勝部修
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勝部 修 かつべ おさむ | |
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生年月日 | 1950年7月4日(74歳) |
出生地 | 岩手県東磐井郡東山町 |
出身校 | 亜細亜大学法学部 |
前職 | 岩手県企画理事兼県南広域振興局長 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
法学士 旭日小綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2009年10月9日 - 2021年10月8日 |
勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日[1] - )は、日本の政治家。元岩手県一関市長(3期)。
略歴
[編集]- 1950年7月4日 - 岩手県東磐井郡東山町に生まれる。
- 1969年 - 岩手県立大東高等学校卒業。
- 1973年 - 亜細亜大学法学部法律学科卒業。
- 1974年 - 岩手県職員として採用される。
- 1986年 - 広聴広報課報道主査(県政記者クラブ)。
- 1989年 - 港湾振興主査。
- 1992年 - 世界アルペンスキー選手権大会組織委員会出向。
- 1995年 - 科学技術振興室長補佐。
- 1997年 - 情報科学課長補佐。
- 1999年 - 企業立地推進監。
- 2001年 - 企業立地推進課長。
- 2002年 - 大船渡地方振興局企画総務部長。
- 2003年 - 総合雇用対策監。
- 2005年 - 総合雇用対策局参事、ジョブカフェいわてセンター長。
- 2006年 - 総合雇用対策局長。
- 2007年 - 総合政策室長。
- 2008年 - 岩手県企画理事兼県南広域振興局長。
- 2009年7月 - 退職。
- 2009年10月4日 - 一関市長に初当選。
- 2009年10月9日 - 一関市長に就任。
- 2021年10月8日 - 一関市長を退任(3期満了)。
- 2022年11月 - 一関市市勢功労者表彰(自治功労)[2]。
- 2023年6月 - 公益財団法人岩手県南技術研究センター理事長を退任[3]
- 2023年11月3日 - 旭日小綬章受章[4]。
一関市長選挙
[編集]2009年10月2日、任期満了に伴う一関市長選挙に無所属で立候補。当時全国最高齢市長だった浅井東兵衛が引退したこの選挙には、他に新人2人が立候補した。勝部はこの選挙で、「経験を基に雇用対策に最善を尽くし、市のサービス力を向上させる」と強調した。10月9日、投開票が実施され、勝部は他の2人を大差で下し、初めての当選を果たした。2013年の市長選挙は無投票当選で再選[5]、2017年の市長選挙でも無投票で三選された[6]。2021年の市長選挙には出馬せず任期満了を持って退任した。
一関市長選挙開票結果
2009年(平成21年)10月9日(投票率 : 70.42%)
当落 | 得票数 | 得票率 | 候補者 | 党派(推薦) | 年齢 | 新旧 |
---|---|---|---|---|---|---|
○ |
55,222 6,526 5,479 |
82.14% 9.70% 8.15% |
勝部修 山下政治 伊東福住 |
無所属(民主県連、自民県連推薦) 無所属 無所属 |
59 70 77 |
新人 新人 新人 |
政策
[編集]自身のホームページに、「政策の3本柱…3つの「きょうせい」」として、「競生」「共生」「協生」を掲げている。また、具体的な政策として、「「中東北」の拠点都市一関の形成」や「内陸地震からの復興と教訓を生かしたまちづくり」など10項目を掲げている。
人物
[編集]- 趣味は小石集め。
- 剣道三段の段位をもつ。クロスカントリースキーもしている。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、28頁。
- ^ 広報いちのせきNo.393 2022年10月26日閲覧
- ^ 県南技研だより第219号
- ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
- ^ これまでの一関市長選挙、一関市議会議員選挙の開票結果 一関市HP2018年2月18日閲覧
- ^ <一関市長選>現職の勝部氏が無投票3選 河北新報ONLINE NEWS 2017年09月25日2018年2月18日閲覧
外部リンク
[編集]- 勝部修公式ホームページ - ウェイバックマシン(2017年9月15日アーカイブ分)
- 勝部修 (@katsubesan) - X(旧Twitter)
- 勝部修 (osamu.katsube.9) - Facebook
- 市長室から - 一関市役所
公職 | ||
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先代 浅井東兵衛 |
岩手県一関市長 2009年 - 2021年 |
次代 佐藤善仁 |