーライターとしてのキャリアを歩み始めるが、同時期に通い始めた宣伝会議が主催するコピーライター育成講座をきっかけに、CMプランナーの仕事もこなすようになる。またこの時期に友人とShy Flower Projectをスタートさせる。

結婚・出産[編集]

フジテレビの採用面接で出会った男性と交際をスタートさせ、紆余曲折を経て、面接の日から7年経った日に入籍。結婚式は憧れであったアウトドアウェディングを犬山市のキャンプ場で行い、翌日からフランスへ新婚旅行に(旦那には内緒で彼の会社に根回しし、旦那の有給を取得していた)。フランスではスリに遭うも、ハネムーンベイビーを身ごもり、翌年3月に出産[3]。出産を機に書き始めたコラムが世間で注目を浴び、その文章力を買われて連載を開始。

Shy Flower Project[編集]

2012年6月、「助けてと叫ぶことの出来ないすべての花の為に」をコンセプトに、咲いたまま捨てられる廃棄花を、美しく可愛く、再生させるプロジェクトを立ち上げる[4]。 もともと本人は花が好きなわけではなかったが、NPO法人グリーンズが運営するwebマガジン「greenz」やロハス系雑誌「ソトコト」に影響を受け、漠然と「ソーシャルな活動」に興味を持つ矢先、捨てられてしまう花がもったいないのでは?ということに気づいたことがプロジェクト立ち上げのきっかけ。 立ち上げ当初は回収した花をドライフラワーに加工し、コサージュなどの商品にすることがプロジェクトの主な活動内容であったが、メンバー入れ替えを機に様々な分野のアーティストや企業とのコラボに力を入れ始める。そして、ワークショップなどのイベントを通じて参加者と触れ合いながら地球環境やソーシャル活動に楽しく関われるような運動に力を入れるようになる。あや香は後のインタビューなどでこの時期のことを「ターニングポイント」と呼ぶことが多い。第90、96、97 代内閣総理大臣安倍晋三夫人である安倍昭恵をメインゲストに迎えたイベント「地球と恋する暮らし2015」に登壇したことをきっかけに[5]首相官邸に送られた祝い花の回収も行った。人物のプロフィール写真撮影を得意とし、来場者の自然な魅力を写すことが好き。

エッセイスト[編集]

エッセイの仕事がしたいと思い始め、様々な媒体に記事の掲載願いを出すが尽く断られた結果、当時株式会社ピースオブケイクが運営するサービスの「cakes」内で行われたコンテストに応募し、入選。それをきっかけにエッセイストとしての人生も歩み始める。初連載の「メンヘラ・ハッピー・ホーム」は元々短期連載の予定が、好評につき連絡が延長。日本におけるネットスラングであるメンヘラに関して公に考察した第一人者。また友人とともにWEB上でラジオ番組さながらの掛け合いをする「よむラジオ」も人気に。

人物[編集]

エピソード[編集]

  • 古橋家は皆トマトが苦手なのに、なぜかあや香だけはトマトが好きな結果、家族が残したトマトはほとんど彼女が食べるという習慣ができる。
  • 極度の胃下垂で、満腹時は妊婦並みにお腹が出る。一度軽音楽部のライブ中に、満腹状態のお腹を見せながら「妊娠した」という冗談を言って会場を凍りつかせた。
  • 軽音部で4年間ボーカルだったのに「歌うことはそんなに好きじゃない」と後にコメントしている。
  • 大学を卒業してしばらく経ったら挨拶が「ロハス!」になる。
  • リクルート時代に自分のことを「言葉の魔術師」と言っていた。また勤務時間中によく後輩のデフォルメした似顔絵を書いていたところも目撃されている。
  • リクルートの青山・表参道担当時代、引き継ぎを受けたクライアントの担当者に泣かされるが、その後提案の成果によりお店の売上が大幅に上昇。その担当者との関係は退職後も続き、自身の結婚式のヘアメイクを担当してもらう事になる。
  • よく変なダイエットに手を付ける
  • 友人達に、「なんでもかんでもFacebookに書くから書けない誕生日祝いしよう」と、歴代の彼氏のお面つけた人たちで時系列順に部屋までエスコートするというサプライズされた。
  • ハマったものを周りに勧めることが好きで、気が付くと友人達を自分のブームに染めることが多々ある。
  • 講演の際、「私は別に花とか好きではないんです」と言う意外な切り口から、あえて観客の興味を引く手法がある。
  • 2014年秋頃から蔦を編むことにハマりだし、「花は好きになれないけど、蔦は大好き!」と言いながら「蔦アーティスト」を自称し、籠や文字を編み出す。
  • 食事に関しては偏食気味で、一度気に入った食べ物はしばらく狂信的なまでに食べ続ける傾向がある。
  • 複数回ゲストとして出演したことのあるJ-wave Wonder Visonのナビゲーター平井理央のことは、おはスタ時代からの大ファンであると公言している。
  • 2014年3月、第1子妊娠後期臨月の最中にShy Flower Projectの大掛かりな撮影を決行する。絶対安静状態だったため、テクノロジーを駆使した遠隔指示により、約30名からなる大撮影部隊を指揮しながら無事に成し遂げ、その約10日後に長男を出産。
  • 自身のブログ記事「【みんなが言いづらいと思うから】ママのママによるママのためのママ神格化現象がおこってますよね?【私がいうね!】」がネットにアップされるやいなや話題になり、子育て論に関して大いに議論を呼ぶ。

恋愛に関するエピソード[編集]

主に学生時代のあや香は自身も語るように、恋愛により心や健康を大きく乱されるほど、多数の情熱的な恋愛を繰り返した。しかし後の旦那となる男性との出会いをきっかけに、その過度に情熱的すぎる恋愛観からの脱却を図り、結果リア充としての道を歩み始める。「私がどのくらいメンヘラだったかというと 全身黒い服で軽音楽部でアシンメトリーで彼氏に会えないと絶望して泣いてリスカで気を引いてきれて私のこと好き?嫌いになった?まだ好き?ほんと?本当に?を一日何十回も確認しても不安でメール送りまくって電話しまくってでも会えないと不安で結果20時間くらい一緒に過ごすことになりすぐに飽和状態になりそんな自分に自暴自棄になりブログにリスカしたって書いては心配されたことを確認してずっとそばにいるからと言われたいがために過呼吸になって他に好きな人ができたり大失恋をして激痩せしたりわざと吐いたりそれを小説に綴ったりブログに書いたり歌詞にしたり長いバンド名をつけたり椎名林檎のファンクラブ入ってるくらいにはメンヘラだった。[6]

  • 失恋後全くものが食べられなくなって、しばらくほぼクレームブリュレだけで生活してたことがあった。
  • 「恋愛はゲームだ」と言って、手を握る方法などを友人に伝授した後、実際に当時のターゲットを落としたことで友人達を驚かせる。
  • 出産と共に多くの過去の異性関係を忘却してしまった。

ルームシェア[編集]

2010年7月から2011年7月までの1年間、東京都中野区で当時の同僚やその知人らと4人で男女混合のルームシェア生活を送ったことが後の人生に大きな影響を与えたと語っている。その頃の口癖は、「シェアしててよかったー!」である。その理由の1つとして、一緒に生活しなければ絶対にわからない他人の一面を知ることができるからだと述べている。自身も、日常でのふとした会話の中でシェアメンバーに、自分が共感覚の持ち主であることを告白している。25歳の誕生日にシェアメイトからのサプライズで、当時はまっていたサムギョプサルが家庭で楽しめるセットをプレゼントされた。そのお返しに始めた他のメンバーへのサプライズ企画の際には率先して指揮をとり、彼氏とのサプライズ合戦で鍛え抜かれた卓越したアイディアと行動力で多くの人に感動にを与えるという情深い一面をみせる。この当時大好きだった雑誌、東京グラフィティのルームシェア特集に応募、取材を受けている。シェアハウス時代、住人が変わるたびに作成された卒業ムービーは、シェアメイトの友人であるロックバンド水中、それは苦しいのメンバーが毎回出演するという本格的なものであった。そのムービーの最後には学生時代から交際していた当時の婚約者も出演し「他の男性とルームシェアすることに対し最初は嫉妬・反対の念もあったがシェア生活を通してあや香はますます魅力的になった、好き。」というコメントを残している。

執着心に関するエピソード[編集]

2014年11月、森ビルが主催するHills Breakfastに登壇した際に、自身のパーソナリティーの多くを形成しているのは「執着心」だと語っている。

  • 入籍後、旦那が小学校の頃から使っていた机の開かずの引き出しを数時間かけて開け、中に入っていた大量の元カノからの過去の手紙を数時間かけて全て読み、破り、書かれていた実家の住所にたずねてみるところまでを全て1日で成し遂げる。
  • 自身の「死ぬまでにやりたいこと100」に書かれている、CMで賞が取りたい、ということを実現すべく、当時全くの素人ながらコンテを書きまくり、広告会社のプロデューサーに持参し、断られ続けるも諦めずに続けたことで、CM作成に携わるようになる。
  • Shy Flower Project立ち上げ時、160軒の花屋に直接電話をかけ花の流通の現状を調べあげた。

講話の最後に、「私は執着した結果、全然後悔していない。(中略)自分でなんか執着したらスピードばーん!っていうのが勝手に訪れると思っている。その自分の好きなことをやってたら、気がついたら社会がかわってるという良いことにもつながっているということもあると思うので、みなさん、自分の心の中にある執着心を大事にして、どんどんやりたいことやって下さい。」と締めくくっている。[7]

メディア[編集]

テレビ[編集]

  1. 2016年 EARTH Lab -次の100年を考える-、11月5日OA[8]

雑誌[編集]

  1. 2011年5月号、東京グラフィティ掲載
  2. 2013年4月号、ソトコト掲載
  3. 2013年11月号、ソトコト掲載

ラジオ[編集]

  1. 2013年2月7日 TOKYO FM LOVE CONNECTION生出演
  2. 2013年12月29日 J-WAVE WONDER VISION生出演

WEB連載[編集]

  1. 2016年1月~、メンヘラ・ハッピー・ホーム連載開始[9]

出典[編集]

  1. ^ スイスイは水中
  2. ^ 公益財団法人 ケア・インターナショナル ジャパン ホームページ,『女性起業家☓CARE事務局長武田克彦 リレー対談』第10回対談
  3. ^ スイスイの想定外.1「受精なう」
  4. ^ Shy Flower Projectホームページ
  5. ^ 第8回「地球と恋する暮らし2015~環境フォーラム~」
  6. ^ 100%のメンヘラだったのにそこから抜け出して完全なるきらきらリア充になれた理由を分析してみた
  7. ^ Hills Breakfast vol.44
  8. ^ EARTH Lab -次の100年を考える-
  9. ^ メンヘラ・ハッピー・ホーム

外部リンク[編集]