副島道正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
副島道正

副島 道正(そえじま みちまさ、1871年11月26日明治4年〉10月14日 - 1948年昭和23年〉10月13日)は、明治、大正、昭和の華族実業家IOC委員。伯爵

経歴[編集]

伯爵副島種臣の三男として東京に生まれる。イギリスケンブリッジ大学卒業。

宮内省に入り東宮侍従式部官を務めた。実業家としては京城日報社長、日英水電早川電力役員等を務めた。

1918年(大正7年)7月から1925年(大正14年)7月まで貴族院議員[1]

1940年(昭和15年)に東京オリンピックを開催招致すべく、1934年(昭和9年)5月のIOC総会(アテネ)でIOC委員に選出。1935年(昭和10年)に杉村陽太郎とともにローマムッソリーニと会見し(インフルエンザ肺炎発症のため、予定より遅れて会談)、ライバル都市であったローマの立候補撤回を交渉し、翌1936年(昭和11年)の招致決定に功績を挙げた。

1936年(昭和11年)8月から1947年(昭和22年)5月の貴族院廃止まで再び貴族院議員を務めた[1]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』27頁。
  2. ^ 『官報』第5733号「叙任及辞令」1946年2月25日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
日本の爵位
先代:
副島種臣
伯爵
副島(種臣)家第2代
1905年 - 1947年
次代:
(華族制度廃止)